This is a Japanese translation of "Beyond the Wall of Sleep" by H. P. Lovecraft.

以下は "Beyond the Wall of Sleep" by H. P. Lovecraft の全訳です。差別的・侮蔑的な表現が多数含まれます。なにぶん古い作品なのでご寛恕ください。


眠りの壁の彼方に

著: H. P. ラヴクラフト
訳: The Creative CAT

A short story written in 1919 and first published in the amateur publication Pine Cones in October 1919.

「私は夢の何たるかに思い至った。」——シェイクスピア

はたして大多数の人類は、時として巨大なものとなる夢の重要性と、それらがやって来たるところの薄明の世界について一度でも立ち止まり、熟考したことがあるのだろうか。私はこれまで屡々これを訝ってきた。夜ごと訪れる幻は多くの場合——フロイトの幼稚な象徴主義とは反対に——目覚めた間の経験をぼんやりと、異様な形で反映しているに過ぎぬのだろうが、通常の解釈を拒む、俗界を超え天上的な性質を持つものがなくはないのだ。また、心の平穏をそれとなく揺さぶるようなものもあり、肉体的な生活に勝るとも劣らぬ程に重要でありながら、通り抜けがたい壁によって肉体的な存在から隔てられた精神的な存在領域のことを僅かに瞥見させてくれるのだ。そう、人は地上の意識を失っている間、もう一つの非肉体的な生命界を旅している。自らの体験から、私はこのことを疑うことができない。その生命は我々の知る生命とはかけ離れ、目覚めた後まで残るのは最も矮小な、最も不明瞭な記憶に過ぎぬ。ぼやけて断片化したこれらの記憶から証明できるものはほとんどないにせよ、多くのことを知ることができるかも知れない。夢の中では、生命、物質、生命力は地上に於いて知られる如くには一定と限らず、時空にしても我々の覚醒時の自意識が把握するような形では存在しないと考えうる。時々私は信ずるのだ。斯様な、より物質的ならぬ生活こそ我々の真の生活であり、地上における虚しいあり方など二義的かつ仮初の現象に過ぎないのだと。

1900年から1901年に掛けてのとある冬の日の午後に私が得た着想は、若者らしい、この手の推測だらけの空想が元になっていた。その日、州立精神病理研究所でインターンとして働く私の前に一人の男が運び込まれ、爾来私の中にいつまでも纏わり付く症例を齎したのだ。男の名前は、カルテによるとジョー・スレイターないしはスラーダーといい、その外見は典型的なキャッツキル山地住民のそれだった。そこの住民たるや、大昔の植民地時代の田舎農民が山の中に立てこもったまま三世紀近く孤絶し、その末裔が一種の野蛮状態に退化していったという、異様かつ嫌悪感を催す連中だった。もっと人口稠密な恵まれた地域に住んだ兄弟たちはこんな退行を見せず、むしろ前進していったのだが。この手のイカれた住民たちは南部の「白人のクズ」に相当する輩であり、彼らの間には法も道徳もなく、全般的な精神状態は、恐らくアメリカ原住民のどの種族にも劣るに違いない。

ジョー・スレイターは非常に危険な性格だということで、四名の州警察官の厳重な警護下に連行されてきたのだが、私が初めて目にした時点では粗暴性の証拠は一切見られなかった。中肉中背というよりはだいぶ良い体格、そこそこ強壮な骨格、それでも彼は、眠そうにしょぼついた小さな青い目と、カミソリを当てたことのない伸び放題の黄色い髭と、無気力に垂れた厚い下唇のせいで、無害な低能者に見えた。親戚筋には家族の記録も恒常的な家族の絆もなく、彼の年齢は不明だったが、額の後退具合や歯の傷み具合からして、外科部長は四十歳前後の男性と記入した。

診療録と法廷の審議録から、私たちはこの症例について集め得る情報をすべて学んだ。この男は放浪しながら罠をかける猟師で、原始的な仲間連中から見ても変人だった。夜、床につくと通常より長く眠り、屡々起きがけに訳の判らぬことを奇怪な様子で話すので、想像力を欠く住民たちの心中にすら恐怖を巻き起こした。それは決して常ならぬ言語形式のためではない。周囲で用いられている野卑な方言以外のものは話さなかったからだ。それはつぶやく声の調子と内容とが持つ謎めいた奔放さのためであり、不安なしに聞けたものではなかったのだ。彼自身も総じて聴衆と同じく恐怖し当惑しており、目覚めて一時間後には話した内容を、あるいは、少なくともそれを語らせたのが何ものかを全て忘れてしまい、他の山人同様の鈍重で半ば善良そうな態度に戻っていくのだった。

歳をとるに連れ、スレイターの寝起きの奇行は次第にその頻度と程度を増して行き、当所に来院する約一ヶ月前、とうとうショッキングな悲劇を引き起こし、その結果当局に逮捕されることとなったのだ。ウィスキーを飲んだくれて眠りについたのが前日の午後五時ごろ、明けてもう昼時という頃に、スレイターは獰猛な唸り声を上げながら矢庭にむくっと起き上がった。その咆哮があまりに恐ろしく地上のものとは思えなかったため、彼の小屋——汚さといったら豚小屋並みで、本人並みにいわく言いがたい一人の家族と同居していた——の近所の家から数人集まってきた。雪の中に駆け出し、腕を振り上げ、真っ直ぐ空中に飛び上がろうと繰り返した。その間中、何としても「天井も床も壁も輝き、遠くから異様な音楽が響き渡る、巨大な、巨大な部屋」に到達するのだという決意を喚き散らしていた。結構な体格の男が二人がかりで押さえつけようとしたところ、彼は狂ったように怪力を発揮してこれに歯向かい、「光り、震え、笑う何者か」を見つけて殺さねばならぬと叫んだ。いきなり一撃を浴びせて拘束者の一人を打ち倒すと、ついに彼はもう一人の上に飛びかかり、血に飢えた者の悪魔的歓喜を見せながら、恐ろしい声で「空高く飛び、邪魔するものは全て焼きつくす」つもりだと叫んだ。家族も近所の者もパニックを起こして逃げ出してしまい、その中でも肝の座った人たちが戻ってみると、スレイターは既に去り、その後に残ったのはなんだか判らぬパルプ状の物体だった。ほんの一時間前には生きた人間だったのに。山の住人の誰ひとりとしてあえて彼を追おうとする者はいなかった。そのまま凍死してしまえばいいと思っていたのだろう。だが、数日たった朝、遠くの谷から彼の叫び声が聞こえ、どうやってか彼が生き延びてしまったこと、どんな方法でもいいからそいつを排除する必要があることを住人は理解した。そこで武装した山狩り隊が編成された。滅多に好かれることのない州軍の兵隊どもが、たまたま彼を見かけて誰何した。山狩り隊がこの兵隊たちに出会った後、隊の目的は(当初どうであったかは措くとして)保安官の捜索隊に引き継がれることになった。

三日目、スレイターは木のうろの中で気を失っているところを発見され、一番近い牢屋に入れられた。彼の意識が戻るとすぐに精神科医がオルバニーから呼び寄せられ診察に当たった。彼が医師たちに語ったのは単純な話だった。ある午後、日が落ちた直後に大酒を飲んで眠り込んでしまった。目が覚めてみると自分の小屋の前の雪に立っていて、手は血だらけ、足元には隣人のピーター・スレイダーがぐちゃぐちゃの死体になっていた。怖くなって森の中に入った。自分が犯したとしか思えない犯罪の光景からなんとなく逃げ出したかったからだ。それ以上の事は知らないようで、経験豊かな専門家の質問によっても、新たな事実は何一つ浮かんでこなかった。その晩はおとなしく眠り、翌朝目覚めた時も、若干の表情の変化はあったものの、それ以外の異常な様子は見られなかった。患者を監視していたバーナード医師 は、青白い目の中に奇妙な色が現れた気がすると言っている。また、弛んだ唇が見えるか見えないかくらい引き締まり、何か知的な決意をしたかのようだったと。だが、問診されるとスレーターはいつもの間の抜けた田舎者に戻ってしまい、前日に言ったことを繰り返すだけだった。

最初の精神発作が起きたのは三度目の朝だった。睡眠中、何か窮屈そうな様子を見せた後、いきなり狂乱状態になった。怪力を発揮し、拘束衣に押しこむのに四人がかりだった。精神科医は家族や隣人による暗示的ではあるが酷く矛盾し一貫性のない話に好奇心を掻き立てられていたため、彼が発する言葉に鋭い注意を向けた。スレーターは十五分間、上を向いて山の方言丸出しで泡を吹きながら喚き立て、光の大伽藍のことを、宇宙の大海のことを、異様な音楽のことを、影多き山々と谷間のことを語ったのだ。だが、主たる話の題材は何らかの謎めいた燃え上がる存在、彼を揺すぶり、嘲笑し、愚弄する存在のことだった。この巨大で曖昧な人格は、彼に対し恐怖の悪事をなしたのであり、其奴を見事討ち取ることこそ彼の至高の願いである。其奴に到達するために俺は虚無の深淵を飛び過ぎ、進路を邪魔するものがあれば一つ残らず焼きつくしてやる、と彼は言っていた。ひたすらこんな演説をぶった末、全く突然に彼は黙った。狂気の炎は両眼から消え、どうして俺は縛られてるのかとダルそうに質問者たちの方を向いて聞いた。バーナード医師は革の留め具を外してやり、夜がきた時、暴れないようにこれを着なさい、貴方のためですよ、とうまく丸め込んで着せてしまった。今では男は、自分がどういうわけか時々おかしな話をしていることを認めていた。

一週間の内に更に二度発作が起きたが、医師はそこからほとんど学ぶことがなかった。文盲であり、また伝説やお伽話を聞いたことがないのが明らかだったので、彼の華麗な想像力についてはなんとも説明しようがなかった。その源泉が既知の神話や物語ではないことは、その表現手法が不幸な狂人本来の単純なものでしかなかったという事実から特に明らかとなった。彼は自ら理解も解釈もできない内容を喚いた。自身に体験したと主張するもの、通常のあるいは関連する物語から学んだはずのないものだ。ただちに精神科医たちは問題の根源は異常な夢にあるということで合意した。夢の鮮明さが暫しの間この基本的に劣った男の覚醒時の精神を完全に圧倒したのだ。スレイターは殺人の咎で然るべき法廷に掛けられ、精神障害のため責任能力なしとして施設に送られた。それこそ私が哀れな職を得ているこの精神病理研究所だったのである。

私がこれまで夢の生活について思索を重ねてきた点は既に述べた。そこから、この新患に関する全事実を確認した後どれほどの熱意を以て私が研究に努めたかお判りいただけるだろう。彼は私に某かの親近感を持ったようだ。隠し切れない興味や穏やかな問診の姿勢によるものに違いない。発作の間、私は息を呑んで彼の混乱した、しかし宇宙的な言葉の世界に聞き入っていたのだが、それを彼が認識していたということではなく、発作が鎮まっている間に私を知るようになったのだ。そんな時よく彼は格子のはまった窓の傍らに座っていたものだった。二度と戻らない自由な山の生活に思い焦がれていたのではないか。家族の面会は絶えてなかった。堕落した山人の流儀で他に当座の家長を探しあてたのだろう。

徐々に私はジョー・スレイターが抱く異様で狂気じみた考えに圧倒されるのを感じるようになっていった。本人は精神においても言語においても哀れなほど下等な男だった。だが、その大いなる輝かしいヴィジョンは、野卑かつ脈絡を欠くジャーゴンで語られてはいるものの、例外的なまでに卓越した頭脳だけが着想しうることが明らかだったのだ。私は屡々自問したものだった。いかなる次第で、堕落したキャッツキルの山猿の持つくすんだ想像力が天才にのみ閃くであろう情景を喚起し得たのであろうか? いかにすれば、未開の森に住む愚物の誰か一人でも、スレイターが彼の荒ぶる幻想の中で駄法螺を吹きまくるところの、天なる光と空間よりなるきらめく領域のことに思い及び得るのであろうか? 私はますます信念を募らせていったのだ。私の目の前で卑屈に諂うこの哀れな人物の中に、あるものの歪んだ核が潜んでいるのではないかと。私の理解を超えた何か、私より経験を積んではいても想像力の貧困な医学と科学の同僚たちには決して理解し得ない何かの。

だが尚、この男からは何一つとして確たるものを引き出すことができずにいた。私が集め得たのは全てが人跡未踏の知られざる領域、スレイターが半ば非身体的な夢の中で彷徨い浮遊した輝く広大な谷の、草原の、庭園の、都市の、光の宮殿の話だった。そこでは彼は野人でも愚物でもなく、生き生きとした要人だったのだ。プライドを持って自ら動き、止めるものと言えばある恐るべき敵のみだった。それは目には見えるもののエーテル的な構造からなり、人の姿をしていないらしかった。というのもスレイターは決してそれを人間とは呼ばず、もっぱらモノとしか呼ばなかったからだ。このモノはスレイターに何か悍ましく名状し難い悪事をなした。スレイターが(仮に彼が偏執狂だとして)偏執狂的に報復せんとしているのがこれである。仇敵に対する処遇を高言するときのスレイターの様子から判ずるに、彼と光るそのモノとは同類らしい。夢の中ではこの男も光るモノであり、敵と同じ種族に属するのだ。彼が幾度も宇宙を通して飛ぶとか妨害物は片端から焼きつくすとか繰り返す件もこの印象を助けた。だが、これらの考えは全く以って相応しからぬ田舎言葉で語られたのである。こういった状況から、夢の世界が実在するとしても、そこで思考を伝達する媒体となっているのは音声言語ではないと思われる。この下等な肉体に宿る夢の精神が、鈍く辿々しい舌を通じては口に出せぬ内容を語るべく絶望的に身悶えしているなどということがあり得るのだろうか? 私が対面しているのが知性を持つ放射体で、それを見出して聞き取ることさえできれば謎を解き明かしてくれるなどということがあり得るのだろうか? 先輩の医師たちにはこういったことは話さなかった。中年という奴は懐疑的、冷笑的で、新しい考えを受け入れたがらないからだ。それでも、最後は研究所のトップから、君は根を詰め過ぎているから気を休めるようにと、彼らしい父親めいたやり方で警告される始末だった。

私はかねてより、人間の思考は基本的に原子ないし分子の運動からなり、熱や光や電気と似たエーテル波のエネルギーに変換しうると信じてきた。この信念に基づけば直ちに、適切な装置を用いればテレパシーや精神感応が可能であるはずだという考えに至るのであり、学生時代に送受信機を一台製作してあった。ラジオ時代以前の荒っぽい無線電信に利用された無骨な装置に類似したものだ。同級生相手に試してみたものの色よい結果は得られず、じきに私はそれを放り出し、また使うこともあるかも知れないと思って他の科学的ガラクタと共に転がしておいた。今、ジョー・スレイターの夢の生活に分け入りたいという強烈な願望から、私はその装置を探した。再びそれを動作可能な状態にしてからは、テストの機会を逸することはなかった。スレイターの暴力的な発作が始まる時はいつでも、送信機を彼の額に、受信機を自分の額に当て、知性エネルギーが持つであろう種々の仮説的な波長に合わせて慎重に調節した。伝送に成功したとして、思念—印象のエネルギーが私の脳にいかなる反応を惹起するかは予想だにできなかったが、自分がそれを検知し、解釈することができるはずだと強く感じていた。それゆえ私はその本質について誰にも知らせないまま実験を継続したのだ。

遂にそれが起きたのは1901年の2月21日だった。何年も経ってから振り返ると、それがいかに非現実的に見えたか判るし、フェントン老医師が全部君の興奮しやすい想像力の結果だよと決めつけたのも半ば無理からぬことだとも思える。覚えているが、彼は実に親切にかつ忍耐強く私の話に耳を傾け、しかしその後私にトランキライザーの粉末を与え、半年の休養を言い渡したのだ。私は翌週から休暇に入った。運命的なその夜、私は激しく狼狽えていた。極めて手厚い治療を受けていたのにも拘らず、ジョー・スレイターは間違いなく死につつあったからだ。山の自由な生活を失ったからかも知れないし、あるいは脳内の混乱状態がどちらかといえばトロい彼の身体の限界を超えてしまったからかもしれない。だがいずれにせよ、彼の生命力は退化した肉体の中で風前の灯火になっていた。末期が近い彼は傾眠傾向を示し、闇の帳が降りると共に乱れた眠りへと落ち込んでいった。彼が眠る時のお決まりになっていた拘束衣を、しかし私は着せなかった。彼はあまりにも衰弱しており、仮に死亡する前にもう一度精神障害の発作を起こしたところで、危険なことはあるまいと見ていたからだ。代わりに宇宙「ラジオ」の両極を彼と私の額に当てた。無駄とは思いつつも、僅かな残り時間の中で夢幻界からの最初で最後のメッセージを受け取ることができたらと願っていたのだ。二人以外の在室者はどこにでも転がっているような看護婦が一人だけで、装置の目的も理解しておらず、私の所業を問いただそうともしなかった。数時間が経過する内に、彼の頭はふらふらと眠りに落ちていったが、私はそっとしておいた。一人の健康な女と一人の瀕死の男が発する律動的な呼吸音に、私自身もいつしかうとうとしていたに違いない。

私を目覚めさせたのは不思議な楽の音だった。恍惚の和音、ヴィブラート、音色が四方から情熱的に響き、突然沸き起こった究極の美の奔流が私の目をうっとりさせた。どうやら空中に浮かんでいる私の周囲を、生きた炎でできた壁、円柱の群れ、台輪が取り巻き燦然と輝いていた。生きた炎が伸びる先は果てしない上空に聳える穹窿付き円蓋であり、その威容たるや言葉にできない程だった。この大いなる宮殿の光景に混じって、いやむしろ万華鏡の如く入れ替わりに、広々とした平原と優雅な渓谷、高い峰々、誘いこむような岩穴の姿がちらちらと現れ、我が愉悦の眼が知る限りの美の要素が隅々まで行き渡り、物質である以上に精神的な、何かエーテル界の燦めく可塑的な存在を形作っていた。それを見ながら私は気づいた。私の頭脳それ自体に、これらの蠱惑的なメタモルフォーゼに至る鍵が備わっていることに。それは眼前を行き交う光景の一つ一つが、変容しつつある我が精神が希求してやまないものだったから。この天上界に、私は異邦人として交わっているのではなかった。目に入る一つ一つが、耳に入る一つ一つが、私には馴染み深いものだったから。あたかも自分がそこに遥か永劫の過去からおり、この先も無限の時間を過ごせるかのように。

その時、眩いばかりの光の兄弟が寄り添いきたり言葉を交わした。魂と魂の会話、音を用いぬ完全な思念の交換だ。勝利の時は近づいている。そうではないか? 我が友なる存在はある退行物への仮初の束縛から遂に解き放たれ、再び捕らえられることなく、忌むべき暴君を追ってエーテルの果てまでも飛び、天界を震わす宇宙的報復の炎を燃やそうというのに。このようにして私たちは暫しの間浮遊していたが、気が付くと周囲のものが幾分ぼやけ、薄れてきた。何らかの力が私を地上へと——何よりも帰りたくない場所へと——呼び戻しているようだった。寄り添う姿もまたこの変化を感じ取ったらしい。それは徐々に会話を集結へと導き、この光景を終わらせるべく準備を始め、私の目から姿を消していったが、その速さは他のものよりも何かしら遅かった。更に幾つかの思考が交換され、私は光の兄弟と私とが再び束縛されることを知った。だが、兄弟にとってはそれが最後の機会になろう。惑星上のその哀れな殻はほとんど消耗し果て、一時間もしないで我が友は自由の身となって敵を追うのだ。銀河を渡り星々をこえ、無窮の果てへと。

瀕死の患者がもぞもぞと動くのが見え、明瞭なショックを受けた。光の情景は薄れゆき、私はなんとなく顔を赤らめながら飛び起きると、椅子の上で背筋を伸ばした。ジョー・スレイターは確かに覚醒つしつつあった、恐らくは最後の目覚めだ。より仔細に見ると、土気色の頬にこれまで存在しなかった有色の母斑が出現していた。唇もまたいつもと違ってきつく結ばれており、スレイターよりも強力な人格によって統御されているかのようだった。遂に顔全体が引き締まり、目を閉じたまま頭をぐらぐらと降った。私は居眠りを決め込む看護婦を起こさず、若干ずれていたテレパシー「ラジオ」のヘッドバンドを調整しなおし、夢見人が残さずには済まないかも知れぬ別れのメッセージを待ったのだ。矢庭に顔がこちらを向き、両目が開いた。それを見て私はぽかんとしてしまった。ジョー・スレイターというキャッツキルの愚物だったはずの男が、双眸に私を見据えている。そこには光があった。見開いた目の青い色が幽かに深くなった。その目には偏執狂も退嬰も見られず、いまこの顔の背後には生き生きと活動する高次の精神が宿っているのを確かに感じた。

まさにこの時点において、私の脳髄は、自分自身に外部からの確固たる影響力が及んでいることに気づき始めた。思考をもっと集中させようと私は目を閉じた。それは報いられ、私は遂に長年夢見ていた精神的なメッセージを得ることに成功したのだ。それぞれの思考は伝達されるが早いか私の心の中に現れ、言語を仲介させていないのにも拘らず、概念と表現との習慣的な連関が強力だったため、あたかもメッセージを普通の英語で受け取っているかのように思えた。

「ジョー・スレイターは死んだ」眠りの壁の彼方から心を石化させるような声ないし作用がやってきた。私の目は恐れに震え死戦の病床を彷徨った。だが、青い目は尚も穏やかに光り、顔つきは賢げに動いていた。「彼は死んで良かったのだ。宇宙的存在の活発な知性を担うにふさわしくなかったからだ。粗野な身体はエーテル界の生命と惑星上の生命との間で必要な調整を行うことができなかった。あまりにも動物的であり、あまりにも非人間的だった。しかし、貴君が私を見出すに至ったのはまさにその欠点を通してなのだ。宇宙的精神と惑星上の精神とは本来決して出会わぬものなのだから。彼は私の桎梏であり、貴君の惑星での時間にして四十二年というもの、昼間における私の監獄だった。夢を見ぬ自由な眠りの中で貴君自身がなるところの存在、私はそれに類似した存在だ。貴君の光の兄弟であり、共に燦然たる谷間を飛んだ。貴君の覚醒中の地上人格に対して、貴君の真なる人格のことを告げるのは許されておらぬのだが、我らは皆、大宇宙の放浪者にして那由他の時代を跨ぐ旅人なのだ。来る年には私は貴君が古代エジブトと称する地に住まいするかも知れぬし、三千年後に現れる無慈悲なツァン=チャンの帝国におるかも知れぬ。我ら二人は赤きアークトゥルスを経巡る諸世界を揺蕩い、木星の第四衛星を闊歩する昆虫型哲学者たちの身体を宿としたこともある。地上の人格のいかに僅かしか知らぬことか! その生命を、その広がりを! 静穏さ故に知り得ぬことのいかに大なるか! 圧制者については語れぬ。貴君ら地上のものも、なんとなくその遠き存在を感じ取っている——貴君らは知らず知らずにかの瞬く光条を魔星アルゴルと名づけているではないか。この圧制者への仇討こそ、私がこれまで肉体なる枷の中で徒に永劫の時を重ねてきたものだ。今宵私はネメシスとして征く。天地を揺るがすまで燃え盛る復讐心のみを胸に。魔星のそばにある私を見ていて欲しい。これまでだ、ジョー・スレイターの死体が冷え硬直していくが故に、私の願いどおりに粗野な脳髄が振動を停止せんとしているが故に。貴君は大宇宙における友人であった。この惑星の上では唯一の——病床に横たわるこの不快なる姿の中に私を感じ、求めてくれたただ一人の友だ。我らは再び出会うだろう——それは恐らくオリオンの剣の輝く霧の中で、あるいは恐らく先史時代のアジアの荒涼たる平原の上で。恐らく今夜の想起しえぬ夢の中で、恐らく永劫の時間が過ぎ太陽系が消滅した際に異形の姿として。」

ここで思念の波はプツンと切れ、夢見人の——死者の、と呼んでもいいのか?——青い両の目は魚のようになった。半ば呆然としてベッドに近寄り腕の脈をとってみたが、既に冷たくなっていた。頬は再び青白み、厚ぼったい唇はだらんと開き、退行したジョー・スレイターの虫食いだらけの犬歯を嫌ったらしく見せつけていた。私はブルブル震えながら、悍ましい顔を毛布で覆い、看護婦を起こした。そして病室を出ると声もなく自室に戻った。どういうわけか眠りを切望していたのだ、そこで見た夢を思い出すことのできない眠りを。

クライマックスはどうしたって? 平易な科学の物語がそんなレトリックを鼻にかけるものか。私は単に自分が真実と見たものを記したのみであって、諸君はそれを好きなように解釈すればよい。既に認めたように、オーベンである老フェントン医師は私の話の現実性を端から否定している。彼の宣告によれば私は神経をやられてしまい、長期休暇を要するのだそうだ。その間の給料は全額だしてやるから、とありがたくも言ってくれた。専門家としての名誉にかけて、ジョー・スレイターは低級な偏執狂患者に過ぎず、彼の幻想的な話は代々伝わる粗悪な伝説によって来たるものであり、然様な伝説は最下級の共同体にも出回っているのだ、と。彼が語ったのはこれだけだった——だが私はスレイターが死んだ夜、星空に見たものを忘れることができない。私の目にはバイアスがかかっていると思われないように、この最後の証言に他の方のペンを加えることとしよう。それは諸君の期待するクライマックスにあたるかもしれない。以下は著名な天文学の権威たるギャレット・P・サーヴィス教授がペルセウス座新星について書いたページから逐語的に引用するものである:

「1901年2月22日、驚くべき新星がエディンバラのアンダーソン博士によってアルゴルから遠からぬところに発見された。以前にはこの場所に視覚的に認知可能な星はなかった。この新入りは二十四時間の内に光度を増し、カペラを凌ぐ迄になった。この星は一・二週間で目に見えて暗くなり、数カ月後には肉眼では見出し難いほどになった。」


翻訳について

ラヴクラフトのSFものを一つ。ポオの催眠術がここでは電子機器になっています。底本はWikisource版で、適宜The H.P. Lovecraft Archive版を参照しました。前者はH.P.L.の没後ウィアード・テールズに収載されたものの電子版で、前後作品を追えたり、挿絵があったりします。この翻訳は独自に行ったもので、先行する訳と類似する部分があっても偶然によるものです。

この訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPPに伴う著作権保護期間の延長が必至となった現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。

固有名詞

Joe Slater、Slaader、the Catskill Mountain region(「ネコゴロシ」山地)、Peter Slader、Dr. Barnard、Tsan-Chan、Algol, the Daemon-Star(ALGOLは良い言語だったのに)、Prof. Garrett P. Serviss(実在の天文学者です)


4, Feb., 2017 : とりあえずあげます
5, Feb., 2017 : わずかに修正
9, Sep., 2018 : 誤字修正他
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