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1997年11月号

『火星夜想曲』イアン・マクドナルド

『グローバルヘッド』ブルース・スターリング

『恐竜のアメリカ』巽孝之

『恐竜と生きた男』ジョージ・ゲイロード・シンプソン

『メグ』スティーヴ・オルテン


『火星夜想曲』イアン・マクドナルド

(1997年8月31日発行/古沢嘉通訳/ハヤカワ文庫SF/900円)

 ファンタジイ長編『黎明の王 白昼の女王』から紹介された期待の新鋭イアン・マクドナルドであるが、長らく邦訳が待たれていた処女長編『火星夜想曲』がようやく刊行された。SF版『百年の孤独』という噂に違わぬ傑作であるが、やはりラテンアメリカの風土に密着したマルケスの雰囲気とは異なるところもあり、どちらかと言えば、アイルランドの作家らしい法螺話的な幻想味を漂わせているように感じた。
 火星のテラフォーミングが始まって七百年が過ぎた。赤い砂漠で、時間を旅する緑の人と出会ったアリマンタンド博士は、緑の人の導きによってテラフォーミング用の巨大機械と遭遇し、その機械を材料にして一つの町を作り上げた。デソレイション・ロードと名づけられたこの町は、地図には載っていないのだけれど、ベツレヘム・アレス鉄道の列車が止まることもあって、様々な人が運命に導かれるようにして集まってくる。犯罪帝国の総帥ジェリコ氏、他の土地を開拓する予定であったレイル・マンデラとその父及び妻、機械を魅了する力を持つラジャンドラ・ダス、生まれついての飛行機乗りパーシス、などなど。こうして始められたデソレイション・ロードの歴史であったが、既にこのとき破滅への萌芽が潜んでいたとは人々は知る由もなかった……。
 物語の前半、町が形作られ、ザ・ハンドという男がやって来て一五万年ぶりに火星に雨が降る場面あたりまでは、ユーモラスな調子さえ感じられる寓話調で話が進むが、後半になると随分雰囲気が変わる。町で最初の殺人事件が起き、ベツレヘム・アレス株式会社、テロリスト集団ホール・アース・アーミー、そして議会派とが入り乱れ、三つ巴の戦いに発展していくにつれ、緊迫した雰囲気となり、血で血を洗う凄惨な抗争が続く。ユーモアとグロテスクが同居した作風は、ラファティを思わせるものがあり、その癖、デソレイション・ロード崩壊というクライマックスの後に漂う詩情はブラッドベリのようなのだから、面白い。角度を変えて眺めれば、ファンタジイであり、法螺話であり、ハードSFであり、地球の歴史を要約した寓話であり、といった具合に多彩な面を見せてくれる、まさしく万華鏡のような作品である。

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『グローバルヘッド』ブルース・スターリング

(1997年7月24日発行/嶋田洋一訳/ジャストシステム/2300円)

 ブルース・スターリングの邦訳単行本が出るのは、ノンフィクション『ハッカーを追え!』を別にすると、随分と久しぶりではないだろうか。『グローバルヘッド』は、一九八五年から九一年にかけて書かれた一三の中短編をまとめた作品集である。本書を通読すると、既成のシステムに威勢良くノンを叫んできた一人のサイバーパンク・アジテーターが、どのような地点に立って作品を書いてきたのかがよくわかると思う。
 一九五八年、スプートニクの成功に沸くソ連でKGBの主人公が科学者とともにツングースカへ行き、宇宙から来た星間エンジンを入手する「宇宙への飛翔」、イスラームの科学者が作り出した人工知能がアッラーへの信仰を得々として語りだす「あわれみ深くデジタルなる」、アッシリア王国の戦士の魂がイランの革命兵士に取り憑く「湾岸の戦争」などに見られるように、スターリングは、ソ連やイスラム社会に生きる人々の姿を鮮やかに切り取り、戯画化するが故にその本質を描き出して、我々読者に提出してくれている。また、若返りドラッグFREEによって破滅したアメリカにヨーロッパ人が乗り込んでくる「モラル弾」や、エジプトのジャーナリストがアメリカのロック・バンドを取材する「ものの見方の違い」などからは、崩壊したアメリカを内部からでなく、外部の異質な視点から捉える手法がよく窺われるだろう。ソ連、イスラーム、アラブ、アメリカなど様々な国家と文化を相対化して描いた本書は、アメリカ野郎でもロシア野郎でもなく、まさしく〈地球野郎〉と呼ぶにふさわしい広がりを持つ。さらに、徹底した相対化は国家の枠を超えた人類にまでも及んでいる。人工的に引き起こされた脳の肉体的変容を通じて、ピテカントロプスが現生人類よりも高い知能を持っていたかもしれない可能性を示唆した「われらが神経チェルノブイリ」などは、その最たるものであろう。かつて、傑作短編「巣」において、人類にとって知性は必要ないと冷徹に断定してみせたスターリングの真骨頂がそこにある。しかし、本書において、最も印象に残った作品は、ニューメキシコを放浪するジムとロシアからの亡命者アイリーンとの孤独な魂同士の触れ合いを描いた「ジムとアイリーン」であった。ともすれば、アイディア重視でメッセージ性が色濃く出がちな作品を書いてきたスターリングが、ここまで心理の機微を描いた巧い小説を書くとは、と驚かされてしまったのだ。「宇宙への飛翔」、「モラル弾」とともに、文句なく集中のベスト3に推しておきたい。

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『恐竜のアメリカ』巽孝之

(1997年8月20日発行/ちくま新書/660円)

 ちくま新書から出ている巽孝之『恐竜のアメリカ』は、小説と史実を巧みに織り交ぜながら恐竜をめぐる様々なイメージを文学史的、あるいは科学史的な文脈から語ってみせた意欲的な評論である。例えば、一九世紀の小説の鯨に群がる漂着物拾いを描いた場面の分析から恐竜の肉体そのものの再利用の可能性を導き出したり、一九世紀の化石発掘競争などの史実の分析から詐欺師的な錬金術の系譜が『ジュラシック・パーク』にまで引き継がれていることを明らかにしてみせたり、といった具合に、豊富な知識を基にした緻密な論述がなされている。とりわけ、少年ダビデと巨人ゴリアテの神話を人間が恐竜を打ち倒すという物語になぞらえ、かつてはダビデであったアメリカがいつしか巨大恐竜となっていった歴史的変遷を踏まえた上でバラードやヴォネガットの作品を論じ、こうした二項対立図式から外れた特異な作品としてマーク・ジェイコブスン『ゴジロ』を詳細に分析する第三章は、スリリングな展開で興味深く読むことができた。ひょっとすると、次に挙げるような実際の恐竜小説よりも面白い恐竜論として知的に楽しめる一冊である。

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『恐竜と生きた男』ジョージ・ゲイロード・シンプソン

(1997年7月31日発行/鎌田三平・山田蘭訳/徳間書店/1500円)

 映画『ロスト・ワールド』公開に合わせたためかどうか知らないが、今月は恐竜関連本が多い。もしも恐竜と人間が戦う物語を書こうとしたら、人間が時間旅行をして恐竜の生きている時代へ行くか、恐竜が現代まで生き残っているか(または現代に甦るか)、の設定のどちらかを採ることになるだろう。偶然にも、今回両方のタイプがほぼ同時に刊行されたので、合わせて紹介しておこう。
 一九八四年に亡くなった高名な古生物学者であるジョージ・ゲイロード・シンプソン教授が生前密かに著していたという『恐竜と生きた男』は、二一六二年にタイム・マシンを発明した男が、誤って八千万年過去へ飛ばされ、白亜紀の恐竜とともに生きることになるという非常にシンプルな物語である。石板の形で残された男の手記を人々が読むという構成は、まえがきでA・C・クラークが指摘するとおり、ウエルズ「タイム・マシン」と同趣向であり、過去にしか行けない一方向の時間航行というアイディアも含めて、本書のオリジナリティは、さほど感じられない。恐竜冷血動物説の支持者らしく、登場する恐竜も動きが鈍く、アクション性は皆無である。従って、本書の読み所は、専門的知識を生かした白亜紀環境の描写にあると言えるだろう。恐竜物と言うより、異なる環境に置かれた男がいかにして生き延びたかを描くサバイバル小説として読んだ方が楽しめるのではないかと思う。

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『メグ』スティーヴ・オルテン

(1997年7月25日発行/篠原慎訳/角川書店/1900円)

 アメリカの新人スティーヴ・オルテンのデビュー作にして、いきなり映画化決定(来年夏公開予定)という鳴り物入りの『メグ』は、現代に生き残った恐竜と人間との闘いを描いた長編。巽氏の言葉を借りれば、典型的な「ダビデとゴリアテ症候群」の作品ということになる。
 ジュラ紀、白亜紀を生き抜いた水中棲息型恐竜カルチャロドン・メガロドン(通称メグ)が、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵で密かに生き延びていた。しかし、今、探索に赴いた二隻の潜水艇がメグの静かな生活を乱し、一頭のメグが何と冷水層を突破、クジラやイルカ、そして人間を襲い始める。かくして、人間対メグの死闘が始まった……。アクション映画として見せられれば、それなりに楽しめるのだろうが、こうして小説の形で読んでいくと、余りにも安直な設定や都合の良すぎる展開に疑問符の洪水だ。台詞は生硬で、登場人物は類型的で深みがない。残念ながら、本書は単なる『白鯨』の水増し作品にとどまっているようである。

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