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有限会社ワーキング・クォーズの新聞記事
毎日新聞 2006年06月01日 朝刊 18面
「車椅子の2人が起業/清家さん 異国での生活が自信に/埋もれた人材に光を 井上俊樹」 on June 1, 2006


有限会社ワーキング・クォーズの新聞記事
毎日新聞 2006年06月01日 朝刊 18面
on June 1, 2006




有限会社ワーキング・クォーズの新聞記事
毎日新聞 2006年06月01日 朝刊 18面
「車椅子の2人が起業/
清家さん 異国での生活が自信に/
埋もれた人材に光を 井上俊樹」
on June 1, 2006

清家です。 清家一雄 http://www.asahi-net.or.jp/~YS2K-SIK/




有限会社ワーキング・クォーズの新聞記事
毎日新聞 2006年06月01日 朝刊 18面
on June 1, 2006




毎日新聞2006年06月01日、有ワーキング・クォーズの記事「車椅子の2人が起業/清家さん 異国での生活が自信に/埋もれた人材に光を 井上俊樹」 http://www.asahi-net.or.jp/~YS2K-SIK/00kseike/2006/0601mnp/mnp2006.htm 清家です。 今日、 6月1日、 毎日新聞朝刊に、 有限会社ワーキング・クォーズの記事を 掲載していただきました。 有限会社ワーキング・クォーズの新聞記事 毎日新聞 2006年06月01日 朝刊 18面 「車椅子の2人が起業/ 清家さん 異国での生活が自信に/ 埋もれた人材に光を 井上俊樹」 新聞紙面半分の大きさの記事です。 A3サイズ。 写真も大きかった。 私が乗っているのが、 アメリカ製電動車いす、 インバケア RANGER 2GTR です。 井上俊樹さんという新聞記者さんが、 取材に来られたのは、 先週の木曜日、 5月25日でした。 4歳になる 障害をもつお子さんが いらっしゃるそうです。 優しそうなお父さんです。 2時間ほど話しました。 井上俊樹さん、 取材、 記事の執筆、 紙面への掲載、 ありがとうございます。 紙面は、 "WORKING QUADS"ホームページに、 載せています。 http://www.asahi-net.or.jp/~YS2K-SIK/00kseike/2006/0601mnp/mnp2006.htm 井上俊樹さんと 一緒の写真も。 これからも 有限会社ワーキング・クォーズを よろしくお願いします。 清家 一雄 取締役社長 有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者) 支援費・介護保険による障害者・高齢者ヘルパーステーション 介護保険事業者番号 4071401394 支援費事業者番号  居宅介護 40130100107116 / 40130200107115 / 40130300107114 精神障害事業者番号 40130500107112 外出介護 40130100107165/40130200107164/40130300107163





障害者:「埋もれた人材に光を」 車椅子の2人が起業 /福岡
2006.06.01 地方版/福岡 18頁 写図有 (全3,035字) 

 障害者の社会参加がなかなか進まない。とりわけ重度の障害者が自立して生きていくのは至難だ。そんななか、生活全般にわたって介護が必要な車椅子の障害者が2人、福岡市で相次いでホームヘルプ会社を起業したと聞き、会いに行った。

 ◇異国での生活が自信に−−清家さん

 若いスタッフやホームヘルパーらがひっきりなしに出入りする。福岡市早良区の閑静な住宅街にある一軒家が、清家(せいけ)一雄さん(49)が経営するホームヘルパー派遣会社「ワーキング・クォーズ」の事務所兼自宅だ。直訳すれば「働く・四肢まひ者」。自分自身のことである。

 修猷館高校2年の夏、ラグビー部の合宿中に首の骨を折る大けがを負った。2年間の入院生活。立ち上がることはおろか、寝返りも打てずにベッドの上で将来を考えた。親の世話を一生は受けたくない。施設で人生を終えるのも嫌だ。2年遅れで高校を卒業し、一浪して九大入学。「在宅で出来る仕事を」と在学中に宅建資格を取得した。

 6年かけて大学を卒業した後、民間企業の奨学金を得て1年間、米カリフォルニア州の自立生活施設で研修。ここで出会った一人の障害者が、清家さんの人生に大きな影響を及ぼす。自立生活運動の世界的リーダー、故エド・ロバーツさん。

 「もしあなたが自身を好きになれないのならば、他の人々はあなたを好きにならない」。人工呼吸器なしに生きられない最重度の障害者でありながら、州政府の局長まで務めた彼の言葉は心にずしんと響いた。

 「家族のいない異国で1年間生活できた」ことが大きな自信になった。帰国後、清家さんは冷蔵庫まで別にして、生活を両親と分離。身の回りをヘルパーらに頼んだ。不動産取引と翻訳の仕事で収入も確保し、30代半ばで一人暮らしを始めた。

 実家の家を利用して会社を設立したのは02年6月。翌春、ヘルパー5、6人、利用者3人で静かに船出した。今ここで約100人のヘルパーが働く。利用者は60人近くにまで増えた。重度の障害者に対応するため、24時間体制。もっとも経営は苦しく、赤字続き。「趣味と道楽です」と笑い飛ばす明るさがあるからやっていける。

 取材中、ヘルパーの力を借りて、体の位置を直してもらう場面が何度もあった。電話がかかってくれば耳元に受話器を近づけてもらう。サービス提供者であると同時に、自らが最大の利用者でもある。だから、誰よりもこの仕事を知っている、という自負がある。

 ◇社会の中で力試したい−−溝口さん

 博多駅に近いマンションの一室。「ライフサポートきらきら」の事務所は活気に満ちている。スタッフとヘルパー計約90人の大半が20代。男性も4割を占める。

 社長の溝口伸之さん(32)は、物心ついたころから車椅子で生活してきた。筋肉が萎縮(いしゅく)する難病、筋ジストロフィーの一種、脊髄(せきずい)性筋萎縮症。小学3年から長く入院した専門の療養所では、より重症の患者が10代、20代の若さで亡くなるのを何度も見てきた。「だからこそ、自分は納得のいく人生を送りたい、社会の中で力を試してみたいと思った」と話す。

 高校卒業後、入院生活を続けながらフリーライターとして活動。さらに療養所を出た後の04年1月、起業。当時から溝口さんをサポートしてきた「きらきら」の役員の一人で、IT関連会社社長の重盛隆一さん(49)は「『やろうと思えば何だって出来る』といった考えが、私の若いころにそっくりだった」と支援する理由を語る。

 溝口さんに続く障害者もいる。同じ病気を持つ療養所時代の仲間、広谷正人さん(32)だ。「一人暮らしへのあこがれがあった」という広谷さんは、一昨年10月、母親の反対を押し切って市内にアパートを借りた。ヘルパーがアパートに泊まり込む24時間介護。一方で「きらきら」の機関紙編集も請け負う。つまり利用者兼スタッフだ。

 溝口さんは今、出来る限り正社員の比率を増やしたいと考えている。一人の利用者としてヘルパーと付き合っていたころ、せっかく分かり合えたと思った人たちが辞めていくのを見てきた。「きちんとした所得保障をして、やりがいのある仕事にしなければならない。それが結果的に良質なサービスにつながるはず」と力を込めた。

 ◇雇用率、県内達成企業45・1%

 身体障害者の就業率は、健常者に比べて極めて低い=表。05年版「障害者白書」(内閣府)によると、清家さんと同じ45〜49歳の世代では、健常者の81・9%が職に就いているのに対し、身体障害者52・1%。知的障害者は44・4%にとどまっている。

 賃金面でも隔たりがある。平均賃金は健常者の月額28万円に対し、身体障害者が25万円、知的障害者12万円。しかもこれは、事業所でフルタイムで働ける場合だ。実際には知的障害者の半数以上が、賃金が安い授産施設や作業所などで働いており、その多くが月収3万円にも満たない。

 こうした実態を踏まえ、国は98年、障害者雇用促進法で定めた障害者の雇用率を1・8%(常用労働者数56人以上の民間企業)に引き上げた。だが、これも達成企業が県内で45・1%(昨年6月現在)と半数にも届かないのが現状だ。

 県高齢者・障害者雇用支援協会の隠地昭博・障害者雇用支援部長は、浸透を妨げる一因として受け入れ側の無関心を挙げる。「健常者と同じように働ける職種もあることを分かっていない企業が多い」と指摘する。

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 ◇「きっと出来る」から始めよう

 私が死んでもこの子は生きていけるのだろうか――。我が子に障害があると知った時、多くの親たちが直面するテーマだ。そして恐らく、自分たちが生きている限りは繰り返し自問自答することになる。

 4年前に生まれた記者の長男にも重度の知的障害がある。身体の成長も遅い。生まれて間もなく、医師から「普通には育ちません」と伝えられ、真っ先に思ったのは「自分が先に死ぬわけにはいかない」だった。

 今回取材した清家さんと溝口さんは若いころ、悪く言えば親に反抗的、良く言えば独立心が強かった。だがこれは障害の有無に関係なく、ごく当たり前の若者の反応だ。「生きたいように生きたい」。2人は自分たちの気持ちにストレートだった。そしてその際、「障害があるから」と自分で自分に限界を設けることはしなかった。

 もちろん「じゃあ我が子も」と言うほど単純ではない。多くの重度の障害者は職にも就けず、まして親元を離れて一人で生きていこうなどと考えられる状況でもない。「障害者」とひとくくりにされがちだが、実際には出来ること、出来ないことは千差万別だ。

 ただ2人から強烈な刺激を受けたのも事実だ。一生歩けないかもしれない、と思っていた長男は今、不安定ながら一人で歩いている。最近は自分でコップを持てるようになった。近い将来、言葉を発するかもしれない。「出来ない」ではなく、「きっと出来る」から始めよう。両社長の生き方を見て、そう思った。

 そもそも清家さんたちが起業する道を選んだのは、就職という選択肢が事実上なかったからだ。だからと言って「障害者の雇用拡大を」と大上段に言うつもりはない。けれど企業には、もしかしたら有用な人材が埋もれたままになっているかもしれないことに気づいてほしい。何しろ身の回りのことを一人では出来なくても、立派に会社を経営している障害者だっているのだ。【井上俊樹】

〔福岡都市圏版〕

毎日新聞社






清家一雄
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清家 一雄 
有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)取締役社長
     重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表
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