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児玉 良介 さん
Mr.Ryosuke Kodama, "WORKING QUADS" guests
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米国留学記1

こだま りょうすけ
児玉 良介
ダスキン障害者リーダー育成海外留学派遣事業16期生
セントルイス・PARAQUAD留学研修予定
北九州自立生活推進センター

児玉 良介 さん:『ワーキング・クォーズ』ゲスト:北九州市

[写真説明:児玉 良介 さん]
[ Photo : Mr. Ryosuke Kodama ]


 お元気でしょうか。研修先のパラクォードは昨日のクリスマスイプから休暇に入り
、仕事始めは来年の一月二日からです。今日クリスマスはさすがにどこもかしこも閉
まっています。私はというとテレビをちょこちょこ見ながら、こうして手紙を書いて
います。数か月前の手紙では、それまでのトラブル続きの私の生活ぶりをご報告しま
したが、今回は私のアデンダント、ルームメイト、パラクォードでの研修、そこのス
タッフ、そしてセントルイスのことなどを書きたいと思います。

 現在私はパラクォードヘは月曜から金曜まで行っています。一日の生活は決まって
朝六時にアテンーダントのミルトンが、「オハヨーゴザイマス」といいながら部屋の
ドアを開けることから始まり、着替え、朝食、弁当作りなどをします。大体八時すぎ
にコール・ア・ライド(リフト付きバン、片道二ドル)が迎えにきてパラクォードへ
向かい、帰りもやはりそれを利用します。パラクォードを出るのは大体五時ごろで、
アパートに着くのは五時半くらいです。六時半にはミルトンがやってきて入浴か排便
をすることになっており、彼が帰るのは毎日九時で、「オヤスミナサイ」と必ず言っ
てドアを出て行きます。
ミルトンは身長は約百七十五センチ、年齢は六十二才、白髪で、太ってもやせてもな
く、性格は几帳面で、よく気がつき、陽気で、親切で、ほんとにアテンダントとして
申し分のない人です。彼は私のことをメイン・マン(親友)と言ってくれます。私も
彼のことが大好きで、とても信頼しています。夜の介助はロバートとという二十二才
の白人も雇っていたのですが、OT(オキュペイショナル・セラピスト)として仕事を
始めるため、一週間ほど前に辞めました。新しいアテンダントが見つかるまで、ミル
トンが毎朝毎晩くることになっています。

さてパラクオードではなにをやっているかというと以前までは資料を読んだり、パ
ラクオードのサービスを利用している障害者に会って話を間いたり、会議に参加した
りすることでした。最近初めて貴任ある仕事といいわたされ、今はそれで忙しくして
います。パラクォードは介助者派遺サービスを行っているのですが、それを利用して
いる障書者は五十八人だけで、利用の順番待ちをしている人は二百人近くいます。そ
れは州からそのサービスに降りる予算の関係によるものですが、パラクォードは予算
増加のために、ロビー(政策立案者に対して議案通過・阻止、予算の増加などを要求
する活勤のこど)を予定しており、政策立案者に会った際に、サービスの順番待ちを
している障害者の写真と、現在置かれている状況を書いた「ストーリー」を彼らに見
せることを計画しています。つまり、順番待ちをしている障害者が、いかにひどい状
況で生活しているかということを具体的に彼らに示し、予算増加の必然を訴えること
が狙いなわけです。私の任務というのは、その「ストーリー」と写真を集めることで
す。養護施設で暮らしながらサービスの順番待ちをしている障害者を訪れ、彼らの話
、例えば「施投では十分な介助が得られず、体にはじょくそう(床ずれ)ができてい
る」とか、「サービスを利用できないため、幼い子供たちと離れ離れに暮らさなくて
はいけない」などの話を間き、一人ずつ文章にまとめるわけです。今のところは、三
十人ほどの「ストーり−」を集めることになっています。英語は相変わらず苦手なの
で、テープレコーダーを持っていき、会話を録音し、理解できなかったところはくり
かえし聞いています。まあ、それほどたいした任務ではないのですが、今までパラク
ォードのサービスやプログラムを見たり聞いたりするだけで、手伝うというのではな
かったので、私としてはそれなりに責任を感じているわけです。

児玉 良介 さん:『ワーキング・クォーズ』ゲスト:北九州市

[写真説明:児玉 良介 さん]
[ Photo : Mr. Ryosuke Kodama ]

 パラクォードのスタッフはみんなよい人たちばかりで、とても親切にしてくれます
。三十五人いるスタッフの半数は障害者で、頚損、脊損、脳性麻痔、ポリオ、筋ジス
、聾唖、弱視、小人症と、ほんとに様々な障害を持った人たちがいます。パラクォー
ドは最初の自立生活センターであるカリフォルニアのバークレーCILとはぼ同じくら
い古く、設立されて二十五年以上なります。設立者のマックスは現在約六十才ですが
、二十一才のどき交通事故で頸損の障害者になり、以後十年以上養護施設での生活を
余儀なくされました。pT(フィジカル・セラピスト)だったコリーンと結婚した後、
施設を出てアパート暮らしを始め、以後三人の養子、養女をもらい、今では三階建て
でエレベーター付きの大きな家に住んでいます。マックスがパラクォードを作った頃
というのは、重度の障害者が施設で暮らすのは当たり前で、建物の入り口や歩道は段
差だらけで、交通機関も車椅子ではどれもとても利用し辛かったにちがいなく、それ
に比べれば、障害者向けに改造された交通機関、住宅、介助者派遺サーピスなどが存
在する現在の障害者をとりまく環墳というのは、夢のようだといえるかもしれません
。コリーンという妻、三人の子供たち、車椅子で利用可能な家・車、そして障書者が
ずっと住みやすくなった現在のセントルイスどいうのは、マックスの一つの夢の形で
あったのではないかという気がします。それは人間が望むごく当たり前のもので、し
かし、それを手に入れるために、彼がどれほどの努力をしてきたかというのは、察し
て余りあるものがあります。研修先の所長であるからというのでなく、私は彼をほん
とうに立派だと思うのです。
さて、ルームメイトのスチュアートもパラクォードのスタッフだったのですが、五月
に辞めて、今は大学院で勉強をしています。彼は白人で、年は三十五才、ユダヤ教徒
で電動車椅子に乗っています。障害はマルティプル・スクラローシス(multiple
Sclerosis)といって日本名は何と言うのか知りませんが、脊髄を侵す進行性の病気
だとか言っていました。今のところ両手はなんとか動かすことができ、物を取ったり
することもできるのですが、手勤の車椅子をこぐことは無理という状態です。少しだ
らしないところもある人ですが、ユニークで楽しい人です。
私たちのアパートは、ダウンタウンに割りと近いところにあり、メトロリンクという
電車の駅(メトロリンクは電車の名前です)がすぐそばにあります。それに乗ればダ
ウンタウンのショッピングセンターや、野球のスタジアム、アーチ(セントルイスに
はアーチ状の巨大な建造物があります)などに行くことができます。メトロリンクは
整僧されてまだ二年足らずで、すべての駅にはエレベーターが完備されており、ホー
ムと車両の段差、隙間もほとんどといっていいほどなく、車椅子でも容易に利用でき
ます。
アパートの周りには、メトロリンクの駅の他に、インド系アメリカ人の経営するコン
ビニやピザ屋、小さなレストランが二店、ファーストフード店、それに郵便局、銀行
、薬局、散髪屋などがあります。また、フォレストパークというニューョークセント
ラルパークのように大きな公園がすぐそばにあり、その中には美術館、歴史博物館、
科学館、ゴルフコース、広大な池などがあります。広すぎて歩いて見て回るのはとて
も不可能です。公園の内部、周辺だけを走っているバス(車椅子のリフト付きです)
があり、それに乗れば、美術棺や勤物園の入り口まで行けます。

さて、アメリカでの生活の中で一番感じることは、この国の「国土の広さ」「資源の
豊かさ」といったものでしょうか。私のアパートも含め、建物の部屋や廊下は日本の
ものに比べてかなり広いです。歩道、車道なども広く、無料の駐車場も至るとろにあ
ります。また、食料品、衣類などの物価は安く、地価、賃貸費などもずっと安いよう
に思えます。「国士の広さ」「資源の豊かさ」などの良い面がある一方で、「犯罪の
多さ」という悪い面もあります。お金を盗んだことでアテンダントを解雇したという
のは、前回の手紙で書きましたが、スチュアートもまた同じ理由で九月にアテンダン
トを解雇しました。そのアテンダントは財布から現金を抜き取るだけでなく、小切手
を盗みスチュアートのサインをまねて換金までしていました。「道を歩いてても用心
しなくちやいけない。障害者だからバッグをひったくられないなんてことはない」友
達の一人はそう言っていました。

さて、残りのアメリカ生活も三か月足らずどなりました。ここに至って思うのですが
、やはりアメリカは障害者にとってとても住みやすいところです。電車、パス、コー
ル・ア・ライドなどの公共交通機関はどれも車椅子の障害者が利用できます。また、
スーパーマーケット、レストラン、書店、美術館、図書館などはほとんどと言ってい
いほど入り口の段差はありませんし、それが大きめの建物であれば、自勤ドア、身障
者向けトイレなども完備されています。さらに日本人の私からしてみれば、安い物価
という大きなメリットがあり、広いアパートとというのも、車椅子利用者の私にどっ
てはかなりのメリットです。言楽や習慣の違いを除いても、これらのメリットはかな
りのものだといわなければなりません。では、もし可能ならここにずっど住みたいか
というと、やはり「ノー」なのです。家族、友違がいることが一つの大きな理由です
が、一番の理由は、私のやりたいことがアメリカではなく日本にあるということです
。日々の生活の中でよく考えることというのは、日本に帰った後、北九州自立生活推
進センターのことを、また自分自身のことをどう変えていくかということです。二十
五年前、マックスの夢がセントルイスにあったように、私の夢は北九州にあります。
いつかマックスのように自分の夢をかなえるのだと、心の奥で強く思っていたりする
のです。

平成九年十二月二十五日


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    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会