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    WORKING QUADS News Letter
    「パソコンは私の武器」 大阪府 曽我部教子
    「四肢まひ者でもしぶとく仕事をしよう」

    1999年4月『ワーキング・クォーズ』編集会議と懇親会のテーマとして

    「パソコンは私の武器」
     大阪府 曽我部教子
    『ワーキング・クォーズ』執筆者



    曽我部教子さんのパソコン


    『ワーキング・クォーズ』関係者各位

      1999年6月5日

       清家 一雄 
      重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表
       『ワーキング・クォーズ』編集部
       "WORKING QUADS" homepage 制作提供
      佐賀医科大学医学部講師
      〒810 福岡市中央区大手門
      Tel +81-92-735-
      Fax +81-92-735-
      kazuo_seike@msn.com
      seike@ma4.justnet.ne.jp
       http://www4.justnet.ne.jp/~seike/

    前略

    清家一雄@WORKING QUADSです。

    「パソコンは私の武器」 大阪府 曽我部教子

    1999年『ワーキング・クォーズ』のテーマは
    「四肢まひ者でもしぶとく仕事をしよう」
      「デスクワークのための褥創対策」、
      「ノートパソコンを活用したベッドワーク」です。

    そのために、
    『ワーキング・クォーズ』編集会議と懇親会を
    1999年4月24日(土)、25日(日)、26日(月)、
    福岡・熊本
    (福岡市心身障害者福祉センター7Fの中研修室)
    で開催いたしました。

    以下の文章は、曽我部教子さん("WORKING QUADS" homepage writer)に
    書いていただいたものです。

      
      曽我部教子・『WORKING QUADS』執筆者


    ==================================================

     パソコンは私の武器

     はじめに

    怪我をする前、1986年頃、私の所属していた理科のサークルでは、パソコン
    を使って、学級通信や授業用プリントを作る人が増えていた。

    その中で、私は「最後の一人になっても手書きの学級通信と、手書きの授業用プ
    リントを作り続ける」と宣言していた。子供達が貰うプリントが、全部ステロタ
    イプの文字になってしまうのがなんだか嫌だったからだ。しかし、パソコンの購
    入者は少しずつ増えていった。そして、1989年夏、私はアフリカで乗った熱
    気球の事故で、全身麻痺の障害者になってしまった。足はもちろんのこと、手も
    いや首から下は全く動かなくなってしまったのだ。

     ICUにパソコンを入れる試み

    1989年に事故に遭い、1ヶ月間はケニアのナイロビ病院のICUに入ってい
    た。しばらく危篤の状態にあった。もちろん人工呼吸器をつけていた。この時代
    は、他人とのコミュニケーションは、文字盤に書かれた英語と日本語を指さして
    貰って、私が瞬きをして、YES or NOを伝えていた。手術した首を動かしてはい
    けないので、首を振ることが出来なかったのだ。

    日本に帰ってきてからは、関西労災病院のICUに収容されていた。毎日のように
    友人や卒業生の保護者が見舞いに来てくれた。しかし、喉に穴をあけて人工呼吸
    器をつないでいる私には、声を発することが出来なかった。だから、お見舞いの
    人と話が出来なかったのだ。ただ、看護婦さんは毎日のように看護してくれるの
    で、私のわずかな息使いと唇の形から、言葉を汲み取ってくれるようになってい
    た。

    そういう状態を見ていた友達が、「さぞ私にストレスが溜まるだろう」と思った
    のだ。

    それで、ICUにパソコンを導入することを考え、ICUの部長に了解を取ってくれ
    た。

    友人は、パソコンのパンフレットを病室に持ち込み、どの機種がいいかとか操作
    をどうするかとかを私に尋ねたり、試してみたりした。だが、その頃の私は、呼
    吸するのに精一杯で、友達が何を一生懸命になっているのか分からなかった。パ
    ソコンの話などする気にもならなかった。しかし、友達の姿には断れない雰囲気
    があり、呼吸の苦しい中で、パソコンの話につきあい、友達に言われたように顎
    を動かしたり、頭を動かしたりして、どの操作が適切かを試していた。今後、パ
    ソコンが私が生きていく上で大きな武器になるとは思いもよらなかった。結局
    ICU時代はパソコンを入れるまでにはいたらなかった。

     病室にPワードを入れる

    人工呼吸器が外れたのは、関西労災のICUに入院して5ヶ月後だった。人工呼吸
    器がはずせたのをきっかけに、一般病棟に移った。一般病棟に移ってからも、カ
    ニュウレーははずせなかったので、まだ、声を出すことは出来なかった。ベット
    を起こす訓練をしていた。

    一般病棟に移って、半年くらいたった頃だろうか、友人がPワードという機種の
    ワープロの一種を病室に持ってきた。このワープロの操作は、ベットを起こさな
    くても可能だった。口元に、センサーを持ってきて、唇を軽くセンサーにタッチ
    することで操作できた。しかし、文字の打ち込みは、数学の座標軸の交点にあた
    る部分で決めていて、とっても時間がかかった。時間がかかっても、私はしばら
    くはこのPワードで文字を打つ練習をしていた。文章を作るのに、時間がかかっ
    てしょうがなかった。

    このPワードで書いた文章は残っていない。Pワード専用のプリンターを買って
    くれていたにも関わらず・・・。

     ベットが起こせるようになったことと、Pワードでの操作があまりにも時間が
    かかりすぎるので、NEC98を新しく購入して貰った。これも「支援する会」
    のカンパから買って貰ったものだ。これにも、型は忘れたがプリンターがついて
    いた。

    編み棒の先に目止めのゴムをつけて、その棒を口にくわえてキーボードを打って
    いた。なかなか疲れるものだった。この方法は、姫路の田村辰男さんから教わっ
    たものだ。この方法で問題になったのは、棒がキーボードの端から端まで届かな
    いことだった。

    これを解決してくれたのは、友人の井殿さんだった。キーボードを乗せる台を考
    案してくれた。この台は板と板との間に引き出しのレールを使っていた。そのた
    め、少しの力で、キーボードを乗せた板をスライドさせることが出来た。スライ
    ドをさらに楽にさせるためにキーボードを置いた板に、鋸で細かい溝が作られて
    いた。PTの先生がこの台を見て、「福祉器機展に出展したら」と言ったほどだ
    った。でも私は、この機種の使い勝手について、殆ど記憶が残っていない。ま
    た、このパソコンを使って書いた文章も残っていない。

     私の入院していた、関西労災病院の整形外科では、テレビを置くことは禁止さ
    れていた。私のパソコンを見て、テレビと間違えて「自分たちにもテレビを置か
    して欲しい」という要望が何度も婦長さんにあったと後で聞いた。

     復職とパソコン

    1993年2月復職が認められた。復職を強く願ってはいたが、まさか実現する
    とは思わなかった。たくさんの人の支援があった。特に、兵庫県教職員組合の支
    援は大きかった。また、これも後で知ったことだが、休職中に私が招かれて2校
    で行った授業がかなり評価されたということも聞いた。教育現場への復職はかな
    わなかったが、教育総合センターに研修勤務が決まった。研修課題が与えられ
    た。それは以下の内容であった。

    (1)理科教育について

    (2)福祉教育について

    (3)カウンセリングについて

    私は、これらのことについていろいろと調べた。そして、レポートにまとめた。
    初めの段階は、口述筆記であったが、5ヶ月ぐらい後にはパソコンで打ち込むよ
    うになった。

    この時のパソコンの機種は、マッキントッシュのSE30で、大阪のプロップス
    テーションから貸し出されたものだった。プロップステーションは「パソコンを
    武器に障害者を納税者に」とのスローガンを掲げて活動していた団体だった。私
    は、本格的にパソコンに毎日のように向かっていた。しかし、1度に長い時間は
    キーボードを打つことは出来なかった。しかし、徐々に首を支える筋肉がつき、
    打つことになれていった。もちろんそうなるまでには、度々肩こりに悩まされた
    こともあったが・・・。

    家には、マッキントッシュ660AVを支援の会が購入してくれた。授業計画
    案、授業記録、授業を受けた生徒の感想文、私自身の授業分析、講演記録やその
    感想文などをパソコンに打ち込んだ。こうなって初めて、「パソコンは私の有力
    な武器」と感じるようになった。今現在使用しているパソコンは、マッキントッ
    シュ・パフォーマー6310で、職場と自宅にそれぞれ置いている。

    職場のパソコンはディスクジェット850のプリンターとスキャナーをつないで
    いる。自宅のパソコンにはエプソンのプリンターを接続し、ISDNにつないで
    インターネットやパソコン通信をしている。はじめは、パソコンのワープロ機能
    しか使えなかったが、今では、スキャナーを使ったり、通信で得がたい情報を入
    手している。ここまで来るには、8年以上の年月が必要だったが今では本当に
    「パソコンは私の有力な武器」になっている。これからもそうだろう。パソコン
    使用のイロハから教えてくれた、私の友人とパソコンの支援体制を組んで下さっ
    ていたプロップステーションにこの場を借りて深くお礼を申し上げます。これか
    らも、パソコンを武器にしぶとく仕事をします。

    (1999/6/5)

    ==================================================

    皆さんも、何か情報、ご意見、ご感想がありましたら、
    このメッセージボードに、
    書きこんでいただけると助かります。

    kazuo seike@working quads
    June 5, 1999

      敬具

    (1999/04/04)


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