WORKING QUADS Overseas
Mr. Max J. Starkloff
マックス・スタークロフさん

written by
Kazuo Seike, President,
Research Association on the Work of persons with severely disabilities;


 【事例8:C3・4・5損傷者】


 ILMにおいて,他の障害をもつ人々のために
管理職として働く事例.






 1937年,セントルイス生まれ.男.1959年,22
歳の時,交通事故でC3-5を損傷し頚髄損傷者と
なった.メディカルリハビリテーションセンター
の初期治療終了後,自宅退院して,母親の介助で
生活していた時期もあったが,両親が離婚し,経
済的,身体的理由から,その後ナーシングホーム
へ入所し,約10年間そこで生活していた.


 1973年,理学療法士の女性と結婚し,1975年
ナーシングホームを出て,その女性と生活を開始
した.彼は,結婚しても子供をつくる能力がないこ
とを彼女に話し,彼女の了承を得て結婚した.そ
の子供に関しては,養子縁組で彼女の要求に応え
ている.米国の裁判所に対し,夫婦で子供を育て
る能力があり,しかも子供にとっても良い環境で
育てられることを申し立て,納得させて養子縁組
を行った.1991年10月現在,3組の養子縁組を
完了し,11歳長女,5歳長男,2歳次女の3人の
親である.


 生産活動の場所と内容は,パラクォッド所長と
して,セントルイスのC.I.L.に出勤し,障害をもつ
人々へのサービス提供業務の管理職として勤務し
ている.パラクォッドの職員は25人であり,障
害を持もたない人に対しても,教育などの仕事をし

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ている.


 就労形態は,雇用,代表者,


 生産活動の経緯は,1970年ナーシングホーム
に入所中,障害者の自立生活サービスを目的とし
たパラクォッドをセントルイスに設立した.1973
年リハビリテーション法が成立し,1973年に結
婚,1975年ナーシングホームから出た.1978年
にカーター米大統領がリハビリテーション法改正案
に署名したことにより,1979年連邦政府の資金援
助を得た.1979年リハビリテーション法に基づ
く資金援助,年30万ドルを連邦政府から得るこ
とができ,同時にセントルイス大賞も受賞したた
め大企業の資金援助も受けやすくなり,パラクォッ
ドの財政的基盤が確立された.1986年6月まで,
自立生活全国評議会(NCIL)の初代代表.


 住居と通勤,通学手段は,4階建てのエレベー
ター付きの木造住宅と,セカンドハウス.移動手
段は,電動車椅子とリフト付1ボックスカーであ
る.


 日常生活は,7時に電動車椅子に移乗し,夜11
時にベッドに上がる生活である.自立生活支援機
器としては,電動リクライニング車椅子,リフター,
マウススティック,スピーカーホン,リフターな
どを利用している.


 彼も要介助者であり,身体的介助は有料介助者,
配偶者,パラクォッド職員から受けている.朝2
時間,晩30分の介助の他,出勤中パラクォッド
の秘書や職員から受ける介助(物を取ったり,運
んだり,排尿処理)などを考慮すると,実質1日
5時間の人的介助を必要とする頚髄損傷者である.


 パラクォッドの所長として働く収入で家族の生
活を支え,4階建てのエレベーター付きの住宅と
セカンドハウスを持つ生活である.


 生産活動支援機器は,パラクォッドが彼のオフィ
スとして機能している.パラクォッド内で,パソ
コンをマウススティックで操作する.


 勤続年数と現在の生産活動時間は,1970年の
パラクォッド設立以降,21年間の勤続年数であ
り,1979年に連邦政府の資金援助を受けての活
動以降は12年間である.パラクォッドでの執務 改段

時間は,1日10〜12時間である.


 生産活動による発病,再入院はなく健康であ
る.長時間の坐位を可能にするため,殿部の褥創
対策としてローホークッションを使用している.