フィリピン日本人障害者の家(GLIP)滞在49日間
(96年12月15日〜97年2月1日)
麸澤孝さん 
Mr. Takashi Fuzawa of "WORKING QUADS" writer

"WORKING QUADS" homepage

"WORKING QUADS"No.9、10執筆者

麸澤孝さん:『ワーキング・クォーズ』執筆者:東京都
[写真説明:麸澤孝さん。フィリピン・ルセナ]
[ Photo : Mr. Takashi Fuzawa, his Independent Living. ]


フィリピン日本人障害者の家(GLIP)滞在49日間
(96年12月15日〜97年2月1日)



フィリピン日本人障害者の家(GLIP)滞在49日間(96年12月15日〜97年2月1日)

  麸澤 孝


 96年12月15日、私にとって今までやってきた事の集大成でもある「ひとりでフィリピンに行く」という大変な日がやってきました。今まで東京・横浜・大阪・北九州とひとりで出かけてきました。しかし、今回は違います。体力・精神力・知識そして言葉なと問題はたくさんあります。もし「機内でおしっこが出なくなったら」「起立性低血圧が起きたら」そして何より「私を単独で飛行機に乗せるか?」心配でした。約3週間前に万全を整える意味で、以前2度ほど利用しているノースウエスト航空に直接電話し、私の障害の事、電動車イスの事を説明し、チケットの予約をしました。


 12/15 13:00 JR熊谷駅で家族と別れ、高崎線・山手線・総武線と乗り継ぎ、成田空港に16:30 到着。だいぶ早く着いたのでチェックインの前に5階の展望ロビーでコーヒーを飲みながら休憩。さっきコーヒーを買ったコーヒースタンドのおばちゃんが、外人さんと英語で会話しているのには驚いた。17:30 あらかじめ宅配便にて送っておいた荷物を受け取りチェクイン。いつもの通り皆さん待っている中、横から優先的に出国手続きとボディーチェック。途中でポーターが「機内のトイレは狭いですよ。」と、身障トイレを案内してくれ集尿袋のおしっこを捨てもらう。ゲートまで自分の電動車イスで行き、いよいよ搭乗の時、航空会社の車椅子に乗り換えるのかと思ったら電動車イスのまま機内へ、それも前のドアから「あれ?」聞いてみると今日は空席があるので「ビジネスクラスへどうぞ!」超ラッキー。それもドアに一番近い席で、3mくらいを抱えてもらい直接ビジネスシートに。離陸前もジュースとおしぼりのサービスがあり、顔と手袋を外して手まで拭いてくれた。(遠慮したのに %%% )





麸澤孝さん:『ワーキング・クォーズ』執筆者:東京都
[写真説明:麸澤孝さん。フィリピン・ルセナ]
[ Photo : Mr. Takashi Fuzawa, his Independent Living. ]



 19:10 定刻に離陸。スチュワーデスが通路を通る度、代わる代わる声を掛けてくれ、たぶん障害を持った私がこの席に座っている事はすべてに連絡が行っているらしい。水平飛行に移ると機内食が配られ、アメリカ人のスチュワーデスに食事介助をしてもらう。ちなみにビジネスの機内食は、寿司とステーキでデザートはアイスクリームと果物。リクライニングは約45度、足は伸ばせるし、おしっこの流れは良い。これならマニラとは言わず、ニューヨークまで行っても大丈夫。スチュワーデスに「私のような障害者がひとりで利用するときはありますか?」と聞くと「日本人は少ないけどアメリカ発着の便は多い。特に盲導犬を連れた視力障害者が多い」と言っていた。約4時間でマニラ空港着。マニラでも連絡通りゲートで電動車イスを受け取り、ポーターと入国手続きを終え荷物を受け取る。ポーターが「あなたの様なたくさんの障害をもった人がひとりで来るのは初めてだ。」「泊まるところはあるのか?」と聞かれ「友人が迎えに来る」と言うと「危ないから」と待ち合わせ場所で迎えが来るまで待っていてくれた。


 無事にルセナからの出迎えの方と会い、マニラからの3時間も以前とは違い、日本製のワゴン車で振動も少なく快適だった。途中、ココナッツミルクの加工工場の近くを通る度、あの独特の臭いが漂うと「フィリピンに来たんだなぁ」なんて改めて感じる。見覚えのある国道を走り、深夜のルセナ市内を通り抜け、GLIPに朝4時に到着。部屋に入り向坊さんの顔を見た時は正直言ってほっとした。


 施設での生活から急にフィリピンの生活のリズムに対応できるか心配でしたが、季候が良いためかベッドにいるのがもったいないくらいだった。毎日、朝7時に起き、朝食、清式、着替え、マッサージを終え、毎日9時には電動車イスに乗り午前中2時間の散歩。3度目になると周辺の道も覚え、近所に顔見知りも出来、ひとりで散歩しているとみんな声を掛けてくれる。そして、車好きの私にとってハイウエーは絶好の散歩コース。20数年前の日本車が現役で走っているかと思えばベンツやBMWも走っている。屋根にまで人を乗せたバスやフィリピン独特の派手なジプニー(ジープを改造した乗合バス)など、何時間見ていても飽きない。午後にはGLIP所有の農園で、一緒に滞在している頚損の皆さんと雑談をしたり仏教の勉強もした。仏教は難しくて良く分からなかったが、時々話が脱線し皆さんの若いときの話や受傷当時の話を聞けてとても楽しかった。





麸澤孝さん:『ワーキング・クォーズ』執筆者:東京都
[写真説明:麸澤孝さん。フィリピン・ルセナ]
[ Photo : Mr. Takashi Fuzawa, his Independent Living. ]



 今回は長期滞在という事で「どのように体調を維持するか?」もフィリピン滞在の大きな目標でもあったが、出来るだけ電動車イスで動き回わり、お腹を減らしてたくさん食べ、くたくたになるまで1日を過ごし、夜は朝までぐっすり寝る。でも夜9時には眠れなかったが1日があっと言う間に過ぎて、体調の維持に心がけた。


 クリスマスに近ずくと近所の子供達が歌を唄いながら近所の家々を回り小遣いをもらう。私たちは現地でお世話になっている皆さんにパーティに呼ばれたり、24日の夜にはGLIPでもパーティをやり、部屋に入りきれない人達で盛り上がった。やはり、クリスマスの考え方が日本とは違う。31日には近所にある高松さん宅に皆さん集まり「大晦日パーティ?」食事も終わった頃、なぜか停電。フィリピンでは停電は珍しくないが、街灯や家の明かりが消えあたりが真っ暗になると星がとてもきれいに見え、リクライニングを倒して空を見上げると天然のプラネタリューム。これは言葉や文章で言い表せない。秩父も星がきれいで有名だが、こんな素晴らしい星空は生まれて初めて見た。GLIPに帰り、0時に近づくと近所で花火が鳴りはじめ、以前より花火の凄さは聞いていたが、花火と言うより爆弾。破裂する度に顔に風圧を感じ首が疲れるほどで朝方まで鳴りやまず、この花火がフィリピンの新年の習慣だそうだ。寒くないクリスマスと新年を迎え何だか不思議な気分。私の以前からの夢だった、フィリピンでクリスマスと新年を皆さんと迎えることが出来た。


 フィリピンで新年を迎え滞在も約半月になった。1/5には小型バスを1台貸し切り、ルセナから約3時間のインファンタという木彫りで有名な街に電動車イス6台・アテンダント数名で出かけた。木彫りの製作現場を見学したまでは良かったが雨に降られて、それが私を含め皆さんが体調を崩すきっかけになり、ひとりが治るとまたひとりが風邪をひき、皆さん電動車イスに乗らない日も増えてきた。


 1月も中旬になり4週間に1度のカテーテル交換(膀胱瘻)の時期になり、予め泌尿器科の診察日を確認し、ジプニーで私とアテンダントでルセナ市内の病院に向かった。昨年の滞在中に長期滞在の準備のため同じ病院でカテーテル交換のための診察を受けていたが、こんなに早くカテーテル交換する機会が来るとは思わなかった。病院は待合室などなく車椅子の人、ギブスを巻いた人など多くの患者が廊下や外で待っている。20分すると名前を呼ばれ、手術台のような診察台にドクター自らトランスファーを手伝ってくれ、アテンダントに冗談を言いながら、まるで以前より主治医だったくらい、スムーズに交換してくれた。抜いたカテーテルの先に付いた異物を指さし「これに注意しろ」と水分を多めに取るようにと言ってくれ、最後に私が「このカテーテルはこの病院にあるか?」聞くと「もちろん、ここは病院だよ!」と笑顔で答えてくれた。帰りに薬局を覗いたが日本のメーカーの医療器具や薬の箱があったり、救急車で急病人が来たり、建物は古かったが玄関の拳銃を持った警備員を除けば日本の病院と同じ気がした。今回の診察料はカテーテル持ち込みで300ペソ(約1350 ! $B1_!&F|K\$G$OJ]81$,Mx$$





麸澤孝さん:『ワーキング・クォーズ』執筆者:東京都
[写真説明:麸澤孝さん。フィリピン・ルセナ]
[ Photo : Mr. Takashi Fuzawa, his Independent Living. ]



 1/15にはルセナ市内にあるダラヒカンという港に電動車イス6台で出かけ、体温調節の出来ない頚損者が炎天下の中、約2時間走り続けた。みんな辛そうだが何故か頑張れてしまう。もし、日本でしたらすぐギブアップして、コンビニや銀行に逃げ込んでしまうだろう。しかし、そんなのあるわけないが、通過していく車や色々な店や建物を見ながら走ったり、沿道で手を振る人達や、電動車イスについてくる子供達を見ていると、いつの間にか走りきってしまう。それが、フィリピンの良いところかも知れない。アテンダント達は近くの砂浜で泳ぎ、お昼にはバーベキューをした。帰りも約2時間電動車イスで帰り、上肢の少々動く人に水を飲ませてもらったり、顔を拭いてもらったり皆さん助け合いだ。確かに辛い時もあるがGLIPに着いた時の壮快感は日本では味わえない。


 以前、私は2度ほどフィリピンに滞在している。その時は日本人の介助者と一緒で、フィリピン人アテンダントに介助をお願いし、言葉がうまく伝わらない時だけ補足的に日本人介助者にお願いした。しかし、今回は100%フィリピン人のアテンダントに頼まなくてはいけない。そのため、時にはぶつかる事もあった。ちょっぴりのタガログ語と、少しの英語では食い違いが出るのも当然だが、私もカテーテルの管理や褥瘡を作らないよう体調維持に必死で、細かいことを言い過ぎたかも知れないが、時には本気で言い合ったこともあった。(もちろん英語で・・・)喧嘩をしても日本人だとその日は一日気まずいが、30分もしない内に部屋に入ってきて頼んでもいないのに、私の爪を切りはじめたり自分の子供の頃の写真を見せたりする。まったく、よく分からない。でも、今から思うと「これも勉強のひとつかなぁ」なんて思っている。





麸澤孝さん:『ワーキング・クォーズ』執筆者:東京都
[写真説明:麸澤孝さん。フィリピン・ルセナ]
[ Photo : Mr. Takashi Fuzawa, his Independent Living. ]



 1月も終わりに近づき帰国が迫ってきた。滞在最終週にはルセナの港より船でマリンドーケという島にでかけた。電動車イス5台、ポーターに持ち上げてもらい高速船に乗り込み、約2時間の船の旅だ。港に着くと皆さん初めて見る電動車イスに大騒ぎ。港から街までジプニーで行くのだが、日本人だと高額な料金を提示してくる。2時間位ねばり向坊さんが半額にまけさせ、やっとジプニーに乗り込む。街に着いて市場を散策していると「電動車イスの日本人」にどこへ行ってもすぐに黒山の人盛りになってしまう。夕食を済ませ、その日は薄暗いようなホテルに泊まった。翌日、午前中は海に行き、昼食は向坊さんが以前より学費を援助している、マリッサというポリオで車椅子の女の子の家に招待された。そこでは近所の人達も集まり、歌を唄ったり花を貰ったりの大歓迎を受けた。日本とはちょっと違う生まれて初めての歓迎に涙をこらえるのが必死で、これだけでもフィリピンに来た甲斐があったくらいだった。港までマリッサ家族が送ってくれ、同じ高速船でルセナに向かいGLIPに着くと19時を回っていた。


 これ以外でもルセナ市内に、買い物に行ったり映画を見に行ったり、そして毎日のようにGLIP所有の農園に出かけた。GLIPに居ると一日一日これと言って同じ日はない。現地の人が向坊さんに問題を持ちかけたり、毎日色々な人が訪ねて来て名前を覚えるだけでも大変だったが、今回は長かったこともあり沢山の友達が出来た。


 2/1いよいよ帰国の日が来た。GLIPを朝3時に出発し、マニラ空港に6時着。来るときは無我夢中で来てしまったが帰りは少々緊張した。それは、マニラ空港は警備のため旅行者以外は入れず、空港入り口で大きな荷物と共にひとりになる。荷物チェックの後、ノースウエストのカウンター直行し、電動車イスのままゲートに行きたい事と、機内で食事介助が必要な事をなどを告げ、ポーターと一緒にゲートに。帰りはビジネスクラスとはいかなかったが、機内でお世話をしてくれたスチュワーデスは日本人で、英語で話しかけようと期待していたが「ホッとしたような、ガッカリしたような」気持ちだった。成田に着き、無事に電動車イスと荷物を受け取る。「日本の冬がこれほど寒かったのか?」と錯覚するくらい、寒かった。荷物を宅配便に預け、地下ホームにから京成線に乗り込む。大きなスーツケースや沢山の土産を持った旅行客の中、真っ黒に日焼けし電動車イスでひとり帰る自分が、すごく嬉しく思えた。


 約7週間、フィリピンに滞在したが終わってみると「あっという間」で3週間くらいに感じ、今回は「楽しかったぁ」は元より「勉強になったぁ」の方が大きく感じた。一番嬉しかったのが空港や飛行機内で介助者の無い重度障害者の私を、何の偏見なくひとりの旅行客として迎えてくれたことだ。今だから言えるが、ある程度のトラブルは覚悟していたのだが、移動中もGLIPでも楽しく過ごせた。私のような「重度障害者がひとりで海外に行く」確かに危険であり「なぜ、ひとりで行くの?」と聞かれても返す言葉がないが、マニラ空港で注目を浴びながらひとり電動車イスで待っている、あの気持ちがたまらない。時には辛く、寂しく、心細い時もあるが、なぜか、また出掛けてしまう。でも今回の滞在が、これからの私にとって本当に大きな自信につながったと確信している。





フィリピン、G.L.I.P.




 フィリピン3回目の滞在を終えましたが、今の私にとってフィリピンは、観光であり、勉強の場であり、気分転換の場所です。向坊さんに「散歩、行って来ます」の一言で外出し、行こうと思えばいつでも街に行ける。時間や厳しい管理の中に縛られている私にとって、改めて「自由」の大切さを感じます。今回滞在してみて、医療設備や食事など健康管理の面から見れば、私のような重度の頚髄損傷者でも長期の滞在も可能ですが、気温の変化に耐えられる体力と、電動車イスの自分の足のように扱え、自分の要求や体調の変化を感知し、それを的確にアテンダントに伝えられないと厳しいかもしれません。私も初めてフィリピンに行った時は、食事も喉を通らず体調を崩してしまい、楽しむどころではありませんでしたが、2度目・今回と滞在し、やっとフィリピンの良さ、大変なこと、そして楽しみ方が分かりかけた気がします。これから時間が経ちフィリピンという国の考え方が、私にとってどのように変わってくるか自分でも楽しみです。


 ひとつ心残りなのは前半にお金を使いすぎ、お世話になった現地の皆さんに十分お礼が出来なかったのが悔やまれます。


 向坊さん、高松さん、藤森さんを始め、一緒に滞在した松下さん、浜洲さん、そして現地の皆さん、ありがとうございました。またフィリピンでお会い出来るのを楽しみにしています。



"WORKING QUADS"No.9、10執筆者
麸澤孝さん:『ワーキング・クォーズ』執筆者:東京都

[写真説明:麸澤孝さん。1997頚連全国総会in大阪]
[ Photo : Mr. Takashi Fuzawa 1997 Osaka,Japan Association of the Quadriplegics. ]





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  麸 澤 孝 TAKASHI FUZAWA


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(1997年12月11日、『ワーキング・クォーズ』編集部に電子メール原稿がで到達。)



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清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会