動力の近代化と蒸気機関車全廃への道。

1959年(昭和34年)国鉄(現在のJRグループ)の動力近代化委員会が、蒸気機関車(SL)の1973年度末全面的廃止のための長期計画を発表しました。当時電化線は全営業キロの3.2パーセントにすぎず、交流電化は始まったばかりの頃です。新幹線どころか急行以上の優等動車列車(151系や153系)がまだ数えるほどしかなく、SL牽引列車が主力の時代でした。
59年当時、国鉄の機関車の総数5013両の内訳は、SL3974両。DL245両。EL794両。なんとSLが80パーセントをしめていました。
これをうけて1961年からの第2次近代化5ヵ年計画に、SLの廃車のための長期計画が具体的に立案されました。
この計画では
1965年までに、B20、C10、E10、C51、C54、C59、D50形の計1067両を廃車。
1970年までに、8620、C50、C55、C60、C61、C629600、D52、D60、D62形を計1560両を廃車するとし、これらをC11、C12、C56、C57、C58、D51、D61の7形式に置き替え1973年(昭和48年)までにこれら7形式のSL1347両を全廃するという大変な近代化計画でした。
大正生まれの老朽機や比較的両数の少ない形式の淘汰がまず進行し、次いで幹線用の超大形機の廃車という順序が見られます。この計画は当然のことながら、その後の状勢の変化とともに何度も修正されました。
1969年には1974年全廃。その後、北海道地区だけは1975年度末に全廃と次々と修正されることになります。

1970年は国鉄機関車の総数4866両のうちSL1601両、DL1447両、EL1818両とはじめてELの数がSLの数を上まわった年ですが、この頃からDD51形、DE10形などのDL機関車の大量製造が始まります。74年までの5年間にDD51形は310両、DE10形にいたっては432両、DD16形など145両を合わせ、計887両ものDL機関車がSLの残っている機関区に集中的に配属されました。まるでSL全廃の時期をこれ以上修正したく無いかのような感じに受け取られます。

SL淘汰を管理局別に見ると、最も早く無煙化を完成したのは1969年の四国。1970年には高崎・水戸・千葉・東京とつづくが、旭川・札幌・秋田・広島・門司の各局にはまだ100両を超えるSLがまとまって働いていました。
SL淘汰を形式別に見ると8620形や9600形がしぶとく生き残り、その分C58形やD51形の廃車が予想より進みました。とくに9600形は北海道と北九州の炭坑地域の支線区に多数配置されており、線路強度の関係でD51形では計画どうり代替え出来なかったようです。

19741031日には東北地区で最後まで働いていた会津地区のC11形がDE10形に、121日には山陰線西部のD51形がDD51形に置替えられました。
中部地区で最後に残った木曽福島・上松駅の入換用のC56形も、197525日には入換動車に置替えられて本州地区の無煙化が完了しました。
北九州地区では筑豊各線の9600形が19741218日にDE10形に置替えられ、南九州地区も大隈線のC11形が1220日にDD16形に置替えられました。
1975120日には、南九州地区の志布志線のC58形と日南線のC11形がそれぞれDD16形に置替えられ、宮崎・都城駅の入換用に残っていたC57、C55形も同時期にDD16形に置替えられました。
九州地区では最後まで働いていた高森線のC12形、湯前線の8620形は1975310日にDD16形に置替えられ、九州地区の無煙化が完了しました。

最後の砦となった北海道では、19753月末にD5160両、960051両、C116両、C575両、C585両、の5形式計127両のSLがまだ働いておりました。
まず標津線のC11形が425日にDD16形に置替えられました。広尾線、士幌線、池北線の9600形も425日までにはDE10形に置替えられ道東地区の無煙化が完了しました。
道北地区では宗谷線、天北線、興浜北線、湧網線、石北線、池北線の9600形がDE10形に、石北線(北見―網走)のC58形がDE10形にと71日までに順次置替えが完了しました。
7510月には道央地区の岩見沢、滝川、追分機関区にD5160両、960019両、C575両の計84両が最後を迎えようとしていた。
室蘭本線に最後まで走っていたD51形の引く貨物列車、C57形の旅客列車も順次DD51形に置替えが進み1214日には「さよならSL」のヘッドマークを付けたC57135号機の運転を持って終了しました。
C57135号機は東京・神田の交通博物館を経て、現在は埼玉県さいたま市に完成した鉄道博物館に保存されております。
その10日後の1224日には夕張線のD51が牽引する貨物列車の運転も、DD51形に順次置替えが進み最後の貨物列車は6788貨レを牽引したD51241号機でした。

本線上からSLの姿が消えましたが、1976を迎えても追分駅の入換専用線には古豪9600形が煙を上げておりました。1976年(昭和51年)3月2日、最後まで働いていた396794964879602号機の9600形3両が関係者、鉄道ファンに見守られながら最後の日を迎えました。
なを79602号機は3月25日までDE10形の予備機として有火状態だったので、最後の蒸気機関車は79602号機になります。だが同年4月13日深夜の不審火で追分機関庫が全焼し、同所に保管してあった79602号機やD51241号機も無残に焼け爛れてしまいSL終焉機は2両共保存されなかったのは残念でなりません。

1872年(明治5年)10月14日新橋〜横浜間が開業した日から数えて104年目。
この日1976年3月25日をもって国鉄全営業線の完全無煙化が完了しました。


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