"WORKING QUADS" HP SEIKE, Kazuo, president profile / links / 働く四肢まひ者たち(ワーキング・クォーズ)

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Paul McCartney the beatles at the concert in Fukuoka on November 15, 2013
2013年11月15日、ポール・マッカートニー、福岡ドームコンサート、福岡
自立生活2013、アメリカ製電動車いす、インバケアTDX
Independent Living / USMC, Invacare TDX in 2012 /
"WORKING QUADS" Inc.The Helper Stationon


写真は,



写真は 2013年5月、、
新型アメリカ製電動車いす、インバケアTDX。
the USMC, Invacare TDX in 2012


自立生活
誕生日2014
最重度の人たちの街中での自立生活と有限会社ワーキング・クォーズ
2014年2月、福岡。
新型アメリカ製電動車いす、インバケアTDX
the USMC, Invacare TDX in 2012
from "WORKING QUADS" Inc.
The Helper and Visiting Nurse Stationon,
the Care Plan Center


清家 一雄、取締役社長

清家です。 皆さん、ご無沙汰しています。
2013年5月、、福岡市中心街のマンション、ご自宅で

2014年、あけましておめでとうございます。

2013年、Merry Christmas.

 街中での自立生活。いろいろな形があります。 去年、2013年、それを実現されました。長い年月をかけて。
 重度の人の自立生活は実現と維持が困難です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の川上広司さん、脳損傷の福田勝秋さん、太宰府の津村貞義さん、数え年100歳の手柴チヅヨさん。全国頸髄損傷者連絡会会長、兵庫の三戸呂克己さん。横浜の伊藤道和さん、東広島の大竹保行さん。藤井由布子さん。矢野公代さん。瀬出井弘美さん。宮野秀樹さん。
 最重度の人たちの自立生活にとって何が必要か。自立生活への意思。情報。家族、友だち。ヘルパー・介護者・介助者(公的制度)、ナース・訪問看護ステーション、自動車・移動・介護タクシー。高性能電動車いす、電動ベッド、携帯電話・通信手段。教育。それと仕事。
 頸髄損傷者は身体的には最重度の人たち。夜間、バイパップをつけている人が増えてきました。人工呼吸器をつけた人が多くなってきました。ストーマも。最重度の障害をもつ人にとってもご自宅での自立生活が価値あるものと思います。有限会社ワーキング・クォーズ、訪問介護、訪問看護、ケアプランセンター、ケアタクシーは そのために仕事していきたい、と思います。これからもよろしくお願いします。
有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)
清家 一雄、取締役社長
http://www.asahi-net.or.jp/~YS2K-SIK/
seike@working-quads.com

みなさんまた会いましょう。



有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)





サウンドチェックの演奏曲は以下のとおり。サウンドチェック中の写真撮影は、今回は終了時まで許可されていました。携帯・メール、動画撮影、プロユースカメラの使用は禁止です。



Les Paul 1.Honey Don’t 2.Blue Suede Shoes Hofner Bass 3.Jet 4.Drive My Car Piano 5.Let ‘Em In 6.Don’t Let The Sun Catch You Cryin’ Martin D28 Acoustic 7.Things We Said Today 8.San Francisco Bay Blues Gibson 12 Strings 9.Midnight Special Ukulele 10.Ram On Epiphone Texan 11.Bluebird Magic Piano 12.Your Mother Should Know 13.New 14.Lady Madonna (short version)





本編のライブは、予定時間より遅れ、19:15頃開始。会場に流れている音楽が「The End」に変わり、会場が暗転すれば、ポールの登場です!

本番コンサートのセットリスト。前回の大阪公演(11月12日)に比べ、「Get Back」が「I Saw Her Standing There」にスイッチした以外は同じセットでした。



1. Eight Days A Week

2. Save Us

3. All My Loving

4. Listen To What The Man Said

5. Let Me Roll It

6. Paperback Writer

7. My Valentine

8. Nineteen Hundred And Eighty Five

9. The Long And Winding Road

10. Maybe I’m Amazed

11. I’ve Just Seen A Face

12. We Can Work It Out

13. Another Day

14. And I Love Her

15. Blackbird

16. Here Today

17. New

18. Queenie Eye

19. Lady Madonna

20. All Together Now

21. Lovely Rita

22. Everybody Out There

23. Eleanor Rigby

24. Being for the Benefit Of Mr. Kite!

25. Something

26. Ob-La-Di, Ob-La-Da

27. Band On The Run

28. Back In The U.S.S.R.

29. Let It Be

30. Live And Let Die

31. Hey Jude



Encore One



32. Day Tripper

33. Hi Hi Hi

34. I Saw Her Standing There



Encore Two



35. Yesterday

36. Helter Skelter

37. Golden Slumbers/Carry That Weight/The End



コンサートは22:00前に終了。







マッカートニーさんが懸賞 大相撲九州場所で



横綱日馬富士の土俵入りに拍手するポール・マッカートニーさん=中央右(14日、福岡国際センター)=共同



 日本相撲協会は20日、福岡市博多区の福岡国際センターで開催中の大相撲九州場所12日目の21日などに、元ビートルズの人気歌手で相撲好きのポール・マッカートニーさん(71)の懸賞が出ると発表した。

 公演で来日中のマッカートニーさんは14日の5日目を観戦し、懸賞について「あれは勝った力士が全部もらうのか」などと興味を示したという。1本6万円の懸賞が懸けられるのは12日目の他、13日目と千秋楽で、いずれも結びの一番に5本ずつとなった。

 懸賞旗はマッカートニーさんが10月に発売したアルバム「NEW」を宣伝する図柄になる。館内アナウンスで「ポール・マッカートニー、NEW発売中」と5度、連呼される。

 協会担当者によると、初めて懸賞を出す場合には1日1本ずつで合計15本が基本となる。終盤だけに懸ける今回の急な打診に応じたことについて「特別な配慮をした」と、世界的スターが絡む事情を説明した。〔共同〕





HISWTORY Paul McCartney



1942年6月18日に英リバプールで生まれたポール・マッカートニーは、リバプールで育ち、リバプールインスティチュートで学んだ。

ビートルズと共に音楽の世界を永遠に変えたポール・マッカートニーは、その後も40年以上にわたり音楽界の境界線を押し広げてきた。その活動は、ソロのアーティストとして、または、ウイングスの一員として、ブリット・アワードを受賞したクラシック音楽の作曲家として、半ば実験的なプロジェクトであるザ・ファイアーマンとして、ニューヨーク・シティ・バレエ団の2011年の『オーシャンズ・キングダム』の作曲家として、そして、直近では、自身が子供の頃から好きだった曲を含むスタンダード・ナンバーのほか、2曲の新曲「マイ・ヴァレンタイン」と「オンリー・アワ・ハーツ」までを収録し、2012年のグラミー賞を受賞したアルバム、『キス・オン・ザ・ボトム』の作曲家としてなど、多岐にわたる。

14歳で初めて曲を書いて以来、ポールは常に彼ならではのアイデアで音楽の歴史の流れを変化させてきた。ビートルズとその伝説的な数々のアルバムである、『プリーズ・プリーズ・ミー』、『ウィズ・ザ・ビートルズ』、『ハード・デイズ・ナイト』、『ビートルズ・フォー・セール』、『4人はアイドル』、『ラバー・ソウル』、『リボルバー』、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、『ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)』、『イエロー・サブマリン』、『アビイ・ロード』、そして、『レット・イット・ビー』が、過去と現在、そして未来に与える影響を表現しようとすることなど、ほとんど滑稽な試みだと言えるだろう。コンピレーション・アルバムである『ザ・ビートルズ1』が、2000年を迎えてからの10年間で最も売れたアルバムだということは、言うまでもない。

1970年代から現在までポールの活動は衰えることを知らず、多大な影響力を持ち続けてきた。1970年にソロ第一作目の不朽のアルバム、『ポール・マッカートニー』をリリースすると、翌1971年には素朴なクラシックアルバム『RAM』をリンダ・マッカートニーと共に製作。その後も、ウイングスから、2度のグラミー賞受賞アルバム(1975年、2012年)である『バンド・オン・ザ・ラン』や、『ヴィーナス・アンド・マース』、『スピード・オブ・サウンド』、『ロンドン・タウン』などを発表した。その後は再びソロとして活躍し、1980年には、当時の時代の先を行き新たな発見を見出した『マッカートニーU』を、1982年に『タッグ・オブ・ウォー』、1989年に『フラワーズ・イン・ザ・ダート』、1997年に『フレイミング・パイ』、2005年に『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード〜裏庭の混沌と創造』、そして2007年に『追憶の彼方に〜メモリー・オールモスト・フル』を発表した。2008年には、プロデューサーとしても有名なユースと共に進めるプロジェクトであるザ・ファイアーマンから、『エレクトリック・アーギュメンツ』をリリース。絶賛を浴び、収録曲の1つである「Sing The Changes」は、近年ポールが行うライブでのセットリストの常連ナンバーとなり、billboardのインディーズアルバムチャートではトップを飾った。『キス・オン・ザ・ボトム』がリリースされると、billboardのジャズアルバムチャートで1位を獲得し、また世界中でトップ5にランクイン。また、2012年のグラミー賞ではベスト・トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞した。

ポールは、クラシック音楽の作曲家としても成功している。2011年に前述の『オーシャンズ・キングダム』、1991年に『リヴァプール・オラトリオ』、1997年に『スタンディング・ストーン』、1999年に『マイ・ラヴ〜ワーキング・クラシカル』、そして2006年に『Ecce Cor Meum』をリリース。なお、『Ecce Cor Meum』は翌年2007年に、クラシック・ブリット・アワードで最優秀アルバム賞を獲得している。

グラミーでは18回の受賞や、特別功労賞も受賞しているポール。その受賞歴は他者と比較するには及ばず、2012年にはさらに、MusiCares Person of the Year に選出された。その授賞式では、フー・ファイターズやクリス・マーティン(コールドプレイ)、ニール・ヤング、トニー・ベネット、ケイティ・ペリー、ダイアナ・クラールといったアーティストたちがポールの曲をトリビュートして演奏している。この賞は、ポールの類を見ない創作活動の業績と、彼が長年続けてきたチャリティー活動への貢献に対し授与されたものだ。チャリティー活動としては、PETA、LIPA(総合芸術大学)、OneVoice、ベジタリアン協会、ノードフ・ロビンズ音楽療法研究会、Adopt-A-Minefield(地雷撲滅運動団体)などへの貢献を続けてきたほか、歴史的なチャリティーコンサートである、1985年の「ライヴ・エイド」、2001年の「コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ」、そして、2005年の「ライブ8」に参加している。

2010年、ポールは米ホワイトハウスを2回訪れ、それぞれ特別な賞を受賞している。まずは6月に、ポピュラー音楽の分野で功績のあった人に授与されるガーシュイン賞をイギリス人として初めて受賞し、バラク・オバマ米大統領とその家族を前に演奏した。12月に再びホワイトハウスを訪れると(オバマ大統領は、ポールを常連だと冗談を言ったほどだ)、ケネディ・センター名誉賞を受賞した。

他の受賞歴を挙げると、2008年にブリット・アワードで特別功労賞を受賞し、イェール大学では名誉博士号を獲得。1999年にロックの殿堂入りを果たし、1997年には彼の音楽活動での功績に対し、エリザベス英女王からナイトの爵位を叙されたことは言うまでもない。

ライブ・パフォーマンスについては、自身の精力的な曲作りに負けない評判を得ているポール。過去10年間にも数多くのコンサートがソールド・アウトとなり、世界中で文字通り何百万人もの聴衆から熱烈な称賛を浴びてきた。その中でも特筆すべきコンサートは、2003年にローマのコロッセオの外で行い50万人を集客したコンサートや、モスクワの赤の広場で行った初コンサート。他にも、2005年に国際宇宙ステーション(ISS)にいる宇宙飛行士に向けてウェイクアップミュージックをライブ演奏で届けている。2008年には、リバプールで「Liverpool Sound Concert」に参加。キエフでは、コンサートに40万人以上のファンが集まり、ウクライナで過去最大のアウトドア音楽イベントとなった。カナダのケベック市の市制400年を祝うコンサートでは、エイブラハム平原に30万人の聴衆が集結。また、初めてイスラエルを訪れ、テルアビブで「Friendship First」コンサートを開催した。

2009年には、次なるツアー、「Summer Live ’09 Tour」の開幕を米ニューヨークの新スタジアム、シティ・フィールドで行ったが、これは、シティ・フィールドで行われた初コンサートでもあった。このスタジアムはかつてのシェイ・スタジアムで、1965年にビートルズがかの歴史に残るコンサートを行った場所だ。この時のコンサートが先駆けとなり、近年、多くのロック・コンサートがスタジアムで開催されるようになった。なお、シティ・フィールドでのコンサートの数日後に米CBSテレビの人気トーク番組『レイト・ショー・ウィズ・デヴィッド・レターマン』に出演したポールは、ニューヨークのエド・サリヴァン・シアター(かつてそのシアターの中で、『エド・サリヴァン・ショー』に登場したビートルズは、テレビ界に数々の逸話を残している)のルーフトップでサプライズのパフォーマンスを行い、ブロードウェイはコロンバス・サークルからタイムズスクエアまで一帯が群衆で埋め尽くされた。シティ・フィールドでのコンサートには10万人以上が集結。生涯心に残るコンサートだとしてファンからも批評家からも熱烈な称賛を浴び、『グッド・イヴニング・ニューヨーク・シティ〜ベスト・ヒッツ・ライヴ』として3枚組でCD/DVD化され、不朽のものとなった。2011年には、その中に収録されている「ヘルター・スケルター」で、ポール・マッカートニーはグラミー賞のソロ・ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。

2009年の締めくくりは、ロンドンのO2アリーナでポールが初めて行ったコンサートだ。絶賛を博し、イギリスの『デイリー・テレグラフ』紙は「67歳のポール・マッカートニーがどんな不老不死の薬を使っているのかは謎のままだ。しかし、多くの聴衆、それもとりわけ、熱烈なウエーブを浴びせてくれるファンを前にパフォーマンスをすることで、とてつもないパワーを得ているのだろう」と評している。

続くツアー、「Up and Coming Tour」では、2010年3月に米アリゾナ州フェニックスを皮切りに30回以上の公演を行い、100万人を超えるファンを動員した。2回の公演がソールドアウトとなったハリウッドボウル、初めて訪れたプエルトリコ、二夜連続で記録的な公演となったメキシコのフォロ・ソル・スタジアム、初コンサートとなったナッシュビルとソルトレークシティー、1966年にビートルズ最後のコンサートをキャンドル・スティック・パークで公演して以来、ポールにとって初めてのコンサートとなるサンフランシスコ。その他にも、マイアミ、ダブリン、グラスゴー、カーディフ、ロンドン、デンバー、カンザスシティー、シャーロット、モントリオール、ポルトアレグレ、2回の公演が行われたトロント、フィラデルフィア、ピッツバーグ、ブエノスアイレス、サンパウロと、それらのすべてのツアーが2010年の12月末までに行われた。そして、この年の締めくくりは、ニューヨークのハーレムにあるアポロシアターでの初コンサートと、続いてロンドンの伝説のライブハウス、100クラブでのライブとなり、これは彼のソロ活動を通して最もくつろいだ雰囲気で行われた。

2011年はペルーでの初コンサートで始まり、チリでは1993年以来のコンサートを開催。リオデジャネイロではエスタジオ・オリンピコ・ジョアン・アベランジェで2回のブロックバスター級の公演を行ったが、ラテンアメリカで初となるインターネットでのライブ中継を行い、10万枚のチケットを手にすることができなかった150万人以上のファンが一緒に楽しんだ。38公演に及ぶツアー、「Up and Coming Tour」は翌月の2011年6月10日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで幕を閉じた。

ポールはその後、「On The Run」ツアーを、2011年の音楽イベントを開催していたニューヨーク市でスタート。7月15日、16日のヤンキースタジアムでのコンサートは記録的なソールド・アウトとなり、両日ともほぼ3時間にわたり、9万人ものファンがポールと共に熱唱した。ニューヨーク市のメディアは恐らく、最も熱烈とも言えるコンサートレビューでにぎわったことだろう。

「On The Run」ツアーのソールド・アウトはその後も続き、デトロイトのコメリカ・パーク、二夜の公演を行ったモントリオール・ベルセンターとシカゴのリグレーフィールド、ロック・コンサートが上演されるのは初めてだったというシンシナティのグレートアメリカン・ボールパークのほか、ボローニャ、ミラノ、パリ、ケルン、ロンドン、ストックホルム、ヘルシンキ、モスクワ、マンチェスターでも公演。そして最後はリバプールのエコーアリーナに帰郷し、フィナーレを飾った。



2012年はポールにとって、さらなる活躍の1年となった。まずはグラミー賞授賞に先立ち、MusiCares Person of the Year に選出された。その授賞式では、コールドプレイ、ニール・ヤング、ケイティ・ペリー、フー・ファイターズといった一流のアーティストたちがポールへのトリビュートとし、それぞれがお気に入りのポールの曲を演奏している。

続くのは2012年のグラミー賞の放映だ。「マイ・ヴァレンタイン」でギターのジョー・ウォルシュとの見事な共演を披露すると、フィナーレにはアルバム『アビイ・ロード』のB面のメドレーを演奏。再び、ジョー・ウォルシュと、さらにはデイヴ・グロール(フー・ファイターズ)、ブルース・スプリングスティーンも参加し、最高のステージを披露した。

その同じ週にポールは、『キス・オン・ザ・ボトム』発売に向け、それまでの中で最も親密なコンサートとも言える「ライヴ・キス」を行っていた。『キス・オン・ザ・ボトム』の多くを収録したロサンゼルスのキャピトル・スタジオで行われた演奏は、世界に向けてオンラインでライヴ・ストリーミング配信された。収録に参加したスターアーティストたちも、この滅多にない機会に参加している。このライヴはそれまでのコンサートとは異なり、ポールが有名なヘフナーのベースを手にすることなく、実際には楽器を一切持たずに、これまで数々のアイコン的存在の歌声を捉えてきたであろうマイクの前に立った。この時の演奏は2012年の年内に、『ライヴ・キス』としてDVD化されている。

このライヴが行われる数時間前に、ポールはキャピトル・スタジオ前のVineストリートでハリウッドの殿堂(“Hollywood Walk Of Fame”)入りを果たし、彼自身の星形のプレートを手にすることとなった。また、この日(2月9日)の夜は、ビートルズが『エド・サリヴァン・ショー』に出演してアメリカでのテレビデビューを飾ってから48周年記念の夜でもあった。

3月になって「On The Run」ツアーでヨーロッパへと戻ると、ロイヤル・アルバート・ホールで行われた10代の若年がん患者を支援するチャリティー・ライヴ、コンサート・フォー・ティーンネイジ・キャンサー・トラストに参加。ロジャー・ダルトリー(ザ・フー)やポール・ウェラー、ロニー・ウッド(ザ・ローリング・ストーンズ)と「ゲット・バック」を共演した。

4月には再び南米に向い、ウルグアイ、パラグアイ、コロンビアを初めて訪れ、ブラジルでは初めての地域で演奏を披露。5月10日には、メキシコ市の広場であるソカロで巨大なアウトドア・コンサートを無料開催し、40万人以上のファンを集客した。

次なる活躍は、エリザベス女王の即位60周年を祝してバッキンガム宮殿で行われた「ダイヤモンド・ジュビリー・コンサート」で、世界中に向けてテレビ放映された。1日の中で、ロイヤル・ファミリーが席から立ち上がりダンスステップを踏んでいたのは、主演を務めたポールの演奏の時だけだったことをメディアが注目している。さらに、ロンドン・オリンピックでは「ヘイ・ジュード」を披露し、開幕式典を締めくくった。

ポール・マッカートニーは9月8日、その文化的貢献に対し、フランスの最高の勲位であるレジオン・ドヌール勲章を受章。授章式はパリの大統領府(エリゼ宮)でプライベートに行われ、フランソワ・オランド仏大統領からの授章となった。授章式を終えたポールは大急ぎでロンドンのキングス・クロス駅に戻ると、アフリカ・エクスプレス・ツアーのファイナル・ショウにシークレット・ゲストとして飛び入り参加した。ステージでは、「カミング・アップ」、「グッドナイト・トゥナイト」を披露。デーモン・アルバーン(ブラー)やドラムのトニー・アレン、グリフ・リース、バセク・クヤーテ、ジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)、ロキア・トラオレ、テリー・ウォーカー、ファトゥマタ・ジャワラ、マルティナ・トプレイ・バード、シンガイ・ショニワ、シェイエなどのミュージシャンらが、ポールと共演した。

サプライズはまだ続く。ポールがニルヴァーナの現存メンバーと共演するという噂が12月に流れ、音楽界は騒然となった。しかし、現実にはさらに驚くべきことが待ち受けていた。ポールはこの年の始め、友人であるデイヴ・グロールにジャム・セッションに誘われていたのだが、それがニルヴァーナの再結成に参加することにつながったのだ。デイヴとクリス・ノヴォゼリック、パット・スメアと共にジャム・セッションを行い、「Cut Me Some Slack」という新曲を収録。また、デイヴは自身の監督デビュー作であり、非常に高い評価を得たドキュメンタリー映画、『Sound City』にその映像を収めた。この時の共演はその後、ポールがハリケーン・サンディのチャリティーコンサート「12-12-12」での演奏を依頼されたことで再現される。ポールは公演間際のタイミングでデイヴに提案し、同意を得ている。またポールは、このニューヨーク滞在期間中に米NBCの土曜深夜の番組『サタデーナイトライブ(SNL)』の出演依頼を受け、再びデイヴに連絡。“Sirvana”(Sir ポール・マッカートニーとニルヴァーナによる共演)がテレビデビューを果たすこととなり、「マイ・ヴァレンタイン」の崇高な演奏や、ニューヨークシティー・チルドレンズ・コーラスが参加した「ワンダフル・クリスマスタイム」を披露した。

こうした全ての活動が2013年へと続き、ポール・マッカートニーの新たな可能性は尽きることなく切り開かれていく。今年はまず、グラミー賞で『キス・オン・ザ・ボトム』がベスト・トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞している。3月には、新たな「アウト・ゼアー」ツアーを発表。5月にブラジルで初公演が始まり、アメリカ、カナダ、ヨーロッパへと続いていく。

ポールは現在、スタジオでの新たな曲作りに取り組んでおり、今年中に披露したいと考えている。








清家一雄
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清家 一雄 
有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)取締役社長
     重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表
   『ワーキング・クォーズ』編集部
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