WORKING QUADS
『はがき通信』について

向坊弘道さん・"Working Quads"執筆者
Mr. Hiromichi Mukaibo of "WORKING QUADS" writer
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向坊弘道さん:『ワーキング・クォーズ』執筆者:北九州市在住

[『ワーキング・クォーズ』執筆者]
むかいぼう ひろみち:
福岡県北九州市在住。

「自立をめざして」、『ワーキング・クォーズ』No.3、p.3、1990.6、重度四肢まひ者の就労問題研究会。

「毎月15万円の収入を確保するには」、『ワーキング・クォーズ』No.8、pp.49-51、1992.12、就労問題研究会。

「自立の頃」、『ワーキング・クォーズ』No.9、pp.29-37、1993.12、就労問題研究会。

「外国での挑戦−内面的な苦しみを克服して、より広い世界へ挑戦したある障害者の記録」
Challenge abroad − The Record of a disabled who challenged the wider world after overcaming his annoiance
《障害者の国際化》、『ワーキング・クォーズ』No.10、pp.56-67、1995.3、就労問題研究会。

著書:
『甦る仏教』(グリーン・ライフ研究所)、『よみがえる人生』(樹心社)1992年8月10日初版印刷、定価1600円。
『よみがえる生命』(樹心社)。



資料

● ささやか情報交換誌を通して


  • 1996年10月、浜松、はがき通信懇親会。
    後郷法文さん、向坊弘道さん。
  •  ◆ ハガキ通信−−重度身障者の交流誌

     ほとんど寝たきり、車イスに乗れても自分でこげない、時には呼吸器をつけたままの人もある、こんな重度の中の重度の身障者も最近はかなり増えました。

     そんな症状で、頚髄(けいずい=首の骨)を痛めた身障者は高位頚髄損傷者と呼ばれます。つまり、首の骨は7本ありますが、上の骨ほど損傷によるダメージは大きく、身体の自由を完全に奪われます。

     厚生省が車イスに座ってバスケットをしたり自動車を運転している身障者とこれらの重度身障者を同じ一級障害者に認定しているのは問題視されています。

     なぜなら、高位頚髄損傷者は生命を維持するために大変な努力と経費を必要とするので、障害者年金や介助手当だけではまったくお手上げの状態で、もっと援助を手厚くすべきです。

     労災保険の適用を受けている身障者は生活費を支給されるのでほとんど問題はないようですが、私傷(就労中の事故でなく、私生活中の事故)による身障者や無年金者は生活費もほとんどなく、家族の支えにすがってどうにか生きているというのが厳しい現状です。 「身障者にも貴族と乞食がある」と言われるのはそういう理由です。乞食の方は入院してもすぐに追い出されるし、施設に入ろうとすれば満員だし、年を取って途方に暮れている人が少なくありません。

     しかも、不自由な体では行政に訴えたり、同病の身障者と情報を交換することもままなりません。福祉制度の問題点は至る所に見られますが、なかなか是正されないのはどういうわけでしょうか。やがては、国民全体の問題にもなってくると思われます。

     三十八年も高位頚髄損傷者として生きてきた私は、せめて仲間の間で情報交換をしたいと念願していましたが、私の自立生活を調査に来られた東京都神経科学総合研究所の松井和子博士と意見が合い、博士の絶大な協力のもとに、全国の高位頚髄損傷者を任意のメンバーとして情報誌を発刊することになりました。

     ハガキ一枚でもメンバーは自分の体験や工夫を報告し合えるようにと、誌名は「ハガキ 通信」にしました。そうしたら、これまで沈黙を強いられてきた極重度の身障者たちは雄弁に物語を始めました。

     吹けば飛ぶような存在の中にキラリと光る生命の輝き、外から見えなかった生命の世界への洞察、彼らの原稿にあふれる感動と興奮は新しい時代の何かを予告しているようでもあります。

     一九九六年末現在の会員数は約三〇〇名。年間購読料千円で隔月発行の機関誌「ハガキ通信」はA4版で一四ページ内外ですが、いままで知られなかった重度身障者の喜怒哀楽とその生活ぶりが数々の身障者自身による原稿によって知ることができます。


     ◆ ハガキ通信の巻頭《ごあいさつ》

     はじめは1991年秋ごろに十数人の仲間で情報交換を始めたので、軽い気持ちではじめに私の《ごあいさつ》の文章を載せたら、その後毎号これが必要だと松井博士に要請されて何行か挨拶文を書かなければならなくなりました。

     そこで、3回分の《ごあいさつ》欄の原稿をここに掲載します。


    《ごあいさつ》 ・・・1993年11月号より

     いかがお過ごしですか。1993年はどうでしたか? 私は12月2日フィリピンに出発するので、準備をボツボツやっているところです。

     さて、かねてより調査中だったネパール計画が進行中です。車イスで誰でも宿泊が自由にできるように設計され、現地での福祉情報センターの役目もかねたペンションの建設計画です。今はちょうど土地を購入した段階で、これから建築が始まります。現場はカトマンズー国際空港から車で10分の所、ヒマラヤがよく見えます。気候は日本の九州と似ていますし、一泊500円くらいですから、ぜひ皆さんに長期間の利用をしていただきたいと願っています。 ではいいお年を!  合掌


    《ごあいさつ》 ・・・1994年1月号より

     新年明けましておめでとうございます。1994年はひょっとしたら皆さんの足が立つようになるかも知れません。そんな初夢でした。ワッハッハ

     さて先日、別府市太陽の家の友人に久しぶりに会ったら床ズレの特効薬を教えてくれました。イソジン液1/4、グリセリン液1/4、グラニュー糖1/2、の割合で混ぜて患部に塗り、厚いクッションに穴を開けて、患部に当てるといいです。私も500円硬貨ほどの床ズレがわずか一週間で治りました。情報の大切さを痛感しました。今年も皆さんのハガキ通信で本誌を盛り上げて下さい。合掌

    《ごあいさつ》 ・・・1994年3月号より

     春です。できるだけ家から出て外の空気を吸いましょう。去年からバイクの空気浄化用のクッションをベッドや車イスで使って実験してきましたが、蒸れず、床ズレもできず、シッコもよくでる工夫がしてあるので廉価で商品化することになりました。便利な器具や素材があればご連絡を。    合掌



     ◆ 見捨てられるのか、重度身障者

     「ハガキ通信」の会員の一人、阿部勇さんも懸命に障害と戦い、生命の尊厳をかみしめている極重度身障者の一人です。毎日新聞に載った「四角い青空」欄の「第4部、いのちの分岐点、6」を転載しましょう。

    【阿部勇さん(24)は、もう7年間も天井を見続けている。動くのは顔の筋肉だけ。ベッドサイドで、人工呼吸器が絶え間なく音を立てる。

     7年前の五月。オートバイ事故で勇さんが東京都内の大学病院に運ばれて来たとき、医師団は「良くて2カ月か3カ月の命でしょう」と口をそろえた。

     「高位頚髄損傷」。首の骨の2番目と3番目が折れていた。脳は無事だったが、神経が断たれ自発呼吸ができなくなっていた。

     気管切開、そして呼吸器の装着。母親の節子さん(55)は、まだ高校3年の息子の将来を思うと、搖れた。

     「先生、一生機械につながれたままになるのなら、治療をやめて下さい」 救急救命センターの若い医師はきっぱりと答えた。「ここは命を助ける所です。無理やりでも治療します」

     70日後、勇さんは大学病院の紹介で埼玉県大宮市の今の病院に転院した。命は取りとめた。しかし、首から下は全く動かない。口は動いたが、声帯を繰れないので声が出ない。

     足立区の家から病院まで2時間以上かかる。「もっと近いところを」と探し始めた節子さんに、医療の現実が立ちふさがった。

     足立区内の病院に、片っ端から電話を入れたが、「人工呼吸器」と言うだけで断わられた。ある病院の医師は「息子さんは3人分の患者にあたるんですよ」と言った。

     介護に手間がかかるため看護婦の負担が増す。入院期間が長くなるほど、病院経営を圧迫する。人工呼吸器を必要とする筋萎縮性側索硬化症患者が、「採算に合わない」と入院を拒否されたケースと同じ構図が、ここにもある。

     寝たきりで体が硬くなるのを防ぐため、リハビリテーションが必要だった。しかし横浜市にある頚髄損傷専門のリハビリ病院でさえ入院を拒んだ。

    「本当は息子さんのような人を受け入れるべきなんでしょうが、病院の経費が限られていて・・・・・・。運が悪いと思ってください」

     朝、勇さんの目の両わきに白い筋がよく残っていた。「泣いていたんだな」 意識は鮮明なのに、言葉にできない息子がふびんだった。

     節子さんは鏡に向かって懸命に読唇術を独習した。今では、唇の動きで会話できる。勇さんも、入院3年目から顔の上に小型のワープロを固定し、割箸をくわえてキーを押せるようになった。

     ワープロ書きの日記がある。

     <(高校の同級生同士の結婚を聞いて)こういう話が来るようになったんだねえ。時間は過ぎているんだね>(ひとりだけ取り残されている感じだよ。17歳のときのまんま> 3年前、呼吸器が外れ、気を失った。病院内で「自殺を図った」という噂が立った。だが日記には、こう書かれている。<自殺ねえ。できる人はぜいたくだよ。したくってもできる訳ないじゃない>

     頚損患者の実態調査を続けている東京都神経科学総合研究所の松井和子主任研究員は矛盾を指摘する。

     「日本では、高度な救命医療技術と、その後のリハビリが結び付いていない。米国やカナダでは、人工呼吸器をつけている人も、リハビリの対象です」

     最近、勇さんはしきりに「家に帰りたい」とこぼす。12人部屋。節子さんは「1人になれないストレスがたまっているのだろうな」と、ベッドの周りを白い布で囲った。布1枚で仕切られただけの空間だが、勇さんは「この方が落ち着く」と唇を動かした。

     節子さんは言う。「息子を助けてくれたことには感謝します。ただ、今後の人生に何か可能性を残してあげたくて・・・」】



     ◆ 疾走れ・、キム・チング



     「ハガキ通信」の会員の中には、どうにかしてあげたいと思うほど重症の人、これならいいなあと思える軽い症状の人、寝たまま采配を振っている家庭の主人、大学入試を目指す高校生など様々で、紹介したい人がたくさんあります。

     その中の一人、キム・チングさんは年中うつ向きになって寝たままで、上に向いて寝るということはない身障者です。やはり、頚髄損傷者としてすでに四一年以上も苦難の歩みを続けています。

     一年前に彼はストレッチャーを電動車イスの上に溶接してうつ向きに寝たまま街を走ることを考え出しました。これは長い彼の身障者生活の中でも画期的な挑戦です。街を走っている写真とともに、その喜びを文章にして「ハガキ通信」に寄稿してくれました。屈託のない彼らしく、原稿も次のように独特の躍動感に満ちています。



     【 ストレッチャー型電動車イスに出会って一年・・・キム・チング

    「ハガキ通信」の皆さん、紅葉が美しい晩秋、いかがお過ごしですか。小生は小さい秋を見つけに東に西に走り回っています。

     そうです。ご存知の長いストレッチャー型電動車イスに乗ってです。“小さい秋”に出会うたびに深い感動のため息をついています。紅葉のすばらしさに酔っています。そんな小生のコッケイなスタイルを見て別の意味のため息をもらすご仁もおられるようです。

     しかし大自然の前では、少しも気になりません。小生も天然の美にとけこんだのかな。まさかね。でも自然美は小生を救ってくれます。

     ストレッチャー型電動車イスに出会い、一年が経過しました。すでに一〇〇〇キロメートルを走破しましたが、足回り、電気系統などすべての面で満足すべき結果を得ています。むろん無事故無違反です。交通ルールは厳守。一年間は無事に過ぎましたが、タイヤは丸坊主、肉体的にかなり疲れがでています。

     今後はメカに対する過信も含めて自己規制を厳しく、さらに安全運転に徹して車イス生活を実のあるものにしたいと考えています。

     最初の海岸見物に始まり、桜見物、若葉見物、花火見物、公園散策、ショッピング、通院、図書館通い等の自由な外出をフォローして下さる多くの方々に深謝します。皆さんのご支援なくしてはこの夢のような生き様は考えられません。

     本当に有り難う。    秋の好日を皆さんに    十一月十四日 】



    キム・チングさんは住所が同じ市内だったのでさっそく電話してみました。はじめて障害者に接触する場合、こちらもビクビクです。というのは時には調子の悪い身障者に電話して「何の用だ」と怒鳴られることもあるからです。キム・チングさんの場合はそんな心配をよそに、実に明るい声で応答してくれて、何でもしゃべってくれたのでほっとしました。

     さすがに苦節四〇年、風雪に耐えてこられた強者だな、という感じが伝わってきました。その後、約束の上で訪問してみると、彼は母親と二人で新幹線小倉駅の裏にひっそりと暮らしていました。

     昔は柳の並木通りからひょいと入ってくるお客さんにお母さんが焼き肉やホルモンなどの朝鮮料理を出していたのでしょう、冷蔵庫やカウンターがそのまま残っていて、飯、ビール、焼酎、カルビーなどの値札がにぎやかに下がったままの店内に、今はキム・チングさんのストレッチャー型電動車イスが窮屈そうに駐車?しています。

     この風変わりな車イスで町中を疾走するには少々度胸が要るでしょうが、七三才になる老母をいたわって、彼の車イスは買い物に走り、病院に出かけ、散歩を楽しみます。

     彼とすれ違う人々は車イスの上の腹ばいの人間を見て、一体何が走っているのかと、はじめは用心深く観察しますが、次には彼の勇気と不屈の魂に拍手を送ります。外国人は無年金ですから、横にある猫の額の駐車場から上がる七万円ほどの収入に頼る赤貧の生活ですが、決して希望を捨てないのがキム・チングさんの信条です。

     人生に行き悩み、世の中をさまようことの多い私たちの心に、彼のストレッチャー型電動車イスは明るい希望をふりまきながら疾走します。

     疾走れ! キム・チング、希望と勇気を乗せて。これが街行く人々の彼を見つめる熱き想いです。




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    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会