250万円の経緯(抜粋)



1:菱田氏への疑念

[96/7/下〜]

7月下旬未明、大会開催1ヶ月を切っていた時期、大会アドバイザーの菱田氏から「寺
西君がお金を持ってきたらそれを大会の通帳には入れずに君(林田)が預かっておいて
ください」との指示を受けました。ここで私が預かったお金は250万円です。


(その1・当時の実行委員会の状況)


この当時、菱田氏は、大会は大幅な赤字が見込まれると予想し、林田、寺西をはじめ
スタッフの全員もこの言葉を固く信じて疑っていませんでした。

大会会場・旅行会社との交渉については、菱田氏にその全てが任されていました。
このため、例えば会場費がおおよそいくらになるのか、いつ、何に幾ら支払わね
ばならないのか?といったことについては私を含む実行委員会に見通しのつくも
のではありませんでした。

ゆえに実行委員会では常に先の見通しの立たない不安な日々を過ごしていました。


(その2・寺西氏の250万円を預かる)


菱田氏は「寺西君がお金をもってこないと大会運営ができない。」「寺西君にお金を
用意してくるように伝えてくれ」という指示を出し、私は否応もなく、寺西氏にそれを
伝えました。寺西氏はその指示通り、資金として250万円を都合してきました。

そこで私は菱田氏に「寺西さんが250万円持ってきました」という旨を伝えました。

そうすると、菱田氏は「それ(250万)は大会の通帳には入れずに、
君(林田)が預かっておいてください」と私に指示しました。

私は、そうは言われたものの、この様な大金を個人で管理することに正直不安を感じま
した。

また、「今、大会が赤字で様々な支払いにも事欠く恐れのある実行委員会の現状で、何
故それを補おうとはせず(大会の通帳には入れず)私が預かって居なければならないの
か?」という考えを、菱田氏の次の様な言葉から抱きます。

『寺西君や実行委員会の皆には250万の事は言わないように』

私は、この時から、菱田氏に「疑念」を感じるようになりました。

そして、その「疑念」が明確に「不信」となった、決定的な事件は、
この約10日後に、おきました。


2:「8/10文書」で明らかになった事


[96/8/14]

菱田氏の指示によって「8/10文書」が大会参加者に配布されます。
菱田氏は大会準備期間中「僕が(この大会に)関わっている事は絶対に口外しないように」
と実行委員会内で厳命を出していました。菱田氏曰く「中にはうるさい事を言う奴もいるので…」
と理由を述べておりましたが、この「8/10文書」でその菱田氏の真意が明らかになります。



8/10過ぎ未明、大会参加者に配布される郵便物の中に「この文書」は同封されて
おりました。その時私はこの文章が配布される直前体調を壊し、事務局に顔を出して
おりませんでした。
「この文書」はその期に乗じて菱田氏が、林田の承諾をえずに全参加者に配布したも
のであります。

 その文書の内容は

1.菱田は、林田から泣きつかれ、急遽、大会運営を手伝うことになった
2.大会運営は破綻し、その建て直しを求められた

という事実無根の内容で、私は氏を心から信用していただけになんともやりきれない
思いでした。と、同時に菱田氏が大会準備期間中にスタッフに厳命していた
「僕が実行委員会に居るということは他の連中(SF大会に参加する人を指す)には言わないで下さい」
という発言に対して今まで抱き続けてきた疑問がようやく氷解しました。

文面(1)では「菱田氏が8/10以降でないと大会に専従できない」ということになっています。
しかし菱田氏は、以前から大会運営に深く関わっており、それは寺西氏が菱田氏の活動経費として
経済的な負担を行なっていたという『寺西メモ』(未公開)からも明らかであります。

そして、文面(2)において、その意味する事は菱田氏は、大会運営がうまくいけば
立て直した自分の功績、失敗すれば破綻させた実行委員会の責任であり、
それは自らの責任ではないという伏線を張ったことになります。
しかし実際には、菱田氏も以前から運営に深く関わっていたのですから、
運営が破綻しているならば、彼にも責任が問われてしかるべきなのにです。

私はこの「8/10文書」によって自らは安全を確保しようとする菱田氏の
卑劣な行いに不審感をより一層、強くしました。

ここで私は菱田氏を徹底的に追求・抗議することも考えました。
しかし、今ここで私が感情に任せて氏を追求することで氏の機嫌を損ね、
大会の運営を放棄されてしまったら、さらなる混乱を招くという恐れがありました。

そのため、『8/10文書』や、その他の数々の不信に対する追求は大会の終了後に行なうことにして、
とにかく後数日うちに開催される大会の運営に集中することにしました。

それと同時に、氏に対する「後の追求」に備え、氏が大会の運営にかなり以前から
かかわっていた事を裏付ける証拠となる様々な資料
(決済を求めたりした様子などの分かるFAXや会計書類)
などを可能な限り確保することとしました。

なぜなら、前述の250万円、寺西氏に対する不当な報酬の契約書、そして「8/10文書」、
それらによる、さらなる菱田氏の不信行動は充分予想出来たからに他なりません

そのような状況の中、大会の開催を迎える事となります。


8/23〜25、第35回日本SF大会・コクラノミコン開催


大会は無事に終了をいたしました。


3:菱田氏からの電話


[96/9/4]

菱田氏は私に「二人だけで話がしたい」と電話をしてきました。
それは意図的に赤字にする事で、寺西氏より預かった250万円をマネーロンダリングし、
あまつさえ会計を赤字に操作する事で、不正に北九州市の助成金を受け取り、着服しようという内容でした。



私のもとには寺西氏から預かった250万円が、そのままになっておりました。

そんな折、菱田氏から「二人だけで(個人的に)話がしたい」という電話が職場に掛かってきました。
仕事中だったこともあり、「後で電話を掛け直す」という返事をします。そして、その間に、
どのように対応すれば良いか思案しました。
私はとにかく可能な限り菱田氏と一対一で接触することは避けたいと考えたからです。

なぜならば、菱田氏は巧みに言を左右する人物で、「8/10文書」の様に、
私(林田)が発言してもいないことをさも「林田君がこう言っていた」などと方々に吹聴し
(菱田氏自身が)言ったことは「言ってない」という発言をすることが多々あり、
また、「二人だけで」ということも、なにか秘密めいてどうにもふに落ちず、
それはまたしてもある種
「作為的ななにかがあるのではないか?」
と予感させるものであったからです。

そこで、私は菱田氏の話に同調するかのような態度で接することにしました。

それはあくまで、「菱田氏の真意を聞き出す」ための芝居ですが、
そのようなことをするのは私にとっては大変心苦しいものでした。
しかし、これにより次のような菱田氏の考えを知ることができました。


(以下菱田氏の発言)

「あの250万はバッファーなんですよ、SF大会というのは非常に特殊な会計です。
個人の支出が大変捻出しにくいモノなんです。うるさい奴がいるので」

「だから払ったけど払っていないとか、
訳の解らない請求書だか領収書だかをでっち上げてマネーロンダリングをするんです」


 この様な事は初耳でした。しかし驚く私に、さらに菱田氏はこう語りました。

「今までずっとやってきたんですよ」
「そういった事はどこ(の世界)でもあります」


これらの発言により、明らかに菱田氏が「不正」を意図していることを確信しました。

「大会が赤字になる」という理由で寺西氏にお金を持ってこさせていたのは、
全くの実は「虚偽」であり、私はいたずらに寺西氏をせかし、
お金を持ってこさせるためだけの菱田氏の「代弁者」に過ぎなかったということに気がつきました。

私は今まで、菱田氏の言う
「大会が赤字になります」
「そうしたら大変なことになります」
「そうなると実行委員会の皆はどうなりますか?」
「大会が出来なくなってもいいんですか?」
という言葉を信じていたからこそ寺西氏に金策を急がせ、迫っていたのです。
それが、いつの間にかその様な菱田氏の代弁者にさせられていたことを知り、
驚愕し、また愕然としました。

なおも、菱田氏は、畳み掛けるように次の計画をも持ち掛けました。それは、

「コンベンションビューローのことなんですけど、あれ赤字にしないと出ないんです
よ、ですから赤字ということで行きます」

ということはつまり、これは「詐欺」に他なりません。

これらの事をもはや私が知ってしまった以上、
それは断じてあってはならないし見過ごす訳になど出来るはずもないと思いました。

真剣に今まで取り組んで来た実行委員会や「SF大会を助ける為」と
遠方から駆けつけて助けてくれた参加者の行為を土足で踏みにじる様な、
この責任感のない卑劣な氏の考えに私はこの時、怒りさえ感じました。


私は大会準備期間中に集めた、会計資料・その他を菱田氏の手の届かない所へ
保全するべきと考えとにかく急ぎました。



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