WORKING QUADS
100日間,アジア周遊の旅

向坊弘道さん・"Working Quads"執筆者
Mr. Hiromichi Mukaibo of "WORKING QUADS" writer

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100日間,アジア周遊の旅

向坊 弘道
       1998.4.2 向坊 弘道

[写真]
向坊弘道さん(フード、電動車いす)、田辺嗣雄さん、福井英樹さん


【カンボジア】 

 1997年12月2日に気の向くまま、電動車イスの 100日間アジア周遊の旅
に出ました。フィリピンからマレー半島、インドシナ半島、インド、そしてネパ
ールのヒマラヤ目指して生命の源泉を訪ねます。正月はカンボジアで迎え、車イ
スはついにキリングフィールド(殺戮の地)で行き止まりました。行けども行けど
も川と湖沼のこの国で思いのほか象や人々は豊かな装いです。

 しかし、ポルポト派の時代に国民の3分の1が処刑され、現在の人口は 930万
人、時として狂ってしまう歴史を織りなす糸は生命の実際の証です。

 この原っぱでも2万人の人が棍棒で殺され、そのうち2千人は子供であったの
です。あちこちで大穴が掘り起こされ、その1つ1つが5mの深さで 450人ずつ
の遺体が発掘されています。そのうえ、まだ発掘されていない43個の穴がありま
す。

 何たる狂気、凄惨であろうか、積み上げられた 9,000個の頭蓋骨すべてがこち
らを向いて何かを訴えている表情です。

 昨日と同じように今日も小鳥の群が語らい、蝶が舞っている同じ場所で次々と
打ち倒されていったこれらの人々の阿鼻叫喚が午後の涼しい風に乗って聞こえて
くるようです。車イスが思わず踏んづけた白いものはあごの骨でした。まだ大地
に埋まったままの人骨や衣服はすべて収納するのが難しいほど無数なのです。

 背筋を寒くして読経しながらも、その声は嗚咽に変わり、いっこうに進みませ
ん。くやしさ、残念、あわれ、いずれの涙でしょうか。そして、この涙の中に希
望の滴はあるのでしょうか。

 人は同じ狂気を繰り返します。しかも、自分がその例外ではあり得ないでしょ
う。肩を落として逃げるように立ち去ろうとする私の背にまたもや村人の声。
(I" $B$A$g$C$H!"$=$C$A$O4m$J$$$h!*!!COMk$,$^$@Kd$^$C$F$$$k$+$i$M (I# (J


【バンコク】


 タイの首都バンコクは24時間空港があり、しかも航空法が自由を基本として
いるために飛行機と人間の出入りがもっとも激しいところです。わずか200メ
ートルのカオザン通りでは航空券の安売りをやっている代理店が数十軒も軒を並
べています。

 その間に安いホテルが数十軒あり、レストランや屋台も混じっているので、群
がる欧米のバックパッカーが租界のような独特な雰囲気を作っています。

 私はここを拠点に近隣諸国に出たり入ったりを4回も繰り返しました。インド
に出発する前に100日間旅行のちょうど真ん中で、すでに電動車イスはパンク
3回、シャフト折れ1回、ボルト欠損1回と早くもボロボロ状態で、スプリング
もこわれて、タイヤが半分けずれています。このままで本当にインドは大丈夫で
しょうか?

 時々チタン製の手動車イスが活躍していますが、これもキィーキィー言ってま
すし、握り手が空港で少々こわれました。「これもこわれたら私はベビーカーを
買って乗るよ」と言うと「そうまでしてインドに行かなくても!」と太田ヘルパ
ーは言います。「そのうちに私がおんぶして仏跡めぐりに行くのでは?」と彼女
は警戒しています。

 ある日バンコクから80q北にある古都アユタヤの仏跡めぐり行きました。タ
イは仏教文化の香る国で、大きな寺院、廃墟となった王宮など、いくらフィルム
があっても足りません。人々も正直で、観光していていても気持ちがいい国です。
正月過ぎも暑くて、車のクーラーを入れすぎ、ノドを痛めてダウンしました。流
感はない国ですから、熱はなく、鼻水だけなので助かります。毎日どこでもクー
ラーは欠かせません。



[写真]
向坊弘道さん、清家、1997年12月、福岡国際空港


【ラージギール】

 1月13日にインドのカルカッタに入り、汽車でパトナーへ。そこからタクシ
ーでラージギールに来ました。カルカッタ以来、インドの不衛生さとインド人と
のかけ引きの多さに悩まされています。

 ラージギールで観無量寿経が説かれた霊鷲山(りょうじゅせん)のお釈迦様の
宝座におまいりするのが、今回の旅行の最大の難関だと思っていました。

 ところが、12年前にはじめて訪れた時と違い、カゴかき屋がホテルの部屋ま
で勧誘に来てくれて、定額料金(1500円)であっさりと私を山頂まで運んでくれ
ました。

 なぜなら、お釈迦様の宝座の上手の峰に日蓮宗が仏塔を作り、そこにケーブル
カーを引いたために、今はそちらに行く人が多く、霊鷲山は閑古鳥が鳴いている
ありさまです。

 したがって、100人もいたカゴかき屋さんたちは廃業寸前に追い込まれてお
り、12年前に私から6千円という法外な料金をまきあげたカゴかき屋のボス
も、今は念珠屋に転業しています。

 その人は「12年前はハンモックで登ったのに、今回はカゴで登れたんだね
ぇ」と言って、急いでむこうから握手をもとめてきました。「この12年間あな
たの事は1度も忘れた事はないよ」と言っていましたが、私もあの時の無慈悲な
彼の態度を忘れた事はありません。

 それにしても、12年の間に人もインドもずい分と変わりました。でもお釈迦
様の跡をしたう求道者の人々の心はすこしも変わっていないように思えます。


【ブッダガヤ】

 日本では大寒だと思いますが、インドのブッダガヤでは日本の5月くらいの気候です。
インドに入国して2週間です。パトナーでは電動車イスの為に6軒のホテルをこ
とわられ、3時間夜の町をさまよい、この先どうなる事かと不安になりました
が、旅がすすむにつれて、要領を覚えてきて、少々楽になりました。

 ここブッダガヤに入った日はダライラマが説法に来ていて、3千人のラマ教の
信者が集まっており、どのホテルも2週間は満室で泊まれないという状態でし た。

 やっと見つけた村はずれの安宿では、若者が朝までさわいでいて一睡も出来ず
に寒さもくわわり体調をくずしました。

 でも翌日から、大乗教と言う寺院の住職に助けられ、本堂の1階の部屋を貸し
てもらい、食事もだしてもらえるようになりました。

 体調が回復したあと、橋が去年できたために行くのが楽になった前正覚山にも
登ってきました。ここにはお釈迦様が6年間修行したというほら穴があり、今シ
ーズンより各国のおおぜいの人が参拝できるようになりました。

 インドでは悪徳商法、ダマシの手口がごく普通で、いくら契約していても途中
でどんどん値をつりあげられます。なかなか個人旅行の難しさを痛感しました。

 そこで観光局の役人やタクシー会社の社長、その他親しくなった人と話し合っ
て、6大仏跡全部をタクシーでのんびりとまわる方法を考えてみました。これを
実際にテストしてみると、意外に名案だとわかりました。

 福岡〜ホンコン〜カトマンズーの最短距離を飛びながら、アショカ・ホテルの
ような政府系の高級ホテルチェーンを利用して、15日間22万円という旅行コ
ースの試算が出来上がりました。

 ぜひ「生きているうちに仏跡参拝を!」という体力の弱い高齢者の夢もかなえ
られそうです。(詳細は後日お問い合わせください)


【ベナレス・クシナガル・シュラバスティ】

 ブッダガヤから汽車でベナレスというヒンズー教の聖地へ。ベナレスからお釈
迦様が亡くなった仏跡クシナガルへ。そして、祇園精舎のあるシュラバスティ
へ。これで、インド滞在30日です。

 ホテルの窓を開けると薫風……と思いきや、どこからともなく漂ってくるウンコの臭い。
10億の民が便所もないこの国で、毎日戸外で用を足すのを責めることはできない
でしょうが、電動車椅子という四つ足の厄介な代物はどうしてもこれらを踏まず
に進むことはできません。「糞尿の山をかき分けインドかな」という実感は食欲
喪失、睡眠不足となって襲ってきます。

 定価がなく代金は交渉しだい。タクシーに乗るとボラれる。銀行でお金をゴマ
かされる。駅で、街で、通りでつきまとう乞食の群れ。わずかのお金を要求して
何時間でもつきまとう男に電動車イスを向けて脅し「かえれ!」とどなったら、
通行中のインド人が彼をどついていました。こんな事は久々でしたから、日本人
は孤立しない事を自覚して、言うべき事は言うのがいいのです。

 しかし、そのインドに原子力発電、ロケット、コンピューターというような近
代的なハイテクがそろっているという事実をどう考えたらいいのでしょうか?

 「インドに入って何ヶ月にもなります」と言う若者のバックパッカーにチョイ
チョイ出会います。みんな自分なりの尺度でインドをのみこもうとしますが、そ
れはまったく不可能なようです。

 1人の脳の壷におさまるほどインドは小さくもなく単調でもないのでしょう。
また、歴史も長いのです。いろいろ思案なげ首の状態で思いつめていると、昔絵
本で見たインド人が現れてきます。

 ターバンを巻いた色黒の男は道端にすわって笛であやしげな曲を吹いていま
す。曲に操られてコブラが壷から現れ頭を振って踊ります。じつは、コブラを躍
らせているのは笛の曲ではなく、地面をリズミカルに打っている男の足であるら
しいのです。

 不可解不可説の大陸インド。実際、この踊らされているコブラは私かも知れないのです。
ネパールに入国する前の1日20回の下痢も、ネパールに着いてからの3日間の
寝汗も長かった地獄物語の完結編としてはあまりにもあっけなく過ぎました。


【ネパール】

 インドの後、2月14日にネパールに入り、あまりの寒さに体調をこわしまし
た。ネパールに来てみると人々はやさしく、だます人も少なく、インドとは天地
の差がある事を感じています。ネパール仏教ペンションでは管理人モンゴには2
月末日に退職金を与え、円満に解雇しました。私が寝込んでいる間、太田ヘルパ
ーとネパール人の新任スタッフが新しい理事の勧誘に走り回ってくれました。

 その結果、新しい理事として、市長、区長2名、近隣3小学校の校長先生た
ち、全ネパール身障者協会会長、全ネパールリハビリテーション協会会長、その
他総勢20数名が加わってくれて、強力な福祉活動のサポート体制ができあがり
ました。

 今後のネパール・グリーンライフ研究所の事業内容としては、車イスとシビン
の無料配布、土曜日ごとの地元仏教青年会と小学生の集会、その中での仏教学習
と市内の清掃活動。、仏教学習を目的とする人の無料宿泊、などを決定しまし
た。

 ソナム師(25歳・ラマ僧)、スシル氏(27歳・会計士の卵)の若いスタッ
フ2人は仏教と福祉の間を漂いながらも、興味ある成果をなしとげてくれるもの
と期待しております。

 車イスについては、3月3日にネパール国産第1号車を製作し、ほかに2車種
が2日後に完成しました。特にこれら3種類のうちの1種類は、1本のパイプを
折りまげて作るので、溶接部分がなく、これにマウンテンバイクのタイヤを取り
つけて、ヒマラヤ山中を走っても壊れない構造にしました。

 値段も1台5千円〜8千円の間です。このような福祉活動は”いい格好”に終
わりがちですが、地道に取りくんで行くよう皆で話し合っています。
「小慈小悲もなき身にて、衆生利益は思うまじ、弥陀回向の御名なれば、功徳は
十方に満ちたまう」(欲望ばかりの私が、人助けをしているなんてあつかましい
話だ、それはただ南無阿弥陀佛のおかげが、世の中に満ち満ちているからそう見
えるだけなのだ)と言う御和讃を思いだします。

 ここには絶対他力の大道を歩む者のきびしい自己凝視の姿勢が見られます。
これまでの坂田、教念寺坊守、萩原、谷、平川さんらのボランティアの方々の努
力を無にする事なく、地元の人々と合い和しながら、さらなる進展をはかりたい
と思います。
帰国を前に最後のお便りとしますが、またお会いして詳しくお話しできる日を楽
しみにしております。




[写真]
1997年10月、浜松、はがき通信懇親会
五十嵐康広さん
河崎信太朗さん、手動式車いす。
太田美代子さん(向坊弘道さんのヘルパー)
福井英樹さん


【頸髄損傷者(Cー5)としての旅行の問題点】

 頸損は安定した体調を長期にわたって維持するとなれば苦労します。それが外
国での生活、特に生活の条件が毎日変わって行く海外旅行となると大変な神経を
使います。
不可能を可能にするには、経験の積み重ねと情報の収集が最も大きな要素です。
そこで、項目別に要素を整理してみます。

● 排尿・・・尿が頸損のすべての病気の原因となっている、と言われるのは本
当のようです。尿量は旅行日でも1日2500cc出ているか、濁りはどうか、常に神
経を使います。私の場合、尿が非常に濁っているのが普通で、時には牛乳のよう
な尿も出ます。

 こんな時は抗生物質を10日間くらい服用します。自然排尿の人は尿が詰まって
逆流し、腎臓関係の病気を引き起こしやすいです。残尿をできるだけ少なくする
ために、よく下腹部を叩いて押してもらいました。自然排尿の場合は苦労が多い
です。

 バルーン排尿や膀胱ろうの頸損は座った姿勢でもコンスタントに排尿できるの
で、旅行には望ましい方式だと思います。

● 車イス・・・道路の悪い所は電動車イス、道路のいい都会や建物、飛行機の
中は4sの超軽量の車イスというふうに2台を使い分けました。今シーズンから
登れるようになった釈尊修行の地、前正覚山は超軽量車イスに座ったまま、4人
のポーターに担がれて登山しました。

 今後の課題は電動車イスと手押し車イスの両方の機能を持った超軽量の折り畳
み式電動車イスを開発して、1台の車イスですむように工夫することです。車イ
スのクッションは15pの厚さのクッションをお尻の形に削りとって作ったもの
を使用しました。

 これは大変よかったのか、悪路を走っても一度も尻が破れませんでした。

● ホテル・・・事前に予約を入れると、階段の多いホテルに泊まる羽目に陥る
こともあります。ホテルは場所、値段、シャワー、トイレ、車イスのスペースが
あるかどうかも、その時に見てからチェック・インした方がいいようです。知ら
ない土地に夜遅く着いたときだけは高級ホテルに落ち着くのもやむを得ません。

 今回の旅行のホテル代は平均1人1泊500円で、3つ星クラスです。それで
もホット・シャワー、トイレつきで、事前に確かめて泊まれば、なにも不自由は
ありません。アジアではホンコンとシンガポールを除いてたくさん見つかりま
す。

● ベッド・・・頸損の場合、寝たっきりですから、ベッドの柔らかさが問題で
す。褥創を作らないためにいいベッドを選べば高級ホテルになりますから、最も
いい方法は空気を入れるエアー・マットを持ち歩くことです。これさえあれば、
板張りに寝るのも苦になりません。これはキャンプ用品の店で手に入ります。

 今回、私のはわずか1ヶ月で空気漏れを起こしたので、あとはスポンジの座布
団、空気入り枕などで代用しました。出発前にできていた仙骨部の深い床ずれ
は、旅行中によくもならず、ひどくもならずの状態でした。

● 食事・・・旅が長くなると良い栄養状態を保つのが難しくなります。インド
では10億の民が菜食主義者ですから、どこに行っても朝、昼、晩、野菜カレー
と豆のスープです。1週間続ければ食事の臭いだけでも吐き気を催すようになり
ました。

 携帯用の日本食を持って行ったので、はじめの2ヶ月は助かりました。海苔、
梅干し、ラッキョウ、漬け物は貴重品です。ネパールで下痢のあと風邪を引き、
肺炎になるだろうと観念していたのに、立ち直ったのはお粥と梅干しのおかげで
した。

● 交通手段・・・頸損は車イスと同体です。その移動形態は各国の発展の度合
いによる法規制の違いによります。ホンコンやシンガポールのように発展した国
では規制が厳しく、大きい電動車イスのようにタクシーに乗せられない場合はお
手上げです。業者もどうにかしてやろうという意欲はありません。

 インドやタイでは規制も緩く、電動車イスに座ったまま野菜用トラックに乗せ
てもらって、空港や駅に乗りつけることができます。

● 医者と医薬品・・・旅行では日本の使い慣れた薬を持参するのがベストで
す。知らない国の薬は冒険をともないます。

 インドの薬は半分でもよく効くかわりに胃を悪くするので、胃薬を併用する必
要があります。フィリピンで医者にかかると、日本の薬を停止させ、アメリカの
薬をのまされます。国によって癖がありますから、あらかじめホテルか知り合い
に十分に相談するのがいいようです。

● 服装・・・頸損は体温調整ができないので、寒暖の差には要注意です。8時
間以上も飛行機に乗るときには北極に行くような覚悟が必要です。着替えるとき
も素早さが要求されます。

 寒いネパールを早朝出発したとき、バンコクに正午ごろ着いて、気温が45度も
ありました。すばやくダウンジャケットを1枚脱ぐとランニングシャツだけとい
う風にしておかないで、マゴマゴしていると15分でタクシーに乗る前に焼け死ん
でしまうと思いました。

● 金銭管理・・・日本では奇異な習慣ですが、外国では目の前でオツリを数え
るのがアテンダントの礼儀です。誰かに買い物を頼んだ場合、代金がいくらでオ
ツリがいくらと報告させ、目の前で財布にお金を入れさせる必要があります。


 人目があるところで財布を持ち出したり、開いたりしない、お金はポケット数
カ所に分散して入れる、大銭は腹巻きに、小銭は財布やポケットに分散する、な
どを知っておくことです。カードは頸損の場合は持たないほうが無難です。

● 通信手段・・・自分の滞在先を日本の留守宅に知らせることは自分の安全の
ためです。ネパールでお金を使い果たし、緊急に日本からの送金が必要でした。
その時、ネパール人の留学生が日本でお金を必要としていることが分かりまし
た。ファックスで話し合って、その人の実家から私がネパールでルピーを受け取
り、私の留守宅から同価格の円を留学生に渡すという送金無しの解決法がまとま
りました。

 海外から日本への連絡はA4サイズの用紙半分の用件を伝達するのに、電話で
1500円、ファックスで300円、電子メールで40円という率です。どの国
も街のファックス屋さんが急増しています。



[写真]
1997年10月、浜松、はがき通信懇親会
太田美代子さん(向坊弘道さんのヘルパー)。
向坊弘道さん。
大竹保行さん。
銀座ライオン in 浜松。


● アテンダント(ヘルパー)・・・旅行中の身障者とアテンダントのいい人間
関係は重要で、旅の安全性、楽しさ、ひいてはのちの思い出にも影響します。身
障者がアテンダントを信頼できること、アテンダントが熟練していて確実に仕事
をこなせること、双方とも心身が充実していて長期の緊張に耐えられること、な
どが要求されます。

 外国では緊張が続くので、ふだんおとなしい人がケンカ早くなったり、食欲が
全くなくなったり、逆に食べ通しに食べたり、という妙な癖が出てきます。頸損
もヘルパーもケンカしながら譲り合い、理解を深めあう必要があります。

● スケジュール・・・身障者は健常者に混じっての団体旅行より旅行日程が障
害の程度に応じてゆるく設定できる個人旅行が一番です。最近はこれを可能にす
る優秀なガイドブックが出回っています。また、安売り航空券などを利用すれ
ば、団体で行くより個人の方が安くつくような時代になりました。

 外見からは誰がどこの国の出身か判断できない観光地でも、日本人であれば本
を青く染めたある有名なガイドブックを持っているので、「ははん、これは韓国
人や中国人ではなく、「日本人だぞ」ということが分かります。

● 言葉・・・「芸は身を助ける」と言いますが、英語ができると確かに助かり
ます。難しい旅が楽になります。英語も国によって癖があります。

 車イスの私がアクセスできないホテルのカウンターや写真撮影の現場で太田ヘ
ルパーが1人で英語を使わざるを得なかったので、旅の途中で英会話の勉強まで
するというプレッシャーがかかりました。

 ふだんはしゃべるより聞く事に重点を置いて勉強をしておく必要がありそうで
す。

● 保険・・・飛行機は自動車より安全だと言われていますから、旅行保険は少
額をかけるのがコツです。それに風邪などの少額の補償請求なら放棄するのがい
いようです。というのは、少しの保険請求を繰り返していると、名前がブラック
リストに載ります。いざというときに満額を受け取るにはふだんの掛け捨てが必
要です。旅行保険のリストに載っている医者は、遠いか休業中が多く、ほとんど
当てにならないと思っていいようです。

● 衛生・・・日本以外では水道水は飲めないと思っていいようです。頸損はミ
ネラル・ウォーターを買ってでも2500ccの尿を出さねばならず、国によりますが
1日100円くらいかかりそうです。冬のインドは水が冷たいので湯沸かし器を
持ち歩きました。町も村もウンコ、ホコリでいっぱいですから、喉飴、マスクは
必需品です。

 食べ物も不衛生で、生ものは注文しないことです。お客の少ないレストランに
入ると古い油を使うので、下痢の原因になります。私も2日間ひどい下痢を起こ
し、大きな痔が飛び出しました。( 終わり)


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向坊弘道  〒808ー01北九州市若松区有毛3106  TEL & FAX:093 741 2413


、データベース、移動、介助者

(1998年4月1日に、電子メールで到達。)

(1998/4/17)


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    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会