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WORKING QUADS, attendant service [Japanese/English]
丸紅基金データベース:介助サービス(プログラム)

WORKING QUADS (「重度四肢まひ者の就労問題研究会」ジャーナル)
attendant service program
  1. ホームヘルパー (ゴールドプラン、新ゴールドプラン、障害者プラン、公的介護保険)
  2. 訪問看護制度
  3. グループホーム (担当:大竹保行)
  4. 療護施設
  5. 特別養護老人ホーム
  6. 福岡市(福岡市市民福祉サービス公社)
  7. 東京・大阪(大都市部)、47都道府県、政令指定都市、県庁所在都市、その他の自治体、地域間格差
  8. 海外(アメリカ)
  9. 海外(フィリピン・ルセナ)
  10. 介助問題への執筆      
「WQNL 完全無欠のヘルパー/公的ヘルパー制度の日誌への記載と利用者個人のプライバシー」 by 後郷法文  
 

大手門公団、福岡市中央区(上の写真をクリックすると
「ヘルパーさんと電動車いすのおじちゃん」No.4が出ます。)


介助サービス制度の必要性とアメリカへ留学の理由

 1. なぜアメリカへ留学する必要があったのか、

 僕は、C−5頚髄損傷者という脊髄損傷者の中でも非常に重度の障害を持つものです。 日本における日常生活も大変ですが、アメリカでの留学生活においても多くの困難が予想され、 僕自身も非常な不安を感じていましたが、それにもかかわらず、アメリカに留学に行った理由は、 アメリカにはアテンダント・サービス・プログラム(介助者サービス事業)という、 今のところ日本にはない、在宅介助サービス制度があり、それについて調査・研究したかったからです。

 介助サービス ( attendant care ) とは、重度身体傷害者などの日常の動作を介助者 ( attendant ) が補助する仕事で、必要とされれば、家事雑用も行うものですが、介助者はボランティアと異なり、 介助を受けるものは手当を払います。在宅介助サービス制度は、障害者の自立生活運動を背景として、 アメリカで生まれ、障害者の組織「自立生活センター(CIL;Center for Independent Living )」 が深く関与しています。

 そして、研究の具体的なテーマとしては、

@アメリカ、特にカリフォルニア州の、十分な資産や収入のない障害者が
どういう根拠でどういうところから介助者を雇うお金を得ているのか?

A障害者の介助者に対する関係に於ける緊急事態管理
( emergency management ) はどの様にしているのか?

Bアメリカの社会で頑張って生きている重度身体障害者の実態
(人生に敗者復活戦はあるのか)?

というようなことを考えていましたが、
僕自身がアメリカの介助サービスを実際に利用してみて、
重度身体障害者がどこまで自由に生きられるか、ということを実験してみる、
ということも留学の大きな目的の一つでした。


 2.なんの為に介助サービス制度が必要なのか、

   日本の頚髄損傷者の現状 − 僕自身を具体例として

 介助サービス制度が日常生活動作のできない重度身体障害者の
自律生活を根底において支えるものだからです。
重度身体障害者が自律するには経済的基盤と同時に身の回りの
世話をしてくれる介助者が必要だ、と思います。
そして在宅介助サービス制度を日本でも普及させる必要がある、
と痛感しています。

 僕のこのような考えは、僕自身の日常生活の必要性から、
あるいは危機感からといった方が良いかもしれませんが、生じてきたものです。
そしてこの必要性、危機感は、すべての頚髄損傷者に共通しているものだと思います。

 また、質的、量的な違いはあるかもしれませんが、対麻痺者にも共通の問題だともいえます。
20年ほど前までは、対麻痺者も、現在の頚髄損傷者のおかれているような、非常に厳しい、
ある意味では絶望的な状況にあったのだろうと思います。
尿路管理と褥瘡対策、車椅子と改造自動車、そして各種の所得保障が
対麻痺者の生活を改善したのではないでしょうか。
脊髄神経回復の課題は依然として残されてはいますが。

 さらに付け加えていえば、健常者も障害を持つ可能性がありますし、長生きすれば老人になります。
介助の必要性という問題は、可能性あるいは将来の安心感という観点からは、
全ての人々にとっても共通の問題だといえるかもしれません。
ただ、現在の緊急の問題としては、頚髄損傷者を初めとする
四肢麻痺者にとっての最重要課題といえるでしょう。

 それではどのような過程を経て僕がこのような考えを持つようになったのか、
僕の生活史をここで少し紹介することにします。
ただし、ここで注意していただきたいのは、介助の必要性、危機感というものが共通のものであっても、
それに対する解決案としての在宅介助サービスというものは、一つのサンプルであって、
この他にも、フォーカス住宅、ナーシングホーム、家族内での専従介助者、
国立療養所箱根病院西病棟、八王子自立ホーム、ホームヘルパー、ボランティア、
あるいは施設や病院など、様々なタイプのものが考えられるということです。
それゆえ、これから述べる僕自身の体験や考えは一つの具体例,サンプルに過ぎませんが、
これが会員の皆様にとって刺激や情報となり、それぞれ抱えられている問題の
解決案を考えるきっかけになればと思います。


 この、日常生活動作ができない重度障害者の介助について、
誰が負担を引き受けるのか、という問題について、
直接の介助者としては、
@家族、A施設、B病院、Cボランティア、Dホームヘルパー、E有料介助者などが考えられ、
最終的な費用負担者としては、
@障害者本人、A家族、B保険、C贈与者、D納税者、などが考えられますが、
アメリカの介助サービス制度は、原型としては、
直接の介助者としては有料介助者、
費用負担者としては納税者の組合せから構成されているといえるでしょう。

 僕はこのアメリカの在宅介助サービス制度ないしはそれを支える考え方が
日本の頚髄損傷者の自律生活にも必要だと思い、
アメリカに留学に行ったわけです。



1993. 大手門公団での生活

 電動車いすのおじさんは、1993年2月末、
親の家を出て、大手門公団での生活を始めた。
ヘルパーさんたちの介助サービスなどを受け、
好きな仕事をしている。外にもよく出る。
人もよく来る。現在の生活に不満はない。
しかし、緊急事態に対しては、綱渡りの生活だ。
費用もすごくかかる。

 特別な財産、才能を持たない重度四肢まひ者が、
家族に頼らず、生活費、公的住宅、
公的介助サービスを利用し、
一人暮らしをすることを、
可能にする社会的な仕組みを
開発していかなければならない。

1993年10月20日
清家 一雄


1985. アメリカ留学当初の生活


米国留学当時のアパート、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド
(上の写真をクリックすると『アメリカの一年』(米国留学記)が出ます。)

 アメリカで留学生活を始めた時、僕は28歳だった。
想像と実際の生活は非常に違ったものだったが、
刺激に満ち溢れた、修行の場としては
最高の1年だったように思う。

 僕が最初に留学生活を始めたのはアメリカ西海岸にある
カリフォルニア州のベイエリアと呼ばれているところだった。
ベイエリアというのはサンフランシスコ、バークレー、
オークランドなどがバートという地下鉄で一つになっている
サンフランシスコ湾岸地帯だ。ベイエリア全体では
人口450万人を越え、メガロポリスを形成している。
僕はオークランド市の41番ストリート517
にあるアパートで生活を始めた。

 アパートは民間のもので、木造2階建ての1階だった。
かなり古い建物だったが1階の出入口に
車椅子用のスロープが付いていた。
クーラーはなかったがセントラルヒーティングがあった。

 収入は留学研修生として奨学金・研修費を愛の輪基金・
リハ協から送金してもらった。アパートの家賃(1カ月250ドル)、
ベッドのリース料(1カ月96ドル)、食費(1日10ドル)、
雑費(1日5ドル)、アテンダント費用(1日35ドル)などで
1カ月約1、800ドルだった。

 仕事というか勉強は自立生活センターバークレーを
媒介としてアメリカのアテンダント・サービス・
プログラムを中心としたリサーチをしていた。
人に会って話を聞いたり文献を読んだりもしていたが、
生活の全てが勉強みたいな面もあった。
そしてそれをワープロや写真で記録に取っていた。
一応、毎月研修報告をリハ協に出すということが
研修費送金の条件となっていた。

「アメリカの一年」[2]、
『脊損ニュース』1987年5月号
清家 一雄



attendant service programs

  • 「米国留学(セントルイス・パラクォード、PARAQUAD)2」 児玉良介さん、データベース、海外留学、介助 (1998/1/、エアメール) (1998/4/20)

  • 「100日間,アジア周遊の旅」 向坊弘道さん、データベース、移動、介助 (1998年4月1日に、電子メールで到達。) (1998/4/17)

  • 「CILくにたち援助為センター」 渡辺正志さん、"Working Quads"ゲスト、 データベース、介助 (1998/4/9)

  • 「ある頸損者のベンチレータ事故死」、 故・笹井建二さんに関して、後藤礼治さんが書かれた文章 (1998/4/7)

  • 「改造自動車」、電動車いすのまま運転が可能な Jim、"Working Quads" overseas、 トランジーショナルハウス短期プログラム部長 (1998/3/30)

  • 「私の利用している介護サービス」、 大竹保行さん、 データベース、介助、 (1998/3/19、電子メール) (1998/3/22)

  • 「訪問看護サービス」、 高橋 浩司 さん、 データベース、介助 (1998/3/17、電子メール) (1998/3/19)

  • 「ホームヘルパー」、 高橋 浩司 さん、 データベース、介助 (1998/3/17、電子メール) (1998/3/19)

  • 「入浴−ケアポート」、 高橋 浩司 さん、 データベース、介助 (1998/3/17、電子メール) (1998/3/19)

  • 「丸紅基金データベース:公的支援」 (attendant service programs) 清家一雄、データベース、Public Support (1998/3/15〜) (必見!!)

  • 「訪問看護サービス」、 千賀 康司 さん、 データベース、介助(愛知県尾張旭市) (1998/3/12、電子メールで到達) (1998/3/13)

  • 「駿:旅立ち!」 古小路浩典さん、 データベース、住居、介助、行政交渉 (1998/3/5)

  • 「介助」 勝矢光信、ミスタードーナツ留学研修2期生、 データベース、介助 (1998/3/5)

  • 「『冥冥なる人間』の執筆・出版−私にとっての就労−」 藤木徳雄、"WORKING QUADS"執筆者、 データベース、介助、住居、就労 (1998/3/4)

  • 「ホームヘルパー派遣事業年表」 清家一雄、データベース、介助 (1998/2/24)

  • うれしの温泉のホームヘルパーさん 、中島虎彦、『ワーキング・クォーズ』編集者 (データベース、介助) (1998/2/23)

  • 「介助に関する情報の必要性」 中島晋市郎、『ワーキング・クォーズ』執筆者 (1998/2/23)

  • 「麸澤 孝 さん:写真集、自立生活」  麸澤孝さん、データベース、(1998/1/29)

  • 「麸澤 孝 さん:写真集、フィリピン・ルセナ」  麸澤孝さん、データベース、(1998/1/29)

  • 「公的介護サービスの現状(岡山県倉敷市の場合)」 、福井 英樹 さん、 データベース、介助、 (1998/1/23)

  • 「24時間巡回型ホームヘルプサービスが始まって」 池戸大耕さん、 (介助) (1997/8/18、受信) (1998/1/18)

  • 「私の住んでる環境」、1996年8月、愛知県春日井市、県営住宅にて 池戸大耕さん、 (住居、介助) (1996/8/27、受信) (1998/1/18)

  • 「フィリピン日本人障害者の家(GLIP)滞在49日間(96年12月15日〜97年2月1日)」 麸澤孝さん、データベース (1997/12/14)

  • 「麸澤 孝 さん:自立生活一問一答(瀬出井弘美さんとの)」 麸澤孝さん、データベース、 (1997/12/14)

  • 「同居してくれる人を探しています」 曽我部教子さん、データベース、 (1997/12/2)

  • 「療護施設から地域で自立生活」 麸澤孝さん、データベース、 (1997/12/2)

  • 「新しい生活−都営住宅での自立生活」 内山幸久さん、データベース、 (1997/12/2)

  • 「米国留学(セントルイス・パラクォード、PARAQUAD)1」 児玉良介さん、データベース、海外留学、介助 (1997/9/9、エアメール) (1997/12/8)

  • 「大手門公団での生活」、 清家 一雄、 丸紅基金データベース、住居 (1997/7/22)

  • 「1997年6月、曽我部教子さんのお宅を訪問して」 清家 一雄、 (1997/7/5)

  • 「東京での共同生活による自立生活(1995年12月〜)」 、内山幸久さん (1997/6/18)

  • 1997年6月1日、曽我部教子さん("Working Quads"執筆者)宅訪問、尼崎市 (画像枚) (1997/6/16)

  • キム・チングさんについて、 「疾走れ、キム・チング」 、向坊 弘道 さん (1997/6/7)

  • 阿部勇さんについて、 「見捨てられるのか、重度身障者」、 向坊 弘道 さん (1997/6/7)

  • 吉田憲司さんを訪問、1997年5月31日、清家 (1997/6/4)

  • 僕の実家の仕事は酪農です "Working Quads" Guest 藤田 忠 さん (1997/6/2)

  • 「イギリスにおける障害者のパワーと実践(〜訪英報告〜)」、金子寿さん『Working Quads』執筆者(1997/5/26)

  • 「私の自立生活の歴史(全文英文) The brief history of my independent living. 」、向坊 弘道 さん (1997/5/19)

  • 公的介護保険(1997/4/26)

  • 訪問看護制度(1997/4/26)

  • 新ゴールドプラン(1997/4/26)

  • ゴールドプラン(高齢者保健福祉十カ年計画)(1997/4/26)

  • ダイヤモンドプラン(障害者プラン)(1997/4/26)

  • 1991年10月、ブライアン・ホーガンさん、トヨタ財団研究助成調査、バークレー(画像12枚) (1997/4/24)
     1991.10,Mr. Brian Hogan,research by the Toyota Foundaion,in Berkeley
     1991.10,Mr. Brian Hogan in Berkeley

  • 「フィリピンへ・初めての飛行機旅行」(フィリピン)、 藤森 稔尚 さん(1996/10/6、電子メール)

  • 「夢に向かって一歩一歩」(フィリピン)、嶋田 正光 さん(1997/4/14)

  • 「海外での自立生活」(フィリピン)、高松 祥二 さん(1997/4/14)

  • フィリピン・ルセナについて、向坊 弘道 さん(1997/4/13)

  • 日本とフィリピンにおける私の介助者体制−情報不足の時代をバネに−、向坊 弘道 さん(1997/4/12)

  • コムスンによる24時間巡回介護サービス、羅 世玲 さん(1997/3/21〜1997/3/22)

  • 福岡市市民福祉サービス公社 (by Seike) (1997/3/21〜1997/3/22)

  • "Working Quads" Guest 安富 優子 さんのページ (1997/2/20〜)

  • 池戸大耕さんのプロフィール (1997/2/20〜)

  • 「重度四肢麻痺者の療護施設での生活や工夫」  麸澤孝さん、データベース、(1997/3/22)

  • 「療護施設内における知的生産活動」  麸澤孝さん、データベース、(1997/3/22)

  • 「東京での共同生活による自立生活(1995年12月〜)」 今崎牧生さん、『ワーキング・クォーズ』執筆者

  • 今崎 牧生 さん 、『ワーキング・クォーズ』執筆者

  • 「私の生活−『はがき通信』、フィリピン日本人身障者の家」 、向坊 弘道 さん

  • 丸紅基金「第20回丸紅基金社会福祉助成事業・記念助成」 丸紅基金・記念助成 (by Seike) (1997/1/21〜1997/3/29)

  • On the Marubeni Foundation Social-Welfare Work Grant 1994 FY Marubeni Foundation (by Seike) (1997/1/21〜1997/3/29)

  • トヨタ財団・研究助成 The Toyota Foundaion (by Seike) (建設中〜1997/4/27〜1997/4/30)

  • ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業 広げよう愛の輪運動基金 (by Seike) (建設中)

  • ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業 日本障害者リハビリテーション協会 (by Seike) (建設中)

  • 『アメリカの一年』(One Year of the Life in America)、12回の目次、 (by Seike) (1996/12/3〜1997/2/16)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.1、第1回報告、 (by Seike) (1996/12/3)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.2、第2回報告、 (by Seike) (1996/12/6)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.3、第3回報告、 (by Seike) (1997/1/4)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.4、第4回報告、 (by Seike) (1997/1/10)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.5、第5回報告、 (by Seike) (1997/1/10)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.6、第6回報告、 (by Seike) (1997/2/14-1997/2/15)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.7、第7回報告、 (by Seike) (1997/2/15)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.8、第8回報告、 (by Seike) (1997/2/15)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.9、第9回報告、 (by Seike) (1997/2/15)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.10、第10回報告、 (by Seike) (1997/2/16)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.11、第11回報告、 (by Seike) (1997/2/16)

  • 「アメリカの一年」(One Year of the Life in America)No.12、第12回報告、 (by Seike) (1997/2/17)

  • 「"WORKING QUADS"代表編集者」、清家 一雄  "WORKING QUADS" presidnt, Kazuo Seike


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    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会

      seike@ma4.justnet.ne.jp

      QZE07711@niftyserve.or.jp

      YS2K-SIK@asahi-net.or.jp


      メールアドレス: kazuo_seike@msn.com