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    日本における要介助の(運転免許取得不可能な)
    四肢まひ者の就労の現状(12事例)と
    職業リハビリテーションの課題

    清家一雄 重度四肢まひ者の就労問題研究会; 代表/佐賀医科大学医学部講師





    1. はじめに−目的

     頚髄損傷者を代表例とする四肢まひ者には
    知的機能障害はない。しかしその身体的機能障
    害は、身体障害の中では最重度である。本論で
    は、四肢まひという(一次的な障害、WHO・世界保
    健機構のいうインペアメントimpairment)をも
    ち、移動能力や書字能力などの日常生活動作能
    力の不足(二次的な障害、ディスアビリティdi
    sability)に苦労している個人たちが、知的生
    産活動を行い、「生活の質(Quality of Life)」
    をいかにして改善していくのかを考察する。


    2. 対象と方法


     2.1 対象

     日本では、日常生活において他者の介助を必
    要とし、車の運転ができない、四肢まひ者は、社
    会生活はもとより自宅で家族と生活すること
    さえ困難で、病院に長期滞留する人や施設生活
    者が少なくない。就労に関しては、公務員の障
    害者職員採用特別枠でさえ、自力通勤可能で介
    助不要の者との条件があり、四肢まひ者の就労
    問題は未解決のままである。「障害者の雇用の
    促進等に関する法律」上も、上肢、下肢それぞれ
    1級を2つ持つ四肢まひ者は不利である。


     2.2 方法

     著者は、1989年、「重度四肢まひ者の就労問題
    研究会」の活動を始め、会報「WORKING QUADS
    (ワーキング・クォーズ)」第1号を編集発行し
    た。「仕事」と「介助」がテーマである。最初は近
    所の3、4人の重度障害者で始めたが、「WQ」 No.
    10では編集者6人、執筆者は66人である。

     1996年11月にはインターネット上で"WORKING
    QUADS" HomePageを開設し、四肢まひ者のハ
    イテクを活用した知的生産活動を支援するた
    めのデータベースを制作提供している。コンテ
    ンツは、環境制御装置、電動車いす、リフター、
    車いす用自動車、ホームヘルパー制度など。19
    98年5月28日現在、"WQ"hpの編集者は8名、執筆
    者は162人(hpのみの執筆者は84人)である。ア
    クセス数は、40,957である。

     「WORKING QUADS」は、四肢まひ者の知的生産
    活動を取り上げている。要介助の四肢まひ者で
    も、実際に仕事をしている人が、ごく少数なが
    ら現れてきた。就労問題研究会は、実際に働い
    ている人を発掘し、広く知らせている。今回、そ
    の中から、12事例を対象としてとりあげる。


    3. 結果と考察


     3.1 結果


    [事例1:MI氏:東京都で自立生活]



    1962年、生れ。男性。1992年1月、交通事故により
    受傷、C5損傷者。医学博士:大学病院勤務:
    神経内科医師(専門は心療内科)。

    「昨年(1995年)12月より頚損2人(C4と
    C5)での共同生活を始めました。ちょうど私
    の方で家族介助を離れる必要があり24時間の
    介助体制を維持するための経済的問題と、とて
    も労力のいるスタッフの確保の問題を解決す
    る事を主眼とし、これらの点においては予想以
    上に効果がありました。}


    [事例2:TO氏:零細自営(ワープロ請負)から
    在宅勤務社員として正式雇用]



    1962年生まれ。男性。1980年、高校3年の体育の
    授業中、受傷。C5損傷者。

    「私は約10年間の施設生活を経て8年程前から
    在宅での生活を始めました。在宅での生活を始
    めた頃より、パソコンでのデータ入力の請負の
    仕事をしました。そんな生活に転記が訪れたの
    は、約2年程前でして、その前に受講したインタ
    ーネットを利用してのプログラミングの講習
    が役に立ち、地元のシステム開発会社に在宅勤
    務社員として正式雇用されました。」


    [事例3:IS氏:専門自営:学習塾経営]



    1956年生まれ。女性。1978年、大学在学中に交通
    事故で受傷、C6損傷者。

    「私はなぜかとっても英語が好きです。だるい
    時や退屈な時に英文法の問題を解くと爽快に
    なるのです。たぶんそれは私が長いリハビリの
    後大学へ戻り、その後13年以上も英語を教えて
    いる唯一の理由だと思います。」


    [事例4:TY氏:専門自営(在宅):ソフト開発]



    1952年、生れ。男性。K大学、応用原子力。大学で
    物理の研究と非常勤講師。1985年、疾患で頚髄
    損傷者。

    「私のパソコンによるプログラミンングの仕
    事は、物理の基礎知識があること、データ収集
    や処理プログラムの開発や大型計算機による
    モデル計算の経験があること、計算機にたいす
    る興味関心が高いことが大いに役立っている
    と思います。仕事は、科学技術計算の場合が多
    く、顧客の希望を聞き、関係資料を勉強し、プロ
    グラムを作成する。次に、顧客の所へは私自身
    は行けませんのて、出来上がったプログラムを
    顧客のシステムに詳しい人に組み込んでもら
    う。そして、顧客のシステムでテストを行い、改
    良や修正などを行って完成させる。ということ
    です。」


    [事例5:TS氏:専門自営:司法書士]



    1965年、生れ。男性。1986年、ラグビーの練習中
    の事故で受傷、C6損傷者。

    「受傷後、国立療養所N病院、T労災病院に計1年
    半入院。大学へ復学、その後3年間かけて卒業。
    家庭教師等をしながら司法書士の資格を取る。
    平成7年自宅にて開業。目標は、とにかく仕事
    が暇なので、もーちょっとなんとかしたい。」


    [事例6:HM氏:大規模自営:ビル管理会社
    社長]



    1938年生まれの男性。1959年、T大学在学中、交
    通事故により受傷、C6損傷者。

    「将来の自立を考え、駐車場をやっていた黒崎
    の駅前の借地に貸しビルを建てて食べていけ
    るようにしようと計画した。1979年2月、そして
    約1年の建設期間の後に7階建てのビルが完成
    した。1985年、ビル経営を始めて6年たったころ、
    収支がうまく行きだし、兄弟や親にも経済的な
    迷惑はかけないですむ自信がでてきた。」


    [事例7:FT氏:雇用:F市役所復職]



    1943年生まれ。男性。F市役所在職中、85年、通
    勤途中の交通事故で受傷。C7不全麻痺損傷者。

    「3年以上に及ぶ休職と大きなハンディを持っ
    た者の復帰が認められたのも、私が公務員であ
    ることが幸いしたかもしれない。障害者の雇用
    には積極性を持つべき自治体だからこそ、重度
    障害の私でも働く場を与えられたのであろう。
    キーボードさえ操作できれば優れた機能を自
    在に使いこなすことが可能なパソコンがある
    からこそ、私の就労も実現した。」


    [事例8:NS氏:雇用(通勤):A市教諭復職]



    1943年生まれ。女性。1989年、海外旅行先の事故
    で受傷。C4 損傷者。

    「私は、復職が認められたとき、信じがたいこ
    とが起こったような気持ちになりました。私は、
    全身マヒの障害者です。この私に復職の道が開
    かれるとは、強く望んではいたものの、自信は
    ありませんでした。私に残された機能、考える
    力としゃべれる能力をフル回転させて、しかし
    あまり気負わず、粘り強く仕事にとりくんでい
    きたいと思います。」


    [事例9:MU氏:通勤雇用就職:K市病院MS
    W(医療ソーシャルワーカー)]



    1966年、生れ。女性。1989年、大学在学中、交通事
    故により受傷。C6・5損傷者。自宅マンション隣
    の病院に勤務。

    「私も今年はとにかく頑張って、通信大学の障
    害者福祉学部を卒業したら飛び立ちたいなぁ、
    と考えてます。 そう、留学か? 何かわかんな
    いけど、生活をちょっと変えてみたいと考えて
    います。 今は卒業に向けて、仕事のかたわら大
    学のレポートに頑張ってます。 」


    [事例10:KM氏:通勤を伴なう雇用(就職):
    F市内のインターネット関連会社]



    1970年、生れ。男性。1987年、運動会で受傷。C5
    損傷者。新規採用。通勤は週1日。週4日在宅勤務。

    「高校に復学、一浪後、K工業大学情報工学部
    に入学、この春に同大学院を卒業することがで
    きました。入試は推薦入試でした。レポート問
    題が送られてきて、それを解いて送り返した後、
    その事に関して面接を受けるだけでした。筆記
    試験がなかったので手が不自由でも切り抜け
    られました。大学生活は主に母親の介助の元で
    送りました。コンピュータを勉強しました。」


    [事例11:NS氏:通勤雇用就職:F市内のコ
    ンピューター会社]



    1972年、生れ。男性。1989年、高校在学中、体操の
    事故で受傷。C5損傷者。通勤を伴なう就職
    (通勤は週5日。)。

    「4月から地元の(F市)コンピュータ会社
    に就職できました。私は高校生の時、部活で頚
    損になりました。その後、高校に復学し大学・
    大学院まで卒業してやっとのことで就職でき
    ました。ここまで10年かかりましたので現在は
    26才です。通勤は家族のものに協力してもらい、
    毎日朝9時から夕方6時まで働いています。」


    [事例12:RK氏:通勤雇用:自立生活運動に
    おける自立生活センター職員K市自立生活推
    進センター・事務局長]



    1967年、生れ。男性。1989年、K大学2年で、プー
    ルで受傷。C6損傷者。ダスキン障害者海外留学
    研修16期生。セントルイス自立生活センター・
    パラクォード、研修留学。

    「通勤は家からJRの駅まで電動車椅子で30
    分、電車に10分間揺られ、駅を降りて事務所ま
    で電動車椅子で15分、電車の待ち時間を合わせ
    て片道約1時間15分程度かかります。今年の推
    進センターの事業は、例年行っている自立生活
    プログラム、自立生活ユースプログラム講座に
    加え、単年度事業として、福祉のまちづくり巡
    回講座、日米障害者自立生活セミナーの二つを
    行いました。」


     3.2 考察

     頚髄損傷者を代表例とする四肢まひ者には
    知的機能障害はない。3.1.の事例で示されたよ
    うに、通勤負担を伴わない自営業が多いが、零
    細自営から、専門自営、大規模自営、雇用復職、
    雇用新規採用への道を切り拓いてきている。彼
    らは、個人的な資質、資産、努力に依存しながら
    も、考え、工夫し、知恵を出して、生活を改善し、
    活動・就業の幅を広げてきた。

     時代は変わってきた。補装具交付券による電
    動車いすの支給制度、国民年金障害基礎年金・
    特別障害者手当の創設。インターネットに接続
    可能なパソコンの登場と低価格化、ゴールドプ
    ラン・障害者プラン・公的介護保険による公的
    ホームヘルパー制度の整備、電動車いすのまま
    運転ができる乗用車の輸入自由化、テレワーク
    の社会への浸透。四肢まひを持つ人々の知的生
    産活動の環境が少しずつ整えられてきている。

     寝たきりで呼吸器をつけていて、しゃべるこ
    ともできない四肢まひ者が、頬にセンサーを付
    けて、笑う筋肉でパソコンの操作ができ、自分
    の意思表示ができるようになっている。

     二文字一円のワープロ入力をやっている人。
    自分の部屋で英語を教えはじめた人。テレビの
    モニターに応募して一年間契約で月15万円稼
    いでいる人。経済的に恵まれていて、ビル、マン
    ションを経営している人。何も言わないが、出
    来る範囲でちゃんと仕事をして生きている人
    がいるということを、世の中に知ってもらいた
    いと思っている。

     ADL自立の軽度の人たちには就労の仕組
    みやサポートもかなり整備されているが、AD
    Lに問題のある四肢まひ者など最重度の人た
    ちの就労問題は、職安、ケースワーカー、養護学
    校の就職担当の専門家などでもほとんど、取
    り上げられないようである。当事者たちが個人
    的にやらざるを得ないのが現状である。

     「街で生活したい」「きつくてもお金をもら
    う仕事をしたい」という四肢まひ者もいると
    いうことを、四肢まひ者自身、家族、施設、病院、
    社会一般、納税者、そしてより決定権のある人
    たちへ伝え、考える素材となれば幸いである。


    4.むすび−職業リハビリテーションの課題

     要介助の(運転免許取得不可能な)四肢まひ
    者でも、介助サービス、住居、移動、教育などの
    条件が整備されれば、働くことも含んだ自立生
    活が可能である。四肢まひ者の自立度が向上し、
    介助必要量を減少させ、生産性を向上させる工
    夫、システム、生産環境開発に関する情報が共
    有されることは、四肢まひ者自身、家族、社会の
    人々にとり有益なことである。特別な資産や才
    能のない四肢まひ者が普通の努力での、一般雇
    用関係における復職・新規採用、専門職・管理職
    への就労、就業可能な自営業(在宅、自宅外の仕
    事場)を可能とする教育、就職の機会、公的介助
    制度、物的資源による支援システムを考案し、
    できれば開発を行いたい、と考える。

     "WORKING QUADS" HomePageは、そのためのメ
    ディアでありたい、と思う。1999年のテーマは
    「四肢まひ者でもしぶとく仕事をしよう」、
    (「デスクワークのための褥創対策」、「ノートパ
    ソコンを活用したベッドワーク」)である。

     労働省、職業リハビリテーション、その他の
    専門家の方々のご支援、ご協力を心よりお願い
    いたします。

    1999年5月28日 福岡


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