WORKING QUADS

高松祥二さん・"Working Quads"執筆者

海外での自立生活
My Independent Living abroad


寄稿 高松 祥二  フィリピン・ルセナ
Shoji Takamatsu    Lucena City, Phillippines
1995、1、8、


[著者紹介]たかまつ しょうじ:1952年8月、生まれ。1972年、交通事故により受傷。頚髄5、6番を損傷して四肢マヒ。入院生活は2年半で、あとは施設に3カ月入り、その後自宅療養。電動車いす利用者。ワープロは東芝ルポ。1987年11月、フィリピン初渡航。1993年5月、フィリピンで結婚。1994年、ジープニーを買って乗合タクシー業を始めた。フィリピン・ルセナ在住。


[ Writer's Profile ] Shoji Takamatsu: Born in August, 1952. Male. Aquired his C6・5 quadriplegia due to a traffic accident in 1972. Entered Kyushu Rosai Hospital. Lived in hospital for 2 years and 6 months. Moved to Nursing home and lived in the nursing home for 3 months. Then went back home. Uses a motorchair and Toshiba Rupo. a wordprocessor. Have been in Phillipine for 4 months in November, 1987, for the first time. Married in Phillipine in May, 1995. Leading the independent life. Began to taxi business by purchase a jeepnee in 1994. Lives in Lucena City, Phillippines.


高松祥二さん




[写真説明:高松祥二さん]
[ Phpto : Mr. Shoji Takamatsu ]


 私は昭和27年生まれで、47年に交通事故により、頚髄5、6番を損傷して四肢マヒになりました。入院生活は2年半で、あとは施設に3カ月入り、その後自宅療養です。
自宅では一部屋もらい、そのうちに電動車イスも来たので、母親の介護のもとで不自由は感じませんでした。毎日外出できたので、気分転換にいい結果をもたらしました。


 そうするうちに、昭和55年に頼りにしていた母がベッドの上でテレビのスイッチをセットしようとしていて、誤って転落し、足首を骨折してしまいました。ギブスをはめたままの母が私を介護している痛々しい姿を見て、将来の自立について深く考えざるを得ませんでした。


 このような形でしか自分の生活がないとすれば、なんと私は優しい母の宿命的な思いやりに悲しい影を落としているのだろうと暗澹とした気持ちになりました。こんな時には自分のいたらなさ、親不孝、馬鹿さ加減に愕然とします。それでも気落ちする暇はなく、勇気を振り絞って生きていかなければならない現実に気後れして「両親も居る、病院もある、施設だってあるさ」という安易な気持ちに引きづられて、しばらくは行動を起こすこともありませんでした。と言うより、当時は頚髄損傷者が一人で暮らす自立生活などは思いもよりません。


 せっかくこの世に生を受け、今を生かされている自分に気づかされてみると、とりあえず何かやってみよう、失敗しても将来何かの役に立つはずだというふうに、少し前向きになってきた昭和62年のことです。日本とフィリピンで自立生活をしているという向坊弘道氏のことを小耳にはさみ、電話をしてみたところ、さっそく市内の繁華街で待ち合わせて話を聞くことが出来ました。外国での生活に興味を持った私はその年の夏から準備に入り、秋に母や友人たち5人でフィリピンを訪問しました。みんな帰国した後、残った私はそのまま4カ月間経験滞在をして、難しい現地の言葉の問題、安い物価、そろっている衣食住、優しい現地の人々の人間性等が印象に残りました。


 毎年滞在期間を延ばしながら、経験を積んで行くうちに、現地「日本人身障者の家」で日本人が自分一人になったり、飛行機に一人で乗ったりして、強い感動を覚え、それが自信につながる面もありました。言葉の問題についても人と交わるうちに英語とタガログ語を話せるようになりました。それはコミニュケーションがとれて楽しい反面、ややこしさも増して、社会での人間関係の大切さを知りました。


 平成2年、「日本人身障者の家」から独立して家を買い、ヘルパーやメイドを雇って自立生活に入ってみると、一国一城の主になれたことに感動すると同時に、厳しい家計費の管理、近所づきあい、将来の人生設計などが自分の腕一本にかかっているというやりがいを感じました。


 平成4年、明るくて社交的な二人の子持ちと結婚して、将来の伴侶ができました。1歳半の子供が「パパ、パパ」と懐いてじゃれてくると、うれしさと共に父親としての責任も自覚します。


 平成6年、一ヶ月の生活費は5万円くらいで、年金でも十分なのですが、自立生活を充実させるために、ジープニーを買って乗合タクシー業を始めました。売上金は8万円で、経費を引くと利益は3万円となり、生活費に占める割合から見れば、多い収入です。英語のできない運転手や修理屋との会話はタガログ語で、毎日一緒に車の点検をして注意を与えます。


 家族そろってジープニーに揺られながらピクニックに行くときは、何にもかえられない幸せを感じるひとときです。日本のマスコミが喧伝するほどフィリピンの治安は悪くありませんし、自然環境も豊かです。私の海外での自立の選択は間違ってはいなかったように思われます。最近は現地での日本製車イスの贈呈などを通じて、身障者運動にも参加し、より一層の社会活動を心がけています。


(終わり)



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