「あふれる下品」(1999/12/22号)
年末、例年のことだけど、ろくな番組がない。
そもそも最近は見るに耐える番組が少ないけど、特に7時代が全滅。
くだらない、家庭の事情物なんて止めてくれ。
芸能人も馬鹿丸出しで、何が面白いのか解らない若いのが多すぎる。
人気はあるが99なんて嫌いだ。
10年前位は、もっとテレビに知性があったと思うのだが。

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たまには時事ネタでも。いや、知事ネタか。
ノックさん、結局辞める羽目になったけど、
事の真実はともかく、ちょっと回りのノック叩きはいただけない。
マスコミはもちろん、こういう時に表に出てくる「婦人団体」も嫌だ。

今回の事件に限らないが、こういう連中は過去のある人間の、
更正させる道を完全に閉ざし、徹底的に叩こうとする。
それをいじめと呼ばずしてなんと言う。
こういう連中が幅を聞かせている世の中で、子供に対して「いじめをしちゃいかん」
等と言って聞くと思うか?
「子は親の鏡」社会の鏡である。

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考えてみると、いつか話した高校生といい、最近のテレビ(番組、芸能人、CM)と
いい、例の東芝事件といい(知ってるよね?)、偽宗教といい、警察の不祥事といい、
下品である。
もう間違い無く、世の中が下品すぎるのである。

余りに下品すぎるので、思わず世棄て人になりたくなる今日この頃である。
品性お下劣なこの世代において、インターネットのような安易情報供給媒体
が出来たことが一層その下品さに輪を書けているような気がする。
インターネットでは多くの俗悪情報が流れている。
下品な連中に話す手段を与えてはいけない。
そして、こんな下品な世の中が続くことに意義があるのか、
実に無意味に思えたりもするのである。

1900年代を締めくくるにふさわしい漢字として「末」が選ばれたようだが、
ふさわしい感じそしては「下品」を上げたいと思うのである。

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私は世の中の流れに沿う気はない。下品にまみれる気もない。
オタクラのめざすところは「上品」である。
馬鹿書いてても上品はある。
そこんところの違いは捉えてもらわなくてはいけない。
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