プロローグ

 私がカルタゴに出会ったのは高校に通っていた時分である。社会的には偶然であるけれども、国内ではバブルという名の付いた経済状況が花開き、国外からは「ジャパンマネー」に対する圧力が高まりを見せていた頃であった。日本が「エコノミックアニマル」などとほとんど恥ずべき呼称を甘んじて受けながらも、指摘されて見れば、それがあたかも実態であるかのように容易に錯覚できる時期であった。そうした世相にあって、少なくとも私一個人の感情としては、経済的にもそれほど突出して繁栄しているわけではないように思えたが、数値上の経済統計を目の当たりにして、繁栄してるんだ、と国民全体が無理に認識させられ始めていたように見受けられた。そしてちょうどその頃から、経済的繁栄の次に来るもの−−−国際社会での責任ある立場や精神的な豊かさ−−−を求める論調が高まりを見せてきたのである。
 記録に残された「カルタゴ」という都市国家の振る舞いや歴史学的な取り扱いは、ちょうどそうした日本の態度と似ていると私は直感した。そのことが、空間的にも時間的にも遠く隔てたポジションにあるカルタゴまでの私の中での距離を、心理的な側面から縮めている。底流にあるものを取りあえず棚上げして、様々な歴史家の証言を基にした表層のみを追う限りにおいては、つまり、カルタゴ人は同時代人から理解されにくかったとか、人生の愉しみを追わなかったとか、自ら血を流すことを嫌い軍備は傭兵に依存したとか、そしてたくましい商才を発揮したとか、そうした特異な点を拾い集めてみる限りにおいては、カルタゴと日本は極めてパラレルな関係にあるように感じられたのである。それらの表現が容易に現代日本にも適用できると想像を巡らすのは、私だけでないはずである。事実、経済的繁栄の次に来るものとしての、国際貢献を履行する機会を欲していた日本の心理状態を「カルタゴ・コンプレックス」(*1)と表現したのは森本哲郎氏である。同様に氏は著書の結びの中でも、「調べれば、調べるほど、二千年以上も前に栄えた通商国家カルタゴと、現代の経済大国日本のおかれている状況はよく似ている。私はこの稿をしたためながら、カルタゴの悲史が決してひとごととは思えなかった。」(*2)と述べている。これらは皆、統計数値のみが先走りし、生の充足感をきわめて得にくい社会を現出させた「経済大国・日本」の悲哀をオーバーラップさせたものと言える。さらに、通商国家としてのカルタゴの歴史の結論を知っている我々にとっての、カルタゴのイメージには必ず「滅亡」の二文字が添付されてしまう。そしてその結末への過程を知れば知るほど、三度も戦火を交えながらその存在をついぞ許されない運命を知れば知るほど、その「滅亡」を美化してしまうのである(もちろん、文学的な誇張の影響によるところが多いことは考慮に入れねばならないが)。そして、その美化から、同じように通商国家として歩んでいくしかない現代日本に生きる我々は、彼らのように滅亡してはならないというメッセージを無意識に読み込んでしまっているのではないか。その意味で現代日本に住む者にとってカルタゴは容易に感情的な存在になり得るのである。
 私も森本氏らと全く同じ心情でもってカルタゴという存在に強く惹かれ、さらにその源流であるところのフェニキアの活動に焦点を当てることになった。彼らの活動の原動力を知ることが出来れば、日本を滅亡から救える糧となるとまで思っているわけではないが、心情的には近いものである。古代に通商国家として栄えた彼らに光を当て、そこから通商国家という存在が持つ「宿命的なもの」を探り当てることが出来れば、幸いである。

※なお、本稿で取り上げる時代は例外を除いて紀元前に属するので、日付に関しては「紀元前」とは特に述べない場合がある。


注釈



(*1)Asahi Journal 92/05/01 1992『カルタゴ・コンプレックスが生む「国際貢献」強迫症』の中で西前輝夫氏は「「通商国家」カルタゴの二の舞を恐れるカルタゴ・コンプレックスが「国際貢献」強迫症を生んでいるかのようだ。」と述べている。

(*2)森本哲郎 『ある通商国家の滅亡』 PHP研究所 1989 p269参照。




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