日誌 (2003年−2004年)
中島虎彦






★★★  日誌 (2003年)  ★★★ 
■第二百四十一回 (2004年3月30日)

 イスラエルがパレスチナの「ハマス」指導者ヤシン氏を殺害したため、
報復合戦がさらに激化し、全面戦争への突入も危惧されている。
 国際社会の度重なる調停にもかかわらず、
果てしない憎しみの連鎖をつのらせる両国を見ていると、
どちらかが完全に皆殺しにされるまで解決はありえないのではないか、
あるいは核戦争や生物戦争にまで泥沼化し両方とも地上から消滅してしまうまで、
終結はありえないのではないか、とさえ思わせられる。
 そんなとき、元「太陽」誌編集長で呑んべえの筒井ガンコ堂氏(佐賀市出身)は
「アラブも酒でも飲んでみればいいのに・・・・・」
などとやけくそなことをアドバイスしている。
 それもいいが、私はサッカーの定期戦などやったらどうかと思いついた。
月に一度くらいなどとケチなことを言わず、毎週でもいい。
もちろん厳戒体制のもと全世界に衛星中継するのである。
それはそれはヒートアップして観客の喧嘩や選手の殴り合いなども起こるだろう。
時には何人か死ぬかもしれない。それでも全面戦争よりましだ。
 そうやってこまめにガス抜きをしていれば、大事に至らないのではないか。
少々乱闘をくりひろげたってしょせんはスポーツの世界のことなのだから。

★きょうの短歌
イスラエルとパレスチナかくなる上はサッカー定期戦でも始めよ   東風虎












■第二百四十回 (2004年3月27日)

     「とろうのおの集」G

ハノイからホーチミンまでバスの旅1800キロを50時間で
変身のコーナーに出るおねえさん十中八九前のほうがいい
ヘルパーの来ているあいだおふくろの居る場所がない春よ早くこい
畦みちを一年生の春さがし列にまぎれて電動車いす
菜の花をひきよせ顔を埋めている物好きはほかに見当たらず
子があってもなくても七回泣くという今は何回めのあたりか
逆境も三十年になんなんとすれば花目のへのへのもへじ
招かれざる黄砂もアルカリ性のため酸性雨を薄めてくれている

こないだまで口をつぐんでいた者がこの時とばかり恫喝をする

保育園通りすがりに年長さん・年少さん・ひろ子先生はやめて

瑞兆の耳毛の森のざわめきに眠れなくては切るほかにない
ハルウララとんぼ返りをしようなぞ思わないから息災である
うれしの川沿いの桜をこの春も飲んだくれてゆく文句あっかあ
だまされてもだまされてもそのゆくすえを信じつづける年寄りの皺
文学のことば通じぬ者たちに徒労の斧をふりあげている
竹山の言葉にふれていなければのほほんと していられたものを
ゆきずりに斎藤由貴の「卒業」が聴こえてきてはしどろもどろ

   

    

  











■第二百三十九回 (2004年3月26日)

 佐賀新聞の一面コラム「有明抄」に先を越されてしまったので、
なんとなく書きそびれていたが、先だって佐賀では珍しい本音が発表された。
 佐賀市で「みどり・こうじ」という一人歌誌を発行しておられる
歌人の中山陽右(ようう)氏がその16号「まほろばの夢」という散文の中で、

 「戦後十年間位は良しとしよう。しかしもう六十年、同じ日に『原爆被災都市』では
『核廃絶・平和実現』の叫びや呼びかけが、殆ど同じ内容で、関係者たちによって
繰り返されて来た。そしてその事は『核兵器を無くすこと』『世界から戦いを無くすこと』に、
残念ながら全く無力であり、無効であった。
 もし賢者がそれに気付いたら、活動は地道に続けつつ、『被災の恐怖』を訪れる国内外の人々に見聞きして貰いながら 、基本的に例えば『長崎市』を世界で『人間』を最も大切にする街、
暴力や犯罪や事故のない、弱者をいたわる、環境の浄化や保全につとめる、
四季の花の美しい、そのような街にするために、学校や家庭や社会や職場における
『徳育』の徹底など、長崎市の全てのエネルギーが、一切のイデオロギーにかかわらず、
ヒューマンに組み立てられ、『津波』にも似た運動を主軸とする方向へ転換して居たら
どうだったろうか? と私は思うのである」
 

 というようなことを書いておられるのである。
 「私が真実を口にしたら、世界は凍りつくだろう」
 というようなことを書いた詩人もいたが、なるほど前半は厳しい指摘である。
関係者のみならずほかの多くの市民運動や障害者団体なども他山の石とすべきだろう。
そして私もまた「とろうのおの集」について襟を正して聞かねばならない。
(もっとも、だからこそ「徒労の斧」だと始めから断っているのだが)
 後半の提言はやや整理不足だし、「徳育」の難しさにこそ皆が頭を抱えているのだが、
しかしまあ言わんとすることはわかる。昨年の長崎市での
「中学生の幼児殺傷事件」などが念頭に置かれているのかもしれない。
 中山陽右氏は元歌誌「ひのくに」主宰者で、現在は心臓など多病をかかえ
ほとんど世間との付き合いを断っておられるので、
この一人誌もごくわずかな文学関係者にしか配られていない。
みどり色の一枚紙の表の短歌抄の中には次のような歌もある。

 「古希過ぎし老人兵らイラクへと幾万も征け花を手にして」  

 決して回顧的で反動的な年寄りというわけではない。
それどころか同時代の歌人たちの無節操な歌碑の建立に対して
歯に衣着せぬ批判をくりひろげて泥にまみれてもおられる。
 障害者団体などもともすれば被害者意識に憑かれて
一面的な訴えをしがちである。それも無理はない面があるのだが、
そこでぐーっと奥歯を噛みしめて懐を広げるのも悪くない。
しいて抗弁しておけば、私たちはそれなりの成果も上げてきた。

★きょうの短歌
だまされてもだまされても孫を信ずる年寄りの顔に刻まれる皺  東風虎










■第二百三十八回 (2004年3月25日)

 東京地裁で学生無年金障害者らの訴えに対して、
「憲法の平等の精神に反する。措置をとらなかった国に責任がある」
として、原告に支払いを命ずる判決が出た。
 その他の無年金者たちにとっても一歩前進したと言えるだろう。
しかし政府内部では財源の不足を理由に、
次の消費税アップまで難しいという意見があるようだ。
 ことほどさように財源の不足が言い訳にされるのだが、
たとえばわが村の公共工事を一例として見てほしい。
岩ノ下地区の急傾斜地防護工事と称して、
集落の背後に迫っている山裾の岩肌を数百メートルにわたって
コンクリート塀で固めてしまっているのである。
 いったいそんな必要がどこにあるのかと首を傾げるばかりだ。
土建屋に仕事をばらまくためだけとしか思えない。
その結果取り返しのつかない景観破壊のおまけまでつく。
 その無残な姿を政治家たちは是非視察にきてほしい。
こんな些細な工事から道路公団の壮大な無駄遣いまで、
そんな金と暇があったら無年金者問題などとっくに解決しているのに、
と言いたくなるのは私だけではないだろう。

★きょうの短歌
招かれざる黄砂もアルカリ性のため酸性雨を薄めてくれているという  東風虎














■第二百三十七回 (2004年3月24日)

 町の身障者協会の役員会に出席した帰り、
嬉野川河畔の桜並木で今年最初のお花見をした。
木によっては五分咲きのものもあったが、
総じてまだちらほらという感じだった。
 それでもまた一年ぶりに出会うことができてほころんだ。
こうした一年一年がとてつもなく大切に思える。
ただちょっと飲みすぎて具合が悪くなった。
 今年もあと二回は行くつもりだ。

★きょうの一句
花だよりテロの名ざしを受けながら    東風虎














■第二百三十六回 (2004年3月19日)

 中学校の生徒会などがアルミ缶を回収して業者に売り渡し、
その代金で車いすを購入して福祉施設などに寄贈する、
というニュースを新聞の埋め草でしばしば見かける。
 確かに中学生たちのモチベーションは尊いのだが、
そのたびに私はついついよけいな杞憂をしてしまう。
 「もはや施設では車いすがダブついてるのではないかしら?」
 ということである。施設や病院の玄関横に外来者用としてずらりと並べられた
車いすがたいして使われたふうもなく色褪せている光景が思い浮かぶ。
 はっきり言って施設入居者たちはそれぞれ自分専用の立派な特注品を
福祉の補助を受けてちゃんともっている。それもたいして使わないのなら
10年ぐらいは楽々ともつ。別に既製品の車いすなど不足していないのだ。
むしろ途上国などに(運搬手段とともに)贈るほうがいいだろう。
 本当に必要なのは自立するための家探しや介護者の確保や所得保障、
そしてそこへボランティアとして通ってきてくれるような生徒たちだ。
 あるいは全身性障害者のための高性能電動車いすのようなもの、
パソコンやインターネットを指導したり改良してくれる使い手、
そんなニーズを施設側も言わないし生徒側も知らないのだろう。
そのため自己満足のパフォーマンスのように映ってしまう。
 それなら障害者たち自身が発言してゆかねばなるまい。

★きょうの短歌
瑞兆の耳毛の森のざわめきに眠れなくては切るほかにない   東風虎














■第二百三十五回 (2004年3月13日)

 散歩道にツクシが立った。
そんなことが今は一番嬉しい。
 ところでフジテレビの「本当にあった怖い話」というバラエティ番組で、
「いわこでじま(岩小出島?)、いわこでじま」とおまじないを唱えていた。
また何かいかがわしい造語でも流行らせようというのか、と首をひねった。
 それから何日かたった散歩のとき突然、
「マジで怖い」の逆さ読みだと気づいた。なーんだ(笑い)。
脳神経のシナプスが一本つながったような気分だった。
 そういえばかつて「ウゴウゴルーガ」という子ども番組もあった。
これは「ゴー、ゴー、ガール」の逆さ読みであるという。
ちなみに佐賀市のボウリング場「アーガス」は「SAGA」を逆さ読みしたもの。
「NIPPON」は「ノッピン」と一部で皮肉られているとか。
 昨日の九州新幹線の開業で新しい鹿児島中央駅の構内にできた
焼酎専門カウンター「アムスタス」は「SATSUMA」の逆さ読みだともいう。
あるいは芸能界や暴力団内部でも昔から使われている。
 日本人って逆さ言葉がよほど好きなんだなー。

★きょうの短歌
逆境も三十年になんなんとすれば花目のへのへのもへじ   東風虎














■第二百三十四回 (2004年3月12日)

 関西医大が2月以降に世界で初めて
「骨髄間質細胞」の人体での移植手術を行うという。
 骨髄間質細胞とは骨随の中の細胞の隙間を埋める結合組織で、
中に血管や神経を含んだものであるという。
これは心筋細胞や骨細胞や脂肪細胞に分化することが知られていたが、
近年、神経幹細胞にも分化を誘導することができるようになったという。
 つまり理論的には私たちのような脊(頸)髄損傷の患者にも、
切断された神経を復元させる可能性を秘めたものらしい。
してみるとこれは朗報にちがいない。
 ただし今回の手術は神経幹細胞まで分化させるものではなく、
本人の骨髄液を培養し腰椎穿刺でクモ膜下に注入することで、
再生効果を期待するものなのだという。
 ちんぷんかんぷんの珍文漢文のようだが、いずれにしても
ありがちだった動物実験の段階から人体への応用へと
研究は日々進められているということがわかっただけでも
なんとなくありがたい(笑い)。
 治ったら愛犬と大野原高原でワラビを採って走り回ろうか?
それとも嬉野のソープランド街にでも飛び込もうか?

★きょうの短歌
子があってもなくても七回泣くという今は何回めのあたりか   東風虎














■第二百三十三回 (2004年3月9日)

 坂口厚労相が鳥インフルエンザ問題の会見の最後に、
 「牛とか鶏とか、モーケッコウ」(笑い)と
日本の政治家としては珍しくギャグを飛ばしたことに対して、
「不謹慎だ」というクレームがつき陳謝したという。
 陳謝するくらいなら初めから言わなきゃいいのに、
ついポロリと出てしまったのだろう。取り巻きの記者たちも
その場では確かに笑っていた。
 やれやれ。それくらい大目に見てやればいいのに。
私だって昨年彼の発言した無年金障害者問題の打開案について
いっこうに進展のないことでケチをつけてもいいのだが、
まあ、それとこれとは別の話である。
 そんなことにいちいち目くじらを立て
いわんや匿名でクレームをつけるような連中というのは、
きっと先の黒川温泉の宮殿ホテル問題で
元ハンセン病者たちを匿名で中傷した連中と
体質的に似通っているのではないか。  

★きょうの短歌
菜の花をひきよせ匂いをかいでいる物好きはほかに見当たらない   東風虎













■第二百三十二回 (2004年3月6日)

 三月に入って弥生の忘れ雪がつづいている。
春を待ちわびる電動車いすに最後の堪忍の日々だ。
そんな中、長嶋茂雄さんが脳梗塞で倒れるという報が流れた。
それも心配ではあるが、もうひとつ気になる報がひっそりと流れた。
 大分県中津市で作家の松下竜一さんが発行しておられる
「草の根通信」が6月の379号をもってとうとう廃刊になるという。
 これは1973年4月に豊前火力発電所建設に反対する
松下さんらの運動の機関紙として創刊されたミニコミ誌で、
環境にかぎらず反戦平和・人権問題などまで論じられてきた。
 しかし昨年6月に松下さんが脳内出血で倒れ(現在リハビリ中)、
そのため盟友の梶原得三郎さん夫妻などが代わって編集していたが、
諸般の事情のためやむなく廃刊を決めたという。
松下さんがまだまとまった文章をかけない状態では
いたしかたないなりゆきであろう。
 私も何十冊かを送ってもらっているが、各分野からの専門的で硬い内容に
なかなか全部は読みきれていないのが申し訳ない。
ただ巻末に載る松下さんのユーモラスなエッセーだけは
もの書きのよりどころとして楽しみに拝読してきた。
 それがもう読めなくなるのだなあ。寂しいなあ。
松下さんはリハビリで始めたパソコンに(これは画期的なこと!)
「これからは沈黙の日々を送る。さようなら」
と打ちこんでおられるという。
 このところの右傾化する政治に対して無力な世論を見ていて
ほとほと愛想をつかされたのかもしれない。
 
★きょうの短歌
竹山の言葉にふれていなければのほほんとしていられたものを   東風虎 













■第二百三十一回 (2004年2月29日)

 陽気に誘われてふーらふーらと散歩に出てくると、
あちらでもこちらでも梅の花がほころんでいる。
そんな中、どこの窓辺からか斎藤由貴の「卒業」が聴こえてきた。
 「ああ、卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう
  でももっと悲しい瞬間に涙はとっておきたいの」
 というアレである。今や早春の風物詩みたいな感じ。 
ああ、もうそんな季節になったのだなあと胸が締めつけられる。
もう一つ松任谷由美の「卒業写真」という曲もよくかかるが、
抒情の質ではこちらのほうが断然みずみずしい。
 しかし私は薄情な人間なので、卒業式の記憶がほとんどない。
もちろん涙した覚えもない。中学のとき同級の女生徒数人から
「思い出帳」に何か書いてくれと頼まれて照れたことぐらいか。
 そんな時にも、私には青春とは克服しなければならない何かだとして、
校庭の樹齢数百年のはるかな大楠のこぶのように
圧倒的に立ちはだかってくるように感じられていた。

★きょうの古い短歌
青春とはつねに克服しなければならない何か大楠のこぶ   東風虎

















■第二百三十回 (2004年2月26日)

  「とろうのおの集」F

病は人を哲学者にするという元々の人はどうなりますのか
ケータイをもてば盗撮したくなろう銃をもてば撃ちたくなるように
パソコンにコーヒーカップはこぼれつづけあれよあれよと失われてゆく
テレビ見るだけならばと蛍光灯二本にしてうらぶれてゆく
妻と子とこたつで鍋を囲んでもみたいものだよそれだけのこと
日本のブルドーザーはがんばったけれども少しがんばりすぎた
教養と食べあるきおばさん連の歩いたあとには草も生えない
水着ちゃん六七人も並べたてお嫌いですかいえお好きです
自己批判ばかりしている宗徒らをほくそ笑んでる為政者たちは
散歩道マムシモドキの毒々を中川幸夫に送ってやりたい
とやかくも「自国のことのみに専念」してほしいあの国この国
ニサンニンシンデキテクレ防衛庁オタク長官の裏声がする
即死はまだあとくされがないそれよりも負傷者数が尾をひいてゆく
そうだよなあおまえらが暴れたくなるのも無理はない成人の式
若者よ留学生に日本には負ける気がしないと言われているぞ
野良くろはどこへ潜っていたものか日向ぼっこになると出てくる
世界には善意の人間ばかりいるわけじゃないと少女の願いに
美辞麗句くりだしてくる答弁に脳みそつるんつるんになりそう
ずがずがと頭から骨まで食べられるふなんこぐいの奇習ともいう
ジャンケンで負けた子どもを子どもらが貪り食っているという噂
文学にいったい何ができるのか禁句とはいえ渦巻いてくる
アリバイのようなものかもしれないと「とろうのおの」をアップしている















■第二百二十九回 (2004年2月25日)

 我が家の梅も一輪、二輪と蕾をほころばせ始めた。
世界がどんなに転変していようが、知ったことではない、
とでも言わんばかりである。

★きょうの短歌
ジャンケンに負けた子どもが子どもらにむさぼり食われているという噂   東風虎












■第二百二十八回 (2004年2月22日)

 福岡県での凶悪事件の多さを嘆いていたら、
こちらの足元にも飛び火してきた。
 佐賀県鳥栖市の幼児が車の男に連れ回されるという事件が起き、
「泥棒を捕らえてみれば我が子なり」の古川柳を地でゆく、
福岡県大牟田署の新米巡査だった。
 ああ、また福岡か、と嘆いていたら、実家は佐賀県基山町という。
まったくもってひとのことは言えない。福岡県ごめんなさい。
基山町は学生時代に体操部の合宿でお世話になった所なので、
まさかあんな純朴なところからと信じられない気持だ。
 このところいわゆる「魔が差した」ような事件が多い。
そんなこといってもあくまで本人の意思の弱さのせいじゃないか、
というのはもちろんなのだが、それにしても多すぎる。
 これは何かあるんじゃないか、という想像がかきたてられる。
たとえば地球征服を企む何者かが「魔が差し光線」みたいなものを、
あちこちでシュバッ、シュバッと照射してるんじゃないか(!?)。
 それだと本人の意思だけではいかんともしがたい。
私だっていつ道を踏み誤るかもしれない(笑い)。

★きょうの短歌
文学にいったい何ができるのか禁句とはいえ渦巻いてくる   東風虎














■第二百二十七回 (2004年2月19日)

 ある人から、
「どうして中島さんは電動車椅子を『電動車いす』と書くのですか?」
 と訊かれた。他にもそういう疑問をお持ちの方がいるかもしれない。
そこで理由をまとめて述べておこう。

@ 受傷の後、マヒの手に補装具をつけて字を書く練習を始めたとき、こみいった漢字は大変なので、ついついひらがな で書く癖がついた。今ではパソコンがあるのだから、
どんな漢字も一発で変換されてくるが、わざわざ仮名に直したりしている(笑い)。

A 若書きの詩などで必要以上に難しい漢字を多用する例を見るにつけ、
(さだまさしなどはいまだにそこから抜けきれないようだが)
その衒学趣味が(自分を含め)いやらしく感じられ、
たぶんに反発して仮名を使うようになった。

B ひらがなの感触が好きだから。「へのへのもへじ」など最高だ(笑い)。
とはいえ、ひらがなだけでは駄目だし、漢字ばかりでも駄目だから、
ひらがなと漢字のバランスに気を配っている。

C 川端康成など大家の中には、晩年になってから懐古趣味にでも陥ったように、
難解な漢字を多用する例が見受けられる。そういう変節がいやで、
自分はこのスタイルを貫くぞ、と意固地になってる部分もあるかもしれない。


★きょうの古い短歌
あらかじめ後ろ姿の人形の哀しみなんぞへのへのもへじ   東風虎
 














■第二百二十六回 (2004年2月16日)

 小子化問題に頭を悩ませている人は、
子どもの数が少なくなって何が困るのかといえば、
まず納税者が少なくなる、次に介護者が少なくなる、
というあたりを如実に心配しているのだろう。
 ところで最近、親の子に対する虐待事件が増えている。
せっかく子どもをもうけたのに、傷つけたり殺したりする。
消極的なもので「ネグレクト」というのもある。
 あるいは子どもたち(少年少女)自身の犯罪も増えている。
せっかく産んでもらったのに、他人や親や動物を傷つけたり殺したりする。
そういう少年少女は子どものとき虐待を受けた例が多いという。
そうして更正施設などの出入りをめぐって社会に負担をかける。
してみると、安易に子どもを産めばよいというものでもなかろう。
 愛し方、愛され方を知らないのであろう。
(かくいう私もそういう一人かもしれないと思うときがある、
たとえば赤ん坊の時を除いて親に抱きしめられた記憶などない。
まあたいていの日本人がそうだろうが、それでもほとんどが
大した問題も起こさず暮らしているという事実のほうが
大切なのかもしれない)

★きょうの短歌
★きょうのギャグ歩きオバタリアンの歩いたあとには草も生えない    東風虎
教養と食べ歩きおばさん連の歩いたあとには草も生えない  東風虎

















■第二百二十五回 (2004年2月14日)

 春一番が吹いた。
霞んでいるのは黄砂も混じっているのだろうか。
あるいは中国の工場群からの煤煙が混じっているのかもしれない。
北部九州は大陸から間近いので、一蓮托生を覚悟しなければならない。
 いや待てよ、春一番は南風だからそんなものが混じるはずはないなあ。
してみると単に埃が舞い上げられただけなのだろう。
などと思いめぐらしながら見ていた。 
 
★きょうの短歌
世界には善意の人間ばかりいるわけじゃないという少女の願いに    東風虎













■第二百二十四回 (2004年2月6日)

 史上最年少の20歳で芥川賞を受賞し話題になった金原ひとみの
「蛇にピアス」(集英社、2004年、1200円)を、図書館から借りて読んだ。
その中に次のような会話が出てくる。
 
 なあ、もしもお前がいつか死にたくなったら、俺に殺させてくれ」
シバさんは私のうなじに手を当てた。軽く微笑んで頷くと、
シバさんは二ッコリして「死姦してもいい
?」と聞いた。
 「死んだ後の事なんてどうでもいいわ」
 私は
肩をすくめてみせた

 死んだあとのことは、どうでもよくはないし、死体を姦淫してもいけない。
しかしこの登場人物たちは舌にピアスをしたり背中に刺青を入れたり、
首を締めたり死姦したりすることでしか生きている実感を味わうことができない。
 そんな青春の渇きが傷ましい。

★きょうの古い短歌
生きていてよかったような野の小道犬は車いすのあとさきになる   東風虎
 















■第二百二十三回 (2004年2月5日)

 散歩道にアオキの実が色づきはじめた。
真冬の枯れ野の中では数少ない紅を楽しませてくれる。
したたるようなその実を手にとり頬ずりしてみたくなる。
でもみんな藪の中だから、電動車いすからは手が届かない。
美とはそういうものかもしれない。

★きょうの短歌
国論を二分している木枯らしに向かって電動車いすがゆく   東風虎
















■第二百二十二回 (2004年1月31日)

 何かの記事であったか、
「30代、独身、子なしの女性は負け犬」
という言葉を見かけて、魚影ーっ! と思った。
よくまあそんなトゲのある言い方をするなあと。
 一体誰が言い出したのだろう。
かつて小子化問題にからめて差別的発言をした元首相もいたが、
これは案外同性の女性の側から発せられたのではないか、
と思わせられないでもなかった。
 いわゆる結婚をし仕事をもち子どもを産み育てている女性が正しく、
それ以外は「はんぱ者」だというような決めつけを感じる。
このところの「不寛容の時代」の一環であろうか。
 それなら私なんかも半端者の最たる者だろう。
しかし何というかもう少しふくよかな物言いができないものだろうか。

★きょうの短歌
ケータイをもてば盗撮したくなろう銃をもてば撃ちたくなるように   東風虎

 












■第二百二十一回 (2004年1月26日)

 いつもながら気になっていることがある。
このところとみに増えてきたテロや戦闘や事件や事故の二ュースで、
マスコミはともすれば死者の多さでその重大さを計ろうとする。
 しかし即死するのはある意味で後腐れがない。
問題なのは重い後遺症を負って生き残った負傷者である。
 たとえば脊髄損傷や頸髄損傷のように(電動)車いすの生活となると、
社会や家族にとってある意味で即死よりも深重な影響がある。
もちろん悲観的な例だけでなく建設的な例もあるが。
 あるいは埋め残しの地雷によって原住民が足を失うような場合も、
その影響は後々に長く尾を引いてゆく。
 しかし今のような報道ではそんな実情はなかなか伝わらない。
もう少し視点を改めてもらわねばならない。
 それにしても、石破防衛庁長官の顔がテレビに映るたび、
「すまんが(自衛隊員の)二、三人死んできてもらえないか」
と言っているように見えるのは私だけだろうか。

★きょうの短歌
自己批判ばかりしている宗徒らをほくそ笑んでる為政者たちは   東風虎










■第二百二十回 (2004年1月23日)

 一昨日は佐賀市ボウルアーガスまで車いすボウリング大会へ行った。
例のとおり全国脊髄損傷者連合会佐賀県支部の主催。
車いす16台、介護者10人くらいの参加。
ここ数年は大寒頃の一番寒い時期にやるのが恒例になっている。
よくもまあ好きこのんで(笑い)
 風邪からの病み上がりだったのでかなり用心していたが、
別にぶり返すようなこともなかった。ちょっと自信がついた。
 今年は頸髄損傷の部は私と脳性マヒの女性が参加。
私は79点と73点でいつものように優勝。商品券5000円分をゲット。
ストライクが出なかったのがちょっと物足りない。
 それにしても券を自宅近くでは使う場所がないので、
移送車の料金の一部に使えないかと食いさがってみたが、駄目だという。
個人で移送やっているNさんは受け取ってくれるのだがなあ。
もうちょっと融通を利かしてほしいものだ。
 ともあれ楽しい一日だった。

★きょうの短歌
病は人を哲学者にするという元々の人はどうなりますのか   東風虎
















■第二百十九回 (2004年1月22日)

 現在週に三日ヘルパーさんに来てもらっている。
おかげで家族もだいぶ助かっていて、昔の気苦労が嘘のようだ。
少しずつではあるが世の中は改善されていると信じたい。
 さて、私は部屋の壁にシミ隠しをかねて写真をたくさん張り付けている。
今まで苦心して行った旅先で自分で撮ったものや介護者に撮ってもらったもの。
韓国の釜山や岩手県の花巻や、横浜や京都や広島や博多や長崎などなど。
 それを見てたいていのヘルパーさんは歓声を上げる。
一つには「四肢マヒにもかかわらず頑張ったのねえ」という感嘆だろう。
しかしもう一つには『私なんかもう久しく旅行にも行ったことないのに・・・・』
という思いが脳裏をよぎっているのではないかと思わされる。
 下世話ながらヘルパーをするような人は決して裕福ではないだろう。
家庭的に経済的に何らかの問題を抱えていて共稼ぎを余儀なくされる、
のではないかという勝手なイメージを持たれがちだから。
もちろん中には崇高なボランティア精神の方もいるかもしれないが。
 健常なヘルパーさんのほうが旅する暇もなく仕事に追われ、
介護される障害者のほうが苦しくとも時折り羽根を伸ばしている、
のではないかというこの構図にはあるはにかみを禁じえない。

★きょうの短歌
テレビ見るだけに蛍光灯三本はいらず二本にしてうらぶれてゆく   東風虎


















■第二百十八回 (2004年1月20日)

 鹿島市浜町では二十日正月(二十日えびす)の鮒市が立った 。
いわゆる「ふなんこぐい」である。貧しい藩政時代、
鯛の代わりに鮒の昆布巻きで祝ったのが始まりという。
 丸ごと一匹を包み、大根などとともにひと晩中じっくり煮込むので
頭から骨まで食べられる。いかにも泥臭い佐賀の滋味である。
能古見に嫁いでいる姉が毎年お裾分けしてくれるので、
焼酎のおつまみにいただくのを楽しみに待っている。

 これこそ「スローフード」の骨頂ではないか。
牛肉は嫌いなので「吉田屋の牛丼」がなくなろうがどうしようが
いっこうにかまわない(笑い)。

★きょうの短歌
日本のブルドーザーはがんばったけれども少しがんばりすぎた   東風虎






 

 






■第二百十七回 (2004年1月15日)

 最近これほど胸のつぶれる二ュースはない。
米政府がイラク駐留兵士のうち23人が自殺したと発表したのである。
どんなに無念の、というより砂を噛むような思いで死んでいったことだろう。
そんな戦争をいつまで続ければ気がすむのか。
 それにしてもどうしてこの時期に発表したりするのだろう。
ブッシュ大統領の再選にも決して有利な材料ではないはずだ。
ジャーナリズムのスクープを隠しきれなくなったのだろうか。
だとしたらアメリカはやはりすごい、と思わざるをえない。

★きょうの短歌
茶柱の立つだけで幸せになるそんな夕餉もへてきたはずだ    東風 













■第二百十六回 (2004年1月13日)

 昨日の成人式でまた一部の若者が暴れていた。
いつもなら苦々しく思うのだけれど、なぜかこのたびは
「そうだよなあ、おまえらが暴れたくなるのも無理はないよ」
などと呟いている自分がいた(笑い)。

★きょうの古い短歌
荒れくるう少年たちよどうせなら巨悪へ向かえと言いそうになる   東風虎















■第二百十五回 (2004年1月12日)

 暖冬なのに風邪をひいてしまった。
思い当たるようなこともなく、別に油断していたわけでもなく、
突然震え出したので何とも釈然としなかった。
まさかSARS? などと脳裏をよぎったりした。
 もうこれで六日も熱が下がらない。
そうこうしているうちに元々傷のあった右肘に雑菌が入り
つちのこみたいに腫れあがった。
今はそちらからの熱と震えにすり代わっている。
 しかも風邪薬のせいでその間ずっと便秘がつづき、
何もかもとにもかくにもこんりんざい手がつかない。
 これから大寒に向かってゆくというのに、
どうしたものだろう・・・・・・。

★きょうの短歌
ツチノコのしっぽを肘に飼っていて忘れたころに探検に出る   東風虎













 

 


■第二百十四回 (2004年1月8日)

 メーリングリストのチャット仲間である新開さんが
宝船と七福神の画像を送ってくれていた。
波のたゆたう様などたいそう凝っていて見事だった。
 七福神といえば障害学の花田春兆さんが
「水頭症、脳性マヒ、肥満・・・・障害者ばかりだ」
と指摘していた(笑い)。古川柳にもある。
 あるいは初夢で縁起がいいものに
「一富士、二鷹、三茄子、四扇、五煙草、六座頭」
というが、最後に障害者(盲目)が入ってるのも
なかなか興味深いところである。
 障害児(者)はある意味で宝子だったのであろう。

 ★きょうの一句
めでたさや七福神は不具ばかり     東風虎

















■二百十三回 (2004年1月5日)

 今年も例によって、年末年始(深夜)テレビ映画ベスト10を発表します。
なにしろ頸髄損傷は手伝えることもなく手持ち無沙汰なもので(笑い)。
それに従兄弟らの隆盛を聞かされると、少しばかり眠れなくなりましてね。

@スウェーデン映「やかまし村の子どもたち」(ラッセ・ハルストレム監督、リンダ・ベリーストレムら出演)
  心が洗われるとはこんな映画のこと。子役と動物には勝てない。

Aスウェーデン映「やかまし村の春夏秋冬」(同上監督、リンダ・ベリーストレムら出演)

  人殺しもカーチェイスもサイコホラーも暴力もSEXも携帯電話もないけど。
B米映「あなたのために」(マット・ウイリアムス監督、ナタ リー・ポートマン主演)
  「レオン」に出ていた少女がこんな美女になっていたとは!
C伊映「二ューシネマパラダイス」(ジュゼッペ・トルナト -レ監督)
  子役のトトが泣かせるけど、ちょっとやりすぎ(笑い)。
D日映「生まれてはみたけれど」(小津安二郎監督) 
  戦前に作られた無声映画。あの頃の親父はえばっていたなあ。
E米映「ボーイズ・ドント・クライ」(キンバリー・ピース監督、ティナ ・ブランドン主演)
  両性具有で性同一性障害者の恋をめぐる田舎町の偏見が凄まじい。
F米映「サイコ」(アルフレッド・ヒッチコック監督 、アンソニー・パーキンス主演)  
  サイコホラーの元祖。今でも最高にほらあ怖いだろう! 
G米映「猿の惑星」(フランクリン・シャフナー監督、 チャールトン・へストン主演)
  サル年ということでやはり外せないでしょう。最後のドンデン返しは読める。
H日映「お受験」(滝田洋二郎監督、谷沢永吉主演、 田中裕子、大平奈津美)
  永ちゃんなかなかいい味出してる。それ以上に田中裕子も。
I日映「男はつらいよ ぼくの伯父さん」(山田洋次監督、渥美清主演、後藤久美子、壇ふみ)
  別にいつものマンネリなのだが、佐賀の各所が舞台なので(笑い)。

(次) 日映「ひまわり」(行定勲監督、麻生久美子主演、袴田吉彦)
  麻生がいい女だというだけ(笑い)



 

 









■第二百十二回 (2004年1月1日)

 穏やかな元日となりました。
皆さん、新年明けましておめでとうございます。
今年もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
 ときおり覗いて下さっているROMの方々も
遠慮なく掲示板に足跡を残していって下さい。
 今年もギャグに磨きをかけていきます(笑い)。
きな臭い世相なんか笑い飛ばすしかありません。

★きょうの短歌
とやかくも「自国のことのみに専念」してほしい藪大統領どの   東風虎













■第二百十一回 (2003年12月31日)

 大晦日。今年も終わりだ。
イラク戦争を初めとしてイラン大地震まで、
戦争・テロ・事件・事故に明け暮れた一年だった。
 そんな中、十日ほど前の二ュースで、
日本製の地雷除去ロボット(ユンボ式)が試験を終えて完成し、
いよいよアフガンなどへ送られると言っていた。
そういう国際貢献こそわが国の進むべき道だろう。
最近では一番嬉しい二ュースだった。
 私個人としては救急車で二回も運ばれるなど
怪我の多い一年だった。自分の不注意なのでお恥ずかしい。
右足親指も失った。しかし驚くほど未練がない。
もう治癒を諦めているからだろうか。
 しかし世の中何が起こるかわからない。
世界の人々とともにいちるの望みを抱いていこう。

★きょうの短歌
散歩道マムシモドキの毒花を中川幸夫に送ってやりたい   東風虎
















■第二百十回 (2003年12月28日)

 年の瀬には何かと騒がしいことが起こります。
一昨日携帯電話からインターネットに「佐賀銀行がつぶれる」というデマが流れ、
取り付け騒ぎにまで広がりました。窓口に列をなした人々の中には
若い人もお年寄りの姿もありました。群集心理に振り回された哀れな姿でした。
足利銀行の例などの直後だったことも拍車をかけたでしょう。
 私も大金(!?)を預けていますが、付和雷同かつ右顧左眄しませんでした。
というより知ったときにはもう沈静化し始めていた(笑い)。
 世の中を騒がせてほくそ笑む輩はあとを断ちません。
皆さんも何かとお気をつけて、よいお年をお迎えください。

★きょうの短歌
日本のクリスマス今や八おろずの神の一つに成り上がっている   東風虎













■第二百九回 (2003年12月22日)

    「とろうのおの集」E           中島虎彦

ああこれで僕の青春は終わったなどと思ったのは大間違いだった
障害は障害でありそれ以外なにものでもない犬と歩け
向こうでもこちらでも監視されつづけたいした違いはないという
都会とは金を稼いで悪さするところだというしてみたいもの
無年金障害者の救済をマ二フェストにする政治家はなし
夜目遠目笠の内から車美人セーター美人パソコン美人
仏教はその名において戦争をしてこなかったという向坊弘道 
自然薯を掘れない私どものため蔓にムカゴをならせてくれる
とやかくの内部告発しなくてもしてもおかしくなる男たち
柿の葉を踏みにくるのはご隠居も電動車いすも変わらない
のとおり私のギャグがうなるのは世界が苦悩に満ちているから
ころげ落ちどうせ地獄を見るのならすみずみにまで目を凝らしてゆく
ひとり寝に寅さん映画のいいところ決して胸をかき乱さない
くずのようにおとしめられているくせに踏みしめにこずにはいられない
花ふぶき電動車いすじゅうで受けるその日を思ってしのいでゆく
いつからかへのもへ流の家元を勝手に名乗り愛弟子もつく
子を産んでマヒが重たくなったのでその子に手助けしてもらうという
うちの子にかぎって何かしでかしそう秋の夜長をまんじりともせず
いつのまにかテロには屈しないという言葉がひとり歩きしはじめる
自爆テロ犯人さぞや散り散りになっていようがテレビはふれず
偵察衛星打ち上げそこねた職員は冬のボーナスもらいにくかろう 
減反のコメをかの地へ送れないのという児らに答えきれない
この冬ほどクリスマス停戦が望まれる年はないバビロンのほとり
マンションを見てきた帰り宝くじ売り場に走る電動車いすも
ないがしろすり代え脅しはぐらかし開き直りにごり押しとくる
幻想はもたない政治経済に福祉などには言うまでもなく
かの国の言うことを聞かなかったらどうなるのかを木枯らしに訊く
鳩胸のサリドマイドの娘は腕をこまねきもせず歌いつづける













■第二百八回 (2003年12月19日)

 現在、身体のあちこちに八箇所ぐらい傷ができている。
縟瘡、切れ痔、尿漏れかぶれ、衝突傷、低温火傷、すり傷などなど。
感覚があるのならかなり痛痒くて苦しいはずである。
その分一日中滝のような冷や汗に悩まされている。
 だからといって傷面をつかないわけにはいかないし、
全体に血行が悪いのでなかなかすんなりと治らない。
 イラク駐留(予定)の兵隊や被災者たちの傷に比べたら、
そんなもん物の数ではないというものの、
障害者にとってはこれも日夜の闘いである。

★きょうの短歌
年末の大賞ものでその年の流行歌など知るようになる   東風虎
















■第二百七回 (2003年12月12日)

 「よみがえる」シリーズで知られている北九州市の向坊弘道さんは、
最近いろんな書き物の中で「世界の宗教の中で仏教だけは
その名において戦争をしてこなかった」と力説しておられる。
そう言われれば思い当たる戦争がない。
不殺生の戒めが何よりも強かったからだろう。
 そして、このような時代だからこそ仏教の精神が見直される、
世界の指導的な政治家たちもそれに触れてほしい、
と力説されるのである。氏と同じ(隠れ)浄土真宗門徒として、
誇らしい話ではないか。異なる考えの人たちと議論するときに、
力強い拠りどころになってくれるではないか。
 そう喜んでいるが、しかし待てよ、何事も確認が大切だ。
仏教は本当に戦争をしてこなかっただろうか?
向坊さんの言を疑うわけではないが、歴史はうろ覚えだ。
もし相手から挙げ足を取られたりしたらいけない。
 たとえば古代インドの王朝(仏教国)か何かで、
近隣の諸国と小さな紛争を起こした国などなかっただろうか。
念のため向坊さんに聞いてみているところである(笑い)。
(おいおい、自分でも調べろっつーの)

★きょうの短歌
自然薯を掘れない私どものため蔓にムカゴをならせてくれる  東風虎













■第二百六回 (2003年12月11日)

 イラクで亡くなった奥外交官の小学校時代の作文が、
新聞やテレビで紹介されていた。その中に、
「外国(の難民など)に比べて日本は恵まれすぎていると思います」
というような下りがあって、だから国際貢献(派兵)しなければならん、
という論調に利用されているフシが見受けられる。
 一見もっともらしい話に思えるのだが、何かが見落とされている。
それは全ての日本人が「恵まれすぎている」のではない、という点だ。
たとえばハンセン病の元患者たちの闘いをみればわかる。
他にも無年金障害者や被差別部落や在日朝鮮人や公害病やアイヌなど、
取り残されてきた人たちはたくさんいる。
 戦後、そういう人たちにまでまんべんなく陽の当たるような
地道な社会作りを目指しておれば、(それはコストのかさむ事業だから)
高度経済成長のような突出した繁栄ぶりもなく、
バブルのような騒乱に踊ることもなかっただろう。
 つまり奥少年が「日本だけぜいたくしてる」と卑下するような
こともなかったであろう。

★きょうの短歌
減反の米をかの地へ送れないのという児らに答えきれない   東風虎














■第二百五回 (2003年12月9日)

 小泉首相が自衛隊のイラク派遣計画を発表した
国民の70%近い願いは踏みにじられた。憲法がないがしろにされ、
これで「法治国家」の建前は無残にも崩れ去った。
国内はこのあとますます無法地帯と化してゆくだろう。
 私にはまざまざと目に見えてくるようだ。
首相は「国際社会との協調」「日米同盟」を力説するが、
このあともしブッシュ大統領が突然方針を転換したり、
来年の大統領選挙で破れたりしたら、
小泉首相の口ぶりはコロリと変わることだろう。
そのときどんな顔をしているか今から見ものである。
 ともあれこうなったのは、自民党に投票する人が多いからである。
自民党は元々憲法改正を党是としているのだから、
こうなることはわかっていたはずである。
とりわけ地方の農村部では唯々諾々の投票行動が多い。
そしてその子弟たちが戦場に赴かされるのである。
 しかし彼らだけをせめてもしようがない。
国民はそのレベルに見合った政府しか持てないのだから
今後どんな塗炭の苦しみを味わわされることになっても、
(障害者たちの生活もますます窮屈になることだろうが)、
堪(こら)えてゆくしかあるまい。

★きょうの短歌
この冬ほどクリスマス停戦が望まれる年はないバビロンのほとり    東風虎














■第二百四回 (2003年12月6日)

 いろんな障害者の先達の本を読んでいると、
身の回りの健常者などから心ない言葉を投げつけられている。
しかしながら私にはあまりそういう経験がない。
渡る世間に鬼はない、と思っているからだろうか。
むしろ渡らぬ世間に鬼だらけ、だったりして。
 ところがそんな先達たちから言わせると、
それは私がまだ本当に自立のための厳しい闘いに乗り出していないからだ、
というふうに映るかもしれない。耳に痛いところだ。
 そんな私にも一度だけカチンときた記憶がある。
いつもの散歩をしていると近所のおばあさんが寄ってきて、
 「どこそこの誰それさんもやっぱり歩けなくて車いすに乗っていたけれど、
どこそこの偉い先生がいきなりプールに放り込んだら、あわてて泳ぎだし、
歩けるようになったそうな」
 という。つまり私が怠け心で電動車いすに乗っていると言いたかったのだろう。
精神論の好きな年配者などにはありがちな誤解である。
 そこで私は頚椎の状態をレントゲン写真から説き起こし、
頸髄損傷という障害のありようを理路整然と説明した。
しかしおばあさんはうすら笑いながら聞いていた。
 たぶん内心で自分の意見は変えなかっただろう。
 
★きょうの短歌
偵察衛星打ち上げそこねた職員は冬のボーナスもらいにくかろう   東風虎















■第二百三回 (2003年12月5日)

 電動車いすに乗っていると、いろいろ面白いことに出くわす。
今の時季なら散歩道で枯れ葉やドングリを踏む感触が、
なんともいえずもの柔らかで心地よい。
それくらいなら健常な人も想像つくだろう。
 しかしこれから話すことはどうだろう。
電動車いすの電源を切っておいたのを忘れて、
さあ出発とばかり運転レバーを前に倒してゆくとき、
身体はすっかり前進モードに入っているから、
心持ち前かがみになり構えてゆくのだが、
それがすんとも動かないからさあ大変。
 身体の中から「精神」とも言うべき何かが、
すっと10cmばかりフライングして出てゆく感じがする。
肉体と精神が明らかにずれてしまうのだ。
デュフィーの絵画を思い浮かべてもよいかもしれない。
輪郭と色彩が微妙にずれてゆくというか。
 それはSFなどにありがちなものと違い、実にいやーな体験である。
精神はおのれの勇み足に気づき慌てて元の鞘に収まってゆく。
それが何とも言えずぶざまなひとときなのである。
 肉体と精神はやっぱり分裂していてはいけないのだ、
ということをまざまざと思い知らされる。 

★きょうの短歌
いつからかテロには屈しないという言葉がひとり歩きしはじ める  東風虎















■第二百二回 (2003年12月3日)

 小学校の低学年のころの話だ。
お正月かお盆の時節だったのだろうか、
いつものように従兄弟たちのいる隣の地区に遊びにいくと、
見慣れない男の子が一緒に遊んでいる。
たぶん都会から里帰りしてきた孫だったのだろう。
身なりもそれらしく垢抜けている。
 人見知りする私は恐る恐る混じって遊びはじめたが、
しばらくして突然その子が私のズボンを指さして、
「破れズボン、破れズボン!」
 と叫んだ。からかっているのか馬鹿にしているのか、
それとも珍しいものでも発見したとでもいうのか、
いまいちよくわからない声音だった。
 私のズボンは紫色のネルのような変な生地で、
尻と膝のところにかなり大きな継ぎ当てがあった。
昭和の30年代後半でさすがに継ぎ当ては珍しくなりかけていた。
 私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。
決して裕福とはいえない農家の我が家の経済状態からは
いたしかたない措置であったが、私はひそかに父母を恨んだ。
そのまま口惜し涙をにじませながら帰ったようだった。
 そのとき、相手を殴り飛ばせるような私であったら、
今(50歳)になってこんな文章を書かなくてもよいのだが。
 それにしても今時分あの子はどんな大人になってるだろう、
とふと考えてみる。案外と高級官僚にでも昇りつめているかもしれん、
などと苦笑してしまう私である。

★きょうのギャグ
天下り坂を松坂肉様に転げ落ちる     東風虎

















■第二百一回 (2003年12月1日)

 わが村に、最近やたら目につくようになった青紫の花がある。
ずっと名前を知らないでいたのだが、先日某紙のガーデ二ング記事の写真で
「西表朝顔(イリオモテアサガオ)」というのだと知った。
記事にもなるくらいだから各地で流行っているのだろう。
 詳しい生態は知らないが、やはり西表島の原産なのだろうか。
そのせいかどうか、もう十二月だというのに一日中青々と咲いている。
村ではかつて見なかった光景だ。
 本物の(?)朝顔は芸術品のようだったが、もう枯れている。
しかしこちらは妙に毒々しい色を湛えている。

★きょうの短歌
その通り私のギャグがうなるのは世界が苦悩に満ちているから   東風虎
















 

■第二百回 (2003年11月29日)

 女性シンガーソングライターZARDのアルバムかCDかの
総売り上げが新記録を作ったとかなんとか言っていた。
ZARDといえば「負けないで」などで有名である。
 「負けないで 最後まで走り抜けて
  どんなに離れてても 心はそばにいるわ」
 などという励ましのメッセージが繰り返される。
お説ごもっともという歌詞で、異論などありようがない。
しかしどういうわけか私には神経を逆撫でしてくるように感じられる。
演歌じゃあるまいし娘っ子から人生の応援歌を聞かされようとは!
 他にも元「あみん」岡村孝子の「夢をあきらめないで」とか、
岡本真夜の「涙の数だけやさしくなれる」(?)とか、
渡辺美里の「マイ・レボリューション」とか、逆撫でされるのがある。
 彼女らは本気であんな台詞を書いているのだろうか。
この多難な時代によくまあそんな能天気な決まり文句を
何の確証もなしに安易に垂れ流せるものだとあきれてしまう。
 あれらの歌に実際に励まされたり癒されたりしている人が
だいぶいるらしいということに、さらにまた唖然とさせられる。
 これはまあ中年男のぼやきに過ぎませんが(笑い)

★きょうの短歌
自分へのご褒美だとか癒されたいだとかどの口がほざいているか   東風虎
















■第百九十九回 (2003年11月27日)

 このところ分の悪いアメリカですが、
元々はこんなに素敵な国だったのだ、
ということを思い出させてくれる本を見つけました。

 ☆「かみさまへのてがみ」(アメリカの子どもたち著、谷川俊太郎訳、葉祥明絵、
サンリオ、1977年、680円)
 (エリック・マーシャルとスチュアート・ハンブルによって収集され、128の新聞に連載。
ジーン・ケリーでABCドラマ化もされている)

「いつも どようびには あめを ふらさずにおくことぐらい どうして できないの? ローズ」

「かみさま、ぼくのおとうとは 四さいです。どうかおねがいだから、おとうとに 
ぼくのあたまに くるようなこと、やめさせて くれないかなあ。あなたのともだち
 マーク 7と二分の1さい」

「どうして よる おひさまを どけてしまうのですか? いちばん ひつような 
ときなのに。バーバラ わたしは七さいです」 

「かみさま、もし しんだあと いきるんなら、どうして にんげんは しななきゃ
 いけないの? ロン」

「あなたは どうして じぶんが かみさまだって わかったんですか? シャーリーン」

「かみさま どうして いちども テレビに でないの? キム」

「かみさま あなたは おかねもち? それとも ただ ゆうめいな だけ? スティーブン」

「かみさま あなたは きりんを ほんとに あんなふうに つくりたかったの?
それとも あれは なにかの まちがいですか? ノーマ」

「かみさま せいしょは とても いいほんだと おもいます。ほかにも ほんを 
かきましたか? アリス」

「かみさま かぜを ひくのは なんの やくにたつのですか? ロッド・W」

「かみさま あなたって ほんとに いるの? そうは おもっていないひとたちも
 いるわ。もし ほんとに いるんなら、すぐに どうにか したほうが いいわよ。
ハリエット・アン」 

「かみさま こどもに おかあさんと おとうさんが ひとりずつ いるっていうの
は とても いいね。それを おもいつくのに ずいぶんじかんが かかりましたか
? グレン」

 この子たちも今はもう30歳過ぎ。ひょっとすると
誰かがイラクに駐留しているかもしれませんね。
そこでも「かみさまへのてがみ」を思い浮かべているかもしれません。
 そしてまた、イラクの子どもたちも彼らなりの
「かみさまへのてがみ」を誰かへ託そうとしているかもしれません。
 キリスト教の神様もイスラム教の神様も元はおんなじだということは
なぜだか意外にも知られていません。

★きょうの短歌
とやかくの内部告発しなくてもしてもおかしくなる男たち    東風虎








 



■第百九十八回 (2003年11月24日)

 以前から疑問に思っていたことがある。
たとえば新聞の読者投稿欄(いわゆる「ひろば」欄)などで、
ある賛否両論のあるテーマについてしばらく応酬が続くとき、
だいたい双方の意見が平等に載るように
担当記者は気配りしているように見える。
 しかし双方の投稿の比率が6:4ぐらいまでならそれでもいいが、
7:3とか8:2というように偏りが見られ始めたときは、
それを正確に反映するために紙面の比率も偏るべきではないか、
と思えるのだが、記者は必ずしもそうしてはいないように見える。
そのあたり彼らはどう考えているのだろう。
 もちろん現実問題として他の話題も載せねばならないから、
どうしても紙面が限られてきて、双方の意見が一通ずつというような
場合が多くなるのはいたしかたない。
 しかしそれだといかにも賛否が5:5の割合で寄せられているかのように
読者は受け取ってしまう恐れがあるのではないか。
まだまだ両論が拮抗しているのだなと安心しているうち、
実はどちらかが圧倒的に席巻してしまっていた、
というような事態にならないともかぎらない。
 こんな危惧を抱くのも、改憲論議などがかまびすしくなっているからだ。

★きょうの短歌
仏教はその名において戦争をしていないという向坊弘道    東風虎











■第百九十七回 (2003年11月21日)

 佐賀県神埼町出身で大正から昭和のベストセラー作家吉田絃二郎の
全集から再選別された「上高地遊記 吉田絃二郎名作集」(アピアランス工房、1143円)
という本が、同じ神埼町の詩人吉岡誠二さんの尽力で出版されました。
恥ずかしながら初めて読む作品がほとんどでした。
 原稿の掘り起こしや再入力の作業はご苦労だったことでしょう。
いい仕事をなさったなあと思います。
 小説は「島の秋」「清作の妻」ともに佇まいがいいですね。
多くを語りすぎず、読み手に委ねてくるところが
やはり小説の手だれというところなのでしょう。
ただこれでベストセラー作家になっていたというのは
今ひとつピンときませんでした。
 「雉笛を吹く人」には共感するところ大でした。
私もまた「冷酷な人間」だと自覚することが多いので(笑い)。
それに父親を憎みつつも帰省して親孝行するという
また妻に暴力をふるう父でも一応の礼節を保つ
というあたり現代の感覚からは理解しにくいのですが、
そういう日本のそういう時代であったのだろうと
妙に納得させる筆力がありました。
 それにしても小説の3編に出てくる村人たちの
好奇と妬みと悪意に満ちた眼差しは救いようがなく書かれてあり、
リアリストの面目躍如とはいえ凄絶です。
今も似たようなものかもしれませんが、
もうちょっと何か救いの芽がないものですかねえ。
 エッセーの「上高地遊記」は漢字使いが凝りすぎで
なかなか馴染めませんが、年配者には好まれるかもしれません。
登山や山歩きの好きな人には感情移入しやすいでしょう。
そうでない人にはそうでもないでしょうが。
 しかしエッセーの「蛇」「誰にもー」「良寛ー」などは楽しめました。
いろんな書き方のできる作家だなあと思います。
いろんな才能が読み取れる本に仕上がっています。

 連絡先は下記まで。
〒842-0001 佐賀県神埼町3.504 アピアランス工房(吉岡)
電話 0952-52-4140  eメール sseiryu@mac.com

★きょうの短歌
自然薯を掘れない私どものため蔓にムカゴをならせてくれる   東風虎 















■第百九十六回 (2003年11月20日)

 先日、元ハンセン氏病者たちが熊本県の黒川温泉の
「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」から宿泊予定を断られる
というひと悶着がありました。
 その女性支配人は、悪名高い「らい予防法」が1996年に廃止されたことも、
その後島比呂志さんらハンセン氏病者たちが国家賠償訴訟に勝利したことも
知らなかったのでしょう。無知とは恐ろしいものですね。
まさか嬉野温泉ではそんなことはないでしょうねえ。
 あの親会社の化粧品メーカーの小ジャレたイメージと
元ハンセン氏病者たちの変形した手足や顔とはいかにも対照的で、
自分のホテルにはふさわしくないと生理的に嫌悪したのでしょう。
 ところで、北海道で毎年夏に行われるこの春生まれの競走馬のオークションで、
一頭5億〜3億円という高値の仔馬を落札したのは、
今年は軒並み健康食品と化粧品の会社だったそうです。
 さぞかし儲かって儲かってお金があり余っているのでしょう。
あのホテルも馬と同じで投機の対象としての意味合いしかなく、
従業員らの意識も低かったのだろうと思われます。
 とはいえ、支配人の無知ばかりも責められません。
私だって障害者でなかったらその程度の認識しか持ちえなかったかもしれません。
これはハンセン氏病問題をここまで放置してきた
国民すべての責任といってもいいでしょう。

★きょうの短歌
冬いちご手の届かないものほどつぶらに濡れてルビーのよう だ  東風

















■第百九十五回 (2003年11月19日)

 今年の三月から全国脊髄損傷者連合会の「脊損ニュース」誌に連載している
「BOOK ENDLESS」という障害者の本の書評シリーズを、
このたび下記のサイトでも公開しましたので、ぜひご覧下さい。

 http://www2.saganet.ne.jp/nakaji/book3.htm

★きょうの短歌
障害は障害でありそれ以外なにものでもない犬と歩けば   東風虎












 

■第百九十四回 (2003年11月18日)

 百八十回で取り上げた暴言を吐くヘルパーの件。
気になっていた方もおられるかもしれませんが、
あの後彼女は私の忠告にしたがって派遣業者を変え、
元の業者にもクレームのメールを出したそうです。
(ただしヘルパーには直接言わないでと釘を刺して。
なにしろ近所に住んでるので今後のこともあり)
 すると所長が謝りにきて、泣きそうだったといいます。
そのヘルパーは以前にも何度かトラブルを起こし、
二人で相手のところへ詫びに行ったこともあるというのです。
 よくよく注意しておいたのにまた問題を起こし、
お詫びの言葉もないと弱り果てていたということです。
そんなふうでは性根は直らないかもしれません。
にわか仕込みのヘルパー研修制度にも問題ありそうです。
 ともあれ勇気を出してくれてホッとしました。  

★きょうの短歌
夜目遠目笠の内から車美人セーター美人パソコン美人    東風虎














■第百九十三回 (2003年11月16日)

 フラナリー・オコナーの短編「善人はなかなかいない」は
「障害者の文学」におけるカミユの「異邦人」だ。

 (オコナーは米南部の女性小説家、紅斑性狼蒼)

★きょうの短歌
体調の悪いときには笑顔にもなれないこの馬鹿正直もの    東風虎
















■第百九十二回 (2003年11月13日)

 百八十六回でふれた「ペシャワール会」(中村哲医師代表)の
アフガンでの井戸関連工事の発破作業の現場が、
米軍の飛行機に爆撃されたという。誤爆らしい。
 届けは出していたのだから確認を取れば見間違うはずがない、
と中村医師は憤っていた。
 その一事をみても、今の米軍の兵士は恐怖と疑心暗鬼から
パニックに陥っているのがよくわかる。
 イラクでたとえ一時的に侵攻が効を奏しても、
ゲリラ的なイスラムの自爆テロにより必ず紛糾するだろう、
とは戦争前多くの専門家が案じていた通りである。
 それらの声に一切耳を貸さず強引に侵攻したのだから、
米軍のあいつぐ被害に世界中の誰も同情していないように見える。
若い兵士たちはさながら犬死にのようで気の毒だ。
 かといってメンツがあるから今さら退くこともできず、
憎しみと報復の連鎖が果てしなくつづいてゆく。
イスラエルとパレスチナの二の舞になってゆくのか。
 ブッシュよ、攻めるばかりが男ではない。

★きょうの短歌
野いちごもむかごもみんな藪の中電動車いすから見ると   東風虎













■第百九十一回 (2003年11月11日)

 「ペン人」28号を出して三ヶ月近くたつが、
寄贈しているマスコミが紹介してくれないようなので、
「はてな?」と首をひねっている。
 前号からインターネット上のサイトで全作品を公開しているが、
これは内外の同人雑誌ではおそらく先駆けだろうと自負している。
(もちろんそのことと作品の質とは何の関係もないが)
 そのことは先方にも伝えてあるが、二ュース性はないのだろうか。
それとも私の「とろうのおの集」に何か含むところでもあるのかと
よけいな邪推をしたくなる。
 今まで大なり小なり紹介されてきたのでそう感じるのである。

★きょうの短歌
子を産んでマヒが重たくなったのでその子に手伝ってもらうという  東風虎










■第百九十回 (2003年11月9日)

 衆院選の投票日。お天気は曇り一時雨。
私も初めて小学校体育館の投票所まで行った。
いつもは不在者投票(郵便投票)をしているのだが、
(受傷以来一度も棄権したことはなし!)
今回は請求するのが間に合わなかったので、
朝早くから直接乗り込むこととなった(笑い)。
 会場入り口にはスロープも付けられ、
順路にはシートが敷かれていたので何不自由なかった。
記載する衝立は高すぎて届かなかったが、
隣に代理人用の低い席がありそれを利用できた。
 郵便投票のほうが確かに便利で楽ではあるのだが、
たまには投票所にも足を運んだほうがよいだろう。
障害者(電動車いす)もちゃんと投票している姿を見せないと、
バリアフリーや職員や住民の意識が進まないから。
 曇り空で雨が心配されるくらいのお天気は、
民主党ほか野党に有利と予測されているようだが、
さあて開票の結果が楽しみだ。

★きょうの短歌
選挙カー荷台にすずなりのあいつらはいったい何なんだ    東風虎












■第百八十九回 (2003年11月7日)

 きょうは車いすグラウンドゴルフ大会に行った。
全国脊髄損傷者連合会佐賀県支部の主催で、
相知町の天徳の丘公園に35人ほどが集まった。
 相知町は学生のときバイトで駅の電話線埋設工事に行って
以来30年ぶりであったから、ことのほかなつかしかった。
相知町は岩肌に彫られた石仏群で有名なくらいだから、
あちこちに面妖な形の山が目立った。
 私は握力がゼロなのでスティックを持てない。
そこで手ぬぐいでぐるぐる巻きに縛りつけてもらった。
その縛り方次第によって成績が左右される。
 私は数少ない美女ばかり三人のチームに組み込まれていたので、
(つまりただ一人の頸髄損傷のハンデとしてなのだが)
みんなに横目でうらやましがられつつ
ひがな一日目の保養になった(笑い)
 当然、頸髄損傷の部の優勝で賞品もたっぷり。
脊髄損傷の男性の皆さんには相済まないことだった。

★きょうの短歌
いつからかへのもへ流の家元を勝手に名乗り愛弟子もつく    東風虎













■第百八十八回 (2003年11月2日)

 川崎かどこかの市役所が土日の空いている庁舎を
テレビや映画のロケ場所として貸し出していて、
「踊る大捜査線」などが実際に撮られたという。
 その二ュースを聞いてお役人の中にも知恵者がいるものだと感心した。
東京近郊ならではの発想だろう。佐賀ではこうはいかない。
どうせなら、国会議事堂も使わないときには貸し出したらいい。
すぐれた政治ドラマか何かが撮られるかもしれない。
 公務員たちもこれくらい危機感をもって知恵をしぼってくれたら
ひょっとしたら構造改革が進むかもしれない。

★きょうの短歌
今はまだ誰も何にも言わないけれどアスコンタイの人々のこと    東風虎













■第百八十七回 (2003年10月30日)

 きょうは私の29回めの受傷記念日。
とはいえ30日だったか31日だったか、どうも今一つ覚つかない。
それほどはるかな記憶となってしまった。
格別の感慨も湧いてこない。
 受傷直後、私には(残酷なことに)ずっと意識があったので、
「ああ、これで僕の青春は終わった・・・・・・・」
などとキザな台詞を思い浮かべたのだが、
今となってみると、それは大きな間違いだった。

★きょうの短歌
ああこれで僕の青春は終わったなどと思ったのは大間違いだった    東風虎












■第百八十六回 (2003年10月29日)

 「国境なき医師団」通信と、「ペシャワール」通信が定期的に送られてくる。
以前に寄付をしたからだが、それで会員になっているのかどうかは知らない。
「国境なき医師団」通称MSF(メディシンズ・サンズ・フロンティア)は
数年前ノーベル平和賞を受けて、まるでわがことのように嬉しかった。
 ところが、「ペシャワール」通信を発行している中村哲医師は、
アフガンで井戸を掘るボランティアを続ける日々の中から、
「MSFはアフガンでの事業において功を急ぎすぎている」
と厳しく批判している。それを読んで驚いてしまった。
 いやしくもノーベル賞を受けているような団体でも、
現場ではそのような勇み足を犯したりするらしい。
 かつて中東和平の功績でラビン首相とアラファト議長がともに
ノーベル平和賞を受けたが、それが今では幻のようなありさまだし、
佐藤栄作首相が非核三原則でやはりこの賞を受けたのも、
その後の報道で有名無実だったことが明らかになるし、
どうもこの賞はあまりあてにならないらしい。
 なんとも溜め息がもれるようだ。

★きょうの短歌
江戸開府400年とおめでとうあんな都知事をいただいていても    東風虎














■第百八十五回 (2003年10月28日)

 「異なる悲劇 日本とドイツ」(西尾幹二著、文芸春秋社、1994年、1900円)
という本には、ナチスの犯罪が通常の戦争行為からいかに異質なものであったか、
そのためドイツは戦後ナチスの犯罪については人道的見地から被害者個人に対し
丁重な謝罪と賠償をつづけてきたが、一般の戦争犯罪については周辺国家人民に対し
国家としていっさい謝罪も賠償もしていない、という事実を教えられた。
 そう言われても、何か詭弁を聞かされたような釈然としない思いが残る。
戦争の非常時ではナチスの犯罪も通常の戦争犯罪もごっちゃに見える。
 つまりヒトラー当時のナチス党というのは周辺から見れば
いわゆる国家そのものであったのだから、その罪を謝罪・賠償するということは、
ドイツが国家として戦争犯罪に謝罪・賠償しているのとかぎりなく等しい行為に、
遠い諸外国からは見えても無理はないということである。
 それはともかくとして、この本には次のような記述もある。
 「しかし、戦後ソ連やポーランドから追い払われたドイツ人は紛れもなく被害者である。
チェコのズデーデン地区から三百万人ものドイツ人が戦後追放された事件について、
チェコ政府は『謝罪』を始めている」(129ページ)
 不勉強のためこれが事実かどうか知らないが、事実だとすると
戦後周辺諸国にぺこぺこ謝っているのは日本だけだという言い方をよくされるが、
決してそうではないということになる。
(チェコの例が戦争時の犯罪とは微妙に違うという見方はあるだろうが)
 何事もよく調べてみなければわからない。

★きょうの短歌
今はまだ誰も何にも言わないけれどオロホンポーの人々のこと   東風虎












■第百八十四回 (2003年10月27日)

 町議選が終わってようやく静かになった。
期間中はいつもの散歩に出るのも臆劫だった。
狭い町内なので入れ代わり立ち代わり選挙カーとすれちがう。
 素知らぬ顔をして行きすぎるほどの度胸はないので、
一応会釈はするのだが、何でぺこぺこしなければならないのか?
という素朴な疑問にとらわれる。
特に困るのはさっき会釈した車にまた出会うときだ。
 昨日まで全然知らなかった人がほとんどである。
それがたった一日を境に頭を下げねばならなくなる。
高い所から「お世話になっております」とがなり立ててくるが、
別にお世話した覚えもない。
 それにあの荷台に鈴なりになった鉢巻姿の男たちは何なのだ。
近親の支援者たちなのだろうが、別に応援演説するわけでもなく
付和雷同して手を振るばかり。何かを監視しているようにも見える。
あるいは自分まで偉くなったような錯覚に陥っているのか。
そうやって一日村をぐーるぐる(笑い)。
 とにもかくにも楽しくてしようがないという感じ。
田舎では数少ない血湧き肉躍るイベントなのだろう。
まあせめて連呼だけはやめてくれと言いたいところだが、
今度は衆院議員選挙が始まる。  
 やれやれ・・・・・。

★きょうの短歌
無年金障害者の救済をマ二フェストにする政治家はなし   東風虎












■第百八十三回 (2003年10月25日)

 昨夜、佐賀市文化会館までレーナ・マリア・クリングバル(35歳)の
ゴスペルコンサートを聴きに行った。「たすけあい佐賀」の移送。
スウェーデンのサリドマイド障害で両腕のない歌手である。
しかし水泳も車の運転も料理も一人でこなす。
以前から本や記事などは読んでいたので親近感があった。
いっぱいの客席にも障害者の姿が多かった。
 日本には30回も来ていて200箇所もコンサートをやっているそうな。
全都道府県のうち佐賀は最後から二番目なのだという(笑い)。
なかなかの親日家みたいで日本語もうまかった。
 両腕がないと胸が張りにくいだろうと思うのだが、
そのバストとともに(笑い)声量はたっぷりとあった。
歌声も素直によく伸びて好感を持たれるのは無理もない。
佐賀の子どもたちとの競演(二曲)もほほえましかった。
 選曲も「アメージング・グレース」「見果てぬ夢」「なんて素晴らしい世界だろう」
「上を向いて歩こう」「翼を下さい」「見上げてごらん夜の星を」
自ら作詞作曲した「マイライフ」「アイム・ソー・ハッピー」などなど
愛と希望と感謝と信仰に満ちたものばかりだった。
いやらしい人間である私には眩しい世界だった。
 しかしなんというかあまりに向日性の歌ばかりなので、
ともすれば単調で陰影が薄くなりがちなのはいたしかたなかった。
これで30回もコンサートが張れるのは日本ならではだろう。
とまあそれは厳しすぎる言い方かもしれないが。
 とりわけ楽しみにしていた「なんて素晴らしいー」と「上を向いてー」は
ちょっと拍子抜けだった。あまりに例の調子なので泣けなかったのだ。
というのも私はこの二曲を聴くと、いつもイントロの部分からじんわりと
涙がにじんできてしまうのだ。
 それがあっけらかんと明るく聴かされてしまったので、
何か損をしたような気持なのだった(笑い)。

★きょうの短歌
美しいサリドマイドの娘は腕をこまねきもせず歌いつづける  東風虎













■第百八十二回 (2003年10月20日)
  
 朝6時前、いつものように電動リフター「パートナー」を使って
電動ギャッジベッドから電動車いすに乗り移ると、
しわしわの横シーツの中央に黒いものが落ちている。
別に粗相したわけではなく、筆ペンのキャップなのであった。
 昨夜寝る前にパソコンをいじっているとき、
キーボードを押すための筆ペンのキャップがはずれて、
電動車いすのアームレストと腰の間にはさまってしまった。
 それを忘れたまま電動車いすからベッドに下りたので、
キャップがお尻の下までくっついてきたのだ。
健常な人なら違和感や痛みがあるからすぐに拾ったり、
無意識に寝返りを打ったりするだろうが、
頸髄損傷は感覚がマヒしているから気づかずに、
そのまま朝まで7時間ほど敷いていたことになる。
 途中で一、二時間おきに小便をするため
横向きになっていたので大事には至らなったのだろう。
もし敷きっぱなしだったら縟瘡になっていたかもしれない。
 起きてそのまま村の町民運動会を見にいったのだが、
せっかくおさまっていた冷や汗がぶり返したり、
尿もれが気になったりしてしんから楽しめず、
早めに帰ってきてしまった。
 私の日常はそんなことのくりかえしである。

★きょうの短歌
先年の米大統領ドクトリンこれはギャグではないかと思う    東風虎















■第百八十一回 (2003年10月17日)

 どんなに気に入った曲でも
百回、二百回聴くうちには飽きがくる。
 しかし、井上陽水の「積み荷のない船」だけはそれがない。
してみるとすごい曲ではないかと思う。

★きょうの短歌
うちの子にかぎって何かしでかしそう秋の夜長をまんじりとせず   東風虎







 



■第百八十回 (2003年10月15日)

 前回からのつづき。
 これはかつて脳性マヒの横塚晃一氏も言っていたことだが、
健常者というのは障害者がくよくよと自分の不遇を呪い悲しみ
健常な身体に甲斐もない憧れを捧げつづけているかぎり、
(そしてそれを詩歌などに書き表しているかぎり)
おおような気持でいられるものらしい。
 しかし、それが覆されると穏やかではなくなるらしい。
たとえば障害者がケロリとして自分の人生を楽しみ始めると、
前回のヘルパーのように突然気に食わなくなるのだ。
 自分はこんなに仕事に追われているのに安月給で、
亭主はリストラに怯え子供は携帯電話にかかりきりで、
自分の更年期のことなど全然かまってくれない。
遊びに行ったことなど何年もない。
それなのにこいつらは何なのだ!?、と。
 とまあ、これは極端な例なのだが、
似たような感情はどこかに巣食っているのではないか。
近年の日本を覆っている不寛容のムードが
それに拍車をかけることを案じている。

★きょうの短歌
向こうでもこちらでも監視されつづけたいした違いはないという人たち   東風虎











■第百七十九回 (2003年10月14日)

 知りあいの女性障害者がヘルパーさんから次のようなことを言われ、
号泣しそうになったが懸命にこらえたという。

 
「障害がすごく辛いことはわかる。でも、こっちは、
一生懸命働いて月10万くらいしか収入がない。
なのに障害者は、遊んでいて年金がもらえるからいい。
戦争で負傷した人達に年金が来るのは納得できる。
でも、あなたたち障害者はそういうのとは違う、
保険料も納めていないのに、年金を当たり前のようにもらっている・・」
 「年寄りがいる家族は、安易に介護保険を利用しすぎる。
  私達をお手伝い代わりに使う」
 「生活保護者は、仕事もせず、贅沢三昧してる、すごくむかつく・・・」
 「今の日本の福祉はおかしい・・」

 健常な福祉関係者の一部にこういう憤懣が巣食っていることを、
障害者たちはよくよく肝に銘じておいたほうがよい。
反省すべきところは反省すべきであろう。
 ただしこのヘルパーには認識の不足がある。
障害者がすべて年金をもらっているわけではない。
にもかかわらず保険料を払い込み続けている障害者もいる。
仕事をしている障害者も税金を払っている障害者も
子どもを産み育てている障害者も多い。
 そんな事実を教えてあげても何かむなしい。
こんなヘルパーは家庭に何か問題を抱えているのではないか。
それをこんな形で憂さ晴らししているのかもしれない。
されるほうはとんだ迷惑だ。
 今すぐ派遣業者を変えたほうがよいのはもちろんだし、
その前に元の業者にもきちんと抗議すべきだろう。
そうしないとまた他の障害者が同じ目にあうからだ。
 しかし地方では業者の数が少なく選択の幅が狭いので、
しこりが残ることを恐れて言い出せない場合も多い。
それを見越して言っているのであればかなり悪質だ。
 それにしても、このような人はどんな時代にもいるものだ。
たとえば「苦界浄土 わが水俣病」(石牟礼道子、講談社、1969年)には、
次のようなやりとりが出てくる。

 
「タダ飯、タダ医者、タダベッド、安気じゃねぇ、あんたたちは。今どきの娑婆で
は天下さまじゃと、面とむかっていう人のおるよ」
 「何が今どきの娑婆じゃ。二度と戻ってくる娑婆かいな」
 「水俣病が羨ましかかいなぁあんたたちは。今すぐ替わってよ。すぐならるるよ。
会社の廃液百トンあるちゅうよ、茶ワンで呑みやんすぐなららるよ。とってきてやろか、
替わってよ、すぐ。うちはそげんいうよ。なれなれみんな水俣病に」
 「おとろしかこついいなんな、うちはたとえ仇にでも
この病ばかりにはかからせとうなかよ」

 人間というのはあんまり進歩がない。
しかし最後の言葉には仏性すら感じる、
それがせめてもの救いだ。


★きょうの短歌
都会とは金を稼いで悪さするところだというしてみたいもの  東風虎















◆第百七十八回 (2003年10月13日)

 すっかり時候がよくなりまして、(きょうは雨ですが)
毎日ふーらふーら出歩いています。
空気は澄んで空はかぎりなく高く東風はここちよい。
コスモスと朝顔が並んで咲き、金木犀が匂ってくる。
 自分ばかりこんなにけっこうな思いを味わって、
都市部のコンクリートジャングルで暮らしている
障害者たちに申し訳ない気持でいっぱいです。

★きょうの短歌
感謝してもしつくせぬから押し黙り愛想なしと思われている  東風虎















◆第百七十七回 (2003年10月10日)

 先日のジャパンオープンテニスで優勝した
ロシアの16歳の新鋭マリア・シャラポワ選手に
私はすっかり鼻の下を伸ばして見とれてしまった。
 180cmのスリムな肢体をピンクのワンピースに包んで
海老のように躍動しながらラインぎりぎりのスマッシュを決めるのだ。
モデル顔負けの美少女なのだが、試合中は二コリともしない。
いやあ、楽しみな選手が出てきたものだ。
 ところで、見ているとかねてからの疑問が再び頭をもたげてきた。
というのも、たいていの女子選手はスカートの内側の腰のあたりに
どうやって留めているのか二つめのボールを仕舞っている。
(シャラポワ選手はそうしていなかったが)
 あれは一本めのサービスがフォールトしたときの予備なのだろうが、
すぐ近くにボールボーイや線審がいるのだから、
そのつど投げ渡してもらえばすむことじゃないのか。
それに日本の武士道では二の矢を持つことを潔しとしない。
 あれはどう見ても不格好である。その他の面では
洗練された伝統と美しさを誇っているスポーツなのに
どうしてあれだけいつまでも改善しないのだろう?
 どなたか本当の理由をご存知の方はお教え願いたい。

★きょうの短歌
のど自慢みんないい人年寄りはみんなお若いわかものは見ず   東風虎
















◆第百七十六回 (2003年10月7日)

 毒書もとい読書の秋、皆さんごきげんいかがですか。
この十月吉日、めでたく季刊「澪(みお)」が創刊されました。
これはかつての「新郷土」誌を受け継ぐ総合文化誌として、
佐賀短大の樋口栄子さんと編集スタッフ十数名が
満を持してたちあげられたものです。
 創刊号には「はなわ」や「島田洋七のがばい婆ちゃん」ほか
旅、歴史、文化、エコ、新知事のインタビュー、文芸など盛りだくさん。
私の小さなwebコーナーなども連載となっています。
 一部600円、年四回発行。定期購読者を募っております。
関心おありの方は下記までご連絡ください。

★Sagaよかとこ発信 〒840-0845佐賀市六座町5-10
 電話0952-24-2405 FAX 0952-29-7246
 eメール sawayaka@po.saganet.ne.jp











◆第百七十五回 (2003年10月3日)

 時候のいいこのしばらくが電動車いすには 活動のかせぎ時。
きょうは国立嬉野病院の理容室まで散髪に行きました。
 今まで我流で刈ってくれていたヘルパーさんが
支援費制度になってから散髪はできなくなったと
(身体介護と家事援助の区分けが厳しくなってと)
固いことを言うもんだから(笑い)。
こっそりやって内緒にしておけばいいと思うのですが。
 町の床屋はたいてい段差があって入りにくいから
しかたなくバリアフリーの国立病院まで足を伸ばした次第。
かつて入院していた時以来30年ぶりくらい。
 すっかり内装も変わり、女店長さんに変わっていました。
妙齢の女性の手練はやっぱり心地よかったです。
代金2400円というのは意外に安かったなあ。
 しかしお客さんは散発的でした(笑い)

★きょうの短歌
ひとり寝に寅さん映画のいいところ決して胸をかき乱さない  東風虎











◆第百七十四回 (2003年10月2日)

  九月の残暑で夏バテしていると言ったら、
同級生の古書店主からブラジルのプロポリスという
ミツバチの巣から採った稀少な滋養強壮剤を送ってもら い、
果汁100%のオレンジジュースで薄めて少しずつ飲んでいる。
彼はブラジル人の奥さんをもらっているのである。
 また読者の女性からは50歳の誕生日のお祝いに
ベルギーのゴディバという高名なチョコレートを送ってもらった。
いずれのご厚意にも感謝しています。
 こんな私のものでも愛読して下さっているという方々から
今までいろんなプレゼントをいただいてきたものだ。
私は本当に果報者だなあと思う。

★きょうの短歌
二千円札に出会ったかのような顔をするなよお彼岸の道    東風虎












◆第百七十三回 (2003年9月27日)

 池田小児童殺傷事件の宅間守被告が一審後
弁護団の申し入れていた控訴を否定して死刑が確定した。
生き延びることにはさらさら未練がない、というふうだ。

 それに関して思い出させられることがある。
数年前、某局のテレビ討論番組である中学生が突然
「どうして人を殺してはいけないんですか?」
と発言して、居合わせた大人たちが満足に即答できず
のちに波紋を投げかけたという一件である。
大江健三郎でさえ「そういう質問をすること自体おかしい」と
答えにならない答えをしていた。

 その話を聞いて私は首をかしげるばかりだった。
だって自分が殺されるとしたらイヤじゃないか、
たとえば恋人に会いに行く途中、通り魔に刺し殺されたら、
無念で無念で死んでも死にきれないだろう。
だから人を殺すのもよくない、という道理がなぜわからないのだろうと。

 そこで憤懣にかられて
 「どうして人を殺してはいけないのってあなたが殺されたらイヤでしょう」
 という短歌をつくったりしたものだった。

 ところが宅間のように生きることに何の希望も未練も持たぬ人間は
自分が殺されることにも一向に痛痒を感じないのだろう。
そうなると上の道理も通じなくなるのではないかと。
 しかしながらこの問題には落とし穴がある。
宅間が殺される方法は恐らく電気椅子か薬剤注射か首吊りか
いずれにしても一瞬で片のつくものであるはずだ。
むしろ死刑執行人のほうが心の傷を引きずるかもしれない。

 ところが現実の死の場面というのはそんなに簡単ではない。
たとえばピストルで撃たれても即死することはほとんどない。
当たりどころが悪ければ脊髄を損傷して車いすの生活となり
後半生を排泄や縟瘡や性的不如意の苦労で過ごさなければならない。

 しかしそれぐらいならまだましなほうだ。
たとえば紀元前3世紀の中国、呂太后は戚夫人を嫉妬するあまり、
理由もなく捕らえて目をくり抜き、耳を削ぎ落とし、唖になる薬を飲ませ、
両腕を切り落とし、両足を切り落とし、それでもまだ気がすまず
便壷の中に投げ落とし、「人間豚」とかなんとか名づけて
用を足していたというから凄まじい。
 おそらく目をくり抜くのでも一日めに片方を潰し、
簡単な手当などして飯を食わせ牢に閉じ込めておき、
あくる日また引きずり出してもう片方の目をくり抜いて楽しんだのだろう。
簡単には死なせてやらないぞという憎しみの極致。
ある時期まで夫人が生き続けていたという事実もまた凄まじい。
世の中にはそういう死だってあるということだ。

 そういう死を与えられたら宅間はどうするのだろう。
それでも「死なんてへっちゃらだい」と嘘ぶいていられるだろうか。
いやいや、宅間のことだからそれぐらい惨たらしくされて初めて
『ついに生きている実感を味わえましたあ・・・・・』
 なんて随喜の涙を流すのかもしれない。ぶるるっ。

★きょうの短歌
ころげ落ちどうせ地獄を見るのならすみずみにまで目を凝らしつつ    東風虎















◆第百七十二回 (2003年9月25日)

 障害者は心身の制約からどうしても
健常な人にくらべて体験の幅が狭い。
だから世間知らずになりがちだ。
 そのことはいつも自分に戒めていようと思うのだが、
本を読んだりテレビを見たりインターネットを繰るうちに、
まるで世界中を見聞きしてきたかのような錯覚に陥り、
ついつい傲慢な物言いになっている自分に
ハッと気づいたりする。
 そしてそれを他人から指摘されるのは
なおのこと苦々しい(笑い)。

★きょうの短歌
他愛ないトークショーでも得るものはガッツ石松のオッケー牧場    東風虎










◆第百七十一回 (2003年9月24日)

 詩人の谷川俊太郎が某紙のずいそうで

 「あてにならない勘だけど、小説より詩のほうがこの先残るんじゃないか。
小説の描く人間の業がこれからも続いていくようじゃ、人類はどうにも
ならない気がして。これだけ皆がいやしを求め、文明の飽和を感じる時代、
救いのための表現は、詩のほうが向いてる気がする」

 と言っていた。
(谷川は詩だけで飯が食えている唯一の詩人だそうな)。
 小説を書いている者としてはいささかギクリとするが、
「救いのため」などと言われるとちょっと引いてしまう。
 いずれにしても、「詩よりも短歌のほうがこの先残る・・・・」
などという話にはなりそうもない。
私は案外ありうるのではないか、と思ったりするが(笑い)。

★きょうの短歌
増えつづけてゆくカプセルをいくつまで舌の先で数えられるか  東風虎













◆第百七十回 (2003年9月23日)

 
「ペン人」28号の「とろうのおの集」に発表した

「菜の花にレンゲに土筆えんどまめ私が悪うございましょうか」
(旧作では「菜の花にレンゲに土筆えんどまめ私が悪うございました」

 という短歌について、
「戦争で被害を与えた近隣諸国にぺこぺこ謝っている自虐的良識派」
という読み取り方をする人がいて驚いてしまった。
 この歌だけを独立して読めばそんな曲解が湧いてくるはずもないと思う。
自然の風物のささやかで美しい営みに接するごとに、
人間としての私の環境汚染やみだりがわしい生き方が恥ずかしい、
そんな感慨を歌ったものと受け取られるのがふつうだろう。
 ところが「とろうのおの集」85首の中に置かれると、
ほかの短歌の二ュアンスにまみれて上のような解釈も成り立つ
ということなのだろうが、それにしても考えすぎだよなあ。
 まあ、文学だからどういう受けとり
方も自由なのだが。

★きょうの短歌
自爆テロ犯人さぞや散り散りになっていようがテレビはふれず   東風虎











◆第百六十九回 (2003年9月22日)

 私のような者にも最近はときどき原稿の依頼をいただく。
そしてその雀の涙ほどの原稿料の中から、
毎回きっちりと一割の源泉徴収税がさっ引かれている。
 サラリーマンの所得税などと比べると
それはもうお話にもならないような額だけれども、
そんな形ででも国民としての納税の義務を果たせるようになったことは、
かつての徒食時代に比べると、夢のような喜びである。
 人間は自分の身の丈に合ったくらい稼いでいるのが一番身体にいい、
と宮沢賢治も言っている。

★きょうの短歌
コンバインオペレーターに出すための缶ビールをJAまで買いにゆく   東風虎













◆第百六十八回 (2003年9月21日)

 北九州市の向坊弘道(頸髄損傷)さんは類い稀な人で、
フィリピンで日本人障害者の家を運営し、
日本からの訪問者や視察者を受け入れる一方、
現地の障害者たちのために日本の中古の車いすを寄贈したり、
仏教ペンションを運営しているネパールでは、
現地で車いすを製作できるようなノウハウの援助を続けている。
 私など足元にも及ばぬ行動力で口あんぐりとするばかりだが、
せめて何かお手伝いしたいと、中古の車いすを寄贈したりしている。
普通の車いすなら今は各地の障害者たちが寄贈しているから、
私は頸髄損傷向けにハンドリムに突起のついた特注品を贈っている。
それならきっと一段と役立ててもらえるだろうと。
 また同じくネパールで現地の子どもたちのための学校を造り、
さまざまな援助をしている岸本康弘さん(脳性マヒ)も類い稀な人で、
私も運動場を付設する活動などお手伝いをしている。
 しかしながらこういう慈善行為は口に出して言ったとたん、
はらほろと偽善に堕してしまうものである。
にもかかわらずあえてこうして書いたのは、
あるやむにやまれぬ事情があったからである。

★きょうの短歌
車いすからの鎖がほどけても逃げない犬のような私たち    東風虎












◆第百六十七回 (2003年9月19日)

  9月14日、母校(吉田小、中学校)の合同運動会に行きました。
車いすに乗るようになって十数年も運動会には行けなかった私も
(理由はお察しください)
今ではなんのこだわりもなくひょいひょいと顔を出しています。
 私たちの頃は一学年137人もいた生徒が
今では35人くらいに減ってしまいましたが、
そのため合同でやるようになって数年、
全部で300名ほども勢揃いするとやっぱり賑やかなものです。
 とりわけ「面浮立(めんぶりゅう)」踊りはなつかしかった。
手作りの紙の鬼面と竹筒の太鼓も代々のおゆずり。
私たちもそのまた先輩たちも踊った母校伝統のプログラムです。
これを見ないと秋がこないという人気の演目。
 それと恒例の組体操などまで見るうちに
うかつにもちょっと涙ぐんでしまいそうになりました。


★きょうの短歌
ふるさとの運動会の面浮立踊り不覚にも涙ぐましい   東風虎
















◆第百六十六回 (2003年9月17日)

 あれほど悩み苦しんできた脂汗(冷汗?)が
この一週間ほどピタリとおさまっている。
それにともない電動車いす上での小便の出もずいぶん楽になった。
思わず「ヤッホー!」と叫び出したい気分だ。
 いったいどういうわけだろう。素人考えとしては、
おそらく尿道か膀胱の傷がふさがったのではないか。
でもどうしてふさがったのだろう。
 嬉野国立病院の泌尿器科を受診して
膀胱の緊張緩和剤バップフォーと利尿剤フリバスを処方してもらったのが
ようやく効いてきたのだろうか。
もちろんそれもあるだろうが、もうひとつひそかに思い当ることもある。
それを思うとついついウフフ笑いが浮かんでくる。
 いずれにしても、昨年「はがき通信」の京都行きから帰って以来
ほぼ一年ぶりの快方である。その一年のあいだ
いろいろなことがあったが(足指やくざ状態にもなったし)
今となればみんなはるかな遠景のようだ。

★きょうの短歌
切断の足指痕にこすり寄り身も世もないと野良猫のクロ     東風虎













◆第百六十五回 (2003年9月15日)

 私の父は志願して出征し、ラバウルで傷痍軍人となり引き揚げてきました。
帰ってからは人が変わったように働き大酒を浴び暴れまわり早死にしました。
しかし戦争中の体験については一言も語りませんでした。
 そんな父親と私は一度も打ち解けて語り合った記憶がありません。
すると思春期になって突然「排尿困難」「会食不能」「ざこ寝無理」
(ざこ寝ーは私の造語です) という軽いノイローゼに陥りました。
 これは大勢人のいるところでは排尿できない、食事できない、睡眠できない
という症状で、原因は父親との幼時の関係にあるらしいと知りました。
 頸髄損傷という荒療治のおかげで排尿のほうは全く別の困難に見舞われ
それどころではなくなりましたが、その他の困難は今でもうっすらと続いています。
 つまり父親を歪めたの戦争の影が、皮肉な形で私に受け継がれているわけで、
私にとって先の戦争というのはまだ終わっていないのです。
 それほど非人間的な体験というのは後遺症が厄介なのですね。
イラク駐留の米兵たちもこのあとが心配です。
 
★きょうの一句
父の義眼左だったか右だったか    東風虎










◆第百六十四回 (2003年9月12日)

 「ペン人」28号全作品をホームページで公開したことで、
少なからぬ人から素早い反応をいただいている。
インターネットの浸透をまざまざと感じさせられる。
本や雑誌の形で読むよりパソコンで読むほうが楽、
という四肢マヒ者たちが増えているということだろう。
 これは昨年の27号から始めたことで、
県内外の同人雑誌ではおそらく先駆けだろうと自負している。
 これも原稿がほとんどeメールで送られてくるからで、
私は編集するだけでいいのである。
もちろん手書きの原稿も少々なら入力しているが。
 そんな中にも毎号数人の方は辛口の批評を下さる。
障害者の作品に対してはなかなか本音の意見をもらえないので、
貴重なものとして肝に銘じている。
ほかの障害者の書き手にはない私の財産のようなものだろう。
 それにしても諫言を聞くのは苦しい。
いつまでたっても慣れることができない。
しばらくは落ち込んで何をする気にもなれない。
 今号にも「戦争責任問題などもっと反対の立場の本も読め」
というお叱りをいただいた。うーむ、ごもっとも。
それなりに読んではいるのだが、
どうもその手の本は論理の杜撰なものが多いからなあ。
 いずれにしても反応の聴こえてくるこのしばらくの間が
同人誌編集稼業の一番の楽しみだ。

★きょうの短歌
そうめんと猫まんまの日々夏痩せをしそうなものだけれどもなあ   東風虎











◆第百六十三回 (2003年9月5日)

 ニュースで雅子様が九年ぶりに小和田家へ里帰りされた、
という話題をやっていた。例の愛犬ショコラに愛子様がなつかれた、
とかなんとか。「お手ふり」という言葉には笑ってしまうが、
私には別になんの他意もなかった。
 ところがさらに話題がさかのぼって、
天皇・皇后両陛下の軽井沢の別荘でのご静養の話になり、
その別荘を長年掃除しているという男性が
両陛下からお土産をもらったという。
(両陛下は意外にもよく一般人にお土産を下さるという)
 それがなんと「恩賜の煙草」だと聞いて、
突然私はなにやら狂暴な思いにとらわれた。
「恩賜の煙草」とはフィルターに菊のご紋章が印刷されている特注の品で、
かつて特攻隊の若い兵士たちが出撃前にもらったという。
 まさかそんな忌まわしいしろものをまだ作っているとは!
のみならず今でも一般人にもったいらしく配っているとは!
なんという時代錯誤であろうか。
 それから私はかねてよりの持論
「昭和天皇には戦争責任をとって自殺してほしかった」
という憤懣を久しぶりで胸に湧き上がらせた。
 (追伸。念のためこの場合の戦争責任というのは海外向けというより
国内向けという二ュアンスで使っている)

★きょうの短歌
かの国の三種の神器とでも言おう核と拉致者と美女軍団と   東風虎












 ◆第百六十二回  (2003年8月31日)
 一年ぶりで「ペン人」28号を出しました。
今号の内容は下記の通りです。

★田口香津子の詩「新聞」。
★佐藤友則小詩集B「子どもたちを元気に」
★佐藤友則短歌抄「もみじの一葉」
★中島虎彦短歌抄「とろうのおの集」
★新7個のアンケート(小野多津子から河北徹へ)
★中島虎彦の「BOOK ENDLESS補遺C」(ブリキの太鼓)
★「ペンペン草」

 徒労でも蟷螂の斧、という心意気でやっています。
読んで下さる方は中島までご連絡ください。
本体400円+送料160円。
 なお、メニューの「ペン人」の項に全作品を載せています。









◆第百六十一回 (2003年8月30日)

 一昨日の散歩道で彼岸花を一輪見つけた。
かつてないことで、今年は秋も早いようだ。
異常気象なのかどうか、電動車いすでは心配してもしきれない。
 それはそうときょうは良いことがあった。
四月の足指切断を帳消しにするような。
うふふ。

★きょうの短歌
JAを農協と呼びつづける婆ちゃんたちをすり抜けてゆく    東風虎














◆第百六十回 (2003年8月24日)

 昨夜は村の夏祭りに行った。
のど自慢や盆踊りやクジ抽選や花火大会。
いつに変わらぬ浴衣姿の娘たちと屋台の列。
嬉野温泉夏祭りの花火を雨で見逃していたので、
これがこの夏唯一のイベントである。
 花火は予算の関係から散発的なものだが、
こんな田舎で上がるということ自体が珍しい。
その中に四角い花火というのも初めて見た。
 生ビールとフライドポテトをいただきながら、
過ぎゆく冷夏の残響をひととき堪能した。
最近は焼酎や発泡酒やノンアルコールビールばかりなので、
生ビールのうまさが腹に沁みた。
 それにしても盆踊りのおばさんたちは能面のようだ。
北朝鮮の美女軍団の笑顔といい勝負だろう(笑い)
外国人が見たら何が楽しくて踊ってるのか、と映ることだろうが、
それが日本というものなのですよ。
一方、座布団の舞う国技館の色彩と喧騒のようなものも
まぎれもなく日本なのである。
 ああ、それから、
六万年ぶりの大接近という火星もじっくり見ることができた。

★きょうの短歌
この夏もひとりの祭りめずらしく四角い花火など上がっても    東風虎












◆第百五十九回 (2003年8月17日)

 ひと月ほど前から俳人たちの歌仙サイトに参加している。
同級生の古書店主に半ば強引に引きずりこまれたものである。
俳句や歌仙や連歌については不勉強で、最近は実作してもいないので、
(それに俳人と呼ばれる人種の気位の高さには閉口するので)
だいぶ逃げ回っていたのだが、とうとう蜘蛛の巣にからめとられてしまった。
 最初の人が五、七、五の発句を示すと、
次の人は七、七の下句をつなげる。以下その繰り返し。
相互に関連性があるようなないような微妙な感じがいい。
ただ季節や切れ字や題材や表裏や句数など
細かな約束ごとがあるらしくて、新米は五里霧中の世界である。
 私は短歌の人間なので八方破れの自由律を書き込んだりしている。
幸い皆さんおおような人たちばかりなので大目に見てもらっているが。
そうこうしているうちに何となく面白くなりかけている自分が怖い。
 というのも私は小説や短歌や評論や随想など幅広く手を伸ばしていて、
このうえ俳句にまで本格的に手を染めることになれば、
とりとめがなくなるのではないかと案じ(案じられ)ているのだ。
とりわけ俳句については奥が深そうだと手を拱いてきた。
 しかしまあ、なるようにしかならないだろう。

★きょうの短歌
知里幸恵生誕100年のかいもなく流亡の民になりかけている    東風虎













◆第百五十八回 (2003年8月15日)

 終戦忌へくそかずらにからまれて   東風虎

 お盆も変り映えしない日々。
頸髄損傷は毎日が日曜のようなものなので
めりはりをつけるのに一苦労する。
 さて、カリフォル二ア州知事選にはシュワちゃんをはじめ
135人も立候補してお祭り騒ぎとか。ニューヨークは停電までして。
そのなかにラリー・フリントというドすけべ「ハスラー」誌の
名物編集者も出ているのだが、彼は確か脊髄損傷(頸髄)。
反対派から銃で撃たれて車いす生活になった人だ。
その生きざまは映画「ラリー・フリント」に詳しい。
「表現の自由」を盾に性の謳歌と権力への抵抗を貫く。
 めちゃくちゃなことをやってきた男だが、
生き馬の目を抜くアメリカの出版ジャーナリズムの世界で
ここまで生き延びてきたのだからしぶといよなー。
ちょっとばかり応援しようかな(笑い)。
 その他いろいろ面白そうだ。

★きょうの一句
名月と六万年の火星人       東風虎










◆第百五十七回 (2003年8月11日)

 遅ればせながら「にあんちゃん」(安本末子著、西日本新聞社、2003年、1200円)
を読んだ。西日本新聞が復刻版を出してくれたおかげだ。
先に映画(今村昌平監督、昭和34年)のほうを観ていたので、
食わず嫌いというのじゃないが、こんなに間延びしてしまった。
 佐賀県肥前町の杵島炭鉱大鶴鉱業所を舞台にした
在日朝鮮人一家の虚弱な十歳の少女の物語である。
昭和28年のおよそ一年間に記された懇切な日記。
差別と貧困と病気と家族愛と助け合いと向学心。
 日本版「アンネの日記」とも言われるそうな。
本が発刊されると末子のもとに6000通の手紙がきたという。
佐賀を舞台にした本では下村湖人の「次郎物語」とともにあげつらわれることを、
現在の書き手たちは複雑な思いで受け止めていることだろう。
 私の生まれた年にこのような日記が記されていたことに
正直胸が詰まるばかりだ。映画のイメージとは全然ちがっていた。
 昨年話題になった天才脳障害児日木流奈君の六歳時の本とは
かなり隔たったものがある。時代と体験の質的な違いによるものだろう。
いずれにしても卒直な書きぶりに共感する部分が多かった。
兄らの関与が感じられないでもないが、そこまでは問うまい。
 巻末にはその後の兄弟姉妹の変転まで付記してある。
末子は「にあんちゃん」の本の印税で早稲田大学へ進み、
一時コピーライターをしたり童話作家をめざしたりしたあと、
結婚して二児の母親となり現在に到っているという。
にあんちゃん(二番目の兄の高一)も慶応大学へ進んだという。
長兄の東石もゆっくり療養ができたという。
いわばハッピーエンドとなっているのでひと安心した。
 それにしても、ひとつ認識を新たにしたことがある。
北部九州などの炭鉱で働いていた在日朝鮮人たちは、
ほとんどが日本軍によって朝鮮半島から強制連行されてきたのだろう、
と思い込んでいたのだが、末子一家は元々ヤンパンの名家だったのに
知人の借金の保証人になって没落し、日本に新天地を求めて
つまり自ら進んで日本へ渡ってきたのだという。
そういう朝鮮人たちもたくさんいたらしいということを知った。

★きょうの短歌
電動車いすからコトンと落ちるネジ私からでもあるかのように   東風虎











◆第百五十六回 (2003年8月10日)

 我が家の上流5kmほどの春日渓谷まで、
電動車いすの散歩の足を伸ばしてきた。
ほとんどの道が舗装してあるのでできることだ。
夏休みのため何台かの車やバイクとすれちがったが、
歩いてゆく人は一人もなかった。
 渓流沿いに次第に坂が急になってきたので途中で引き返した。
電動車いすは上りは強いけれど下りは弱いのだ。
行きはよいよい帰りは怖い、という目に何度もあってきた。
 そうやって深い谷の匂いを味わっているうちに、
子どもの頃のことが切なく脳裏に甦ってきた。
 毎年夏になると父に連れられてキャンプに行ったものだ。
長崎との県境にそびえる多良岳や経ケ岳に登るのだ。
1000m前後の県内では最も高い山々である。
夜はふもとのキャンプ小屋で自炊した。 
鰯や鮪の缶詰めがごちそうだった。
 しかし父が何を考えていたかがさっぱり思い浮かばない。
家庭的には一番呻吟していたころだったろう。
そんな時でもキャンプや大野原へのハイキングを忘れなかったのは、
なかなかの子ども思いだったのだろうか。
それとも単に家を脱け出したかったのだろうか。
 今となればなにもかも夢、幻のようだ。

★きょうの短歌
いっそみんな車いすになれば戦場に行かなくてよいと言いそうになる   東風虎










◆第百五十五回 (2003年8月6日)

 今年も原爆忌がめぐってきました。
毎年この日頃は
 きゅうりもみが食べたいと言って死んでいった
 という句を捧げて追悼の意を表すことにしています。
そういえば、野坂昭之の「火垂の墓」にも
兄がトマトを盗み食いする哀切な場面がありました。
私があの時代の記録を読んでいて一番胸に迫るのは
食べ物の場面がほとんどです。
 心情的、思想的あるいは道徳的に反戦平和を言われても
今ひとつピンときませんが、さまざまな餓えの体験だけは
戦後生まれの私にもストレートに入ってきます。
食い物の恨みは恐ろしいというやつでしょう。
 「きゅうりもみの」の句も広島の実話からです。
今夜も私はきゅうりの塩漬けで焼酎を飲みます。
彼女の代わり存分に味わわせてもらいましょう。
せめてそれが私にできる供養です。

★きょうの短歌
麻雀にパチンコ煙草ボウリング自慰まで断ってかなわぬわけがない    東風虎











◆第百五十四回 (2003年8月2日)

 毎年楽しみに参加している「はがき通信」の懇親会だが、
今年はハワイに五泊の予定だったのが、SARSの影響で延期となった。
参加できるかどうかぎりぎりの体調だったので、
正直いってホッとしている。
 なにしろこんな機会でもないとハワイなど行かないだろう。
それほどの出無精であるから。
代わりに羽合温泉あたりでお茶を濁してもいい。

★きょうの短歌
夏休みラジオ体操から帰りもうひと寝入りするようなやつ    東風虎



















◆第百五十三回 (2003年7月26日)

 ついに北部九州も梅雨明けした。
この日をどれほど待ちこがれていたことだろう。
尿もれがちな私の股ぐらにも、
シツゲン続きでぬかるんだ政界へも
強烈な陽射しがふりそそいでほしい。
 さっそく電動車いすの前をはだけて
散歩に出歩いているが、そうなればなったで
今度は熱中症の心配が出てきて、
梅雨寒がなつかしく思えたりするのだから
人間ってほんとに勝手なしろものだなあ。

★きょうの短歌
野道ゆくジブンイガイハミンナバカ症候群に陥らぬよう     東風虎








  




◆第百五十二回 (2003年7月20日)

 このところ失言つづきのたるみっ放しの政界から、
また古くて新しいのが飛び出した。
 江藤隆美議員が「南京大虐殺30万人というのはデッチあげ」
と発言したのだ。今まで何回蒸しかえされてきた論議だろう。
中には南京戦そのものがデッチあげだという者までいる。
 「南京戦 閉ざされた記憶を訪ねて 元兵士102人の証言」
(松岡環編、社会評論社、2002年、4200円)という本の中で、
1937年12月当時第16師団長だった中島今朝吾中将はその日記に
小計数万人を処理(虐殺)したことを詳しく記している。
 正確な人数はわからないが、少なくとも数万人は殺している。
もうそれだけで十分ではないか、と私などは思う。
30万人ではなく3万人なら、虐殺ではなくなるとでも言うのか?
罪が軽くなるとでもいうのか? 忘れてしまえるとでもいうのか?
 江藤議員はそう開き直っているように聞こえる。
ぬかるみの政界へ梅雨明けの強烈な陽射しが待たれる。

★きょうの短歌
30万が3万ならば大虐殺じゃなくなるとでも言うのか   東風虎













◆第百五十一回 (2003年7月13日)

 まぎれもなく夏の名花のひとつ、
ノウゼンカズラが七月初めから朝な夕なに花をふりこぼしてくれる。
それを踏みしだきながら梅雨の晴れ間をぬって散歩へ出る。
別に何様のつもりでもないのに。
 ノウゼンカズラの色合いを何と説明したらいいだろう。
だいだい色、やまぶき色、おうど色、夕焼け色。
それらを混ぜ合わせても決して言い表せない。
 窓の下の植え込みから元の木をとどめぬほど巻き上がり、
この夏じゅうを楽しませてくれるだろう。
国破れても咲きつづけてくれることだろう。

★きょうの短歌
梅雨らしい梅雨に草花うるおうも電動車いすはねまる一方     東風虎



















◆第百五十回 (2003年7月10日)

 前回のつづきで、
新聞投稿などに「昔はこんな不可解な事件はなかった」
などという戦前・戦中派の男性の声が載ることが多い。
しかしながらこれも眉唾ものだと思う。
 たとえば老人の自殺は戦後より戦前のほうが多かったし、
あの猟奇殺人として有名な阿部定事件だって
戦前の軍国主義のただ中で起こっている。
 そのほかにも地方には残虐な事件がいっぱいあったにちがいない。
しかし身内や官憲によって握りつぶされたか、あるいは
今ほどの情報化社会でなかったために人々に知られなかっただけだろう。
 血で血を洗う伝統は古事記・日本書紀の昔からおなじみだ。
そんな中「昔はよかった」式の慨嘆では何も解決すまい。

★きょうの短歌
梅雨さなか十四番めのビタミン「ピロロキノリンキノン」見つかる     東風虎















◆第百四十九回 (2003年7月6日)
 
 よくもまあ毎日毎日えげつない事件・事故が起こる。
(私だって自分のことを棚に上げられるわけじゃないが)
それにしても目を覆うばかりだ。
 そこで「もっと明るいニュースを」という声が、
視聴者の側からもマスコミ内部からも起こってくる。
でも「明るいニュース」って何だろう?
 松井がホームランをかっ飛ばしたことか、
三浦さんが世界最高齢でエベレストに登頂したことか、
愛子さまが動物と触れ合われたことか?
 確かにそんなもので喜ぶ人も多いだろう。私も喜ぶ。
でもそんな大仰なものは何となくいかがわしい気がする。
それよりローカルニュースで地方地方の風物詩を紹介するような
地味な報道が今は一番癒される。
 何の種が植えられたとか、何の稚魚が放流されたとか、
何の「結い」が行われたとか、そんなことが最も明るさを漂わせる。
 あるいはエイプルフールにでも、
「佐賀県の頸髄損傷Nさんは、友人の奨めで漢方薬のセンナを試したところ、
今朝八日ぶりに立派なうんこが出たそうです。よかったですね」
とでも七時のニュースできれいな女子アナが読み上げてくれたら、
お茶の間は一瞬ぽかんと口を空いたあと、
ほがらかな洪笑の渦に包まれてゆくだろう。
 とここまで書いてきて、いや待てよ、このことはこの欄で
以前書いたことがあるぞ、と気づいた(笑い)。

★きょうの短歌
朝ごとにノウゼンカズラに散り敷かれ何様のつもりでもありません   東風虎

















◆第百四十八回 (2003年7月3日)

 よく降りますなあ。
皆さん、ねまっておられませんか。
(ねまる、は佐賀弁で「腐る」)
 さて、森前総理が久しぶりに得意技を
発揮してくれましたね。
 「子供を産まず自由を謳歌した女性が
年取ってから福祉をというのはおかしい、という声もある」
と発言したのです。
 おいおい、それは障害者に対する当てつけか?
まったく想像力の欠けた政治家には
付き合いきれませんねえ。
 石原・小泉・大田・森とつづいてくる
「強者の論理」にはげんなりしてしまいます。
図に乗るのもいいかげんにしないと
選挙に勝てなくなりますよ。

★きょうのギャグ
男女共同参画関係









◆第百四十七回 (2003年7月2日)

 中津市の作家松下竜一さん(66歳)が入院しておられることは知っていた。
昨年は持病から年に四回も入院したと言っておられたから、
今度もその類だろうと軽く考えていた。
 ところが三週間前に脳内出血で倒れ、しばらくは意識不明、
手術も三回うけられた、という記事を読んで驚いてしまった。
 松下さんは「豆腐屋の四季」「絵本」「砦に拠る」「ルイズ」など
数多くの名著をもつ作家ながら、妥協せぬ性格からか年収200万円前後という
貧乏生活を送っておられることは「底抜けビンボー暮らし」などに詳しい。
 そのため入院費用にも、また自腹を切って発行しておられる
「草の根通信」の継続にも難儀が差し迫っていることから、
長年の盟友梶原得三郎さんがカンパを募っておられる。
 ご協力いただける方は下記のところまでお願いします。

  〒871-0012 大分県中津市宮夫284-3  梶原方








◆第百四十六回 (2003年6月30日)

 テレビのニュースで四角いスイカの出荷のもようを映していた。
普通のスイカがある程度大きくなったところで、枠をはめこみ
四角に矯めてゆくのだという。竹などでも見たことがある。
しかし成功率は六割ぐらいでなかなか容易ではないらしい。
そのため一個一万円ぐらいで観賞用に卸されるという。
 その形のユーモラスなこと。思わずにんまりとさせられる。
最初に考えついた人はたいした知恵者だなあ。
スイカにしてみれば迷惑な話だろうが、付加価値の勝利といえよう。
一体どこの人だろう、と好感をもつ。
 ところが、それが香川県観音寺市と紹介されて、
私はすーっと興が冷めてゆくようだった。というのも、
観音寺市は先ごろ亡くなったハンセン病の小説家
島比呂志(本名岸上薫)の郷里だからだ。
 家族に迷惑がかかることを恐れ、鹿児島の星塚敬愛園に入所し、
晩年は園を出て北九州市で自立生活を送っておられたが、
ずっと帰郷を願いつつ兄弟から拒まれてついにかなわなかった。
死後、養女の昭子さんがお骨だけ抱いて帰られた。
 そういう観音寺市であるだけに素直な気持で見られない。
別に観音寺市の農家や住民や街並みには何の責任もないのだけれど、
文学に関わる地名の記憶というものは根強い。
岩手県の渋民村などもその一つだろう。
啄木を追い出した郷里ということ以外何の特色も知らない。

★きょうの短歌
ふるさとは山のまた山ふかみどりうち重なってたおれてくるぞ    東風虎

 

 

 

 




◆第百四十五回 (2003年6月22日)

 ラジオで小室等(哲哉ではない)の「サーカス」を初めて聴いた。
中原中也の詩にメロディをつけたものである。
「幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました」というアレ。
フォークソングの大御所らしく聴き応えがあった。
 とりわけ空中ブランコの揺れる「ゆあーん/ゆよーん」という
オノマトペの解釈の仕方がおもしろかった。
「孤独とは勲章胸に揺れているオールアローンアローンアゲーン」
などという私の短歌を思いくらべてみたりした。
 それにしても、中原中也ときたかあ・・・・・・・。
いったい何年ぶりで彼の詩を聞いただろう。
中也といえばどうしても「よごれちまった悲しみに」を思い出す。
「よごれちまった悲しみに/きょうも小雪のふりかかる」云々。
(漢字や仮名の使い方はうろ覚えなので悪しからず)
誰でも若造のとき一度は胸に刻んだことがあるだろう。
 ところが私は長いこと意味をはかりかねてきた。
「青春の純粋さが汚されて悲しい」というのであれば、
あまりにも当たり前すぎて奥行きがない。
まあ、そんなポーズに若者が群がるのでもあろうけれど。
 そうではなくて、まず最初に「悲しみ」という絶対不変の価値があり、
それが何らかの理由から汚されてしまった、そこへさらに小雪がふりかかる、
と詩(うた)っているのではないか、と受け取ったのである。
次々と気分のそれてゆくときも悲しみだけはそれてゆかない。
 だとするとこの詩は形而上学のすこぶる厄介なしろものとなる。
それゆえにこそこんなに長く人々の口の端にのぼるのではないかと。
 たぶん深読みのしすぎだろうが、私はそのほうが好きだなあ。

★きょうの短歌
男だってチョコレートパフェを食いたい合評会からの帰り道    東風虎













 

◆第百四十四回 (2003年6月20日)

 台風六号がぎりぎりを過ぎていった。
突風でガラス窓が破れるのではないかと心配になるほどだった。
ひとり暮らしの障害者たちはさぞかし心細かったことだろう。
こんなときはしみじみと屋根と壁と窓のある暮らしが
ありがたいなあと思い知らされる。
 それというのも高橋竹山の「津軽三味線ひとり旅」(中公文庫)に
よく野宿したり橋の下で寝たという記述があるからだ。
今の障害者たちは恵まれていると思う。

★きょうの短歌
腕っぷしが強ければしたいほうだいの世の中となるサル山なみに   東風虎












◆第百四十三回 (2003年6月16日)

 知り合いに「教師は私の天職」と言う人がいる。
実際、彼女を見ているとなるほどその通りだなあと思う。
そう言い切れる自信のほどにいつも圧倒されてきたが、
同時にどことなく違和感も感じてきた。
 「天職」というのは文字通り「天から授けられた職業」ということだろう。
だとするとそれを決めるのは天であり人間の側ではない。
自分から「天職」と名乗るのは思い込みがすぎるのではなかろうか?
たとえば私は「歌人は私の天職です」などとは恥ずかしくて言えない。
他人が思わずそう呼び称えてくれるのなら一向にかまわないが。
というのが違和感の拠ってくるあたりだろう。
 こういうセリフがポロリと口をついて出てくるところが、
いかにも教師という人種の浮世離れしたところであろう。
 では浮世離れしたところが嫌いかというとそうではない。
私は実は昔から浮世離れした先生が好きであった。
大学の時はわざと人気のない老先生の教室に通ったりした。
 もしこれが「大根一本何円上がったそうな」というような
浮世の世故に長けた先生ばかりになったら、
学校に行く意味がなくなってしまう。そういう世故なら
うちのおふくろや親父のほうがなんぼか長けているだろうから。
 
★きょうの短歌
何やってるんだろうなあでもこれが種まきとなる梅雨の晴れまに    東風虎














◆第百四十二回 (2003年6月13日)

 きょうも一日、尿閉と冷汗で悩まされたけれど、
電動車いすでぽつねんと農道に休んでいると、
田植えの終わったいちめんの早苗田を
そよそよと揺らして夕風が吹きわたってくる。
しみじみとごちそうだなあと思う。
それよりほかに自慢できるものとてない。

★きょうの短歌
もういいよほっといてくれ障害の神さまというものがあるなら    東風虎