WORKING QUADS
  • "WORKING QUADS" what's new
  • "WORKING QUADS" links
    WORKING QUADS News Letter on March 1, 2000
    「語り継ぐ20世紀」 selected by WORKING QUADS
    (The intellectual productive activities by Quads)


    - - - -
    Mr. Edward V. Roberts and Kazuo Seike, in the USA in 1986





    Kazuo Seike
    president, "WORKING QUADS"
    "Working Quads" Editoriak Office
    "WORKING QUADS" HomePage produce
    Fukuoka-shi, 810 Japan
    Tel +81-92-735-
    Fax +81-92-735-
    kazuo_seike@msn.com
    seike@ma4.justnet.ne.jp
    http://www4.justnet.ne.jp/~seike/

    「語り継ぐ20世紀」
    selected by WORKING QUADS


    「語り継ぐ20世紀」 selected by WORKING QUADS

    1.1985年〜1986年、清家一雄、米国留学
    2.インターネットとWindows 95
    3.Edward V. Robertsと自立生活運動
    4.ゴールドプランから介護保険へ
    5.国民年金障害基礎年金

    "WORKING QUADS" News Letter
    on March 1, 2000

    清家一雄@WORKING QUADSです。

    お忙しいところすみません。
    "WORKING QUADS" News Letterです。

    「語り継ぐ20世紀」 selected by WORKING QUADS

    「語り継ぐ20世紀」原稿募集 by 『ノーマライゼーシ
    ョン』の続編です。

    "WORKING QUADS" HomePage(Kazuo Seike)が、選んだ
    「語り継ぐ20世紀」は、
    自分自身(Kazuo Seike)の体験の
    「1985年〜1986年、米国留学」
    が第1位となります。

    いかにも主観的な判断ですが、
    サブタイトルは、
    「ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業」
    としています。
    この事業の重要性は、大きかったと思います。

    第2位から第5位は、障害者、肢体不自由者、四肢まひ者に
    とってとは、かなり客観性があると思います。

    **************************************************

    「語り継ぐ20世紀」
    selected by WORKING QUADS

    1.1985年〜1986年、清家一雄、米国留学
     ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業

    2.インターネットとWindows 95

    3.Edward V. Robertsと自立生活運動

    4.ゴールドプランから介護保険へ
     日本での国民レベルでの在宅介護サービスプログラム

    5.国民年金障害基礎年金
     無年金者の問題は未解決ですが。

    **************************************************

    1.1985年〜1986年、清家一雄、米国留学

     ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業
      ダスキン障害者リーダー育成海外留学派遣事業

     One Year of the Life in America、
    「アメリカの一年」『脊損ニュース』1987-1988.



    1985. アメリカ留学当初の生活

     アメリカで留学生活を始めた時、僕は28歳だった。
    想像と実際の生活は非常に違ったものだったが、
    刺激に満ち溢れた、修行の場としては
    最高の1年だったように思う。

     僕が最初に留学生活を始めたのはアメリカ西海岸にある
    カリフォルニア州のベイエリアと呼ばれているところだった。
    ベイエリアというのはサンフランシスコ、バークレー、
    オークランドなどがバートという地下鉄で一つになっている
    サンフランシスコ湾岸地帯だ。ベイエリア全体では
    人口450万人を越え、メガロポリスを形成している。
    僕はオークランド市の41番ストリート517
    にあるアパートで生活を始めた。

     アパートは民間のもので、木造2階建ての1階だった。
    かなり古い建物だったが1階の出入口に
    車椅子用のスロープが付いていた。
    クーラーはなかったがセントラルヒーティングがあった。

     収入は留学研修生として奨学金・研修費を愛の輪基金・
    リハ協から送金してもらった。アパートの家賃(1カ月250ドル)、
    ベッドのリース料(1カ月96ドル)、食費(1日10ドル)、
    雑費(1日5ドル)、アテンダント費用(1日35ドル)などで
    1カ月約1、800ドルだった。

     仕事というか勉強は自立生活センターバークレーを
    媒介としてアメリカのアテンダント・サービス・
    プログラムを中心としたリサーチをしていた。
    人に会って話を聞いたり文献を読んだりもしていたが、
    生活の全てが勉強みたいな面もあった。
    そしてそれをワープロや写真で記録に取っていた。
    一応、毎月研修報告をリハ協に出すということが
    研修費送金の条件となっていた。

    「アメリカの一年」[2]、
    『脊損ニュース』1987年5月号
    清家 一雄

    **************************************************

    2.インターネットとWindows 95



     時代は変わってきた。補装具交付券による電動車いす
    の支給制度、国民年金障害基礎年金・特別障害者手当の
    創設。インターネットに接続可能なパソコンの登場と低
    価格化、ゴールドプラン・障害者プラン・公的介護保険
    による公的ホームヘルパー制度の整備、電動車いすのま
    ま運転ができる乗用車の輸入自由化、テレワークの社会
    への浸透。四肢まひを持つ人々の知的生産活動の環境が
    少しずつ整えられてきている。

    人間にとって、読み書きが重要であった。
    活字印刷が重要であった。
    現在も。

    これからは、
    インターネット、インターネット接続可能なパソコン、
    ログイン能力、共通語としての英語が
    決定的に重要となる。

    Windows 95は、その扉を開いた。

    **************************************************

    3.Edward V. Robertsと自立生活運動

    エド・ロバーツさんの死 

    The Death of Mr. Edward V. Roberts
    Born January 23, 1939; Died March 14, 1995

    清家 一雄、代表 重度四肢まひ者の就労問題研究会
    Kazuo Seike, President : Research Association on Work



     1995年3月16日(米国)、ポリオ後遺症による人工呼吸
    器依存の重度四肢まひ者であり、自立生活運動の世界的
    に認められたリーダーであったエド・ロバーツさん
    (以下、エド)世界障害問題研究所(World Institute on
    Disability)代表が自宅で心臓まひのため亡くなられました。
    56歳でした。心よりお悔やみ申し上げます。

     エドは、ぼくが、1985年〜1986年、広げよう愛の輪運
    動基金の「ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研
    修派遣事業」により、米国留学の機会を得たとき、米国
    の介助者サービス事業と自立生活運動の調査研究におい
    て、学んだ人々の中でも最も大きな存在だった。

     最初にエドと直接に会い、話をしたのは1985年12月9日
    の CIL バークレーでのクリスマス・パーティだった。エ
    ドは既に日本でも有名だったし、僕もエドの書いたもの
    やエドについて書かれていたものを読んでいたが、実際
    に会ったときの印象は鮮烈だった。

     電動車いすに乗って呼吸補助装置を使わなければなら
    ないほどの四肢まひの重度身体障害者だか、快活で力強
    く、よく話をし、自信に溢れていて、頼りになりそうな
    タフな障害者だ、という印象だった。

     エドの家にも2回訪ねて行って話をした。よく電話でも
    話しをしていた。エドの書いた本・文章を貰って読んだ
    りもした。エドが代表をしているWID に行き、WIDが出版
    したペーパーの文献研究をすることと、そこのスタッフ
    とミーティングすることは、僕の留学研修活動のひとつ
    だった。

     「もしあなたがあなた自身を好きになれないのなら、
    他の人々はあなたを好きにならない。障害を持つ人々が
    彼らの障害を好きであるかそうでないかは別のことであ
    り、彼らは彼らの障害と一緒にうまく生活する方法を学
    ばなければならない」。つねに笑顔を絶やさないエドの
    言葉のなかでもぼくの印象に残ったものだった。

     また、1991年に、トヨタ財団1990年度の研究助成「高
    度技術社会の進展と外傷性重度四肢まひ者の生産活動参
    加過程に関する日米比較研究およびハイテクの活用によ
    る新しい可能性に関する研究」による米国の調査研究旅
    行で、21世紀に向けての自立生活カンファレンスにおい
    て、エドと3日間にわたり話をすることができた。

     エドが創設者の一人である1972年設立のCILバークレー
    は、障害者の自立生活運動を生み、世界中に広がった400
    以上の自立生活センターのモデルとなった。1995年現在
    も、CILは、障害をもつ人々が自立生活を行なうことを可
    能にする基本的な中核のサービスたちを、提供し続けて
    いる。

     エドは、人生の途中で体がマヒしてしまい、鉄の肺、
    電動車いす、リスピレーターなどを使わなければ生きて
    行けないほどの重度身体障害者だったが、人間が本来持
    っている無限の素晴らしい可能性を追求・展開して、ア
    メリカの社会を変えた、自立生活運動の創始者の一人だ
    と思う。

     [略歴]1939年、カリフォルニア州、生まれ。1953年、
    14歳の時にポリオの障害をもった。1962年、カリフォル
    ニア州のアテンダント・ケア立法を利用しカリフォルニ
    ア州立大学バークレー校に入学。1969年、政治学博士号
    取得。1972年、CILバークレー設立。1973年〜1975年、
    CILバークレー所長。1975年〜1983年、州知事の任命によ
    りカリフォルニア州リハビリテーション局局長。1983年、
    世界障害問題研究所設立。1984年、マッカーサー基金
    「ジーニャス・グラント」(25万ドル)( MacArthur
    Foundation "genius" grant )を受賞。1995年現在まで
    世界障害問題研究所の代表。結婚し、17歳の息子リー
    Lee さんがいます。1995年3月、永眠。

    **************************************************

    4.ゴールドプランから介護保険へ

     日本での国民レベルでの在宅介護サービスプログラム

     「公的介護保険におけるケアプランと自己決定権」
    Care plan and Self-determination

    **************************************************

    5.国民年金障害基礎年金

    所得保障

    **************************************************

    2000年3月1日、福岡にて


    on March 1, 2000

    (by Seike)


    "WORKING QUADS" HomePage
    "WORKING QUADS" HomePage

    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会
  •