日誌 (2003年)
中島虎彦






★★★  日誌 (2003年)  ★★★ 

■第百四十一回 (2003年6月11日)

 詩人の山田かんさんが亡くなった。
長崎の原爆を浴び、その生き証人として書き続けてこられた人だ。
昨年集大成として「長崎原爆・論集」(本多企画)を出されたばかりだった。
自分の死期を予感しておられたのだろう。
 山田さんについては以前に書いたものがあるので、
下記を参照してくださればありがたい。

 http://www2.saganet.ne.jp/nakaji/book2/k.yamada.htm
 http://www2.saganet.ne.jp/nakaji/zuiso.htm

 私のような若輩に対しても、誠実に応対してくださった。
「永井隆と山田かん」というのは長崎という観光都市の裏と表の顔なのである。
ご冥福を祈るばかりです。
 ハンセン病の小説家島比呂志さんにつづいて寂しくなった。

★きょうの短歌
早苗田を吹きわたってくる風ぐらいしかおもてなしとてございませんが   東風虎











■第百四十回 (2003年6月7日)

 はなわの「佐賀県」というCDが売れているようだ(笑い)。
佐賀東高卒(生まれは春日部市とか?)のお笑い芸人である。
松井のものまねなどでおなじみになりつつある。
 プロモーションビデオには緑豊かな田んぼが一面に出てくる。
この間まで全国最年少だった新知事もちらっと出ている。
観光名所も散りばめられてPRにも一役買っている。
 地元の一部には「自虐的すぎる」と反発する声もあるようだが、
「おしん」の嫁いびりに対する時ほどの勢いはない。
みんなあれで学習してわりあい応援しているようだ。
 田舎の屈折感がほどよくエンターテインメント化されていて悪くない。
背後に佐賀への愛(憎)があるからだろう。

  「松雪泰子も佐賀、公表してねえ
   牧瀬里穂も佐賀、やっぱ公表してねえ
   江頭(2:50)も佐賀、公表するな」

 というフレーズがぐふふと笑える。念のために言っておくと、
はなわはCD発売に先立って三人には了承を得ているという。
彼らはまさかこんなに売れるとは思わなかったのだろう(笑い) 
 牧瀬は数年前「笑っていいとも」でタモリに出身を聞かれて
(タモリはたぶん知っていて聞いたのだろう。
なにしろ「佐賀は日本のチベット」と発言した男だから)
「福岡です」とはっきり答えていたのを忘れない(笑い)。
 たぶん高校から福岡に通ったのでそこを強調したいのだろう。
幼時から親の転勤であちこち回っているし、
佐賀時代にイジメにでも遭ったのかもしれない。
 佐賀出身ではアイドルのイメージがよくないからだろうが、
いまどき時代錯誤なセンスだ。アイドルは田舎の出身で、
家庭環境の複雑なほうが断然売りになると思う。 
 それでしばらく嫌いになっていたが、「顔」(阪本順冶監督)という映画で
あの名優藤山直美を相手に初めていい演技をしていたので、
まあ許してやろうという気になった(笑い)。
 それにしても福岡出身のタレントの多さにはあきれる。
福岡の頸髄損傷で佐賀医大非常勤講師の清家一雄氏に聞いたら、
「それは福岡が資源の少ない厳しい土地だからだろう」
と言っていた。ふーん。

★きょうの短歌
すいかずら匂い始めていますのにほーほー蛍まだ出てこない    東風虎














■第百三十九回 (2003年6月5日)

 有事関連三法案が参議院で可決した。
国会議員の大多数が賛成したし、
世論調査でも国民の過半数が評価している。
 たいした反対の動きも見られなかった。
してみると国民自身が選びとったのであるから、
塗炭の苦しみを味わうことになっても泣き言は言えない。
 それもこれも北朝鮮の脅威が身近なものになったからだ。
「テポドンが飛んできたらどうする!?」という是非もない脅しと
 (もっとも昨年暮れに発射台が大爆発事故を起こして、
 当分は使いものにならないそうだが)
「備えあれば憂いなし」というもっともな諭しに、
まっこうから対峙しうる万人にわかりやすいテーゼと行為を
反戦勢力は指し示すことができないでいる。
首相は図に乗って「イラク新法」まで通そうという。
 私の場合は高橋竹山(津軽三味線奏者、視覚障害)の

「まなぐの見えねえもんにとって、一番ひどかったのは戦争だったな。
戦争になるとまなぐの見えねえもんは、役立たず言われて、
生きていかれねえもんな。したはんで戦争だば絶対まいねじゃ」


 というシンプルな言葉を掲げて「とろうのおの集」を発表しているが、
もとより何ほどの力にもなれない。しいていえば、
この時期にこういう意思を表明していたという記録が残れば
せめてものことである。
 そこで現在、長野県の弁護士Mさんの呼びかけにこたえて、
インターネットを中心とした新しい動きに参加しようとしているところだ。
とはいいながら、文学する者はあくまで一人で引き受け作品を発表してゆくことで
対峙してゆかねばならない、という古風な思いがあるから、
徒党を組むようななりゆきにはどこかしらはにかみも消えない。
 さあて、どうなりますことやら。

★きょうの短歌
ゴキブリも蛍もさしてちがわない姿なんですけれどもねえ    東風虎














■第百三十八回 (2003年5月29日)

 北海道ではライラックまつりが始まったようですね。
ライラックの花はテレビでしか見たことありませんが、
さぞかし美しいのでしょう。
 さて、きょうの午後四時からNHKラジオで北海道特集として、
「知里幸恵(ちりゆきえ)生誕100年」の話題をやっていました。
そうか、もう100年も経つのか、と胸が熱くなりました。
 知里幸恵については以前書いたものがありますので、
ご参考までに記します。

http://www2.saganet.ne.jp/nakaji/book2/ainu.htm

 このような女性もいたのだということを、
最近の流行りでネット練炭心中などする若者たちに
どうか死に急ぐ前にちらっとでもいいから
知ってほしいと願わずにはいられません。
知れば必ず何かが変わるでしょう。
 またNHKの「プロジェクトX」などでもおじさんばかりでなく
このような人物を取り上げてほしいと思います。

★きょうの短歌
歳時記を読めば使ってみたくなる麦秋ぐらいはまあいいけれど   東風虎











■第百三十七回 (2003年5月29日)

 短歌なんか作って、いまどき何の意味があるんだ?
と内心訝っておられる方が多いことでしょう。
実は私もそう思っている(笑い)。
 ところで、下記の短詩を読んでいただこう。

 エンジンの止まる音
 ドアの閉まる音
 それから
 歩き出してくる音 

 三好達治の「測量船」にでも出てきそうな詩ですねえ。
あるいは西脇順三郎の「Ambaruvalia(あむばるわりあ)」にでも。
詩人の小野多津子さんなどは高く評価しておられます。
 ところがこれは私の作った短歌なのである。
ためしに一行書きにしていただけばわかる。
ニ句めが八文字の字余りになっているだけです。
 つまり、詩と短歌の違いなんて
その程度のものだということです。

★きょうの古い短歌
エンジンの止まる音ドアの閉まる音それから歩き出してくる音   東風虎













■第百三十六回 (2003年5月28日)

 久しぶりにざわざわざわと海が見たくなって、
長崎県の大村市方面へドライブに行ってきた。
個人でやっておられるリフト車に移送してもらった。
(この車の天井が低くて頭がぶつかるのが玉にキズ)
 大村湾は内海なので波も穏やかでうららかだった。
嬉野の山猿である私に、やっぱり海はなつかしいなあ。
海という字には母が宿っているように、なつかしいのだろう。
ぶふっ、詩人みたいなセリフを口走ってしまった(笑い)。
 そんなドライブの最中に作ったのが下の短歌である。

★きょうの短歌
女の腋生えているのといないのとどっちがドキドキする衣替え   東風虎














■第百三十五回 (2003年5月26日)

 佐賀市出身の中越典子がヒロインをつとめているので、
あまり言いたくないが、このところのNHK朝ドラは目にあまる。
「おせっかい」の度がすぎるのである。
 「ちゅらさん」も「さくら」も「まんてん」も「こころ」もエスカレートする一方。
ヒロインだけでなく取り巻きの連中が輪をかけておせっかい揃いなのだ。
他人の心の傷にずかずかと土足で踏みこんできて、
それをやさしさだと思いちがいしている。
私だったらたまらず逃げ出しているだろう。
 そんなにおせっかいな人間ばかりいるわけない。
脚本がいただけないのだろう。傷つくのを恐れて他人に介入しない
若者たちを啓蒙しようとでもいうのだろうか。
半年間ひっぱりつづけるために蛇足なエピソードが多すぎる。 
 だいたい女性の自立をテーマに女性ばかりの主人公なんて、
もう時代錯誤なのではないだろうか。

★きょうの短歌
花曇りやりすごしても菜種梅雨またぐらの干上がるひまもない   東風












■第百三十四回 (2003年5月22日)

 わが吉田の盆地から嬉野町の市街へ行く途中、
井手川内という地区で小さな河川改修工事が終わった。
これは今までのようなコンクリートブロックで三面を固める工法でなく、
わざわざなだらかな石垣を組み隙間を泥で覆ったり、
川底にも大小の石を埋め込んで流れに変化をつけたり、
護岸のブロックにもまん中に穴を開けて草を生やしやすくしたり、
川沿いの遊歩道も砂利道のままにしてある。
 つまり、私が以前佐賀新聞の連載随想で提言したり、
町の「のほほんBOX」やホームページに投書したりしてきたことを
かなりの部分で取り入れたような工法なのである。
別に私の意見のせいでなく、単なる偶然だとしても嬉しい。
 ようやくお役人や土建屋さんたちの意識も変わり始めてきたらしい。
徒労感に苛まれることもあったが、根気強く言いつづけていると、
どこかで誰かがきっと見ていてくれるものだ、そう信じたい。
 まだまだ十分に満足のゆくものではないが、
その川には早くも水草が覆いつつある。
関係者にお礼を申し上げたい。

★きょうの古い短歌
むきだしの面の皮コンクリ橋の上ではいつも風が吹いている   東風虎














■第百三十三回 (2003年5月20日)

 今朝ふいっとその場面を思い出した。
小学3年の頃じゃなかったかと思う。
母の野良仕事についてイワンクチという集落へ行き、
母が畑を打つかたわらで、私は暇をもてあましたのだろう。
堤防沿いに生えた茅か何かのひと群れを、
棒きれでチャンバラよろしく叩き切りはじめた。
 初めはほんの戯れであったが、そのうちその行為に
次第に偏執的になってゆくのが自分でもわかっていた。
あげくテレビ時代劇の正義の味方にでもなったつもりで、
母の野良仕事を邪魔する悪者の雑草を退治してやる、
というようなロールプレイングに没頭していた。
かなりそれらしい台詞も口走っていた。
 何分ぐらいそうしていただろうか。
ふと我に返ると、母が手を休めて私をじーっと見つめていた。
その視線に気づいて私はにわかに赤面した。
居ても立ってもいられぬ気持ちでしどろもどろになった。
 そのとき母は何を思っていただろうか。
ふだんはミッコちゃんという幼なじみとばかり遊んでいる
おとなしすぎるくらいの私が血迷ったように棒を振り回している、
のみならず何か意味不明なことを口走っている、
目つきもどこかイッちゃっていたかもしれない。
 母はいくぶんゾッとしていたかもしれない。
私の隠された暴力性を垣間見たつもりでいたかももしれない。
それでも母は何も言わなかった。
私も何も言わず先に帰ったようだった。

★きょうの短歌
柿の花みかんの花に散りしかれ何様のつもりでもありません   東風虎



 

 





■第百三十ニ回 (2003年5月16日)

 ある来日した外国人が、都市部でウォシュレットが完備しているので、
日本人の清潔好きに驚いたと言っていた。その驚きの中には、
単なる感嘆だけでなく奇異の念も含まれているようだった。
 地方ではそれほどではないと思うが、便利なことは確かだろう。
特に自分で始末のできない四肢麻痺者にとっては朗報である。
それからもうひとつ、ウォシュレットには意外な効果もある。
 北海道で活発な障害者運動をくりひろげている小山内美智子氏は
「車いすで夜明けのコーヒー」という本の中で次のように述べている。
 
 「手の使えない障害者は、自治体からウォシュレットがもらえるという制度ができ
た。ウォシュレットはお尻をきれいにするだけではなく、男性を知らなかった私に
とっては、オナニーのできる機械にもなった。ぬるま湯が静かにあたると、体中に火
がついたような心地よい気持ちになる。なるほど、これがオナニーというものか、と
私ははじめて知った」

 これが重度障害者の実情というものである。
健常な人は考えつきもしなかったことだろう。
実をいえば障害をもつ私でさえ思いもよらなかった。 
胸から下に知覚がないから関係ない話で済んでいたのだ。
しかしこのような切実な女性障害者もいることを知らされて、
私は小山内氏に感謝しなければならない。
 こういう話題を「寝た子を起こすような真似はするな」と言って
毛嫌いする関係者もいる。親御さんに多い。
しかし一度知ってしまったものは後戻りできない。
かくして小山内氏の闘いは始まってゆくのである。
 日本でウォシュレットがこれほど広まった背景には、
実は似たような事情が潜んでいるのではないか。
つまりオーラルなどはしたないと思っていた古風な人間が
新しい快感の存在を知って、ひそかに手放せなくなったと。
これはうがち過ぎというものだろうか。

★きょうの古い短歌
くちびると言いはなびらと言いしあわせと言うころには恥ずかしくなる  東風虎














■第百三十一回 (2003年5月13日)
 
 このところ、「福岡は元気だ」という声をよく聞く。
大型リゾート施設の建設ラッシュなどを指しているのだろう。
 しかしながら、犯罪も元気では困る。
昨日も小学生が通り魔にガソリンをかけられて火をつけられた。
このところの凶悪犯罪の多さには目を覆うばかりだ。
その勢いは東京に勝るとも劣らない。
リトルトーキョーを目指してきたことのツケが回ってきたのだろう。
 とはいえ、それは福岡にかぎった話ではない。
佐賀でも少年のバスジャック事件などが記憶に新しい。
ところが今朝の在福テレビ某局のニュースワイド番組で、
コメンテーターの大学教授が
「この事件はたまたま福岡で起こりましたが、
現代では全国どこで起こってもおかしくはありませんね」
 などと発言しているのを聞かされると、
「おいおい、その言い方は違うだろう。おまえが言うなよ」
 と思わず突っこみを入れたくなる(苦笑)。
他県に比べて福岡の量的な多さはまぎれもないのだから、
マスコミはもう少し謙虚に反省すべきではないのか。
グルメやファッションや温泉探訪ばかり組んでる場合じゃなかろう。

★きょうの短歌
あらぶからあぶらの出なくなるまで血糊のように夕焼けてくる   東風虎









 

 

 




■第百三十回 (2003年5月10日)

 足指やくざ状態になったことで、
いろんな友人たちから叱られてしまった。
「もっと自分を大切にしろ」と言われると、返す言葉もない。
中には「中島さんは我ら頸髄損傷の精神的支柱なのだから」
と鞭打ってくださる方まであり、涙がちょちょびれそうだった。
してみると私の存在は私ひとりのものではないらしい。
 とはいえ、そんな中にも
「発泡酒2本で怪我してしまうなんて大丈夫ですか?
もうちょっと強くなっておいたほうが、
何かと酒の力が必要ともなる常世の汚れた瀬は渡りやすいかも」
 などととんでもないアドバイスをくれる人もいて(笑い)
世の中というのは実にまあさまざまだ。

★きょうの短歌
柿わかば大楠わかば栗わかば人間わかばはありませぬのか   東風虎













■第百二十九回 (2003年5月7日)

 岐阜県と山梨県境あたりの山道を彷徨している謎の白装束集団
「パナウェーブ研究所」が、「フジTVの記者に話す」と指定したという。
その千乃裕子代表の会見テープを聞いて笑ってしまったし、
名指されたフジTVもいい面の皮だなあと笑ってしまった。
 「楽しくなければテレビじゃない」という社是を掲げて以来、
いかにもフジの好きそうな騒動だものなあ。
フジならあんな戯言もニュースで繰り返し垂れ流してくれるだろうと、
見込んだところはまんざら彼らも愚鈍ではない。
 そんなたわごとはどうでもいいが、
テレビ局といえば帰国子女のアナウンサーをたくさん採用している。
しかしその資質を十分に活かしているとはお世辞にも言い難い。
相も変わらずマスコット扱いか美人コンテスト上がりのタレント扱い。
 せっかく貴重な国際体験をしてきているのだから、
その語学力や国際感覚を活かすような仕事を、
男の上司どもはどうして当てがってやらないのだろう。
ケツの穴の小さいやつらとしか受け取られないぜ。
 日本の国際貢献がカネばかりと非難されているご時世、
こんなときこそ彼女たちをアフガンやイラクやニューヨークに飛ばし、
現地で汗を流させればどれだけ貢献度が上がるかしれない。
 フジのお偉方たちももうちょっと太っ腹なところを見せてほしいよ。
 
★きょうの短歌
夕方になると出てくる微熱まだものくるおしいお方はありや   東風虎













■第百二十八回 (2003年5月1日)

 禁酒一週間はなんとか達成したものの、
相変わらず汗はふきだしつづけるので拍手抜け、
嬉野の図書館へ行った帰り、うれしの河畔のツツジ見物がてら
発泡酒を2本飲んだ。久しぶりで胃の腑にしみた。
 その帰り道、いい気分でうつらうつらしながら電動車いすを運転中、
寺辺田の道路沿いの石垣にぶつかって怪我をしてしまった。
たいしたことはなかろうと高をくくっていたが、
あくる月曜日かかりつけの医師に往診してもらったら、
町の国立病院へ行ったほうがよいと言われて、
そのまま救急車で運ばれ右足親指を切断することになった。
 自分の不注意なのでお恥ずかしいばかりだ。とはいえ、
もともと麻痺して変形していた指なので使いものにはならず
あまり未練も沸かない。それどころか靴を履きやすくなった(笑い)。
麻酔なしで手術したので治りも早いようだ。
 それにせっかく入院したのだからと、
半年前から具合の悪かった泌尿器科のほうも診てもらい、
処方をしていただけたことはもっけの幸いだった。
こころなしか改善されたようで、文字通り怪我の功名(笑い)。
こんなことでもなければ入院なんかしなかっただろう。
 さらに久しぶりに若い看護師さんたちにやさしくしてもらい、
天にも昇る気分だった。ついでに禁酒もつづいている。 
 皆さんも何かとお気をつけて。

★きょうの短歌
車いすの歌からいかに脱けだしてゆくかゆかぬかへのへのもへじ  東風虎













■第百二十七回 (2003年4月25日)

  「続続 とろうのおの集」         中島虎彦        

チグリスもユーフラテスも高校の教科書以来ひもといている
あらぶからあぶらの出なくなるまで血糊のように夕焼けてくる
アメリカがうとましくてもヤンキース松井の報に群がっている
十二億のうちの百人千人とみなされるのも無理からぬ国
昼下がりブルキナファソを思い出し脳細胞の一本長らえる
おふくろの野菜はお湯で洗えないということさえ知らないできた
雨の名前風の名前のいろいろな国に生まれて短歌をうたう
大きいのは嫌いだというむせるから鈴井実美香のアイドルやぶり
東京のカラスさぞかし生活習慣病にかかっていよう
レンゲ田にもぬけのからの車いすあとはご想像にまかせます
首に環をはめこんでゆく風習を野蛮じゃないと擁護しきれるか
戦争は必要悪という人のローレックスがきらついてくる
反戦歌未来の子どもたちから責められぬようそれもまたエゴ
たわごとも六時のニュースで垂れ流し楽しくなければテレビじゃない
新世紀むかえてもろくでもないニュースばかり聞かされなければならず
減反に乗じて道ばかり広くなる過疎いっぽうをぽつねんとゆく
車いすの歌からいかに抜けだしてゆくかゆかぬかへのへのもへじ
パソコンのRETURNの文字がすりきれるまで打ちこんでいる












■第百二十六回 (2003年4月24日)
 
 きょうで丸五日アルコールを口にしていない。
晩酌をするようになってから初めてのことである。
今までにも三日飲まなかったことはあるが、
今回は未知の領域に踏み込んでいる(大げさな!)
呑み助にとってこれはなかなか凄いことなのである(笑い)
 それというのも体調が悪いからである。
電動車いすに座ったとき汗が止まらない。
過緊張反射というだけではすまなくなってきた。
どうもこれは自重したほうがよさそうだ、
ということでとりあえず一週間の禁酒をめざす。
 その先に光明は見えるであろうか!?

★きょうの短歌
大きいのは嫌いだというむせるから鈴井実美香のアイドルやぶり    虎彦














■第百二十五回 (2003年4月21日)

 散歩の途中でゲートボール場の脇を通りかかると、
植木に囲まれて中は見えないのだけれど、
パコーン、ポコーンという音や歓声とともに、
「始めーっ!」「終了っ!」などという野太い号令が聴こえてくる。
石原都知事のような軍国爺さんが仕切っているのだろうか。
一年三百六十五日ほとんど聴こえぬ日はない。
 戦後の復興を支えて働きに働いてきたお年よりたちが、
ようやくリタイアの日々を楽しめるようになったのだから、
それ自体にとやかく言うつもりはさらさらない。
家の中で嫁姑の確執に角突き合わせているよりは
なんぼか精神衛生にもよいというものだ。
 それにしてもあの号令はなんとかならないものだろうか?
テープに吹き込んだものを再生でもしているのだろうか。
まるで軍隊のようではないか。もっともここらのはまだましなほうで、
全国脊髄損傷者連合会佐賀県支部のグランドゴルフ大会で
江北町の全天候型グラウンドに行ったときなど、
その半分向こうでゲートボールをやっているお年よりたちの
リーダーと思しき70歳ぐらいの男性の号令ぶりは凄まじかった。
戦前派の気骨といえば聞こえはいいが、たかがゲームである。
 婆さん連などは黙々とそして唯々諾々と指示に従っているだけ、
あんなので楽しいのだろうか? と私はちらちら横目に見ながら
首をかしげざるをえなかった。
 おそらくあんな爺さんは子どもの時からずっとああなのだろうな。
狭い地域だから幼なじみがそのまま軒並み年寄りになっていて、
子どもの時の悪たれは爺さんになっても悪たれのまま、
いじめられっ子は婆さんになってもいじめられっ子のまま、
きっとそれで死ぬまでやっていくんだろうな。
 なんとまあ、溜め息の出てくるような話。

★きょうの短歌
じゃがいもしか獲れない土地でじゃがいもが嫌いな男のようなもの  虎彦














■第百二十四回 (2003年4月16日)

 日本障害者リハビリテーション協会が発行している
月刊「ノーマライゼーション」誌から依頼され、
今年度から編集同人(文学担当)をつとめることになった。
 障害者関係の雑誌(に限らず)は「Oが一個足りないんじゃないの?」
と言いたくなるほど原稿料の安いところが多いが、
そんな中この雑誌はなかなかよかったので、
今まで年に1ー3回原稿を依頼されてきた無年金の私としては、
その原稿料が貴重な収入源の一部となっていた。
 編集同人になることでそれがなくなるとしたら、
正直いってこたえるなあと案じていたが、
そういうことはないらしいのでひと安心している。
どうも現金な話ながら。

★きょうの短歌
おシャガさま朝夕の散歩のいきかえり私は悪うございましょうか













■第百二十三回 (2003年4月15日)

 先夜、テレビで酒井俊の「満月の夕べ」を聴いて、
私ははからずも涙を流してしまいました。
 阪神淡路大震災を歌ったものだそうですが、
恥ずかしながら初めて聴きました。
酒井さんも初めて見知りました。
ふだんはジャズクラブなどで歌っておられるようです。
 それにしても「お涙ちょうだい」でも「どっこい生きてる」でもなく
もの凄い歌唱力でした。作詞をしたのはどなたなのでしょう?
 皆さんも機会があったら聴いてみてください。
詳しいことは下記のサイトで。

http://www.japanimprov.com/cdshop/goods/ss/ro-2003.html









■第百二十二回 (2003年4月14日)

 胸のふさぐことの多いこの日々、
久しぶりに朗らかな気持になれた。
「中島敦 父から子への南洋だより」(川村湊編、集英社、2003年)
という本のおかげである。
 中島敦は喘息の持病のため33歳で夭折した小説家だが、
死の前年の昭和16年にパラオ南洋庁に国語教科書編集書記として
10カ月滞在し、その間南洋群島のエキゾチックなもようを、
美しい絵ハガキで子どもたちや妻に書き送っている。

 「おとうちやんの ひるごはんは 毎日バナナ十二本だよ。
うらやましいだらう。おかあちやんのいふことをよくきいて
のちやぼんを かはいがつてくれたまえ。たのむよ」

 
年端のゆかない子どもに対しても、
ちゃんと一人の人格として友達のように相対している。
こんなハガキをもらったら、どんなぼんくらな子どもだって
しゃんとせずにはいられないだろう。
その親子の情愛の深さにまいってしまう。
 「李稜」「山月記」「狐憑」など端正な名品を残した作者の、
思いがけなくほほえましい一面を知らされる。
「土人」「にほんの海軍は強いなあ」などと
無邪気な言葉も出てくるが、その一方で
日本国語を教えこむ前にまず衛生面を改善すべき
などという提言もしている。
 エフェドリンを飲んで発作に耐えながら、
三日にあげず書き送っているのである。
あの戦争中にこんな父親もいたのだなあ。

★きょうの短歌

ガスロンのできてくるまでカチガラス夫婦の巣づくりを見上げている   虎彦













■第百二十一回 (2003年4月12日

 高橋竹山(視覚障害、津軽三味線奏者)の
「まなぐの見えねえもんにとって一番ひどかったのは戦争だったな。
戦争になるとまなぐの見えねえもんは、役立たず、言われで、
生ぎていがれねえもんな」
 という言葉に背中を押されて、下記のような続編を編み配信した。

●続「とろうのおの集」(2003年1月ー4月)
                             中島虎彦
ネオコンとやらの侵攻地図にあるバビロンの名がうちふるえている
遠雷のような爆音が国連の瓦解する響きにきこえてくる
アラビアの砂将軍に押しとどめられている藪大統領
聞く耳をもたぬ心の声にまで耳をふさぐことはできまい
これよりは裸の王様そしてその一の家来として連なるか
徒労でも蟷螂の斧いまどきの短歌を編んで配っている
いつもなら花見に浮かれ短歌抄なぞ取りかからないところ
いかさまの大統領どのありがとう「とろうのおの」を編ませてくれて
だいたいは馬鹿だけれどもそうそう馬鹿じゃいられない私たち
手も足も出ない頸髄損傷で狼藉はたらかずにすんでます
ほんとにそう言いきれるのか胸に手を当ててみようにも萎えている
じゃがいもしか獲れない土地でじゃがいもが嫌いな男のようなもの
菜の花にレンゲに土筆えんどまめ私が悪うございましょうか
泣きつくし笑いつくして呆けつくし考えつくしすぎなとなる
散歩道にツクシが四本立ちました都会の友に嫌がらせめき
一年に六軒が店じまいして五キロ四方に酒がなくなる
さびれゆく商売街に年寄りと電動車いすやるかたもない
胃薬のできてくるまでカチガラス夫婦の巣づくりを見上げている
才能ある男の子どもを産みたいのそう言われても電動車いす
縄抜けの術のようにもくずれ落ち電動車いすから放たれる
野ねずみに埋められて食べ忘れられ芽を出すどんぐりのような幸い












■第百二十回 (2003年4月9日)

 話には聞いていたが、私にもついに詐欺メールがきたぞ(笑い)。
アダルトサイトの利用料金を33750円払え、というもの。
金額も微妙なところだし、期日が三日しかないのも絶妙だ。
 何万人かにメールを送って、その中の数人でも送金してくれたら
元手はタダなのだから大もうけ、という「債権回収詐欺」らしい。
 なまじ心当たりがあるだけにちょっとギョッとさせられる。
中高生なんかだったら親にも言えずビビルことだろうなあ。
 インターネットの使い手たち数人に聞いたところ、
「ワン切りと同じような手法の詐欺だから、無視すること。
抗議のメールなどを出したりするのは、つけこまれるからご法度。
こういう時のために、正規のメールアドレスはなるべく出さないこと。
遊びでメールアドレスが必要なときは、フリーのアドレスを使った方が安全。
やり口はどこかからメールのリストを入手して無作為に配信している。
反応しないことが一番の防御」
 というようなことらしい。
このときばかりは友人たちに感謝せずにいられなかった。
もし独学で習得しようとしている初心者だったら
さぞかし心細いことだろう。
 そこでご参考までに問題のメール全文を掲げておこう。
どうか皆さんひっかからないようお気をつけください。 不一

● 《未納料金について大至急ご連絡を致します》
 合計お支払い金額:33750円
 サイト運営業者:ファーストクラブ
 未納利用料金:21800円
 遅延損害金: 5450円
 徴収代行手数料: 6500円

 この度は当時あなた様が使用されたプロバイダー及び
電話回線から接続されたアダルトサイト利用料金について
運営業者より未納利用料金に関する債権譲渡を受けました。
 あなた様の個人情報に基づき
私共がアダルトサイト未納利用料金の徴収作業を
代行させて頂く事になりましたので御連絡させて頂きます。
現在は上記に記載のアダルトサイト利用料金が
未納となってますので遅延損害金及び徴収代行手数料も含めて
4月9日(水)午後3時までの振り込みを
御支払い期限として下記に記載の指定口座まで
御入金して頂くよう御願い申し上げます。
 速やかに御入金して頂けない場合は
あなた様の登録情報および個人情報を含めて
私共から各地域の債権代行関連業者及び
最寄りの関連事務所へ債権譲渡を致しますので
最終的に債権徴収担当員を御自宅などに訪問をさせて頂きます。
 その際には上記の合計支払額に交通費と人件費を加算して
約5倍〜10倍の請求させて頂く場合が御座いますので
お忘れなく必ず御入金して下さい。

★きょうの短歌
手も足も出ない頸髄損傷で狼藉はたらかずにすんでます   虎彦















■第百十九回 (2003年4月3日)

 昨日、本格的なお花見に行ってきた。(実質的には三回め)
鹿島市の旭ヶ丘公園と祐徳神社まで。一年ぶり。
伊万里市の川柳作家の酒谷愛郷さんと、
武雄市の華道教授の下松さんと、運転手の四人連れ。
 行きは電動車いすで休み休み三時間かかったが、
帰りは移送サービスのリフト車に乗せてもらって楽ちんだった。
 雨の確率30%の予報で心配していたが、
曇り空にときおりおてんとう様も顔を覗かせて、
どなたかの日頃の行いがよかったのかな。
散りかけの花の風情もまた一段とよかった。
 酒谷さんは旭ヶ丘が初めてということで、
お弁当を広げながらお好きな三橋美智也のテープを流したりして、
にんまり喜んでもらえたのが何より嬉しかった。
 なにしろこの日のためにひと冬の不調を耐えてきたのである。
楽しまなくちゃ損というものである。
お酒も肴もついつい進みすぎた。
 そのため祐徳神社へ着くころには起立性低血圧でボーッとしていたが、
運転手にデジカメで写真もいっぱい撮ってもらったので、
あとで編集するのが楽しみだ。
そのうちの一枚は画像掲示板に載せている。
 ちなみに、吟行とまではしゃれこまなかったが、
酒谷さんの最近作をいくつか紹介しておこう。

 たゆたうはははの掌以来たんぽぽよ
 水鏡 吾が激しさをときに見せ
 お急ぎですかと他所ながら火がにおう
 おとこ独り点るといえり茄子の馬     「隗」(2003年7月号)から













■第百十八回 (2003年3月31日

 NHK朝ドラ「こころ」が始まった。
佐賀市出身の中越典子がヒロインを演じている。
期待していた通りの清潔感を漂わせている。
これから毎朝が楽しみだ。
 舞台は浅草の老舗のうなぎ屋だが、
うなぎ屋といえば俳人の富田木歩を思い起こさせる。
脚のマヒのため関東大震災で逃げ切れず早死にした人だ。
木歩だけでなく弟や妹にも障害が相次いだため
近所から「殺生する商売だから祟りが・・・」と陰口を囁かれた。
 そんなことを言うなら日本中のうなぎ屋から
障害者が生まれ出なければならぬ理屈になるが、
そういう話はとんと聞かない。誰かがまとめて殺生してくれるから、
私たちは罪悪感ももたず美味しいものをいただけるのだ。
 無神経な迷妄のためにどれだけ多くの障害者たちが
くやし涙を呑んでこなければならなかったか。
 「こころ」ではそんな迷妄を吹き飛ばしてほしい。
ちなみに中越は「こころ」を第一音にアクセントをつけて言うが、
あれは第二音が下るのが普通ではないのか?
いつから変わったのだろう。

★きょうの短歌

徒労でも蟷螂の斧いまどきの短歌を編んで配っている    虎彦











■第百十七回 (2003年3月30日)

 官僚の天下りは苦々しいが、規制しようとする動きが強まると、
「楽しみがなくなる」という本音が聞かれるらしい。
それがひそかな楽しみで省庁に入った者たちに、
「ハイ、あなたの代から廃止しますよ」と言ったって
とうてい承腹しないだろう。
 そうすると今いる何千何万の官僚が全部退職するまで
廃止はできないということになる。
 それならというので、今年の新人から採用時の要綱に
「退職しても天下りはできないから、それでよければお入りなさい」
とでも但し書きをつけねばならないのか。
 なんともはや情けない話。

★きょうのギャグ
砂将軍に押し止められた藪大統領     虎彦












■第百十六回 (2003年3月28日)

 全国の脊髄損傷の人たちの機関誌月刊「脊損ニュース」誌、
その編集者の赤城喜代子さんから依頼を受けて、
この3月からまた連載「BOOK ENDLESS」を書かせてもらっている。
(タイトルは「ブックエンド(本立て)」のシャレであることは言うまでもない)
 これは障害者本の書評シリーズで、前回は成瀬正次編集長から依頼され、
平成9年12月から平成11年2月まで16回も連載している。
その終了を惜しむ声を内外からいくらかいただいていたので、
これを機会にまた再開させてもらうことにした。
 第一回めは「幸福亡命」(比佐岡英樹著、三輪書店、2002年)。
事実は小説よりも奇なる有為転変の物語である。
それを読んでくれた人からさっそくメールをいただいたが、
 「面白くてまるで本を読んだような気持ちになりました」
 とあって、ちょっと考えこまされてしまった。
何よりも本を買って読んでもらうことが主眼なのだから、
書評で満足されては困る。私の書き方も至らないのだろう。
 とはいえ本音をいえば、重度障害者がああいう書評を読んで、
実際に本を買って読んでくれるとはあまり期待していない。
 それゆえなるべく書評だけでエッセンスが呑みこめるよう、
また大切な箇所は引用を多くするよう心がけている。
だから先のような感想が出てくるのは当然といえば当然。
 私は馬鹿丁寧すぎるのだろうか。
なお、第2回は「まばゆいばかりの光を浴びて」(佐藤友則著)の予定。

★きょうの短歌
泣きつくし笑いつくして呆けつくし考えつくしすぎなになる   虎彦













■第百十五回 (2003年3月27日)

 ハンセン病の小説家、島比呂志さんが亡くなった。
この年々タチの悪くなる冬を乗り越せなかったのだろう。
自立の先達でありライバルを失ってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ちなみに島さんの名前の由来は、ハンセン病棟に入るとき
あまりに島が狭かったので皮肉ったものだそうである。
 島さんのお骨はどこの墓に入るのだろう?

★きょうの短歌
だいたいは馬鹿だけれどもそうそう馬鹿じゃいられない私たち   虎彦
 













■第百十四回 (2003年3月26日)

 今年のアカデミー賞の授賞式でのこと、
銃社会を批判した「ボウリング・フォー・コロンバイン」で
長編ドキュメンタリー部門を受賞したマイケル・ムーア監督が、
そのスピーチの中で
 「イカサマの選挙で当選した、イカサマの大統領の、
イカサマの理由による進攻の、イカサマの情報が流れる
この戦争には反対だ。恥を知れ、ブッシュ、おまえの持ち時間は終わりだ!」
 とまくしたてて、拍手とブーイングを浴びていた。
これがアメリカのアメリカたる所以なのだなあ。
久しぶりに胸がスーッとしながらも、
日本のアカデミー賞でこんなことを言ったらどうなるだろう、
と彼此の違いを思いめぐらさずにはいられなかった。
 ムーア監督の身にもこのあと何かが起こらなければよいが、
日本からみんなで注視しておきましょう。

★きょうの短歌
アメリカのイラク攻撃の地図にあるバビロンの名がうちふるえている   虎彦












■第百十三回 (2003年3月19日)

 この一、二年でわが村の六軒が店仕舞いした。
長引く不景気の波はこんな狭い山里にも容赦ない。
酒屋二軒と、雑貨屋、八百屋、衣料品店、銀行であるが、
酒屋が5km四方になくなったのがこたえる(苦笑)。
車の運転ができる人はつーっと嬉野の町まで行けるが、
電動車いす乗りはそう簡単にはいかない。お年よりも同様であろう。
 これは佐賀市の「エスプラッツ」閉鎖にも重なる問題だ。
郊外の大型店に客を奪われて市内の商店街がさびれる、
それで一番困っているのが障害者やお年よりである。
逆にいえば彼らを視野に入れ直すことで活路が開けるだろう。
 それにしても、近所に店が少なくなったことで、
皮肉にもあまり無駄遣いをしなくなった。
飲む量もこころなし控えめになった(ような気がする)。
不便になればなったで何とか切り詰めていくものだなあ。
 ふところが深いというか、二枚腰というか・・・・・・・
それが日本の底力なのかもしれない。

★きょうの短歌
なつかしい思念のような姿してしびんは干されている竹垣に   虎彦













■第百十二回 (2003年3月14日)

 オウム真理教事件の裁判で麻原被告はあいかわらず無言を通している。
被害者の遺族の方たちは一言でも謝罪がほしいところだろう。
それは無理もないところだが、とうてい望めそうもない。
彼の障害(視覚)から、障害者全般への悪感情が抱かれねばよいが。
 それよりも彼には死者に報いる方途があるのではないか。
つまりどうしてあのような大量虐殺を行わねばならなかったのか、
それは現代日本の腐敗に警鐘を鳴らすためである、
そのために被害に遭った人たちは人柱のようなものである、
として、あくまで政治・経済・文化への批判を繰り広げるのである。
 たとえそれがしらじらしいものであるとしても、
彼のとりうる唯一のそして最後のご奉公というものではないか。

★きょうの短歌
胃薬のできてくるまでカチガラス夫婦の巣づくりを見上げている    虎彦












■第百十一回 (2003年3月13日)

 先夜、テレビでブラジルの弓場(ゆば)農場の様子を知った。
日本から移住した弓場氏が現地で理想郷を開いているという。
農場は日系二世、三世まで含めて数十人が集団生活している。
すべて自給自足で、金銭のやりとりはなく給料もないという。
電化製品は見ほとんどなく、身なりも質素である。
仕事は朝早くから夕べまで続き、個人のプライバシーはない。
 その一方で夜はバレエの練習に励み、定期的に発表会を開いている。
発表を終えたあとのメンバーたちは誇らし気であった。
 まさしく宮沢賢治の「農民芸術概論」を地でゆくような共同体である。
それなら賢治の読者としては移り住みたいか、と言われると、
ちょっと待って・・・・・と躊躇わざるをえない。
 まず一日のうち一人になれる時間がほとんどない、ということ、
確かにバレエは芸術だが、文学の入りこむ余地がない、ということ。
発表会のあとの彼らの自己満足ふうの笑顔になじめない、
などなど、生理的に受け付けないものがあった。
 とはいえ、それを見てからは日本のバラエティー番組などが
げっそりと色あせて見えて仕方なかった。

★きょうの短歌
散歩道にツクシが三本立ちました都会の友に嫌がらせめき   虎彦














■第百十一回 (2003年3月9日)

 ある来日した外国人が、
「日本は世界のどの国とも似ていないと聞いていたから、
是非来たかった」と記者会見で話していた。
 はてな? それはどういう意味だろう。
いい意味か悪い意味か、どちらのニュアンスなのだろう。
それでも「来たい」というのだから好意的ではあるのだろう。
 とはいえ、あるアメリカの巨漢スポーツ選手のように、
「日本が大好きだ」とのたまうから嬉しがっていたら、
実はソープランドがあるからだった、というオチがついたこともある。
 もっとも冒頭の彼の場合はそういう下世話な動機ではなかろう。
というのも「ハリー・ポッター」の主役の少年なのだから。
 いずれにしても、日本は何らかの意味で
世界の最先端を行くところがあるのだろう。

★きょうの短歌
世界じゅうどこの国とも似ていない私たち日々新たなる顔     虎彦

 









■第百十回 (2003年3月8日)

 畏敬する友人から、
アメリカのイラク攻撃に反対する署名を募るメールが回されてきた。
訝ることもなく署名し数十人に転送したところで、
「それはチェーンメールです!」という警告メールが届いた。
 こんな時にそんなものを回す輩がいるとは
にわかには信じられない話だった。
しばらくは徒労感にさいなまれた。
 しかしこんなことでひるんではいられないと思い直し、
下記のような短歌抄を編み、友人・知人・マスコミ関係・文学関係、
それから首相官邸のホームページなどに配信した。

◆ 「とろうのおの集」 (2003年2月ー3月)                                              中島虎彦
あれだけのマイナス思考くりかえし長らえていることに舌を巻く
叫ぶという文字がハングルめいてくる2003年冬ことのほか
タマネギを廃棄している夕空が北までずっとつながっている
マスゲーム好きのところがもうひとつこのごろあまり聞かないけれど
テポドンが飛んできたならどうすると脅されるのはいつものこと
歴史から学びとれない人たちの声のでかさよ涙もろさよ
泣き太陽笑い太陽やり太陽引きずりおろし太陽の季節
忘れるに戦後の五十八年は短かすぎるか長すぎるか
干しあがる皇居の堀の真底からあらわれてくるゴミのいろいろ
双六の上がりかなんぞのようにおさまり返っている男たち
とやかくも内部告発しなければおかしくなってしまう男たち
いい人と思われなくてかまわないおふくろにごり酒でもいかが
理念では立ちゆかないと知るまでに四半世紀の電動車いす
ガンジーの無抵抗主義はやらなくなっても胸に燦然とある
おおかたの世論を反映できぬならカサブタはがしているほうがまし
おしんとは違っているとスリランカ留学生がいうストレートパーマして
木枯らしに吹きこめられてコンビニの弁当売り場を思い浮かべる
世界じゅうどこの国とも似ていない私たちの日々新たなる顔
パソコンが起ちあがるまで拾い読む神谷美恵子の生きがいについて
寝はぐれて遠雷を聴くそこはかと春は忍びよってきている













■第百九回 (2003年3月6日)

 いつもの散歩道に土筆が三本顔を覗かせて、
やったー! と顔をほころばせていた先日、
某新聞のコラムで次のような記事を読んだ。

 「就職を控えた若者たちと農家の懇談が設けられた席上、
珍しく農業への就労を希望する若者の口から
『楽そうだから』『遊べそうだから』という動機が語られて、
農家たちが苦笑していた」

 正直いって、農家生まれの私も苦笑してしまった。
しかし待てよ、このせちがらい世の中で、
『楽そう』で『遊べそう』と思われる仕事なんて
そうそうないのだから結構なことではないか、とも思えた。
そのあとのことは知らないが(笑い)。
 というのも、今まで農家は「つらい」とか「苦しい」とか
言いすぎたのではないか。若者がそんな跡を継ぐわけがない。
 実際、農家の仕事の中には楽しいものがないわけではない。
私など耕運機によるレンゲ田の春耕や、家族総出のお茶つみなど、
ひそかにわくわくさせられるものがあった。
農家には物心ともの「裏庭の経済」という余禄があるのである。
 だから若者たちが一見安易そうな動機で志望するのも
まったく故なきことではあるまい。

★きょうの短歌
木枯らしに吹きこめられてコンビニの弁当売り場を思い浮かべる   虎彦
 











■第百八回 (2003年3月5日)

 最近、これほど顔から火が出たことはない。
坂井隆憲国会議員(佐賀県選出)が政治献金を記載していなかった、
という嫌疑で(美人!?)政策秘書が逮捕されたのである。
真偽のほどはまだわからないし、
そのこと自体は何ら驚くことではない。
 国会から出てきた議員を報道陣が取り囲むと、
彼は「知らない」と一言いい廊下から階段へ全力疾走しはじめた。
すかさずそれを追ってゆく報道陣の中から
「危ないから止まって話しませんか!?」という言葉につづいて、
どっと笑いが起きたのである。首尾よく逃げおおせた議員に向かって、
さらにもう一度どーっと笑いが起きたのである。
 その笑いには「懲役一年」くらいのダメージ力があった。
 
★きょうの短歌
おしんとは違っているとスリランカ留学生が言うストレートパーマして  虎彦















■第百七回 (2003年3月4日)

 きょうでもう七日もうんこが出ない。
脊髄損傷・頸髄損傷に便秘はつきものだから、
四、五日くらいならいつものことだが、
七日となるとさすがに腹が張って苦しい。
何をする気にもならないで寝ている。
 ラジオからは春、弥生の季節に定番の、
斉藤由貴の「卒業」が聴こえてくる。
斉藤は女優としてはワンパターンの演技ばかりだが、
初期のこの歌はみずみずしい。今聴いても切なくなる。
その中に

 「ああ、卒業式で泣かないと、冷たい人と言われそう。
 でも、もっと悲しい瞬間に、涙はとっておきたいの」


 という歌詞が出てくる。噂のあった尾崎豊なんかより冷めた歌なのだ。
そう、人生にはもっともっと涙を流さねばならない瞬間が
次から次へとあらわれてくる。
 いさぎのよい決意だと言っておこう。

★きょうの短歌
叫ぶという文字がハングルめいてくる2003年冬ことのほか   虎彦











■第百六回 (2003年2月25日)

 先夜、ぼけーとテレビのバラエティー番組を見ていたら、
塾の教え子がおかまになって出ていた。彼はこれで二度目である。
 一度めは性同一性障害の問題にも真面目に取り組んだもので、
故郷の母親からの苦衷の手紙なども紹介されて、
視聴者にじんわりと考えさせるところがあった。
 しかし今回は単なる「おかま当てクイズ」のモデルで、
出演時間もわずかなものだった。都会に出て十年ちかく、
元気にやってるんだな、という安堵とともに
あいかわらず「お水」の周辺をうろついてるのか、
という軽い失望とがないまぜになった心境だった。
 私は性同一性障害については他の障害者と同じく
ほとんど偏見は持たないつもりである。
男に生まれたけれど女としてしか生きられない、
というのであれば、それもまた人間の一生である。
 ただ、どうしてもひっかかるのはお水(の周辺)で生きている
人が多いのはどうしてだろう、ということだ。念のため
水商売に偏見をもって言うのではない。ここではテレビのバラエティーの
色ものなども含めた広い意味で使っている。
どうも彼(彼女)らには「目立ちたがり」の属性があるのではないか。
 もちろん社会に偏見が根強いので他の仕事につけない、
という事情がわからないではないが、別のドキュメンタリーでは
市井で普通の勤め人として働いている人の例も見たことがある。
やろうと思えばやれないことはないのだ。
 たとえば、堂々と女装して公務員試験を受けるとか、
左官の弟子入りをするとか、そういう選択肢は思い浮かばないのだろうか。
すれば当然落とされ断られるだろう。
 そこで「どうしておかまは駄目なのよ?!」という問いかけをしてほしい。
そうすることで世間もマスコミも正当に注目するし、
彼らの目立ちたがりの性情も満たされるだろうし(笑い)
世の中を変えていく契機にもなるだろう。
他の障害者たちもそうやって闘ってきている。
 これは厳しすぎる見方だろうか。

★きょうの短歌
才能ある男の子どもを産みたいのそう言われても電動車いす    虎彦

















■第百五回 (2003年2月23日)

 この二ヶ月で矢継ぎ早に1ー3号の個人歌誌を受けとった。
その名は「みどりこうじ」。発行者は中山陽右(ようう)。
九州の三大歌人と称される中島哀浪の創刊した「ひのくに」、
その四代めの主宰者だった人である。失礼ながら相当のご高齢。
しかも心不全など数多の持病をかかえ青息吐息のご様子。
 にもかかわらずこの創作意欲はどうだろう。
生命の灯火がもうそんなに長くないと自覚されてのことだろうが、
もうひとつ結社のくびきから解き放された歓喜の叫びと映る。
そこに結社誌の問題も潜んでいるだろう。
 それはともかく、作品は老いと病と死のオンパレードである。
にもかかわらず批評精神はみずみずしい。

 「手入れしてまた補聴器をはめて居る『日本の虫の息』を聴くため」
 「おおかたは車内に護符を吊し居ん多重事故神が幾台も焼く」
 「ストリッパーを聖なる職の極みとす無頼に生きし老いの眼裏」

 文字通り、うすみどり色の一枚紙に裏表数十首ずつ印刷してある。
しかしその中身は重い。「老い」の歌の佳作といえよう。
私たち若い(障害者)世代もうかうかしておられない。

★きょうの短歌
寝はぐれて遠雷をきくそこはかと春は忍び寄ってきている    虎彦

 









■第百四回 (2003年2月16日)

 アメリカのイラク攻撃に反対するデモが
世界的な広がりを見せているとき、私にできることといえば
インターネットの反対署名サイトに接続したり
首相官邸のホームページに意見を書き込むぐらいで
なんともはやもどかしい。
 それにしても、国民の圧倒的な世論を反映できぬ政府なんて
一体どんな存在価値があるのだろう。
市民の願いを踏みにじるのもたいがいにせえよ、
と言いたい。

★きょうの短歌
双六の上がりかなんぞのようにおさまり返っているときじゃない   虎彦











 

■第百三回 (2003年2月10日)

 昨日、数日ぶりの散歩道に菜の花が咲いていた。
その黄色が枯れ野にしたたるようだった。
嬉しかったあ。いよいよ春になるのだなあ。
このひと冬もどんなにか待ち遠しかったことだろう。
ようやく体調ももどってきた。
お花見だけが人生だ。

★きょうの短歌
少しくらい色落ちしても有明の海苔をいただく腹づもりです   虎彦












■第百二回 (2003年2月5日)

 昭和28年にNHKのテレビ放送が始まってから
今年で50年ということでいろいろ特集が組まれている。
その記念の日にたまたまスペースシャトル「コロンビア」号の
爆発事故が起きて、はからずもテレビの威力を見せつけていた。
 七人の乗組員の死にはあれほど嘆き悲しむ米国人が、
アフガンやイラクへの攻撃で何千、何万という死者を出すことには
それほど痛痒を感じていないように見える。
 それはともかくとして、
同年生まれの私は実にテレビの歴史とともに
生い育ってきたわけである(笑い)。
 わが家にテレビが来たのは小学二年のときだった。
「チロリン村とくるみの木」「新日本紀行」「スチャラカ社員」
「次郎物語」「巨人の星」「ガリバー旅行記」などなど
いろいろ思い出に残る番組はあるが、しゃくなことに
変に耳にこびりついたものとして、小林亜星のCMソングがある。
「わ、わ、わーの輪が三っつ」の「三ツ矢サイダー」などなど。
記憶させることにかけては彼は才能があったというべきか。
 それにしても、体調の悪さから寝はぐれた深夜など
テレビがなかったら一体どうして過ごしていたのだろう?
とつくづく思い知らされる。

★きょうの短歌
雪国の車いす乗りたちのこと年に一度は思う大寒     虎












■第百一回 (2003年2月3日)

 昨年から町の身障者協会の地区役員を仰せつかっている。
先だって初めて役員総会というものに出席した。
そこで、年に一度の研修旅行に電動車いすで参加したいから
社協のリフト車を借り運転手と看護士を付けられないかと言ったら、
予算や人手や手間の関係からすまんが遠慮してくれと
遠まわしに断られた。障害の軽いお年寄ばかりで行ってるのだ。
 あまりの返答におとなしい私もさすがにカチンときて、
こういう機会にこそ、ふだん外出することの少ない重度障害者を
率先して参加させるべきではないかと、お歴々相手にミニ演説をぶったが、
はたしてどれくらい効いたかわからない。
田舎というのはそういうものだ。

★きょうの短歌
歴史から学びとれない人たちの声のでかさよ涙もろさよ    虎彦 











■第百回 (2003年1月31日)

 昨日佐賀市の「アーガス」へボウリング大会に行った。
全国脊髄損傷者連合会佐賀県支部の主宰。
参加者は25名くらい。私は頸髄損傷の部優勝!
といっても参加者は2名(笑い)。
最高点は自己新記録の92点。
ストライクとスペアーが一回ずつ。
ほかのみんなガーターばかりで溝掃除(笑い)
来年は100アップが目標だーっ。
 それにしてもだ。ボウリングの前に隣接したファミレスで
昼飯(ステーキとワイン)を食って力をつけていこう
(アルコールで起立性低血圧と過緊張反射の汗を抑えていこう)
という腹づもりでいたのに、なんと玄関が改装され
昨年はあったスロープがなくなっていた!
一体どういう神経をしているのか疑ってしまったぜ。
 しかたがないからその隣りのベーカリーレストランへ入り
シナモンロールとグレープフルーツジュースで
ぽそぽそと腹を満たした。
それだけが心残り。
食い物の恨みは恐ろしいぞ。

★きょうの古いギャグ
ボウリング場でのストライキ!      虎彦













■第九十九回 (2003年1月29日)

 1月14日から勃発していた障害者支援費制度の上限問題で
全国の障害者たちによる撤廃行動の結果、厚生労働省は27日
「上限は作らない、現状サービスは原則として確保される」
という回答を発表しました。まだ満足していない団体もありますが、
とりあえず一段落したところです。
 この間、ご協力いただいた皆様たちには心よりお礼申し上げます。
私も自分にできる範囲でささやかながら支援してきましたが、
地方の小さな声でも結束すれば大きな力になれるのだ
ということをあらためて教えられました。
 とはいえ、今回のような騒ぎで障害者(団体)が何か
頑是ない圧力団体のように受け止められ、
「障害者は怖い」とか「寄りつきにくい」「わがままだ」
というようなイメージを持たれるのも困ります。
 あたりまえのことながら、障害者も十人十色ですから
これからも何とぞよろしくお付き合い願います。

★きょうの短歌
ガンジーの無抵抗主義はやらなくなっても胸に燦然とある   虎彦













■第九十八回 (2003年1月26日)

 文芸同人雑誌「火山地帯」133号(立石富男編集、鹿児島県)の
「人間への道」(山下多恵子)を読んでいたら、
ハンセン病の作家島比呂志(本名・岸上薫)さんが
「らい予防法」廃止と国家賠償訴訟に勝利したあと
故郷の徳島県観音寺市に一時的に帰郷したいという旨を、
養女の昭子さんが打診したところ、弟と妹さんが
「頼むからこないでくれ」と切々と泣いて訴えられた、
というくだりがあって、胸がつぶれてしまった。
 いまだにそういう状況が続いているということだ。
故なき差別と偏見の後遺がいかに根深いか思い知らされる。
そして、もし私が弟さんだったらどうしていただろう?
ということを考えてみないではいられない。
 島さんからの手紙の書痙で震えた文字を読み直しながら
知らずしらず奥歯をぐぎぎと噛みしめている私だった。

★きょうの短歌

理念では立ちゆかないと知るまでに四半世紀の電動車いす   虎彦













■第九十七回 (2003年1月21日)

 この一週間ほど、あるすったもんだが続いている。
今年の四月から導入される障害者の支援費支給制度で、
厚生労働省の郡司課長が「ホームヘルプの上限を月120時間とする」
腹案をすっぱ抜かれ、障害者団体などから猛反発を食らっているのだ。
 120時間といえば一日4時間である。
程度の軽い障害者たちにはそれでも十分であろうが、
全身性のマヒで24時間の介護を必要とする
重度の障害者たちには死活問題となる。
 厚労省が言うには「国の支出がそれだけで
それ以上は各自治体の責任で上乗せしてもらう」ということらしいが、
財政難の地方にそれを望むことは難しい。
 そこで日本中さまざまな障害者団体が足並みを揃えて、
(これは戦後初めてのことらしいが)
連日厚生労働省に詰めかけて交渉している。
しかし先方の態度は頑なで予断を許さぬ状態だ。
 そこでインターネットのメーリングリストなどを通じて、
全国の障害者たちが活発に働きかけを行っている。
私も関係している雑誌などに訴えかけたり、
厚生労働省のホームページに意見を書き込んだり、
メールで友人たちに呼びかけているところだ。
障害者たちがこれほどの組織力を示したことはない。
 それにしても、お役人たちには都市部の四肢マヒ者などが
何十人もの介護者(ボランティアも含めて)に支えられて
自立生活している様子がおそらく恐怖に映っているのではないか。
それを全額負担するということになると大変だし、
少子化の時代には介護の人数が足りなくなるのではないかと。
日本中の四肢マヒ者がそうして自立した姿は痛快だが、
正直いってそれは私にもなにがしかは恐怖と映る。
 とはいえ、市町村合併が時代の趨勢だと彼らが言うように、
これもまた時代の流れであろうから、避けて通ることはできまい。
確かに財源はいくらあっても足りないだろう。
 そのためにこそ高速道路やダムや架橋や護岸などなど
工共事業の無駄遣いなんかしてる場合じゃないのである。
天下りもやめ族議員や官僚も半減させるくらいの覚悟でないと
とうてい立ち行くまい。
 神楽坂あたりの料亭の奥深くで吸った揉んだしてる場合じゃない。

★きょうの短歌

とやかくも内部告発しなければおかしくなってしまう男たち   虎彦













■第九十六回 (2003年1月15日)

 昨日、東京の「WE'LL」誌から取材にこられた。
加藤薫さんというやり手の美人ライターだ。
今年四月から始まる障害者への支援費制度と
長年の懸案となっている無年金者問題に対する
地方からの声を聞きたい、ということらしい。
 私も不勉強で立派な持論など披瀝できそうもないので、
ほかの障害者の友人たちにメールで意見を聞いたりして
なんとかかんとかそれらしいお答えをした。あんなものでも
少しはお役に立てれば幸いである。
 それにしても、取材の間じゅう小便の出が悪く
顔じゅう汗まみれになって失礼してしまった。
薫さん、お許しください。

★きょうの短歌
すれちがう電動車いすおじさんの膝掛けはいつもバーバリー   虎彦










■第九十五回 (2003年1月7日)

 障害にまつわる言葉の言い替えには、
みんな苦労しているところだが、先日面白いのに出会った。
エッセイスト三宮麻由子の「そっと耳を澄ませば」の中に、
「視覚障害者」を盲学校生たちが「お目ご不」と呼んでいるというのだ。
つまり街なかで「お目がご不自由で大変ですね」と
声をかけられることが多いところから来ているという。
 こういう短縮語の感覚は若者にはとうていかなわない。
年配者の中には眉を顰める人もいるだろうが、
私など面白いばかりで一向に苦にならない。
過剰な思い入れのないところがいい。

★きょうの短歌
その車内あかあかと見せて夜のバス過ぎれば旅愁めいてくる   虎彦











■第九十四回 (2003年1月6日)

 皆さん、お屠蘇気分も何とか抜けてきたことでしょう。
そこで昨年に続き今年も年末年始の映画ベスト10を発表します。
(ただし世間から一、二年遅れなのは悪しからず)

@ 「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」(英、アナンド・タッカー監督、エミリー・ワトソン主演、2000)
A 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(独、ビム・ヴェンダース監督、ライ・クーダー主演、2001)
B 「GO(日、行定勲監督、窪塚洋介主演、2001)
C 「グリーン・マイル」(米、フランク・ダラボン監督、トム・ハンクス主演、2000)
D 「ヒマラヤ杉に降る雪」(米、スコット・ヒックス監督、工藤夕貴主演、2000)
E 「ダンボールハウスガール」(日、松浦雅子監督、米倉涼子主演、2002)
F 「キャリー」(米、ブライアン・デ・パルマ監督、シシー・スペーセク主演、1976)
G 「最終絶叫計画」(米、キーナン・ウェイアンズ監督、ショーン・ウェイアンズ主演、2000)
H 「MONDAY(日、SABU監督、堤真一主演、1999)
(10) 「東京日和」(日、竹中直人監督、中山美穂主演、1997)
() 「風花」(日、相米慎二監督、小泉今日子主演、2000)

   ○講評
@は昨年の一位「奇跡の海」(デンマーク、トリアー監督)と同じくエミリー・ワトソン主演で、その演技力にまたまた泣かされた。
Aは西欧の電子樂器のがなりとは違って、キューバの老人たちのアコーステックな演奏が温かい。
Bは在日朝鮮人を窪塚が体当たりに演じていて痛快。
Cは刑務官と黒人死刑囚の超能力との出会いが重い。
Dは米映画初の日本女性主演ということで期待したが、工藤はやや一本調子。
Eは
OLがいきなり路上生活者になる筋立てに無理があるが、米倉はなかなか好演してるんじゃないの。
Fは古いホラーだがこんなに面白いとは知らなかった。
Gは「スクリーム」のパロディーでとにかく笑わせてくれる。
Hはサブ監督の異能に舌を巻く。

(10)
は竹中監督ほかが中山を過大評価しているのではないか。

★きょうの短歌
してみると短歌俳句はあんまりうまくならないほうがよろしい   虎彦











■第九十三回 (2003年1月5日)

 正月には同級生が四人遊びにきてくれた。
お土産の泡盛とめんたいこなどを美味しくいただいた。
それ以外は普通の日々と何ら変わりなかった。
 MLでは、初夢の「1富士2鷹3茄子」につづくものとして
「4扇5煙草6座頭」というのがあり、最後とはいえ
障害者が出てくるのは面白いと話し合ったりした。
 そんな4日の夜、初夢らしきものを見た。
さる未開の部族の神域の上空を、ジェット戦闘機でかすめ飛び、
族長から死刑を言い渡された。そんなアホなと歯牙にもかけなかったが、
部族の広場に呼び出され、乙女らに最期のもてなしを受けているうちに、
次第に死の恐怖が実感されてくる。それはそれは恐ろしかった。
 やはり死ぬのはイヤだ、シベリア流刑のドストエフスキーのように
処刑の直前に恩赦を言い渡されれば嬉しいがなあと、
藁にもすがる思いでいると、案の定さるおエラ方から通達があり、
一命をとりとめることができた。
 夢から覚めて私はことのほか胸をなでおろしたことだった。
ちなみに私は今までに正夢を見たことはない。

★きょうの短歌

春よこい早くと願うのはミヨちゃんだけじゃない電動車いす   虎彦




 







■第九十二回 (2003年1月1日)
 
 皆さん、銀銀河新年といきたいところですね。
拉致問題など持ち越されたままで多難が予想され、
最悪のシナリオが脳裏をよぎったりしますが、
お互いに相手の立場を思いやる度量を持ちたいもの。
奥歯をぐっと噛みしめてこらえていきましょう。
夜明けの闇が最も深いのですから。

★きょうの短歌
タマネギを廃棄している夕空が北までずっとつながっている   虎彦









■第九十一回 (2002年12月23日)

 石原都知事がまたまたやってくれた。
「文明の産みだした最も悪しきものはババアだ。
生殖機能をなくした者を生かしておくのは害悪だ」
というような旨の某大学教授の言葉を雑誌で引用したのだ。
こうるさいフェミニストや人権擁護団体への意趣返しで
ついポロリと本音が出たのだろう。 
 「引用しただけ」と言っても、彼の立場ではそうは受け取られないし、
まともな神経をした人間なら初めから引用などすまい。
こんな人物が都民の80%近くもの支持を得て(半年ほど前の調査)
首都の知事を続けていることのマカ不思議。
 まあ、銀行税やホテル税などいくらかの政策が受けているのと、
中国や朝鮮や外国人労働者に対する攻撃的な発言が
牽制の役割を果たしているという側面を評価されてのことだろう。
(もっとも最近は中国など氏の発言をいちいち取り合わなくなっているが)。
 それだけ都民は不法滞在者などにイラ立っているのだろう。
またほかにめぼしい人材がいないのだろう。
そして怒声に気圧され正常な判断ができなくなっているのだろう。
 それにしても「生殖機能をなくしたー」云々の無神経さはどうだ。
氏の母親も妻も(やがては娘も)それに当てはまることになる。
そして私たち障害者をも遠回しに名指しているのだろう。
 そのうち「障害者は役立たずだから税金をつぎ込むのは無駄だ」 
などという言葉を引用してくるにちがいない(笑い)。
 つくづくとあさましく情けない年の瀬である。

★きょうのギャグ
ひきずりおろし太陽の季節      虎彦













■第九十回 (2002年12月8日)

 先夜、頸髄損傷から癒える夢をみた。
ちょきちょきと立って歩ける自分が信じられず、
これは夢ではないかと訝り、そのため
「きょうは2002年O月O日」「きょうは2002年O月O日」と
何度も確かめずにはいられないのがおかしかった。
そのくせ何日だったかはっきりしない。
 歩けるようになったからといって、
愛犬と大野原を走りまわるわけでもなし、
嬉野のソープランドに飛び込むわけでもなし、
いつものようにボランティアの女性と粛々と仕事をした。
 そのあいだじゅう『こおつと、足首の関節が固まっているし、
足指も変形しているのだから、すぐに歩けるはずはない』と
私はわりあい冷静に怪訝を抱きつづけていた。
 案の定、(夢の中の)あくる朝目を覚ましてみると、
私の身体は元の黙阿弥にもどっていた。
 夢から覚めると私はことのほかさめざめとした気分だった。
ちなみに、私は今までにまさ夢をみたことはない。

★きょうのギャグ

 まさ夢さか夢まさか夢   虎彦










■第八十九回 (2002年11月26日)

 デジカメを買った。
ようやくひと通りの扱いに馴れたところだ。
なにしろ指の動く健常者を基準に作られているから、
四肢マヒ者が使うにはストレスの溜まることおびただしい。
 ともあれパソコンにつないでメールに添付したり、
ホームページの画像掲示板にアップしたり、
いろいろと使い道が広がっている。
 その中でも、書評欄を担当させていただいている
「日本せきずい基金」ホームページの関連著書(書評)欄に、
今までは文章だけで硬い感じが免れなかったところへ、
本や著者の写真を撮って送れるのがいい。
これで少しは親しみやすくなるだろう。
 書評はいつのまにか170冊ほどにもなっている。

★きょうの短歌
眠られぬおでんの夜にごくごくとらっぱ呑みする水の惑星   虎彦











■第八十八回 (2002年11月15日)

  さみしい湯があふれる(種田山頭火、昭和7年、嬉野温泉にて)

 山頭火が嬉野で詠んだ句は七つほどあるが、この句はあまり引用されない。「さみしい」が町のイメージを暗くすると思われるのだろう。しかし嬉野がさみしいと言っているのではなく(それどころか「うるさいくらい」と日記には書いている)、漂泊の人生に重ね合わせられているのである。よしあしはともかく、いかにも山頭火らしい。
 山頭火は時雨が嫌いであった。行乞をしていたので身体に応えたらしい。はてさて、そんな時雨が通りすぎ木枯らしが吹きはじめると、山頭火のように温泉場が恋しくなるのは日本人ならではの性情であろう。それは障害をもつ人たちだって変わりない。

 わがふるさと佐賀県嬉野温泉もかきいれ時となるわけだが、うちつづく不景気風にあおられて、六十数軒の旅館やホテルも苦境を強いられているようだ。嬉野の特産を活かして露天のお茶風呂やお茶会席料理、湯豆腐まつり、シーボルトの足湯、巨大有田焼の湯壷、桜ウォークラリーなどなど、あの手この手の懸命な工夫がなされている。その苦労がしのばれるにつけ、お世話になっている町民の一人として私たち障害者も何かのお役に立ちたい。

 過日、某新聞のコラムで「熱海の温泉が苦戦しているのは男性客の宴会を中心にしてきたから。それにくらべて湯布院が好況なのは女性客を大事にしているから。男性客目当ではもう駄目かもしれない」と辛口な意見がのっていた。それに付け加えさせてもらえば「身体の不自由なお年寄りや重度の障害者も大事にすれば、そのうち有望なお得意様となる」と言えるだろう。
 なにしろ灯台もと暗しと言おうか、嬉野町内に住みながら私は障害者になってから二十八年、まだ一度も旅館やホテルの湯につかったことがない。野趣あふれる露天風呂など夢のまた夢である。
 そのため、インターネットで他県の障害者から「嬉野温泉に行きたいが、(電動)車いすでもアクセスのいい露天風呂を教えてほしい」などと問い合わせがきても、おいそれとは答えられないのがもどかしい。むしろ彼らから感想や使い勝手を教えてもらったりする始末である。 
 たとえば広島県の頚髄損傷で通称ゾロさんは大の温泉好きで、電動車いすでヘルパーさんと各地の名湯をめぐりその写真をホームページに掲載したりしている。専用の首枕(百円ショップ製)をつけ股間には桶をかぶせて大の字に浮かんでいる姿は痛快である。

 私だってもちろん子どものころは、「古湯」や「元湯」という公衆浴場に毎週末のように家族連れでつかりにきていたし、障害者になってからも入院先の国立嬉野病院の名物となっている温泉リハビリプールで浮き輪につかまってぷかぷか泳いでいたりはした。また訪問入浴介護のサービスでは温泉の湯が使われてもいる。
 だから嬉野の湯そのものについては知り尽くした気になっていた。ところがいざ退院してみると、重度の四肢マヒ者が電動車いすでも気楽に出入りでき、各種の設備がととのい、介助を気がねなく頼めるような旅館やホテルを探すのは難しい、という現実に呆然とさせられた。
 健常な人にはなかなか気づきにくいだろうが、電動車いすでいく場合チェックポイントとなるのは、玄関のスロープ、廊下の段差や階段や曲がり角の幅、エレベーターの広さ(電動車いすは意外とかさばる)、トイレ(ウォシュレット付きが望ましい)、露天風呂までの足場と距離、電動リフターのあるなし、浴槽まで抱えてくれる人、着替えのとき介助してもらうノウハウ(家族が付き添ってゆくにしても、一人では抱えきれないから)などである。
 それらが完備しているところは残念ながらほとんどない。というのも昔ながらの旅館の造りや日本庭園や岩風呂など伝統的な風情を売りものにしているところが多いから、現代的なアクセスとは相容れない局面がどうしても出てくるのである。そのジレンマには私たち障害者自身だって悩むときがある。

 しかし先進的な他県の障害者たちの活躍にくらべられると、私たち地元の障害者がいかに働きかけを怠ってきたかと責められてもいたしかたない。後につづいてくる障害者たちからも「先輩たちは何をやってたのか!?」と笑われるだろう。
 そのため、昨年から開いたホームページに「嬉野温泉だより」として、今までにイベントなどで訪ねた数軒の旅館と観光課から聞き集めた主な旅館のアクセス情報を一覧したり、嬉野温泉と吉田の焼き物の歴史をずいそう誌に発表したり、町政への投稿ボックスや知り合いの旅館主などに改善をお願いしたりしている。先日は高校卒業三十周年の同窓会が「和楽園」で開かれたので(ふだんはあまり出席しないのだが)、いい機会だと思いアクセス調べをかねて館内を見て回ったりした。
 できれば全旅館・ホテルを訪ね歩き、電動車いすの足で調べた細かなアクセスのもようを冊子かホームページにして、全国の障害者たちに利用してもらいたい。しかし自分の原稿書きに追われてきたのと、年々身体の具合が思わしくなくなるのとで、ついつい後回しになってしまっている次第である。

 そんなときメール仲間から耳寄りな情報をいただいた。熊本県の山鹿温泉の「かんぽの宿」には電動リフターを備えた温泉があり、実際に訪ねた四肢マヒ者たちによると大変バリアフリーで使い勝手がよく、人頼みのストレスを感じることもなく、生まれて初めてと言っていいほど気持ちよく湯治を楽しめたと、感激の声を伝えてきてくれた。私もいつか訪ねてみたいと思っている。
 わが町の旅館組合や商工会や町議や観光課の方々もぜひ視察に出かけられて、良いところはどしどし取り入れてほしい。そしてとりあえずはモデルケースとなるような施設をどこかに設けてほしい。
 理想としては、四肢マヒ者が電動車いすで一人で行っても、ちゃんとヘルパーや看護士の資格をもった職員に衣服の着脱や清拭を手伝ってもらえる、そんなレベルまで念頭に置いておきたい。電動リフターが無理なら入浴専用の手押し車いす(アルミ製のシャワー椅子のようなものでもよい)を常時用意しておき、それに乗ったままスロープ付きの浴槽に入れるような工夫も楽しいではないか。

 『そんな手間ひまのかかる設備を誰が好きこのんで・・・・』と最初は相手にもされないだろう。しかし何事も慣れてしまえばそれが新たな常識となってゆくものである。日本中には温泉好きな障害者(とその家族)もたくさんいるはずだから、採算としても十分将来性があると思う。現にこの私がいちばんまっ先に出かけたい。今なら先進地となって取材や視察客なども望めるだろう。
 そんな夢のあれこれを思いめぐらしているうちに、思わず『こおつと、嬉野の露天風呂にどんつかって、ゆたーっと手足ば伸ばしたこんな、褥瘡てん赤味てん痙性てん胃痛てん、一発でぴしゃーって治るやろうばってんなあ・・・・・」と呟いている私だった。これがそれほど身のほど知らずな願いだろうか。

★きょうの短歌
縄抜けの術のようにもくずれ落ち電動車いすから放たれる   虎彦









■第八十七回 (2002年11月10日)

 「日本初の車いす司書」とか「日本初の車いす弁護士」
というような言いかたはするが、
「日本初の車いす百姓」とか「日本初の車いす漁師」
という言いかたはしない。
 理由はおおかたおわかりだろう。
そこで「奈津ちゃんはバリバリ豚を飼っている」 
などという句を作ったりした。
はてさて・・・・・・・。

★きょうの短歌
きちきちと鳴いてもバッタさほどまでありがたがられはしない野のすえ   虎彦














■第八十六回 (2002年11月3日)

 同人雑誌を発行していると、いろいろなご意見をいただく。
その中でもSさんは辛口である。個人的な恨みでもあるのではないかと、
勘ぐりたくなるほどである(笑い)。
 彼女が言うには「『障害者の文学』って一体何ですか?
中島さんには障害とは離れた小説を書いてもらいたい。
それができる人だと信じています」と。
 いやあ、またかあ、まいったなあ。
これだけ長いこと追求して本も出しているというのに、
まだわかってもらえないとはどういうことなんだろう?
「はじめに」を読んでもらえばわかっていただけると思うのだが、
彼女はインターネットをやっていないしなあ。
本もたぶんちゃんとは読んでくださっていないのだろう。
 言っておくが、私は障害と離れた小説も書いている。
確か昭和55年頃、県文学賞の三席になった「あをみどろ」や
(ただし一条すみをというペンネームなので、
ご存知ない方も多いだろう。彼女もおそらく知るまいと思う)、
その他「ペン人」発表の「へのもへ日誌」シリーズの中の数篇など。
 しかしそこまで目を配ってくれる人はなかなかいない。
教えてあげればいいのだけれど、なんとなくこちらも意固地になり
向こうが気づくまで放っている次第である。
 こちらは「はじめに」にも書いたように障害者ものという意識は
もうほとんどなくて、現実社会の中のほんのありのままの一コマ、
という感じでそこから「文学」や「人間」の普遍的な真実に迫りたい、
と思っているのだが、それが伝わらないとすれば、
私の表現力の未熟さもあるのだろう。
 しかしそれだけとも思えない。
察するところ彼女は「障害者もの」が大嫌いなのだろう。
マヒやら縟瘡やら粗相やら介護やらヘルパーやら片恋やら
陰気臭くてたまらない、もっと普通(一人前)の人間の愛や苦悩など
人生の大問題に男なら正面から取り組んでみろ、
とでもいうところなのだろう。
 その気持ちがわからないではない。なにしろ好きな井上陽水まで
「悲しい人には会いたくもない」(青空ひとりきり)
などと歌っているくらいである(笑い)。
彼女の求めにも相応の理はあろう。
 しかしながらである。私からも老婆心をひとこと。
彼女はどうも障害や老いから目をそらしているのではないか。
障害や老いが誰にも訪れうるありふれた現実である、
ということから言えば、それはあまりに偏狭な態度ではないか。
障害や老いだってまんざらではないのだから、
そんなに蛇蠍のごとく恐れる必要はありませんよ(笑い)。  
 それにねSさん。障害から離れた小説を書こうと思えば、
ある意味でとても簡単なことなんですよ。
モデルのもう一つの人生を生きるのも楽しいことでしょう。
 いつでも書けるけれど、その機が熟していないとでも申しましょうか。
まあ、それは先の楽しみに取っておきますよ。
 それに私がSさんのような小説書いたってしょうがない。
それではリアリティーを感じられないんだから。
 私はやっぱり自分にとって一番しんどいところへ
立ち向かっていかずにはおれないでしょう。  
あしからず。

★きょうの短歌
野ねずみに埋められて食べ忘れられ芽を出すどんぐりのような幸    虎彦












■第八十五回 (2002年11月2日)

 私には次のような強迫観念がある。
すべり台をすべっていると、釘が一本突き出ていて、
お尻が引き裂かれるというものだ。
気持ち悪くなった方はごめんなさい。
 いつからそんな妄想を抱くようになったのか、
つらつらと思い返してみるうちに、あることに気づいた。
頸髄損傷になって入院しているとき、毎日のつらい膀胱洗浄と
バックカテーテルの交換をしてくださる看護婦さんのうち、
ある新婚ほやほやの方が私への処置をしくじって、
ノーボンにぶわーっと鮮血を溢れ出させたことがある。
彼女は一秒でも早く仕事を終えて旦那に迎えにきてもらうことだけを 
楽しみにしているような看護婦さんだった。
 それからしばらくは、深夜にベッドから転げ落ちた拍子に
カテーテルが引き抜け、膀胱や尿道がずたずたに引き裂かれ、
鮮血にまみれる自分というイメージが抜けなかった。
 それはいつのまにか薄れていったが、入れ替わりに
先のような強迫観念が表れてきたのではないかと思う。
精神医学の専門家が読んでくださっていれば、
なんらかの分析をしていただきたいところだ(笑い)。
 ともあれ、転んでもただでは起きない私のこと、
それを次のような短歌にした次第である。こうやって、
表現してしまうことで何らかの治癒に向かえるのではないかと
ひそかに舌なめずりしている私でもある。   

★きょうの短歌
すべり台に釘が一本飛び出しているんじゃないかこんな夕暮れ   虎彦









 




■第八十四回 (2002年10月26日)

 人間は何によって励まされるかわからない。
たとえば私は毎晩1時間ごとに起きて小便をしたり、
体位交換をしたりするため、ほとんど熟睡できない。
そんな夜がもう28年もの間続いている。
たまに2、3時間ぐらい続けて眠れると、
奇跡が起こったかのように嬉しい(笑い)。とはいえ、
50近くなってさすがに疲れが癒しがたく感じることもある。
 そんなとき、神奈川県浦賀に住む同じ頸髄損傷のSさんが、
「私は30分ごとに痺れで目が覚めて体位交換します」
とメーリングリストに書き込んでおられるのを見て、
『おおーっ! 私より上手がいる、しかも女性で・・・・・』
普段の彼女は元気はつらつなので、驚かされた。
 現金なことに私は少し気が楽になった。
もう少し元気を奮い立たせて生きてゆけそうな気がした。
本当に人間はどんなことで人を励ませるかわからない(笑い)。
 さて、教育審議会が「子供たちに愛国心を持たせる」
という方針を打ち出したとか。それで子どもたちが本当に励まされたり
奮い立たされたり癒されたりすればいいのだけれど・・・・・。
キム・へギョンちゃんのような子をいっぱい作ろう
というわけでもあるまいに。

★きょうの短歌
過緊張反射の汗を木枯らしに乾かされながらうれしのへ行く   虎彦















■第八十三回 (2002年10月19日)

 先日、ここの「抜粋」欄を読んでくれた障害者の歌人から
「障害者、健常者ともにバリアフリーの社会を作ろうと
努力している時に、『障害者の文学』というのはいかがなものか」
というご意見をいただきました。
 いやあ、まいったなあ。確かに「抜粋」欄だけ読んだ人からは
『何のために障害者の書き手ばかり寄せ集めてるのか?』
という不審を抱かれても無理はありません。
 ここの常連さんたちの中にも同じように感じていた人が
おられるかもしれないなあと頭をかきました。
その点では不親切なホームページであったかもしれないと
ひとしきり反省したことでした。
 しかし誤解を抱かれたままでは私も気持ち悪いので、
このようなホームページを開くに到った経緯を、
メニュー画面に「はじめに」という一文をつけて、
あらたにご説明させていただきました。
以後よろしくお願いいたします


★きょうのギャグ暗号

しすせそのまみむも通りをりるれろ言葉のちつてとが
かきくこでたちつとしながらたつてとしたとさ         虎彦  
















■第八十二回 (2002年10月18日)

 この十月、「ペン人」27号を出した。
一年ぶりだが、最近では間近いほうである。
なにしろこの数号は二年に一度のペースだった。
今号は全原稿を私がパソコン入力してメール送信したので、
だいぶ費用が安くなるかと思っていたが、
ページ数が多かったので結局たいした違いはなかった。
ともあれ誤字や誤植は一つもないはずである。
これは同人雑誌の品位にかかわることなので、
ちょっとばかり気分がいい。

★きょうの短歌
日本晴れノーベル賞と盗撮がひとつながりに報じられる  虎彦













■第八十一回 (2002年10月10日)

 
ブッシュ・ドクトリンをななめ読みしながら、
ほとほと呆れかえってしまった。
建国以来初めてと言っていい本土攻撃を受けたことで、
ここまでとち狂ってしまうものなのだろうか。
 はからずもケビン某の言葉を思い出させられた。
ケビン某とはTBSの「ココが変だよ日本人」という番組に出ていた
数多の外国人の中の一人で、日系と思われるアメリカ人である。
ナショナリストで暴言癖のある彼が言うには、
 「話し合いで解決しろなんて言うけどねえ、このスタジオに集まった
外国人たちがてんでんばらばらに意見を言い合うだけでも、
さっぱりまとまりゃしないじゃないか。だから仕切る奴が必要なんだよ!」
 つまり唯一の超大国アメリカが仕切るのだというわけである。
例によってスタジオ中の大ブーイングを浴びていたが、
このたびのドクトリンの論法はこれとおんなじである。
してみるとブッシュとケビンのおつむの程度は同じらしい。
 

★きょうの短歌
ケンカ中にうんこを拭いてもらうにはどういう声を出せばいいのか   虎彦












■第八十回 (2002年10月3日)

 このごろ変な大人が増えたなあ、とは常々感じていたが、
今度ばかりはさすがの私もたじろいでしまった。
 歌集「夜明けの闇」を送ってほしいという手紙があり、
(しかもサインと先方の希望の言葉も書いてくれという所望)
仰せのとおりにして振込用紙と一緒に送ったのだが、
何ヶ月たっても音沙汰がない。忘れておられるのかなと思い、
再度手紙と近作のコピーと振込用紙を送るが返事はない。
 ちょっとムッとして再々度送ると、いきなり本が送り返されてきた。
しかも私の署名した相手の名前の部分だけ無残に切り取られている。
二回めの手紙とコピーも同封されていたが、コメントらしいものはない。
 これはいったいどういうことなのだろうか? まるで白日夢みたいだ。
歌集の内容が気に入らなかったのだろうか。
(それはありうる。というのも相手は障害者で、私の歌集は
いわゆる障害者を励ますような性質のものではないだろうから)
 あるいは本を注文したあと本人が急逝したのかもしれない。
事情の飲み込めないご遺族が仕方なく送り返してきたのかもしれない。
いやいや縁起でもない。いずれにしても一言ぐらい書き添えておいてくれれば、
こちらもこんなに首をひねらなくて済むのだが・・・・・・。
 つくづくと変な大人が増えてきたものだ。

★きょうの短歌

コンビニで海老天どんを買って食う四十九回めの誕生日   虎彦














■第七十九回 (2002年9月27日)

 さる10月28日29日と、「はがき通信」懇親会で京都へ行ってきた。
世話役の向坊弘道さんのつてで西本願寺の聞法会館で行われた。
うちも浄土真宗なので一度訪ねておきたかった。
 なんとかの高上がりで、京都タワーから見下ろすと、
古い町と新しい街が共存していて感心させられた。
 東西本願寺のまわりにはお堀がめぐらされ
まるでお城のようでもあった。時の権力と無縁ではありえなかったのである。
また寺の内紛もときおり聞こえてくるし、その因果応報観のため
中世のハンセン病者たちなどは悲惨な境遇に追いやられた。
しかし同時に寺の境内が彼らの救護院になっていた面もある。
そういう歴史を思うと複雑な心境であった。
 烏丸通りでは鐘屋さんもあっていかにも京都らしかった。
画像掲示板に写真を載せているが、
あんなものおいそれと売れるのだろうか。

★きょうの短歌
歳時記を読めば使ってみたくなるあたりから始まる月並みの句   虎彦













■第七十八回 (2002年9月25日)

 さる9月14日、鹿島高校第24回生の卒業30周年記念の同窓会が
嬉野温泉のホテル「和楽園」で行われた。灯台もと暗しというか、
和楽園は初めてだったので、車いすのアクセス調べもかねて行ってきた。
障害者になってから同窓会は二度めだったので、
それほどプレッシャーはなかったが、見渡してみると
私が一番はげ強いる人生を送っているようだった(笑い
)。

★きょうの一句
 お話の最後はとっぴんぱらりのぷ    虎彦















■第七十七回 (2002年9月23日)

 北朝鮮による拉致被害者の情報は残酷なものだった。
韓国には500人近くの被害者がいるということも知らなかった。
残されたご家族の心中はいかばかりだろう。
憤懣やるかたない思いも無理はない。
 しかしである。憤懣がつのればつのるほど
私たちは先の大戦中の横暴を思い出さないわけにはいかない。
向こうの遺家族もやはりこんな思いをしていたのである。
それを思えばかぎりなく胸は晴れない


★きょうの短歌
墓所までは入れなくても彼岸なのだから汲み取ってくださいませ   虎彦

















■第七十六回 (2002年9月11日)

 メニューに「映画」欄を新設し、映画の中の障害者像として
第一回めは「ブリキの太鼓」を予告したので、
ギュンター・グラスの原作本など読んでいるところだが、
その中に次のようなセリフが出てくる。

 「われわれは観客にはなれない。芸を見せないでいると馬鹿にされる。舞台も奪われる。祭りの場を占領して、たいまつ行列をやるだろう。演壇を作って観衆を集め、われわれを滅ぼそうとするだろう」
「君は必ずまた来る」
「われわれは大男の言うことを信じてはいか
ん」

 サーカスの小人の道化頭目ぺブラがオスカル少年を諭す場面だ。
これもまた胸に残る言葉である。

★きょうの短歌
アメリカはなぜ嫌われるのかというシンポジウムも開かれる国   虎彦





















■第七十五回 (2002年8月31日)

 きのうのニュースで、来年のNHK朝の連続ドラマ「こころ」のヒロインに、
佐賀市出身の中越典子(22歳)が決まったと知って、大喜びしている。
数年前「王様のブランチ」のレポーターとして出ていた頃から、
ひそかに目をつけていたのである。
 麻雀パイのリャンゾーのように細い娘だが、清潔感が際立っている。
きっとお茶の間に涼風を吹き送ってくれることだろう。
彼女は西与賀町生まれで、佐賀北高芸術科美術コース卒。
ちなみに私の昔のガールフレンドも北高出身だった。
だからどうしたと言われたら、それだけの話だが・・・・・。

★きょうの短歌
その折の恋人も読んでいるはずの新聞ずいそうを書きついでゆく   虎彦










■第七十四回 (2002年8月24日)

 忘れられない投稿がある。
松本サリン事件の後、オウム真理教に対する疑惑報道が
過熱していたころ、某新聞のひろば欄に載った女子大生のものだ。

 「今のマスコミって騒々しくて、ちっとも静かに真実を探ろうとしない
という気がして、こんな社会に嫌気がさしてオウムに走った人の気持ちが
理解できる気がします。そして、もし、オウムの幹部の人が嘘をついている
としたら、私、これから人間を信じられなくなるかもしれない」


 その後の経緯はご承知のとおりだ。
あの女性はもう30歳近くになっているはずだが、
今ごろどうしているのだろう。ちょっとばかり案じられる。
 その元幹部である上祐史裕が、例のシャクティパットとやらを再開し
また信者たちから高額のお布施を集めているという。

★きょうの短歌
麻原や宮崎以来ほほえましい埋草ばかりじゃいられなくなる   虎彦














■第七十三回 (2002年8月15日)

 きょうは終戦(敗戦)記念日。毎年この時季になると、
下の言葉を思い出し、つくづくと肝に銘ずることにしている。

 「まなぐの見えねえもんにとって、一番ひどかったのは戦争だったな。
戦争になると、まなぐの見えねえもんは、役立たず、言われで、
生きていがれねえもんな。したはんで戦争だば、絶対まいねじゃ」
                              (高橋竹山)

★きょうの短歌
蛍雪の候まだみぬ妻がカップヌードルを喉に詰まらせている   虎彦 











■第七十二回 (2002年8月13日)

 昨日、炎天下の道をもうろうとして帰ってくるとき、
デジャブ(既視感)を味わった。何年ぶりだったろう。
そのときなぜだか、「よし、まだまだ大丈夫だぞ」と思った。
何が大丈夫なんだか・・・・・。


★きょうの短歌
既視感を味わいながら大丈夫まだまだ焼きは回っていない   虎彦













■第七十一回 (2002年8月10日)

 平成13年、大阪の池田小児童殺傷事件の犯人、宅間守被告の供述
「エリートの学校へ入っていても、わいのような訳のわからんおっさんに
一瞬にして殺されてしまうこともある、という理不尽さを思い知らせたかった」
は、むちゃくちゃだがある意味で日本の歴史に残る言葉かもしれない。


★きょうの短歌
そうせずにいられないからああしてるだけなんですよ富弘さんも   虎彦















■第七十回 (2002年8月7日)

 広島、長崎の原爆で亡くなった方々に哀悼の意をこめまして
下記の俳句を捧げさせていただきます。

 きゅうりもみが食べたいと言って死んでいった    虎彦














■第六十九回 (2002年7月28日)

 本日の「asahi.com Perfect : 政 治 : 速報」に、
下記のようなの記事が載りました。

  「学生無年金障害者 厚労相が救済意向。

 坂口力厚生労働相は27日、国民年金が一部任意加入だった時代に
未加入のまま障害を負い、障害基礎年金を受けられなくなった
「無年金障害者」のうち、当面、学生だった人に限り、救済する意向を固めた。
現在の障害基礎年金の給付水準の半額程度を、税を財源に支給する考えだ。
 無年金障害者は約10万人と推定され、障害を負った当時、
任意加入だったため未加入だった主婦や学生、国籍要件のため
加入できなかった在日外国人、強制加入の対象だが未加入だったか
保険料を納めていなかった人、に大別できる。
 厚労相はこのうち、『学生は他の人と比べ、働いて収入を得る能力が乏
しく、保険料を支払うことが難しかった』と判断、救済を急ぐことにした」


 私はまたぞろわが目を疑うようでした。
所属する全国脊髄損傷者連合会を通じて20年も訴えてきて、
厚生省のかたくなな態度に門前払いを食わされてきたのが、
坂口大臣になってから嘘のような変わり方です。
 もちろん手放しで喜びたいのですが、
なにぶんこんな果報に馴れていないので、
「これは何かの政争の具に使われているんじゃないか」
「何かの陰謀ではないか」などと気を回してしまいます(笑い)。
 あまりにも長いこと要望が満たされないでいると、
人間は知らぬまに敗北主義に馴らされるのかもしれません。
それほど疑り深くなっている国民に、政治家たちは
じくじたる思いを味わうべきでしょうね。

★きょうの短歌
丹精をしてもしなくても軒々にノウゼンカズラは鮮やかなこと















■第六十八回 (2002年7月23日)

 去る4月28日にNHKスペシャルで放映された
「奇跡の詩人 11才 脳障害児のメッセージ」という番組。
もしビデオに録画している方がおられましたら、
貸していただけないでしょうか。
 この番組は日木流奈君という天才障害児を紹介したものですが、後日「文芸春秋」誌などで疑問の声が多く寄せられました。
そのためNHKは再放送をしてくれません。
なんとかして見たいのですが・・・・・・。

★きょうの短歌

 煙草屋でも開かせたいという親の「でも」とは何だ「たい」とは何だ   虎彦













■第六十七回 (2002年7月13日)

 この8日、佐賀市のホテル「ルネサンス創世」へ
田口香津子・貝原昭両氏の詩集の合同出版記念会で行った。
出版記念会は草市潤さんの歌集以来十年ぶりくらいだったので、
いろいろ珍しい人たちに会った。それほど私は出不精で、
あちこちに不義理を重ねているのである。
 「ペン人」の合評会などとちがって、みんなちゃんと
本(詩集だからでもあろうが)を読んできているところが
さすがに老舗「城」関係の人たちはえらい(笑い)。
 そういえば以前、折田裕氏もある同人雑誌の合評会へ出て
「驚いたことに雑誌を読んできていない同人がいる」と言って
怒っていたことがある。それはしごくもっともな話だが、
そんなことで怒っていたら地方の同人雑誌など
とっくに全滅していることだろう。
 ところで世話人の俳人と以前いささかの行き違いがあり、
この機会にあらためてお詫びをしようと思っていたのに、
迎えの移送サービス車の都合でかなわなかった。
それがちょっと残念。

★きょうの短歌
たいていのウェイトレスは連れのほうに聞き合わせてくるレストラン  
  虎彦













■第六十六回 (2002年7月1日)

 W杯も終わって、虚脱状態が一カ月は続くという。
それにしても、日本じゅう「にわかナショナリスト」となっていた。
以前はそういう国民性がうっとおしかったが、どうもこれは
ナショナリズムとは少し性質の違うものではないか?
という気がしてきている私である


★きょうの短歌
うれしののソープランドの呼び込みに一度も声をかけられたことがない
 虎彦













■第六十五回 (2002年6月23日)

 W杯の試合開始前に両国の国歌斉唱がある。
たいがいの国の選手たちは高らかに歌っているが、
日本の選手たちは口をもぐもぐやっているだけ。
(中田英なんか本当は歌いたくなかったに違いない)
その口元をアップされるのは見ているほうも複雑だった。
自民党の長老なら「何だ、あれは!」と憤慨するところだろう。
 はてさて、歴史的に賛否両論あい半ばする「君が代」では
選手たちも心から素直な気持ちで歌えないだろうから、
いっそのこと大々的に新しい国歌を公募して
(もちろん候補の中に「君が代」が入っていていいし)
国民投票で決めたらどんなにせいせいするだろう。
それで「君が代」が選ばれたら、潔く従うつもりだ。
 ちなみに、金子みすずのこんな詩も候補にならないか
?

  「おてんとさんの唄」  金子みすず作

日本の旗は、
おてんとさんの旗よ。
日本のこども、
おてんとさんのこども。
こどもはうたほ、
おてんとさんのうたを。
さくらの下で、かすみの底で。 

日本のくにに、
こぼれる唄は、
お舟に積んで、
世界中へくばろ。
こぼれるほどうたほ、
おてんとさんの唄を。
さくらのかげで、
おてんとさんの下で」



















■第六十四回 (2002年6月17日)

 きょうもきょうとて吉田公民館へ行く道すがら、
万財下の橋の欄干にもたれて片尻を浮かし
(縟瘡予防のため30分ごとにこの動作を行う)
やおら起き直って身体の位置を戻しているとき、
反動で反対側のほうへ傾きすぎてしまい、
あっと思うまもなく転落してしまった。
 そのままアスファルトの路面にごろりと横たわり
自分ではぴくりとも身じろぎすることができない。
路面の砂が頬にこすりつけられてくる。
みじめだった。自尊心がこなごなに打ち砕かれる。
一人ではとうてい生きてゆけない私なのだということを、
こうしてときおり棒杭を飲み込まされるように思い知らされる。
(それは傲慢になりがちな日々を誡めてもくれるのだが)
これで十回めぐらいの転落だろうか。
 そうやって30分ほど唇を噛みしめていると、
ようやく一台の車が通りかかり、運転手と同乗の女性が
降りてきてうんうん言いながら抱えあげてくださった。
なにしろこのところ体重が増えっぱなしなのである。
ありがたさと申し訳なさで小さくなりながら、
「すみません、どちらの方ですか?」と名前をお聞きしたが、
「いえいえ」と教えてくださらない。
このあたりでは見覚えのないお顔である。
 やがて去ってゆく車のボディーを見ると、
「嬉野幼稚園」とあり、窓からは小さな園児たちが覗いていた。
なーんだ。幼稚園の送迎車だったのだ。私は何度も頭を下げながら、
さめざめとした気持ちでいったんうちに帰り身づくろいを直し、
(爪先からいくらか血がにじみ、肩と腰が痛かった)
あらためて公民館への用事をすましてきた。
それから幼稚園の園長さん宛てに礼状を書いた。

★きょうの短歌
感謝してもし尽くせぬから押しだまり愛想なしと思われている   虎彦













■第六十三回 (2002年6月9日)

 また誘拐事件があって、解決した後いっせいに報道規制がとかれ、
同じような内容のニュースが各局からくりかえしくりかえし流される。
それを見るたびに私は怪訝にとらわれてきた。
 つまり、誘拐事件の報道はほかの事件のそれとくらべて
バランスを失しているのではないか、ということである。
昨今では誘拐よりはるかに非道な犯罪も増えている。
にもかかわらず誘拐だけはまるで別格扱いである。
 ふりかえれば昭和30年代の「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件」
あたりからではないだろうか。あの事件の衝撃は確かに大きかった。
世の子を持つ親たちの多くは震えあがったことだろう。
そこから「子を持つ親たちの好奇心に応えるために、
これくらい大げさに報道するのは当然だ」
とでもいうような大前提といおうか暗黙の了解が感じられる。
 しかしながら、世の中には結婚できない障害者や
子をもてない夫婦もたくさんいるということをよもや
お忘れではありませんか。そういう人たちはあくまで少数者で
社会の本流からみればしょせん「はんぱ者」にすぎないから、
さして気に留めるほどのこともない、そういう気持ちが
あれらの報道からほのかに感じられるとすれば、
それは私の考えすぎでしょうか??
たぶん考えすぎだろうな。

★きょうの短歌
昼寝から覚めてしばらく妻と子がないことに首をひねりつづける   虎彦



















■第六十二回 (2002年6月5日)

 地元の新聞の「ひろば」(読者投稿欄)に、
ここ数ヶ月、有事法制に対する賛否や、
そこから蒸し返された先の大東亜戦争への評価が
またしても応酬されている。その主な顔ぶれは
湾岸戦争のときもアフガン侵攻のときもほとんど変わりない。
のみならず双方の論調も十年一日のごとしである。
しいて言えば反戦平和主義者のほうがいくぶん
相手の言い分から学ぶべきところはぼうという態度が窺える。
しかし国粋主義者のほうは頑固一徹、微塵も歩み寄らない。
見ていてほとんど笑ってしまう世界である。
 とはいえ、そういうおまえはどうなんだ?
と詰め寄られると不勉強のそしりは免れない。
それでもできるかぎり柔軟な感性を保ちたいとは思う。
有事法制についても首相官邸のホームページに
障害者としての立場から自分なりの意見を書き込んでいる。
 いずれにしてもまちがいなく言えることは、
ああやって投稿してくる者はまだいいほうだということ。
初めから関心も示さず金儲けや遊びに熱中している者が
はるかに多いということのほうが恐ろしい。


★きょうの短歌
 それはまあ鳩が平和の象徴であるくらいにはいただいている   虎彦










■第六十一回 (2002年6月2日)

 
久しぶりに海が見たくなって、
きのう初めて、鹿島市の鹿島港(有明海)まで行った。
わが家から17kmあまり。電動車いすで片道3時間半。
スーパー「ララベル」手前の交差点から曲がってゆくと、
薫風がおもむろに潮風に変わっていった。
潟の海だから泥臭いし水は濁り、唐津の海とは全然ちがう。
それでも山がつの私には目を瞠るようだ。
岸壁には大小の漁船がびっしり舫っていて、
干潮から満潮に変わってゆくにつれ、舳のすれ合う音がする。
天も海も無窮に灰色で沖には何も見えない。
突堤だけがどこまでも伸びている。
私の中の生理的食塩水もたゆたってくるようだった。
近くにこんないいところがあることを今まで知らず、
もったいないことだった。
 そんな圧倒的な風景を眺めながら、
缶ビールを飲み、サンドイッチをぱくついた。
まちがいなく寿命が何日か延びた。
帰りは個人でやっておられる西岡移送のリフト車に送ってもらった。
 ちなみに、先日の老人夫婦の心中未遂事件のためか
すれちがう地元民たちが電動車いすを変な目で見てきた、
そんな気がしないでもなかった。
しかし私には何の他意もなかった。

★きょうの短歌
海の子に絵を描かせると何色の塗りわけかたがうまいのだろう  虎彦
















■第六十回 (2002年5月30日)

 28日におとなり鹿島市で心中未遂事件があった。
83歳の夫が80歳の妻を車いすに乗せて近くの川へ飛び込み、
妻は死亡、夫のほうは40cmの水深で死にきれず生き残った。
妻は以前から身体が不自由で夫やヘルパーの介護を受けていたが、
最近夫のほうも不自由になり、ともに将来をはかなんだものという。
同じ障害を抱える者として、なんともやりきれなく、歯がゆい。
 この手の事件が起きると、よく殺したほうの人間に対して
情状酌量や罪の軽減や助命を嘆願する動きが出てくる。
かつて横浜で母親が脳性マヒの子どもを殺した事件でもそれがあり、
「青い芝の会」が「殺された障害児の人権はどうなるのか!?」
というアピールを強烈に繰り広げたことは有名である。
 「殺すまでにいたった夫や母親(介護者)の苦労も察するに余りある」
という同情は一見もっともらしいが、殺されるほうにしたらとんでもない話だ。
そんな理不尽が繰り返されないために、ホームヘルパーや介護保険の
制度が整えられてきたはずである。実際、鹿島の夫婦の場合も
毎日数時間ずつヘルパーの訪問を受けていたというから、
決しておろそかにされていたわけではない。
 にもかかわらず死を選んだのは、ひとえに老いや障害の受け入れ方に
問題があったと見るべきだろう。80代といえば大正の生まれである。
戦前の軍国教育を受けて成人した二人は、おそらく
「人様に迷惑をかけてはいけない」「自分のことは自分で始末しろ」
というような刷り込みを受けていたはずで、そのため夫婦して自宅に
ヘルパーを受け入れるなどということは申し訳なさのかぎりだという
思いこみからとうとう自由になれなかったのだろう。
 しかしそんなことを気にしていたら、世の中のもっと多くの
重度障害者たちは決して精神的に自立してゆくことができない。
あるときは他人に頼ったってかまわないではないか。
介護してもらうことで何かを伝えてゆくこともできるだろう。
 自ら死を選ぶということは、そういうひそかな闘いを続けている
多くの仲間たちの意気をくじくことになる。

★きょうの短歌
煙草屋でも開かせたいという親のでもとは何だたいとは何だ   虎彦


















 
■第五十九回 (2002年5月25日)
 
 思い込みというものは恐ろしい。
佐賀県呼子町出身でハンセン病の歌人津田治子は
少女期に発症すると家の裏の崖下の小屋に隔離され、
父親の世話を受けたのだが、それは呼子(しかも海岸べた)
だとばかり思い込んでいた。その過酷な幽閉生活を思い、
同行として一度訪ねてみたいと願っていた。
 ところが先日、唐津市の旅館「洋々閣」の名物女将
大河内はるみさんからHP紹介のメールをいただき、
治子の歌碑の話などするうちに、実は治子一家は幼いときに
福岡県の飯塚に越していると教えられた。呼子でないどころか
飯塚は内陸だから海岸べたでもありえないわけであった。
 おかげで私のイメージは大幅に修正されねばならなかった。
なにごとも地元の人に聞いてみないとわからない。

★きょうの短歌
 論客にあなたはいいわよ褒められてばっかりだからとけなされている   虎彦



















■第五十八回 (2002年5月19日)

 18日に広島の頸髄損傷、久留井真理さんご夫妻が
嬉野温泉のホテル「ハミルトン宇礼志野」(ちなみに宇礼志野は
万葉仮名の古語)へ遊びにこられたので、会いに行った。
同人誌仲間の折田裕もくっついてきた。彼は真理さんの写真や
画集「花の日々」を見て、ファンになっていたのである。
あいにく雨がパラついたが、手製の(漬物用)ビニール袋雨合羽を
かぶっていたので、それほど濡れはしなかった。
 ホテルの部屋まで挨拶しにゆき、晴れていれば
町なかの名所(元湯跡、シーボルトの足湯、交流センターの
肥前吉田焼き、瑞光寺の大楠、豊球姫神社の白鯰の焼き物)など
ご案内しようと思っていたのだが、降りやまなかった。
 そこで部屋の中でうだうだと世間話をしたり写真を撮ったりしていると、
夕方になってようやく小降りになってきたので、町なかへ降りた。
ハミルトンの玄関前はすごい急坂なのでちょっと怖かった。
またホテル内に車いす用のスロープはあるがコーナーが狭いので
電動車いすひとりではなかなか難しいだろう。
そのつど介助してくれた折田さんにはお礼の言葉もない。
それに真理さんの旦那さんも相変わらずやさしい人で、
その仲むつまじさにはいつも当てられっぱなしである。
ひとりもんはつらいよ(笑い)。
 とはいえハミルトンは調度類のセンスが際立っている。
それにここの女将さんは論客でもある。
 そこから最短の「温泉食堂」へ向い、みんなで乾杯した。
「温泉湯豆腐」「温泉卵」「ニラ玉定食」「麦焼酎」などなど。
いいあんばいに酔っぱらえたので、まずまずの一日だった。
真理さんたち、明日は竹崎ガ二を食べに行くそうである。
帰り道ではホタルと何度もニアミスをしそうになった。

★きょうの短歌
 車いすの私たちなら二倍にも感じるはずの胸しめつけてくる  虎彦













■第五十七回 (2002年5月12日)

 昨日、嬉野温泉・湯遊広場の「シーボルトの足湯」に行った。
「EINS」3号の編集会議のためである。参加者は小野多津子と折田裕と私。
いずれも初めての顔合わせ。個々の活動はそれぞれ盛んであったのに、
どういうわけか動線がズレていた。それほどこの三人は作風も嗜好も
熱情もてんでんバラバラであると言えよう。それを結びつけたのは
ひとえにインターネットの賜物であると感謝している。
 人間嫌いの小野、不良中年の折田、電動車いすの私のこと、
話し合いのほうは散漫に推移し、編集会議の体もなさなかったが、
世間の狭い私には十分世界を広げてくれるものだった。
 天気予報が外れて寒かったので、交流センターへ場所を移し、
元祖温泉湯豆腐の「よこ町」でお昼を食べて散会した。
カメラを持っていったのにすっかり撮り忘れていた。
やっぱり緊張していたのだろう。

★きょうの短歌
 道草のひとつも私のものじゃなくスズメノエンドウカラスノエンドウ   虎彦
  















■第五十六回 (2002年5月10日)

 国会の証人喚問はすっかりセレモニーになり下がっているが、
あそこでしらじらしく偽証をするということは、そのテレビ映像での
はかりしれない悪影響などを考えると、殺人や強盗や放火より
もっと大きな罪であるといえよう。


★きょうの一句
 シャガの花しゃがんで見ているお釈迦さま    虎彦













■第五十五回 (2002年5月6日)

 有事法案やメディア規制法案など憂鬱な話題のつづくなか、
最近これほどニタニタ笑いさせてもらったことはありません。
「英語で阪神タイガースを応援できまっか」
(シャノン・ヒギンス著、朝日新聞)という本が売れているらしく、、
たとえば、
「いてまえ!」は「Crush them!」
「しょうもないことすな」は「Grow up!」
「いつものこっちゃ」は「As always.」
などと訳されています。しかし何と言っても極めつけは
「やっぱりあかんか」が「Well so much for that.」
という訳。この言葉には阪神ファンの長年の苦汁が
こめられているのでしょうねえ(笑い)。こういう英訳の勉強なら、
私の塾ももっと盛り上がるんだろうがなあ。
 とはいえ今年のタイガースはちょっと違うぞ


★きょうのギャグ
  阪神半疑はもう昔の話    虎彦

















■第五十四回 (2002年5月1日)

 この春は梅が咲いたのも土筆が立ったのもウグイスが鳴いたのも、例年より十日以上早かった。環境の異変かエルニーニョの影響かは知らないが、電動車いすに乗る身としては心配をしてもしきれない。家族の心配ごとにしてもそうだが、なかなかやるせないものがある。せめて犬につながれて散歩に出るにしくはないが、それも亡くなってからは一人でほっつき歩いている。
 そんな中、今年も嬉野町吉田の「おやまさん陶器まつり」(肥前吉田焼き窯元組合主催)が四月五日、六日、七日と開かれた。いつもは嬉野川河畔へのお花見の行きがてに立ち寄っていくのだが、今年はもうどこも散っていた。
 前半はあいにくの雨にたたられた。会場となっている皿屋の吉浦神社(おやまさん)へ通ずる二百メートルほどの窯元通りは全幅テント張りなので、中に入ってしまえば濡れる心配はない。しかしそこまで行く三キロの道のりが、電動車いすにはつらい。七日の午後になってようやく晴れ間が覗いたので、このときとばかり突っきっていった。往還に出ればもうこっちのもんだ。
 カラフルなたこ焼きやクレープや海産物などの屋台が出るのも、この静かな盆地ではなんとなく心浮き立たせられる。肥前吉田焼窯元会館前の広場には地元の奥さん連中もテントを出していて、「だご汁」や「温泉湯豆腐」が売られている。ここの焼きそばもなかなかのものである。また町内の幼稚園児らが手書きした絵皿もずらりと並べられてほほえましい。
 嬉野町のふるさと写真コンクールの入賞作品も展示されていた。ボツとなった私としては心中穏やかならぬところがある(笑い)。テレビ番組を模した専門家による古陶磁の「お宝鑑定」なども行われている。しかし何といっても昨年の各窯元による段ボール紙パネルの展示が素晴らしかった。

 例年、特設の舞台では吉田焼のオカリナを使った吉田小学校生らによる演奏もある。塾で見知った顔もある。ちょっとばかり表情と抑揚に乏しいのが玉にキズだが、町内の「SPA」というジャズ愛好会員で鍼灸師の小嶋さんがソロ演奏するスタンダードナンバーは耳を傾けるに値する。
 この陶器祭りは昭和62年から始まったのだが、なにぶんこの不景気で焼物業界も未曾有の経営難に陥っているらしい。せめて地元の私たちがひやかしにでも足を運んでやらないと盛り上がらないのである。今年は路地が素焼きの石畳ふうにカラー舗装され、石垣の一部が有田の路地裏のトンバイ塀ふうに整えられて、いつにもまして華やかだった。
 とはいえ焼き物の本場だからどこの家も目が肥えているし、自分とこで使う食器には不自由していない。それどころか押入や棚の奥には古い贈答品などが埃をかぶっているのが実状である。しかし出店の中には親戚の窯や、同級生の窯や、塾の教え子の窯などが点在しているので、素通りするわけにもいかない。そこで『都会からのお客さんに持たせるお土産』としてこの時期に買いそろえておくようにしている。これが意外と喜ばれるのである。
 今年は教え子の店にちょうど里帰り中の二人の美人姉妹が売り子をしていたので、そこで晩酌の焼酎のお湯割りのためのマグカップ(五百円)を買った。するとおまけに投げ売りの百円の湯のみを二個つけてくれた。さらに千円以上買わないともらえない抽選券まで付けてくれたので、窯元会館前の広場でクジを引くと、外れの粗品(湯のみ)がさらに一個もらえた。毎年こんな感じなので、お土産にはそれくらいで十分である。
 さて、吉田焼の起源は天正五年(一五七七年)にさかのぼる。鍋島の前の大名龍造寺隆信が大村の有馬氏を攻略しにきたとき、ここ吉田の羽口川の上流の鳴谷川の川底に白く光る石を発見したという。これがわが国初の磁鉱石発見とされる。現在でもこの白い石はところどころに見かけられる。寛永年間(一六二五ー四四年)になって藩主鍋島直澄が隠居したあと、吉田山の陶磁器業者を督励したという。享和年間(一八〇一ー四年)に入ると、副島(そえじま)弥右衛門が制限外の窯数を増やし、事業を拡大して吉田焼の反映の基礎をつくったという。
 しかし明治維新後はしばらく衰微していた。明治一三年(一八八〇年)に業者たちで精成社を創立し改良をはかる。その後市場を中国や韓国に向けるが、時代の推移とともに「内需拡大」の国内向けになり、現在に至っている。ただし最近は有田焼と同様天草の陶土が使われている。
 おとなりに嬉野温泉という一大消費地を控えている地の利もあって、バブル期には販路や品揃えを広げたところもあったが、最近では手堅く伝統的な品作りに戻っている感じである。だいたい薄青い模様を淡彩に描いた呉須と呼ばれる手法で、日用品の湯のみや茶碗や小皿などころころと丸っこい白磁や青磁を中心に作られている。
 窯元としては大渡、嘉山、新日本、与山、雅山、武山、寿千、正峰、久峰、松山、雄山、琥山、博鵬などが組合の重きをなしている。その他、谷鵬、憲真、武兵衛、いおり、唐泉、劉美、以呂波、冠岳、聖秋、一松などの窯もある。なお嬉野町内全体では三六ほどの窯がある。作家としては野中拓、宮崎祐輔などがいる。ちなみに宮崎祐輔君は小中学校の同級生である。小学校の頃から彼の写生は色づかいが農家育ちの私たちとはひと味ちがっていた(笑い)。私の編集する同人詩誌に河童の挿し絵を使わせてもらったこともある。
 これらの窯の中には「副正(そえまさ)、副武(そえたけ)、副千(そえせん)、副久(そえひさ)」などという別名をもつ製陶所があり、お気づきのとおり前述した先覚者・副島弥右衛門氏から分家していった一族である。皿屋地区では老舗中の老舗であり、渡来系という説もある。
 肥前吉田焼は長らく有田の「内山」に対して「大外山」としてひとくくりに「有田焼」の名で出荷されてきた。ゴールデン・ウィーク期間中の全国有数のイベントとなっている有田陶器市にも隠れがちである。そこで『もう少し吉田の名を知ってもらおう』ということで、おやまさん陶器市が始まったという。おやまさんから数年して「辰まつり」という催しも始まっている。これは十一月、皿屋地区の水源となっている水の神様の八大龍王さんをまつったミニ焼き物市である。いずれも窯元の方たちの苦心のほどが忍ばれる。私もかかりつけの医院を通じて窯元組合から長らくこのページへの広告をいただいており、感謝にたえない。
 日本はだいたいどの地方へ行っても、その土地ならではの焼き物がある。いわゆる「お国焼き」といわれるものである。吉田焼きもその一つにぎない。それぞれの風土に基づいた門外不出の秘伝もあろうし、よそにはゆずれぬお国自慢もあろう。しかしともすれば伝統にあぐらをかいて変化を好まぬ風にも陥りやすい。そこにいかにして新風を吹き込んでゆくかが課題であろう。吉田も他山の石とすべきであろう。

★きょうの短歌
 文学のエクスタシーを味わっている大きな声では言えないけれど   虎彦 
 

















■第五十三回 (2002年4月27日)

 現在、国会で審議に入ろうとしている
個人情報保護法案ですが、基本骨子の@AとBは
別々に分けて考えたほうがいいと思います。
犯罪被害者などの権利を保護することは
多くの方たちが力を尽くしておられますから
是非やらなくてはいけないと思います。
 しかしBになると違和感ををもちます。
誰がどう冷静に考えても問題のある政治家を
追求から守るために付け加えられたとしか思えません。
そんなあざといことはやめましょうよ。
 このごろはケツの穴の小さい大人が増えたなあとつくづく
感じさせられます。確かにマスコミからやいのやいの言われるのは
うっとおしいでしょうが、政治を志した時点で覚悟しておかねば
ならないことではないでしょうか。なにとぞご慎重に願います。
このことは首相官邸のホームページにも書き込ませてもらいました。

★きょうのギャグ
 国会のかたすみで秘書秘書ばなし    虎彦