Overseas Working Quads
The Death of Mr. Edward V. Roberts
 エド・ロバーツさんの死
元・World Institute on Disability(WID)(世界障害問題研究所)代表
written by Kazuo Seike, President, Research Association on the Work of persons with severely disabilities;
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エド・ロバーツさんの死
The Death of Mr. Edward V. Roberts
Born January 23, 1939; Died March 14, 1995

清家 一雄、代表 重度四肢まひ者の就労問題研究会
Kazuo Seike, President : Research Association on Work
『ワーキング・クォーズ』No.10、p.2、1995年3月



写真説明:1986年、Edward V. Robertsの家の前で。
Edはリスピレーター付きの電動車いすに乗っていた。

エド・ロバーツさんのホームページ(米国のポリオ後遺症関係のホームページ)(英文)

写真説明:1985年12月、CIL バークレーでのクリスマス・パーティで。
Edの隣は、マイケル・ウインター(当時、CILバークレー所長)。


 1995年3月16日(米国)、ポリオ後遺症による人工呼吸器依存の重度四肢まひ者であり、自立生活運動の世界的に認められたリーダーであったエド・ロバーツさん(以下、エド)世界障害問題研究所(World Institute on Disability)代表が自宅で心臓まひのため亡くなられました。56歳でした。心よりお悔やみ申し上げます。

 エドは、ぼくが、1985年〜1986年、広げよう愛の輪運動基金の「ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業」により、米国留学の機会を得たとき、米国の介助者サービス事業と自立生活運動の調査研究において、学んだ人々の中でも最も大きな存在だった。

 最初にエドと直接に会い、話をしたのは1985年12月9日の CIL バークレーでのクリスマス・パーティだった。エドは既に日本でも有名だったし、僕もエドの書いたものやエドについて書かれていたものを読んでいたが、実際に会ったときの印象は鮮烈だった。







写真説明:1986年、Edward V. Robertsの家で。
Edは鉄の肺に入っていた。


 電動車いすに乗って呼吸補助装置を使わなければならないほどの四肢まひの重度身体障害者だか、快活で力強く、よく話をし、自信に溢れていて、頼りになりそうなタフな障害者だ、という印象だった。

 エドの家にも2回訪ねて行って話をした。よく電話でも話しをしていた。エドの書いた本・文章を貰って読んだりもした。エドが代表をしているWID に行き、WIDが出版したペーパーの文献研究をすることと、そこのスタッフとミーティングすることは、僕の留学研修活動のひとつだった。

 「もしあなたがあなた自身を好きになれないのなら、他の人々はあなたを好きにならない。障害を持つ人々が彼らの障害を好きであるかそうでないかは別のことであり、彼らは彼らの障害と一緒にうまく生活する方法を学ばなければならない」。つねに笑顔を絶やさないエドの言葉のなかでもぼくの印象に残ったものだった。

 また、1991年に、トヨタ財団1990年度の研究助成「高度技術社会の進展と外傷性重度四肢まひ者の生産活動参加過程に関する日米比較研究およびハイテクの活用による新しい可能性に関する研究」による米国の調査研究旅行で、21世紀に向けての自立生活カンファレンスにおいて、エドと3日間にわたり話をすることができた。


 エドが創設者の一人である1972年設立のCILバークレーは、障害者の自立生活運動を生み、世界中に広がった400以上の自立生活センターのモデルとなった。1995年現在も、CILは、障害をもつ人々が自立生活を行なうことを可能にする基本的な中核のサービスたちを、提供し続けている。

 エドは、人生の途中で体がマヒしてしまい、鉄の肺、電動車いす、リスピレーターなどを使わなければ生きて行けないほどの重度身体障害者だったが、人間が本来持っている無限の素晴らしい可能性を追求・展開して、アメリカの社会を変えた、自立生活運動の創始者の一人だと思う。

 [略歴]
1939年、カリフォルニア州、生まれ。
1953年、14歳の時にポリオの障害をもった。
1962年、カリフォルニア州のアテンダント・ケア立法を利用しカリフォルニア州立大学バークレー校に入学。
1969年、政治学博士号取得。
1972年、CILバークレー設立。
1973年〜1975年、CILバークレー所長。
1975年〜1983年、州知事の任命によりカリフォルニア州リハビリテーション局局長。
1983年、世界障害問題研究所設立。
1984年、マッカーサー基金「ジーニャス・グラント」(25万ドル)( MacArthur Foundation "genius" grant )を受賞。
1995年現在まで世界障害問題研究所の代表。
結婚し、17歳の息子リー Lee さんがいます。
1995年3月、永眠。


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清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会