今から1300年ほど昔に、武蔵国の中央部を南北に通じる直線的な道が存在していました。この道は国家権力の支配体制の下で計画的に建設された古代の高速道路とも言える役割を持った道でした。 中世の鎌倉街道上道の幹線路は、古代の道を踏襲したものと考えられています。古の昔から、主要な街道が通っていた道筋沿いには人々の生活の営みが繰りかえされていたものと思われます。その生活の営みを繰り返す土地から他の土地へと通う道が発生し、そのような道は新たな時代へも受け継がれてきたことでしょう。様々な交通網が発達した現代では、昔ながらの人が住みやすい土地の条件も変化してきていることは確かですが、基本となる道と街の地理的な関係は今でも昔ながらのものなのです。 ●古代の道について
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