児玉 良介 さん・"Working Quads"ゲスト
Mr.Ryosuke Kodama, "WORKING QUADS" guests
児玉良介さんのプロフィール−自己紹介とアメリカ留学に行く理由−
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児玉良介さんのプロフィール
−自己紹介とアメリカ留学に行く理由−


こだま りょうすけ
児玉 良介
ダスキン障害者リーダー育成海外留学派遣事業16期生
セントルイス・PARAQUAD留学研修予定
北九州自立生活推進センター

児玉 良介 さん:『ワーキング・クォーズ』ゲスト:北九州市
[写真説明:児玉 良介 さん]
[ Photo : Mr. Ryosuke Kodama ]


 1989年8月、当時高知大の2年だった私は、プールに飛び込んだ拍子に首を骨
折した。けがをした当初は、体はわずかに右手首が動くだけで、夢からさめればまた
普段の自分に戻っているはずだと、天井を見ながらいつもそう思っていた。しかし、
それはやがて絶望へと変っていった。

 3か月ほど後、私は出身地の病院へと移ったが、そこでは付き添い婦が私の介助を
した。しかし、私は常に彼女の顔色をうかがっていなければならず、多くのことを我
慢しなければならなかった。そのことは私の未来に対する感情をいっそう悲観的なも
のにし、絶望的にさせた。

 転院後1年が過ぎ、退院が近づいてきた頃、ソーシャルワーカーから復学の勧めが
あった。その頃の私といえば、いかにして死ぬかということしか考えていなかった。
しかし、死のうとすること、その行為は実際に自分が死んでしまうことより、はるか
に苦しいものだった。死のうとすることも地獄、ただ生きているだけというのも地獄、
ならば自分はこの人生を戦って生きよう。苦悩の末に辿り着いた結論がそれだった。

 私は大学復学を決意した。そのことは私の第一の転機だったといえる。91年春に
私は母といっしょに高知へ戻り、そこで3年間を過ごした。キャンパスへはひとりで
行き、教室の移動やその他の細々としたことは、友人や周囲の人にやってもらった。
学生、教授など、すべての人達が親切にしてくれ、その優しさに接することで、私は
本来の自分を取り戻していった。

 94年の春に私はそこを卒業した。そしてその年の秋、私は第2の転機を迎えるこ
とになった。私は岩井菜穂美という人物に出逢ったのだが、彼女の生き方は私にとっ
て衝撃であり、彼女の自立生活センターの仲間は、私が持っていた障害者のイメージ
を完全に打ち壊した。私はそこに通うようになったが、それはそこへ行けば、勇気と
希望といったものが得られたからだ。

 今、私は北九州自立生活推進センターのスタッフの一員として働いている。一人で
も多くの仲間が、生きることへの希望、喜びといったものを見出せるよう手助けして
いくことが、これからの私の役目だと思うし、また私のやりたいことでもある。まだ
まだ先は長いが、一歩一歩進んでいきたいと思う。


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    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会