WORKING QUADS

藤森稔尚さん・"Working Quads"執筆者

藤森稔尚さん


 ◆ フィリピンへ・初めての飛行機旅行



 昨年12月3日にフィリピンに出発しました。初めての海外旅行にしては約5ヶ月間と欲張り過ぎた感もありますが、心配をよそに、あっという間に日日が過ぎました。また異なった文化にも触れることができ、喜びと共に機会を与えてくださった人たちに感謝しています。

 では、出発から記憶をたどってみます。PM2時、福岡空港国際線ロビーに着く。 機内では座席に移してもらっていると、美人のスチュワーデスがニッコリ笑って、 Can you speak English? ときました。 A little. と答えると、フィリピンのどこに行くの?滞在期間は? どうにか答えて I'm for the firsttime to travel abroad and to fly.って言ったら、 If you need special help,soon call me. Okay? Understand? と親切に言ってくれました。

 初めての飛行機だから、離陸・旋回しながら上昇するときは、窓から建物の屋根が大きく見下ろすように見えて感動しました。ボーイング747が安定飛行にはいると、景色は変わらないし意外につまらない雲の空ばかりです。 フィリピンまで正味3時間のフライトです。到着30分前の機内アナウンスのころには、南下したせいか、たくさん着込んでいた衣類が暑いくらいでした。着陸前、大きく旋回しながら高度をさげるとき、一直線の道路の街灯やネオンが見えて、「とうと う来てしまった……」という感じ!

 GLIP(日本人身障者の家)はマニラ空港から高速道路1時間半、国道を2時間の約3時間半の距離です。乗用車タイプのタクシーなら3時間で着くかも。ルセナ市中心部から約3kmで、わりといい家が多い区画された分譲地にあります。

 電気は220Vで、変圧器を使えば100Vに落とせるから日本製の電化製品も大丈夫です。でも、まちがえて壁の220Vコンセントに差し込めば、瞬時にパー(^_^)変圧器は550ペソ(1ペソ約4円)。初めてノートパソコンを使うときはちょっと心配でした。移動用に滑車とロープの原理を利用したリフターもあります。向坊さんの部屋には、造りつけの天上走行型リフターがあり、レールとチェーンブロックで作った優れものです。

 ヘルパーは彼女らの部屋に泊り込みで、朝7時から夜9時過ぎまで介助してくれます。仕事は料理・掃除・清拭・排泄・シャワー・関節運動などです。洗濯・買物は外部の人がやっていました。彼女たちが作るフィリピン料理の中にも美味しいものがありましたよ! 味噌・その他の調味料も日本から持ち込んでいるので、そう違和感はありません。始めはご飯がパサパサしてまずい、油がココナツ油だから独特な臭いがする……と感じていましたが、そのうちに慣れてなにも感じなくなりました。

 排泄=座薬を入れトイレに移って。シャワー=ビニール製の車イスを使って1日置きに。清拭=朝晩ぬるま湯の入った洗面器を2つ用意して(片方は石鹸水)、きれいにしてもらいました、もちろんシャワーの日の朝はパス。エクササイズ=朝晩回数を決めて四肢を動かしてもらい、清拭とエクササイズで約1時間くらい、家ではとてもこんなことは望めません。母がくたばってしまいます。

 5ヶ月あまり英語を勉強して行きましたが、それなりの成果があったようです。英語が話せるかどうかというより、これしか伝える手段がないのですから……知っている単語を並べて……でも、その気になればどうにかなるものです。1回めは聞き取れなくて何度も聞き返すようでも、次は「あ、あれか」という感じで耳が慣れてきます。自分が一生懸命伝えようとするように、相手もどうにかして理解してあげたいと思って聞いているわけですから。それに1週間もすると彼女たちが、自分の生活パターンを覚えてくれて、「明日はトイレの日だから下剤を飲んで」というようになります。

 今回はコンテナーの船便で一度に68台の中古車イスが日本からGLIPに届きました。食堂に運び込まれ、山積みにされていたときは、2〜3年は大丈夫だろうと思われましたが、脳卒中・小児麻痺・ポリオ・リューマチ・脊損・頚損とたくさんの障害者が来てアッという間になくなり、受け取った人たちはもちろん一緒に来ていた家族もたいへん喜んでいました。もらった車イスを嬉しそうにこぐ子供、わが子を微笑んで見つめる母親、見ている私まで嬉しくなるような心温まる光景でした。

 滞在中に買物・ピクニック・国内旅行・お客さんを迎えに空港にと17回くらい外出し、いろんなところを見ることができました。町には食材・日用品・電化製品までなんでもあるって感じ。マーケットの中に入ると小さな店がたくさんあり、雑貨・米・干物・野菜・理髪店・肉・魚・衣類、とにかくなんでもあります。決して綺麗とはいえませんが、発展途上国の民衆の力強さを感じました。始めはどこでも言い値で買っていましたが、女の子がデパートは駄目だけど他の店では値切れというから交渉すると、ものによっては10〜20%くらいまけてくれました。

 両替は町の闇両替所で、為替をじかに体験できます。着いたころは1万円=2,550 ペソでしたが帰るころには1万円=2,400 ペソに。闇の両替といってもガードマンが警備しており、公然とやっています。路地裏のやばいようなところではありません。客が多く金の集まりそうなところには、必ずといっていいほどショットガンを構えたガードマンがいます。ショットガンは映画の中だけというイメージがありますから、初めて見たときは驚きました。申請すれば銃が持てる銃社会の弊害ですね。

 『歎異抄』の勉強会の後、いろんな話をしたり、将棋・囲碁・マージャン・散歩と退屈するようなことはありません。『歎異抄』は仏教の本で、内容は難しいですが、多少は理解できたような気がしています。仏教の勉強といえば変にかたぐるしいような気がしますが、人の本質・自分自身を知るためのものと感じています。とても有意義な勉強会でした。

 自活を目指すには料理の知識も必要ですね。家計簿をつけて、食材の呼名・値段はだいぶ覚えました。魚売りのおばさんと値切りの交渉をしたり……けっこう楽しくやっていました。3食とも食後のデザートに果物をつけるので、5ヶ月の滞在で3年分くらいの果物を食べたような気がします。

 4月28日、AM5時にGLIPを出発。マニラ空港の中で1人になるのが心配です。9時過ぎに空港内へ。Fuji-san, come back again! とヘルパーが涙ぐみます。5ヶ月近く世話になると情も移るし、別れが辛く、日本に帰るというのがなんだか信じられない変な感じでした。

 ボディーチェックの時、尿器を袋に入れて車イスのブレーキのところにぶらさげていたら、これは何かと聞くから、「ユリナール(しびん)」と答えたら通じないみたいだったので、“イヒ(尿)”といったら開けようとしていた手を止めて放り出すように手を離し、笑いながらOKと通してくれました!ついでに「ウンコ」は“タエ”「私」は“コ”ですから、妙子さんがフィリピンで自己紹介をしたら笑われるかも。

 ポーターが車イスを押してくれて手続きも順調にいきました。こういうときは健常者より障害者のほうがならばなくていいから早く済むみたいです。乗る前に小便がしたいといったら薄暗い身障トイレに連れていってくれました。中には掃除夫かトイレ係かしらないけど4人いて手助けしてくれました。 空港内は冷房を寒いほどきかしてあるから、体が固くなり、チャックをおろすのに手間取っていると、彼らがチャックをおろしパンツの窓まで開けてくれ……終わったら手を拭けとトイレットペーパーを水で湿らせて手渡してくれたり大サービスでした。果たせるかな、チップを請求され、1人10ペソずつ払いました。ちょっと異様な体験でした!    あれが女性なら……。

 搭乗の係員が迎えに来てくれて機内に。福岡空港と違い、ここまで自分の車イス。貴方の車イスですかと聞くから、Yes, it's mine! 11:25定刻に離陸、午前中で天気も良かったから上昇する際の景色は最高でした。ワインにウイスキー・昼食も平らげていい気分で昼寝。到着30分前の機内アナウンスで目が覚めるまで熟睡。

 PM3:30(ここからは日本時間)帰国、手荷物を受け取るところで自分の車イスに乗り換えたいといったらないというんです。ビックリしましたよ。酔いがいっぺんに醒めた! 他の係員が、マニラからテレックスで忘れ物があると連絡が来ているというんです。紛失物の書類を書いて、日本航空の車イスとクッションの代わりに大きめの枕みたいなのを借りて、母と合流。空港職員が「乗り心地はどうですか? 外人さんでも楽に乗れるように大きめに造ってあるんですよ!」冗談じゃないよね……。地下鉄で博多に着いたときには、尻がビンビン状態……。広島経由で家に着いたのは9:30でした。車イスとROHOクッションは6日後に届きました。

 行く前はいろいろ心配もありましたが思い切って行って良かったです。同じ時代に生きているのに日本は豊かな国です。でも、多少苦労はあってもフィリピンでなら自分が失ったなにかを取り戻すことができそうな、また、自立の芽をこの国でなら自分で育てられるような予感がしました。次回もGLIPに滞在させてもらうことにしました。「あれをしておけば……」と後悔しないように、今一番いいと思うことにトライしていきたいです。 1996.07.31.




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