WORKING QUADS
金子寿さん・"Working Quads"執筆者
Mr. Hisashi Kaneko
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「電動車イスでみたアメリカの交通機関と街の様子」
(1990年、バークレー訪問記)


F.L.C.(Friendly Life Community)
金子 寿

金子寿さん


 1981年の『国際障害者年』以降の『国連・障害者の十年』を契機に、福祉先進国
といわれる欧米における障害者を取り巻く情報が我が国にも盛んに入ってくるようにな
った。日本の状況からは考えられない欧米の現状を知る度に驚き、その中でもアメリカ
(カリフォルニア州バークレー市)に強い関心を持ち、実際に自分の目で見てみたいと
思い渡米(1990年 9月16日〜25日)を決意した。

 しかし、それまでは私と同レベル(頚髄損傷C4)の重度な障害者が、飛行機を利用
して外国へ行った例は少なく、解決しなければならない問題(介助者,飛行機の利用,
ホテル,その他)も多くあったのも事実である。一番の問題であった介助者は、F.L.
C.会員であり、神奈川県総合リハビリテーションセンター・七沢更生ホーム職員であ
った寺田氏が同行してくれることになり、飛行機やホテルについては、今までにも何度
か障害者の海外旅行を手掛けたことのある旅行会社に任せて準備を進めた。


[写真説明]1.リライアブル・トランスポーテーション。
CILの前で。:
1985年11月、バークレー
(写真は本文とは関係ありません。「アメリカの一年」より)


 渡米当日、予約しておいた飛行機会社(ユナイテッド航空)の搭乗カウンターでは、
(旅行会社から私の障害の状況を伝えてあったが)私の状況や特殊な電動車イス(チン
コントロール,リクライニング式)を見ると障害が重度すぎると判断したのか「飛行中
に機内で具合が悪くなった場合、責任が持てないから困る!」ということで航空会社か
ら搭乗することを最初は拒否されたが、自分で責任を持つということを強く押し通した
結果、ようやく搭乗を許可された。

 私は起立性貧血や呼吸の問題があり、殆どリクライニングしない一般のエコノミーク
ラスの座席に長時間座り続けることは困難なため、リクライニング可能なビジネスクラ
スを予約しておいたが、航空会社の好意により往きの便だけではあるがファーストクラ
スに乗せてもらうことができ、初めての飛行機であったが最高の空の旅を経験すること
ができた。

 私の電動車イスのみならず、現在の日本の電動車イスは殆ど液体バッテリー(ウェッ
ト型)を使用しているのが実状であるが、電動車イスを機内に持ち込む場合、バッテリ
ーは固形バッテリー(ドライ型)が良いと事前に教えられていた。しかし、予約の段階
でのユナイテッド航空の説明には固形バッテリーと指定されていなかったので、液体バ
ッテリーのままで搭乗した。ユナイテッド航空の国際線は液体バッテリーでも問題ない
ようであったが、米国内で乗り継ぐ場合や各国の航空会社によって対応が異なるため、
固形バッテリーを用意した方が無難ではないかと思う。また、バッテリーは車イスから
外して別に梱包するように事前に説明されていたが、実際は配線のコネクターを外すだ
けで車イスから取り外されることはなかった。

 特殊な電動車イスの場合、要求すれば飛行機の入り口まで行くことができ、航空会社
の職員が車イスから機内の座席までの移動を手伝ってくれるが、その後、車イスは荷物
として取り扱われ、機内の貨物室に運ばれてしまう。

 車イスの人が飛行機を利用することは、まだまだ一般的ではないと感じた。まして、
電動車イスとなると航空会社側がどう取り扱って良いのか分からなく、任せておくと粗
雑に取り扱われる危険性があるので、丁寧に取り扱ってもらうように指示する必要があ
る。

 サンフランシスコ空港到着まで約10時間という長い間、慣れない飛行機の座席に座
り続けなければならないため褥瘡(床ずれ)が出来るのではないかと大変に気掛かりで
あったが、ローホークッション(空気の入った褥瘡予防の座布団)を使用した結果、全
く心配はいらなかった。但し、使用上の注意として飛行中は気圧の関係でクッションが
膨らみ過ぎて堅くなり、逆に褥瘡をつくってしまう恐れがあるので、機内での空気の調
節には十分に気をつける必要がある。


[写真説明]4.バート(列車)。
マッカーサー駅で。
1986年3月、サンフランシスコ
(写真は本文とは関係ありません。「アメリカの一年」より)


 私の訪れたバークレーという町は、1960年代の公民権運動がきっかけとなり、ア
メリカで初めてカリフォルニア州立バークレー校で人工呼吸器を使用する最重度の障害
者を受け入れたのを機に多くの障害者が通うようになり、大学の寮や大学の周辺をはじ
めバークレーに多くの障害者が生活するようになった。現在では、交通機関,街の構造
,制度,市民の障害者に対する理解などが、障害者の自立を可能にしている素晴らしい
町である。

 空港からこのバークレー市内のホテルまでは、予約しておいたハンサービス(リフト
付きタクシー)で移動した。車イスで利用できるか心配していたホテルであるが、バー
クレーでは全てのホテルが車イスで利用できるようになっており、入り口に階段や段差
がある場合でも必ずエレベーター(段差昇降機)やスロープが設置されている。ホテル
側は、もし障害者の利用に対して不都合があれば早急に改善しなければならないことに
なっていて、これはカリフォルニア州においては、「どの様な人でも差別してはならな
い」という法律がきちんと守られていることによって実現している。このようにホテル
の対応一つを取り上げてみても分かるように『あらゆる差別の禁止』と『基本的人権の
厳守』は、滞在中に私が体験した全ての面においても徹底されていると強く感じた。

 しかし、私の場合はホテルの部屋で生活するためには、1日に最低2回はベットから
車イスへのトランスファーをしなければならず、毎回のこととなると寺田氏1人では負
担が大きいためルーム・サービスを利用することにした。彼らの利用は簡単であり、電
話で部屋番号を伝え「Please help us」で飛んで来てくれ、あとは移動の方法をジェス
チャーで教えればよかったが、チップを多めにはずむ必要はあった。


 実際に電動車イスで走ってみたバークレーの街はとても素晴らしく感じた。特に歩道
には『カーブ・カット』と呼ばれる緩やかなスロープが設置されてあり、車道から歩道
への段差を全く心配することがなく、その歩道の幅は広く平坦でありとても走りやすい
構造になっていた。

 また、街の中ではとても多くの障害者を見掛けた。電動車イスを利用している人も多
く、アメリカ製の電動車イスの速さにも驚いた。バークレーの片側3車線ある広い道路
を横断した時のことであるが、アメリカの障害者が乗った電動車イスはとっくに道路を
横断し終えているのに、私の電動車イスは真ん中の中央分離帯まで進んだところで、信
号が赤に変わってしまった。この時、日本製の電動車イスの速度が遅いことを実感させ
られた。

 レストランをはじめ様々なお店などにも入ってみたが、全てといっても過言ではない
ほど電動車イスでも問題なく入ることができた。余談になるが、数年前にある一人の車
イスの障害者が行った時に、入り口に数段の階段があって利用できなかったため、その
障害者は訴訟を起こした。その結果、レストラン側は数百万ドルという莫大な金額を支
払うことになった。このことは、ただ単に物理的に建物に入れなかったという問題だけ
でなく、障害を持っていても一人の人間として当然の権利『基本的人権』は守られなけ
ればならないと言うことだったそうである。


 バークレーを走る主な交通機関は、リフト付きタクシー,路線バス,地下鉄である。
リフト付きタクシーは、前述したようにサンフランシスコ空港からホテルまでの移動に
利用した。ここバークレーでは、バンタスティク(VANTASTIC)というバンサ
ービスの会社が6台のリフト付きタクシーを持っていて、小刻みな予約で市内を走り回
っている。観光や帰りの空港までの移動などでも利用したが、料金は日本でも運行され
ている福祉のタクシーと大差はなく、一日観光などで借り上げると3万円位するが、ア
メリカの障害者には補助制度があり利用しやすくなっている。

 しかし、アメリカで先駆的な活動をしている障害者たちは、この様な障害者専用のタ
クシーが増えるよりも、路線バスや電車に差別されることなく障害を持たない人と同じ
様に利用できることを強く主張している。

 路線バスは、当時(1990年)既に90%以上のバスにリフトが設置されていたが
、『ADA:障害を持つアメリカ人法』が施行されたことにより、1991年度中には
100%のバスにリフトが取り付けられることになってた。また、車イスを利用するほ
どの障害ではなくて足が多少不自由な人や老人のために、バス全体の車体が低くなるよ
うな工夫もされていた。車内は、一般の座席が車イス用のスペースのために2ヵ所が折
り畳み式になっていて、車イスで通路を塞いでしまう心配はなかった。

 日本では、リフトが設置されていなくても車イスのマークを付けた路線バスをよく目
にするが、それは車イスの人が一人で乗れると言う意味ではなく、ただ車イス固定用の
ベルトがあると言う意味であり、車イスで利用する場合は、必ず介助者が付き添うこと
が条件となっている。一方、近年では日本の各地でも少ない路線数ではあるが、少しず
つリフト付き路線バスやノンステップバスが走り始めている。

 バート(BART)と呼ばれるサンフランシスコ湾周辺を走っている高速地下鉄は、
全ての駅に地上からホームまで必ずエレベーターが設置してあり、車イスに限らず乳母
車や自転車の持ち込みにも不自由はなかった。電車とホームの間には段差や大きな隙間
が殆どなく、介助者の手を借りることなく車内に乗り込むことができ、各車両には車イ
ス用のスペースが設けられていた。

 日本の大多数の駅にはエレベーターが設置されてなく、重たい電動車イスを駅員に階
段を持ち上げてもらったり、電車とホームの間も広く段差があるため介助してもらい、
周りの人に気を遣いながらやっとの思いで電車に乗ることができるのが現実である。ま
た、たとえ障害者用のエレベーターが設置されていても普段は鍵が掛けられている場合
も少なくなく、利用する際に駅員に連絡をして鍵を開けてもらわなければならないなど
、利用しにくい面があるのも事実である。

 このような交通機関を利用して、ゴールデンゲートブリッヂやフィシャマンズワーフ
などの観光地にも出掛けてみたが、障害者用の公衆トイレや駐車場が必ず完備されてい
て、多くの障害者が当たり前のように観光を楽しんでいた光景も印象的であった。

 このように、街の構造を変え、交通機関の利用を可能にした原動力は、利用を要求す
る障害者自身の行動であったことを明記しておきたいと思う。彼らは市役所の前で、バ
スの前でストライキを起こし、その行為に対して一般市民と同じ様に逮捕を望んだとい
う。そこまでするアメリカの障害者は、「人間として地域で生きる」という強い信念に
基づいており、『権利』という一言では済まされない努力の結果を感じざるを得ない。

 私はアメリカ旅行の体験を通じ、「アメリカの全てが障害者にとって理想的である」
と断言するつもりは毛頭ないが、アメリカの障害者は日本の様にアクセス(交通機関,
建物,街の構造)の問題を心配をすることなく、自由に出掛けることができる社会であ
ることは事実であり、私達が学ばなければならないことも多くあったと思う。


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 F.L.C.(Friendly Life Community)
金子 寿
[E-mail] KN612934@copernicus.or.jp
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    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会