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ALS、私が思うこと(読んでもらえれば幸いです。)
川上 広司 KAWAKAMI, Hiroshi
on April 9, 2007


3月4日、日曜日。北九州市立男女共同参画センター“ムーブ”でALS関係の講演会。
on February 2-3, 2007


ALS、私が思うこと(読んでもらえれば幸いです。)

川上広司

平成7年の夏頃、単身赴任中の長崎県大村市で、それは突然にやって来た。兆候としては、今、(平成19年1月)思えば平成6年から肩の筋肉が落ちてきていた。しかし、日常生活や仕事に支障を来たす事は無かったので、歳(45歳)のせいかなと思っていた。そして、平成7年夏頃、46歳になって歩くのが人より遅くなったり、夜中に足の痙攣が起きたり、階段の上り下り等も難しくなってきました。そして、業務にも支障を来たす様になり、歩行中によくつまずく事が多くなりました。3月に九大病院へ行くと、4月16日から1ヶ月の検査入院となりました。結果は、原因不明の変性疾患と説明され、特定疾患の手続きを申請する様に云われた。この時、初めてALS『筋萎縮性側索硬化症』と云う病名を知りました。平成8年9月に人事部に相談した結果、単身赴任の解除と「暫く休養しなさい」と云う事で、10月から6ヶ月間の休職となりました。休職期間中は毎日歩く事にしましたが、冬を迎えるにつれて、歩く歩数が1000歩から800歩になり、遂に12月には100歩以下まで下がってしまいました。

平成9年4月からの仕事復帰に向けての在宅療養生活でしたが、身体機能が確実に低下してきており、車椅子での仕事復帰が確実になりました。4月からは歩行不能の為、車いすで福岡本部の経理部に復帰となりました。また、水泳やアーチェリーも仕事と両立しながら練習し、身障国体にも出場しました。しかし、平成10年末から翌年にかけて両下肢が全く動かず、両上肢も上がりにくい状態です。会社への通勤も、平成8年の休職中に改造した車のハンドル操作が難しく、平成11年3月で休職し、平成12年3月で退職となりました。

目に見える形で足の筋肉萎縮が進行してきました。私は最初の症状から一時的なもので治るものだと思っていました。しかし、岩波新書の「神経内科」を読んだり、以前からこの進行性疾患についてインターネットを検索して情報収集したり、日本ALS協会の全国講習会、交流会が仙台や別府で開催されたときは参加し、先輩方との交流を通じてこの病気を再認識しました。そんな状況の中、私にとって身体が不自由になるたびに「生きる」ことを考えさせられ、最初の頃はつらい思いをしたものでした。しかしながら、外出してこの病気の先輩の方々と交流するうちに「生きる」ことを教えてもらいました。この病気は進行過程で胃ろう、気管切開の選択を迫られますが、私は「生きる」ことを選択しましたので、受け入れました。

私は、足から動かなくなって、手・腕・体幹機能と進み、首の機能も鈍くなり、球麻痺もあり気管切開で、発声出来ません。身体が動かないのに加え、食べることや呼吸すること、さらに舌の萎縮により発声不可と、人間として生きていく最低条件が欠如してきました。具体的には、頭から足先まで全く動きません。ただし、顔については、口の歯磨きをして貰う位は開きますが、以前の気管切開した頃と比べると、口の開きが1cm未満で口元を読める人は少ないです。両目はドライアイで左目は青白い膜があって、右目もかすみ膜がありぼやけています。しかし、眼科医はドライアイが原因で処方してくれません。そして、両目の周りが少し萎縮して来ています。近い将来に不安が募ります。耳は、耳鳴りや遠くなることがありますが、今のところはまだ良いようです。また、足が動かない位は許容範囲でしたが、手・腕の動きが鈍くなると不自由さが倍増します。そして、上記にもありますように、進行性神経疾患故に「人間として生きていく最低条件が欠如してきました。」となりました。

「死」を前提にした病は「苦」を強烈に感じます。勿論、原因究明や治療は続けられますが、私を含めた当事者の「苦」の内は、身内と云えども全ては理解出来ないと思います。私は、身内や主治医や周りの人に「苦」を全て取り除いてもらいたいとは思っていません。社会で普通に生きていく中で、不自由な部分は手助けしてもらいたいし、機器を利用して自分の周りの社会の為に尽くす活動をしていきたいと思っています。「苦」の中のメンタルな部分は自分が受容して、解決していくしか方法はないと考えます。何故ならば現在、治療法がなく「悪くなることがあっても、良くなることはない。」疾患のためであります。

気管切開後の退院(2年4ヶ月目)で身体が動かない私の介護を、身内や訪問看護・ヘルパーさんに依頼していますが、吸引や発声不良のため透明文字盤を使用してもらっています。また、頭・手足・身体の体位交換等の位置決めも大変だと思います。しかし、私にとってはしてもらわないと、身体の節々が痛くなります。

そして現在、私は、平成15年3月末に気管切開して、3年を過ぎました。昨年は退院せざるを得ない事情もありまして、平成17年7月23日に退院しました。在宅を希望していましたのでチャンスでした。平成18年の7月で1年になりました。皆さんも利用されている24時間介護は、退院して、介護保険・支援費・ガイドヘルパーで最初は330時間でした。しかし、吸引が24時間カバーできずに、再度区役所に陳情しました。結果的には550時間となり、深夜から早朝、午前中、昼間から夕方まで、訪問看護やヘルパーさんに来てもらっています。深夜は寝返り、吸引等をしてもらっています。早朝は、吸引を始め、髭剃りや歯磨きや軽いストレッチをして、最後に体位交換で終わります。午前中は、2日に1回の排便や洗浄と清拭をして、ストレッチで終わります。お昼は、訪問看護の方が用意してくれます。13時からはヘルパーさんが来てくれます。15時30分からは訪問看護の方が来て、16時30分からは、また、ヘルパーさんに来てもらっています。19時まで介護タイム。

そして、週に1回の訪問リハや2回の訪問入浴、月に1回〜2回の訪問歯科・眼科、2回のカニューレ交換(喉のカセット)、3ヶ月に1回の胃ろうカセット交換等があります。3事業所から来てもらっていますが、吸引行為については訪問看護の方はもちろん、ヘルパーさんにもしてもらっています。 夕食から就寝までは身内で看ています。しかし、私に付きっきりで、家内が介護を出来るわけが無いですね。家事や家のことなど、また、娘の出産で暫らく孫の世話をしなければならない。スポット的に介護をしてもらうしかない。

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 川上広司(Hiroshi Kawakami)
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清家一雄
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清家 一雄 
有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)取締役社長
     重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表
   『ワーキング・クォーズ』編集部
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