電動車いすのおじさんは、1993年2月末、 親の家を出て、大手門公団での生活を始めた。 ヘルパーさんたちの介助サービスなどを受け、 好きな仕事をしている。外にもよく出る。 人もよく来る。現在の生活に不満はない。 しかし、緊急事態に対しては、綱渡りの生活だ。 費用もすごくかかる。 特別な財産、才能を持たない重度四肢まひ者が、 家族に頼らず、生活費、公的住宅、 公的介助サービスを利用し、 一人暮らしをすることを、 可能にする社会的な仕組みを 開発していかなければならない。 1993年10月20日 清家 一雄
米国留学当時のアパート、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド (上の写真をクリックすると『アメリカの一年』(米国留学記)が出ます。)
アメリカで留学生活を始めた時、僕は28歳だった。 想像と実際の生活は非常に違ったものだったが、 刺激に満ち溢れた、修行の場としては 最高の1年だったように思う。 僕が最初に留学生活を始めたのはアメリカ西海岸にある カリフォルニア州のベイエリアと呼ばれているところだった。 ベイエリアというのはサンフランシスコ、バークレー、 オークランドなどがバートという地下鉄で一つになっている サンフランシスコ湾岸地帯だ。ベイエリア全体では 人口450万人を越え、メガロポリスを形成している。 僕はオークランド市の41番ストリート517 にあるアパートで生活を始めた。 アパートは民間のもので、木造2階建ての1階だった。 かなり古い建物だったが1階の出入口に 車椅子用のスロープが付いていた。 クーラーはなかったがセントラルヒーティングがあった。 収入は留学研修生として奨学金・研修費を愛の輪基金・ リハ協から送金してもらった。アパートの家賃(1カ月250ドル)、 ベッドのリース料(1カ月96ドル)、食費(1日10ドル)、 雑費(1日5ドル)、アテンダント費用(1日35ドル)などで 1カ月約1、800ドルだった。 仕事というか勉強は自立生活センターバークレーを 媒介としてアメリカのアテンダント・サービス・ プログラムを中心としたリサーチをしていた。 人に会って話を聞いたり文献を読んだりもしていたが、 生活の全てが勉強みたいな面もあった。 そしてそれをワープロや写真で記録に取っていた。 一応、毎月研修報告をリハ協に出すということが 研修費送金の条件となっていた。 「アメリカの一年」[2]、 『脊損ニュース』1987年5月号 清家 一雄
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