WORKING QUADS

末田憲斐呂さん・"Working Quads"執筆者
Mr. Norihiro Sueta,
"WORKING QUADS" homepage

1997年 ソウル 訪問記

末田 憲斐呂 『WORKING QUADS』執筆者

 昨年の9月24,25,26日と、アジア・太平洋障害者会議に参加するため、韓国の首都ソウルを訪問する事が出来ました。これはその時の旅行記です。拙文では有りますが、御一読下されば幸甚です。


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ロッテホテル、フロント、
純金の亀船の前で。
井手將文さん・"Working Quads" Editor。
末田憲斐呂さん・"Working Quads" Writer。
石川さん。


 24日(水曜).天気は快晴だった。私はアパートを出ると、介護者との待ち合わせのため京都駅へ向かった。電動車イスで15分ほど走って、JR奈良線の六地蔵駅へ行き、奈良線に乗って京都駅まで。新装成った京都駅は、各プラットホームにエレベーターが付いたので、ホームの移動は車イスでも一人で自由に出来るように成った。(以前は駅員に付き添われて遠回りして、荷物運搬用エレベーターでされていた。)

 関西空港行きの「はるか」のプラットホームまで行ってしばし待っていると、今回の旅に一緒に行ってくれるI君がやって来た。

 「はるか」に乗って関空に行くのは今回が初めてだったが、「はるか」は走りもスムーズで揺れも少なく、快適な乗り心地だった。関空に着いて搭乗手続きを済ませると、フライトまでの時間を利用して昼食を取り、コリアン航空のカウンターに戻ると、女性職員の案内で搭乗機へと向かった。

 途中、手荷物のチェックと出国手続きを済ませると、こちらのビルとターミナルビルの間を移動するモノレールに乗り、ターミナルビルに着くと待合ロビーで機内用の車イスに乗り換え(私の車イスは荷物用格納庫にしまうため持って行かれた。)、私達は他の乗客よりも一足先に飛行機に乗り込んだ。私達の席は入り口のすぐ側の席だったが、おかげで初めて窓際の席に座る事が出来た。

 PM.12:50.いよいよ飛行機はターミナルを離れて、滑走路のスタート地点に着くと一呼吸おいた後、エンジン音が高まって来て滑走し始め、豪音と共に機首を上げて空に上がって行った。

 離陸の瞬間にはいつも、多少の緊張を禁じ得なかったが、眼下に広がるパノラマはすばらしい眺めだった。関空が小さくなって行き、大阪市、大阪湾、淡路島と見えて来て、鳴門大橋が小さく彼方に見えた。それからたった十数分で瀬戸大橋が見えて来た時、数年前に車で瀬戸大橋から鳴門大橋まで行った時に、あまりに時間の掛かったことを思い出し、「さすがにジェット機は早いな」と実感した。

 関空を飛び立って、およそ2時間で韓国の金浦空港に到着である。飛行機は滑走路を滑るように、実にスムーズに着陸したが、これまで9時間12時間と言うフライトばかりだったので、外国へやって来たと言う気分はあまりしなかった。


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分科会、肢体不自由。
末田憲斐呂さん・"Working Quads" Writer。
井手將文さん・"Working Quads" Editor。
横浜から来ていた脳性まひの女の子。
スズキ電動車いす、
コントロールボックスに取り付けたテーブル。

 アパートを出てから半日、此処まで予定通り予想通り、実に順調にやって来れた。と思ったのも束の間だった。飛行機は滑走路の端に停止したまま、なかなかターミナルに近づいて行かないので、「どうしたのかな」と漠然と思いながら外を見ていると、昇降用タラップが近づいて来て機に接続された時「そんなバカな」と思った。何故ならそれは抱えて降ろされる事を予測させたし、それはあまり気分の良い事では無かった。

 以前は日本でも鉄道の駅などで、階段を車イスごと抱えて上げ下ろしをされた事は良く有ったが、この数年、行政や社会意識は大きく転換し、「福祉の町づくり」や街の“バリアフリー”化が、提唱されるようになり、エレベーターやスロープが各駅に急速に設置されて来ているので、そんな事もほとんど無くなった。

 韓国は日本よりも障害者の為の福祉政策は遅れているので、様々に不都合な目に遭うかもしれないと思ってはいたけれど、まさに到着早々の出来事に面食らいもし、少々不愉快な気分にさせられた。

 他の乗客が全て降りた後で、屈強なクルーに抱えられてタラップを降り、先に格納庫から持って来られていた私の車イスに座らされて、「ホッ」と一息をつく間も無く、そこへ1台のバスがやって来て、今度は車イスごと担ぎ乗せられた。

 ようやくターミナルビルに到着し、係員の案内で入国手続きを済ませ、自分たちの荷物を取って来るとロビーへと出て行った。(さすがに空港内は車イスの支障は無かった)

 ロビーで今回のツアーの現地添乗員(日本語の流暢な韓国女性だった)と他のツアー参加者(御婦人2人)と合流し、送迎用マイクロバスが待っている駐車場へ向かった。

 ビルから外に出て目の前の横断歩道を渡ると、駐車場の入り口だったが、そこには高さ80 ほどの鉄柱が、間隔を置いて一列に打ち付けて有り、その間を人は通れるが、車イスの通れる幅では無かった。仕方なく垣根沿いに数十 移動して行くと、垣根の途切れた所が有ったのでそこから入ろうとしたが、まだ20 ほどの高さの土台の石垣が有った。

 しかしすぐに、近くにたむろしていたタクシーの運転手が何人もやって来て、抱えて中に入れてくれたので助かったし、又「人は親切だな」と思った。

 マイクロバスはそこからすぐの所に止まっていて、バスには男のドライバーとI君に抱えてもらって乗り移った後、I君が車イスを畳んで空いてるスペースに担ぎ上げた。

 金浦空港から車でおよそ1時間で、ソウル市内である。途中、ソウルオリンピックの時に造られたと言う、江川沿いの道路を走ったが、江川は満々と湛えた水がユッタリと流れる川幅の非常に広い大河で、大きな貨物船も何隻も見かけた。

 その江川に架かる大きな橋を渡ると、ソウル市内で有るが、市内の道路事情は大阪のそれをもっと激しくしたような混雑ぶりで、特に大きなテレビや様々な荷物を、荷台から大きくはみ出しながら、頻繁に車の間を走り抜けて行くバイクが目に付いた。しかし、何と言っても町中どこもかしこもハングル語のカンバンばかりで(あたりまえだが)、日本と同じ作りのコンビニや飲食店ぐらいは解ったが、後は何の会社やら何の店やら全く解らない。しかし道行く人々は皆、見た目は日本人と全く変わらないので、そんなに違和感は感じなかった。 私達の泊まる豊田(プンジョン)ホテルに到着してチェックインを済ませると、すぐに会場であるロッテホテルに向かう事にした。

 プンジョンホテルからロッテホテルまでは、地図で見ると直線距離で1km程だったので、じゅうぶん歩いて行けると思っていたが、空港からの車中での添乗員の話では、途中に車の環状道路が有って、それを横切るには歩道橋か地下道しか無い、との事だったのでしかた無くタクシーを利用することにした。

 ロッテホテルはさすがにソウルでトップクラスのホテルだけ有って、ピカピカのホテルだった。広いロビーで博多から来ている友達を待っていたが、会場のホテルだけに海外からの障害者を何人も見かけた。


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 ようやく友人がやって来て、旧交を温め有っていたが、ちょうど夕食時になっていたので、彼の案内で韓国料理の店へ行った。それはホテルに隣接しているデパートのレストラン街に有った。一人用のお釜に朝鮮人参と鳥が一羽丸っぽ(と言っても小さかったが)入ったお粥を食べたが、結構美味しかった。特に食べ放題の本場のキムチが良かった。


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 夕食の後、ホテルに戻って彼の部屋を見せてもらったが、さすがに豪華な造りで我々の泊まっている部屋とは大違いだったが、しかし狭かった。彼も介護者を連れて来ていたのでツインの部屋だが、彼のリクライニング式の大きな電動車イスでは、中で動きづらいだろうし彼も少々それを嘆いていた。彼の部屋を辞して又タクシーで私達のホテルに帰って、PM.11時ごろ就寝した。



 翌25日は朝から雨だった。身支度を整えて部屋を出て、ロッテホテルに行く前に散髪に行こうと思った。今年は何かと忙しくて、なかなか散髪に行けなかったので、髪の毛が肩まで伸びた状態に成っていて、今回の旅の前にでも行っておこうと思っていたが、結局行けなかったので「ソウルでするのも良いだろう。料金も安いだろうし。」と考えていたからだ。 フロントでこの近くに理髪店は無いか聞くと、このホテルの3階に有ると言うので、行ってみるとそこには男性専用サウナが有った(4階には女性専用サウナが有る)。それ以外は中華レストランしか無かったので、いぶかしく思いながらもサウナ入り口のカウンターの所にいた、受付嬢に聞いてみると、ジャージーの制服姿の若い男性が中に案内してくれた。

 さほど広くない廊下を少し行くと、両側に更衣室とロッカーが有り、そこを過ぎると廊下は左に折れていて、その右側に理髪店(と言うより理髪室)は有った。廊下とは薄い壁で区切られているが、入り口にドアも無く必要最小限のスペースに、散髪用のイスが三脚有り先に一人の男性が、散髪してもらっていた。

 私はI君に散髪用イスに移らせてもらい、先客が終わるのを待つ間、何げ無く辺りを見回していたが、先客はサウナのついでらしく、切った髪を受けるエプロンの下は、パンツ一つで有る事に気が付いた。

 その先客も、白いトランクス姿で(多分サウナへ)行ってしまい、私の番と成ったのだが、その時に成ってフッと、ハングル語の出来ない自分がどうやって「こう言うヘアスタイルにして欲しい」と説明すれば良いのだろうか、と言う事に気がついた。

 どう説明しようかと思案していると、理髪士の方から「ショート?」と聞いて来たので、「イエス」と答えると理髪士は、髪の毛の先の方から少しずつ少しずつ切り始めた。見るからにこの理髪士も、どうカットすれば良いのか解らない様子が有り有りだったので、これはマズイと思いある程度髪の毛が短くなった所で、とにかく終わりにしてお金を払ってそそくさと出て来た。(短い期間では有ったが、今回ほど言葉の通じ無い事のもどかしさを感じた旅は無かった。)

 外は雨がショボショボと降っていて、まだ9月下旬なのにかなり肌寒かった。タクシーに乗ってロッテホテルに着き、会場へ行くと既に午前の部の分科会は終わっていて、大広間での昼食会の用意の為にホテルマン達が、料理を運び込んだりしていた。

 昼食会は立食のバイキング形式で、色々な料理が並べられていて、どれも美味しかったが、地元の韓国料理が無かったのが残念だった。

 午後の部では、車イスでの移動やアクセスに関する分科会に、参加しようと思っていたが、それ以上に実際の韓国での、交通機関の障害者に対する対応が、どう成っているかを知りたかったので、そのまま会場を後にしてタクシーでソウル駅へ向かった。

 首都の駅はどんな物かと思っていたが、さほどの物ではなかった。入り口は2ケ所有り、最初に着いた方は、韓国の伝統的建築風で屋根は瓦ぶきだった。

 中に入ると早速20段ほどの階段が有った。その両側に昇りと下りのエスカレーターが有り、人々が昇り降りをしていた。どこかにエレベーターは無いかと、あちこち見て回っていると、車イスのマークを発見。その方へ行くと、公衆電話に人々が列を作っていたが、その陰に隠れてエレベーターが有った。

 しかし、いくらスイッチを押しても全く動かない。電源が切って有った。スイッチの隣にインターホーンが有ったので、それで人を呼んでもウンともスンとも言わない。

 「動かないのかなー」と思っていると、突然女の人がやって来て、鍵穴に鍵を差し込んで電源を入れてくれた。「どこから来たんだろう」と思っていたら、すぐそばの売店の売り子さんで、私達のことを見ていたらしい。

 エレベーターで2階に上がると、向かって左手に幾つかの改札と、切符売り場がありその反対側にはレストランなどが並んでいた。そしてその間は広いロビーになっていて、沢山の人達が大きなベンチに座っていたり、あちこちにたむろしていて、その中でも特に沢山の若い軍人の迷彩色の軍服姿が目についた。

 改札口に近づいて見てみると、改札を入ってすぐにガラス張りのドアが有り、その先の階段を下りた所にプラットホームが有った。階段の横にはエスカレーターが有ったが、車イス対応型かどうかは解らなかった。

 五つほど有る改札はみな同じ構造だったが、一つだけエスカレーターが無い所が有ったが、その変わり階段の端に1mほどの高さの、車イスのマークが付いた鉄柱が立っていて、その鉄柱からレールのような物が、壁つたいに下に伸びていた。たぶん日本のエスカルゴのような車イスの為の階段昇降機だろうと思われた。

 私達が入って来た入り口の反対側にも出入り口が有って、そちらは近代的な外観で3階はショッピングセンターに成っていて、エレベーターも誰でも自由に使えたし、車イス用トイレも有ったので、一応は車イス障害者の事も考えているんだな、と思った。

 タクシーに乗ってロッテホテルに戻ると、分科会は終わって全体会議が行われていて、入り口を入ると最後列に清家さんがいたので、その隣に並んで話を聞きながら、ソウル駅まで行って来た事を話すと彼は驚いた。彼もまだホテルの近辺しか歩け無いでいたからだ。


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 その時の会議の内容は知的障害者の問題に移っていて、知的障害児を抱える日本の親御さんや、児童福祉のケースワーカーの話が続いた。話は全て英語、日本語、ハングル語の順で訳された。

 会議の終了時間も近づいて来たころに、鹿児島の後藤礼治さんが妹さんに付き添われて、やって来た。彼とは一昨年の夏に私が彼を訪ねて、鹿児島へ行った時以来の再会だった。


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 会議が終わった後、現地韓国の福祉機器メーカーの展示を見て回ったり、清家さんと韓国の障害者の人と話をしたりしていたが、最後に皆でホテルの地下のレストラン街に夕食を食べに行った。地下には和食や中華などの店が有ったが、やはり韓国に来たら焼き肉だろうと言うことで、焼き肉の店に入った。

 店は落ち着いた中にもリッチな雰囲気が漂い、料理の値段もそこそこ良い値段を取っていたので、大いに期待したのだが、持って来られた肉はすでに焼かれて出来上がった物だったので、全員ガッカリした。テーブルにはコンロが有ったので、自分たちで焼きながら焼きたてが食べられる物と思っていたからだ。


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 確かに味付けは美味しかったが、少々残念な気持ちを残した夕食では有ったが、しかし久しぶりに会った人達との楽しい語らいの夕べでも有った。その後私とI君は又タクシーで、私達の宿所のプンジョンホテルへ帰った。

 28日(金曜).短いソウル滞在を終えて帰国の日の今朝は、来た時と同じくらいの快晴だった。I君にベッドから車イスに移してもらい、着替えと洗面をしてもらうと、彼が近くのパン屋さんで買って来た、菓子パンと缶コーヒーで朝食を済ませた。

 午前9時にホテルのフロントで、現地添乗員とツアーの御婦人方と合流すると、来た時と同じ運転手の同じマイクロバスで空港へ向かった。

 空港に着いて出国手続きを終え、出発までの時間を利用して売店でお土産を買ったりした後、私達は一般の乗客とは別のルートを通って、滑走路側まで案内されたがそこには又、飛行機の所まで移動する為のバスが待っていた。

 今回のバスは床が地面から30 程の高さで、中には座席も段差も無いいわゆる低床バスと言われる物で、車イスでも乗り込み易い物で有った。

 飛行機の所まで移動すると又、担がれて昇降用タラップを上がって行く訳だが、下から見上げると入り口までの高さが随分高く感じられて、オンブされてタラップを上がって行く時は、つまづいて落とされはし無いかと少々不安気だった。

 無事に自分の座席に運ばれて、機が金浦空港を離陸して行くと、今回の旅の終わった事を実感した。

 韓国、ソウルの印象をどうこう言えるほど、滞在期間も短かったし、ほとんど何処にも行けなかったのが残念でも有り又、人も親切そうなのでもう一度来て見たい気も有るし、かと言って車イスでは動き辛そうなので、「モウイーヤ」と言う気持ちでも有る。

 それが車イスで体験した、私の素直な感想です。ただ、飛行機で2時間と言う隣国、韓国をいままでより少しは身近に感じる事が出来、今後も注目して行きたいと思っている。

                                以 上


(1998/6/21)



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    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会