私の訪れたバークレーという町は、1960年代の公民権運動がきっかけとなり、ア
メリカで初めてカリフォルニア州立バークレー校で人工呼吸器を使用する最重度の障害
者を受け入れたのを機に多くの障害者が通うようになり、大学の寮や大学の周辺をはじ
めバークレーに多くの障害者が生活するようになった。現在では、交通機関,街の構造
,制度,市民の障害者に対する理解などが、障害者の自立を可能にしている素晴らしい
町である。
空港からこのバークレー市内のホテルまでは、予約しておいたハンサービス(リフト
付きタクシー)で移動した。車イスで利用できるか心配していたホテルであるが、バー
クレーでは全てのホテルが車イスで利用できるようになっており、入り口に階段や段差
がある場合でも必ずエレベーター(段差昇降機)やスロープが設置されている。ホテル
側は、もし障害者の利用に対して不都合があれば早急に改善しなければならないことに
なっていて、これはカリフォルニア州においては、「どの様な人でも差別してはならな
い」という法律がきちんと守られていることによって実現している。このようにホテル
の対応一つを取り上げてみても分かるように『あらゆる差別の禁止』と『基本的人権の
厳守』は、滞在中に私が体験した全ての面においても徹底されていると強く感じた。
しかし、私の場合はホテルの部屋で生活するためには、1日に最低2回はベットから
車イスへのトランスファーをしなければならず、毎回のこととなると寺田氏1人では負
担が大きいためルーム・サービスを利用することにした。彼らの利用は簡単であり、電
話で部屋番号を伝え「Please help us」で飛んで来てくれ、あとは移動の方法をジェス
チャーで教えればよかったが、チップを多めにはずむ必要はあった。
実際に電動車イスで走ってみたバークレーの街はとても素晴らしく感じた。特に歩道
には『カーブ・カット』と呼ばれる緩やかなスロープが設置されてあり、車道から歩道
への段差を全く心配することがなく、その歩道の幅は広く平坦でありとても走りやすい
構造になっていた。
また、街の中ではとても多くの障害者を見掛けた。電動車イスを利用している人も多
く、アメリカ製の電動車イスの速さにも驚いた。バークレーの片側3車線ある広い道路
を横断した時のことであるが、アメリカの障害者が乗った電動車イスはとっくに道路を
横断し終えているのに、私の電動車イスは真ん中の中央分離帯まで進んだところで、信
号が赤に変わってしまった。この時、日本製の電動車イスの速度が遅いことを実感させ
られた。
レストランをはじめ様々なお店などにも入ってみたが、全てといっても過言ではない
ほど電動車イスでも問題なく入ることができた。余談になるが、数年前にある一人の車
イスの障害者が行った時に、入り口に数段の階段があって利用できなかったため、その
障害者は訴訟を起こした。その結果、レストラン側は数百万ドルという莫大な金額を支
払うことになった。このことは、ただ単に物理的に建物に入れなかったという問題だけ
でなく、障害を持っていても一人の人間として当然の権利『基本的人権』は守られなけ
ればならないと言うことだったそうである。
バークレーを走る主な交通機関は、リフト付きタクシー,路線バス,地下鉄である。
リフト付きタクシーは、前述したようにサンフランシスコ空港からホテルまでの移動に
利用した。ここバークレーでは、バンタスティク(VANTASTIC)というバンサ
ービスの会社が6台のリフト付きタクシーを持っていて、小刻みな予約で市内を走り回
っている。観光や帰りの空港までの移動などでも利用したが、料金は日本でも運行され
ている福祉のタクシーと大差はなく、一日観光などで借り上げると3万円位するが、ア
メリカの障害者には補助制度があり利用しやすくなっている。
しかし、アメリカで先駆的な活動をしている障害者たちは、この様な障害者専用のタ
クシーが増えるよりも、路線バスや電車に差別されることなく障害を持たない人と同じ
様に利用できることを強く主張している。
路線バスは、当時(1990年)既に90%以上のバスにリフトが設置されていたが
、『ADA:障害を持つアメリカ人法』が施行されたことにより、1991年度中には
100%のバスにリフトが取り付けられることになってた。また、車イスを利用するほ
どの障害ではなくて足が多少不自由な人や老人のために、バス全体の車体が低くなるよ
うな工夫もされていた。車内は、一般の座席が車イス用のスペースのために2ヵ所が折
り畳み式になっていて、車イスで通路を塞いでしまう心配はなかった。
日本では、リフトが設置されていなくても車イスのマークを付けた路線バスをよく目
にするが、それは車イスの人が一人で乗れると言う意味ではなく、ただ車イス固定用の
ベルトがあると言う意味であり、車イスで利用する場合は、必ず介助者が付き添うこと
が条件となっている。一方、近年では日本の各地でも少ない路線数ではあるが、少しず
つリフト付き路線バスやノンステップバスが走り始めている。
バート(BART)と呼ばれるサンフランシスコ湾周辺を走っている高速地下鉄は、
全ての駅に地上からホームまで必ずエレベーターが設置してあり、車イスに限らず乳母
車や自転車の持ち込みにも不自由はなかった。電車とホームの間には段差や大きな隙間
が殆どなく、介助者の手を借りることなく車内に乗り込むことができ、各車両には車イ
ス用のスペースが設けられていた。
日本の大多数の駅にはエレベーターが設置されてなく、重たい電動車イスを駅員に階
段を持ち上げてもらったり、電車とホームの間も広く段差があるため介助してもらい、
周りの人に気を遣いながらやっとの思いで電車に乗ることができるのが現実である。ま
た、たとえ障害者用のエレベーターが設置されていても普段は鍵が掛けられている場合
も少なくなく、利用する際に駅員に連絡をして鍵を開けてもらわなければならないなど
、利用しにくい面があるのも事実である。
このような交通機関を利用して、ゴールデンゲートブリッヂやフィシャマンズワーフ
などの観光地にも出掛けてみたが、障害者用の公衆トイレや駐車場が必ず完備されてい
て、多くの障害者が当たり前のように観光を楽しんでいた光景も印象的であった。
このように、街の構造を変え、交通機関の利用を可能にした原動力は、利用を要求す
る障害者自身の行動であったことを明記しておきたいと思う。彼らは市役所の前で、バ
スの前でストライキを起こし、その行為に対して一般市民と同じ様に逮捕を望んだとい
う。そこまでするアメリカの障害者は、「人間として地域で生きる」という強い信念に
基づいており、『権利』という一言では済まされない努力の結果を感じざるを得ない。
私はアメリカ旅行の体験を通じ、「アメリカの全てが障害者にとって理想的である」
と断言するつもりは毛頭ないが、アメリカの障害者は日本の様にアクセス(交通機関,
建物,街の構造)の問題を心配をすることなく、自由に出掛けることができる社会であ
ることは事実であり、私達が学ばなければならないことも多くあったと思う。
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F.L.C.(Friendly Life Community)
金子 寿
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