正岡子規と向島長命寺桜もち

言問団子の店から隅田川沿いの首都高向島線の高架下を走る墨堤通りを南下するとすぐに長命寺桜もちの店の前についた。正岡子規は、この店に数ヶ月間借り?して、隅田川のほとりを楽しみつつ短歌を詠んだのであろう。


長命寺桜もちと正岡子規長命寺桜もちと正岡子規。

(墨田区の案内板 より)

子規仮寓の地

向じま 花さくころに 来る人の
    ひまなく物を 思いける哉
(「無何有洲(むこうじま)七草集」女郎花の巻『寄寓隅田川名所恋』)

近代日本を代表する俳人の正岡子規は、向島周辺の景色を好み、こうした歌を数多く遺している。隅田川と墨堤の自然がよほど気に入ったのか、大学予備門の学 生だった子規は、長命寺桜もち「山本や」の2階を3ヶ月ほど借り、自ら月香楼と名付けて滞在。そこで次の句を詠んでいる。

 花の香を 若葉にこめて かぐわしき
      桜の餅 家つとにせよ

 明治28年、日本新聞社の記者として日清戦争に従軍する。その折も

 から山の 風すさふなり 古さとの
      隅田の櫻 今か散るらん

と墨堤の桜を偲んだ和歌を詠んでいる。
 子規という雅号だが、ホトトギスの意、その鳴声は悲壮で、「鳴いて血を吐くホトトギス」などといわれ、喀血したわが身をホトトギスに喩えている。



子規仮寓の地子規仮寓の地

(墨田区の案内板 より)

















江戸時代の「桜もち山本や」江戸時代の「桜もち山本や」
  (墨田区の案内板 より)






















長命寺桜もち店舗長命寺桜もち店舗

向島 長命寺桜もち
http://www.sakura-mochi.com/index.php




江戸の味を今に伝える、長命寺桜もちをどうぞご賞味くださいませ。

当店の桜もちは「長命寺桜もち」として、古来より皆様のご愛顧をいただいております。桜もちの由来は、当店の創業者山本新六が享保二年(一七一七年、大岡 越前守忠相が町奉行になった年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島の名跡・長命寺の門前にて売り始めました。
その頃より桜の名所でありました隅田堤(墨堤通り)は花見時には多くの人々が集い桜もちが大いに喜ばれました。
これが江戸に於ける桜もちの始まりでございます。

初代新六が大川堤の名物だった桜並木にあやかり、桜の葉っぱを塩漬けしたもので餅を包んで、ほのかな風味の「関東風桜もち」を考案しました。
当時から名物として親しまれ平成の今も、その味を今も変えずに受け継いでおります。




長命寺桜もち店舗近景長命寺桜もち店舗近景

”こだわり”のページより より
http://www.sakura-mochi.com/user_data/kodawari.php

「もち」は小麦製の薄皮
「小豆」は北海道
「葉」は西伊豆・松崎産


餅は小麦粉を水で溶いただけのものを薄く延ばし、熟練の手で一枚一枚手焼きしております。
もちもちとした食感をお楽しみください。

餡は、和菓子の命ですので、気候や風土が全く違う処で育った小豆では、納得できるような舌ざわりや味が表現できないのです。

桜もちを包んでいる葉は、オオシマザクラの葉を塩漬けにしたもので、全国で使用される桜もちの葉の約7割が伊豆の松崎町で生産されています。
独特の香りは塩漬けにしている過程で葉が発酵してクマリンという芳香物質が出てくるためで、生の葉にあの香りはありません。
見た目の楽しさ、美しさだけではなく、香りも利用する・・・昔の人は偉いものですね。




長命寺の桜もちの桜餅”長命寺桜もち”の桜餅。

”桜もち資料”のページより
http://sakura-mochi.com/user_data/shiryo.php


以前、小沢正一さんがお見えになったときにこんな小噺を教えてくださいました。
「ある人、桜もちの皮(葉)ごと食べるを見て、隣の人、
旦那、皮をむいて食べた方がいいですよ。
あ、そうですかとそのまま川の方をを向いて食べた」
川を向いて座れば、大川のゆったりとした流れと桜並木。どうぞ、そのまま春の日永をのんびりお過ごしください。
きっとそれが、桜もちの一番おいしい食べ方でしょう。






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