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    WORKING QUADS News Letter on February 24, 2000
    仕事だけが社会参加じゃない by 斎藤俊一
    (The intellectual productive activities by Quads)

    仕事だけが社会参加じゃない by 斎藤俊一

    "WORKING QUADS" News Letter
    on February 21, 2000




    Kazuo Seike
    president, "WORKING QUADS"
    "Working Quads" Editoriak Office
    "WORKING QUADS" HomePage produce
    Fukuoka-shi, 810 Japan
    Tel +81-92-735-
    Fax +81-92-735-
    kazuo_seike@msn.com
    seike@ma4.justnet.ne.jp
    http://www4.justnet.ne.jp/~seike/

    清家一雄@WORKING QUADSです。

    高知の斎藤俊一さんより
    「仕事だけが社会参加じゃない」
    というメールをいただきました。

    四肢まひ者にとって
    ひじょうに意味のある内容だと思います。

    四肢まひ者の就労を考える
    "WORKING QUADS" (HomePage)にとって、
    視点的に弱いところです。

    四肢まひ者の中で、最大限に努力しても、
    どうしても有償の就労に結びつかない場合もあります。

    しかし、それでも、無償の仕事をしている。
    ネットワークの中で、知的生産活動をしている。
    そして、何かを、他人、社会に提供している。
    そういう活動、行為には、
    やはり何らかの意味があると思います。

    読んでいただければ幸いです。

    --------------------------------------------------

    「仕事だけが社会参加じゃない」

    斎藤俊一

    2000年2月24日 6:44

    私たち四肢麻痺者にとっての就労とは、限りなく夢に近い
    あこがれのようなものかもしれません。それは重度になれ
    ばなるほどその度合いは増します。大多数の「無職」の頸
    随損傷者(あるいは重度障害者)たちは、就労している希
    有な同胞に向かって「運が良かったから」「周囲の環境に
    恵まれたから」「傷害が軽いから」などと言い訳を作り自
    らを納得させているふしがありますが、それはとりもなお
    さず「就労」という形がなにより善であり、「大人」とし
    て「社会の一員」である証のように思いこんでいるからに
    ほかならないからではないでしょうか。社会の一員である
    「証」は大別すると二つに分けることが出来そうです「頭
    脳労働」と「肉体労働」です。もし私たち頸随損傷者に
    「仕事」ができるとしたら、それは「頭脳労働」にほかな
    りません。けれどもその「就労」が難しいのは、たとえば
    一般事務職のような「頭脳労働」すら出来ないところにあ
    ります。それは、インフラから来る、あるいは肉体から来
    る傷害から、毎日定時に出勤が出来ない、でありましょう
    し、単に車椅子に座っていられないからです。結局、傷害
    が重度になればなるほど「仕事」の範囲は狭まっていくこ
    とになります。皮肉にも「仕事」は範囲が狭まるほど専門
    知識を要求してきます。つまり例えば、在宅、ベッドの上
    で社会参加していると実感できる「仕事」といえば、それ
    はもう個人の突出した才能が要求される世界になってしま
    います。けれども悲しいかな大多数の頸随損傷者は健常者
    と同じ比率の凡人たちです。この不景気とも相まって、そ
    れはもう闇夜に放たれた黒猫のように声はすれどもこの手
    にすることは難しいことになっています。それらをカヴァ
    ーするインフラや法の整備を期待し要求もし続けますが、
    それに終始した言い訳や発信だけの日々では気持ちの痼り
    は取れるはずもありません。もしかしたら、私たちが望ん
    でいることって、満足できる日々って、「私は一個の大人
    として社会に参加している」という実感なのではないでしょ
    うか。健常者といえどもそのほとんど全てがカールルイス
    のようには走れません。周囲をつらつら傍観していると、
    人々は皆、タイムは遅くとも個々自分が走れる精一杯のス
    ピードで走っているように見えます。これが「社会に参加
    する」ということなのかと思えてきもします。「仕事」と
    は、金銭の授受よりも大きな比重で「社会に参加している」
    という精神的充実感、安心感、満足感を得る一手段なので
    はないでしょうか。だとすると、たとえ寝たきりだとして
    も「社会参加」はできるように思えます。それは「他者へ
    の思いやり」。「社会参加」=「他者への思いやり」?。
    一見何の脈略もなさげです。が、例えば一例ですが、介助
    者に頼むときは思いつきで呼びつけるのではなくて頼むこ
    とを整理し一度にして貰う、といったようなことです。こ
    れにより介助者は他者に回れ、依頼者は介助者へのかりそ
    めのシエスタを思いやられ、あるいは国費節減という自己
    満足が得られたりします。レベル的には案外「就労」から
    得られる充実感と同等なのではないかと思えます。ともあ
    れ「就労」もいっときのこと。あの天賦恵まれたカールル
    イスでさえいまや大多数の一部になっており、いずれは私
    たち頸随損傷者と変わらない凡人になります。そのとき覚
    えるのは、日ごろ私たちが奥底にしまい隠している「無職」
    感でしょう。「疎外感」「不要感」「お荷物感」。
    そのとき真に問われるのが「自立」ではないでしょうか。

    signature--------------
    tij@ijk.com -- 斎藤俊一
    kochi@keison.club.or.jp



    ご意見、ご感想、ご助言をお聞かせいただければ幸いです。

    2000年2月24日、福岡にて


    February 24, 2000

    (by Seike)


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    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会
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