WORKING QUADS News Letter September 3, 1999
Mr. Mitsunobu Kaztsuya,
the Journey from Kumamoto to Hiroshima

「熊本から大阪までの旅」
 東京都 勝矢光信
(四肢まひ者のネットワーク活動)



1999年『ワーキング・クォーズ』のテーマは
「四肢まひ者でもしぶとく仕事をしよう」
 「デスクワークのための褥創対策」、
 「ノートパソコンを活用したベッドワーク」です。


『ワーキング・クォーズ』関係者各位

1999年9月3日

  

   清家 一雄 
  重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表
   『ワーキング・クォーズ』編集部
   "WORKING QUADS" HomePage 制作提供
  〒810 福岡市中央区大手門
  Tel +81-92-735-
  Fax +81-92-735-
  kazuo_seike@msn.com
  seike@ma4.justnet.ne.jp
   http://www4.justnet.ne.jp/~seike/

前略

「熊本から大阪までの旅」 東京都 勝矢光信
(四肢まひ者のネットワーク活動)

1999年『ワーキング・クォーズ』のテーマは
「四肢まひ者でもしぶとく仕事をしよう」
 「デスクワークのための褥創対策」、
 「ノートパソコンを活用したベッドワーク」です。

そのために、『ワーキング・クォーズ』編集会議と懇親会を、
1999年4月24日(土)、25日(日)、26日(月)、
福岡・熊本、
福岡市心身障害者福祉センター7Fの中研修室
で開催いたしました。

以下の文章は、東京都在住の勝矢光信さん
("WORKING QUADS" homepage writer)に
書いていただいたものです。

勝矢光信さんは、
ミスタードーナツ留学研修の2期生です。
筋ジストロフィーの障害を持っていますが、
日本の重度障害者の自立生活運動の
草分け的な人でもあります。

重度四肢まひ者のネットワーク活動は、
郵便、FAX、電話、電子メールなどによっても可能ですが、
直接会って、会話するのがやはり一番です。

1999年08月08日、狭い大手門公団の1室に、
電動車いす利用者の4人が会しました。
やはり時代は、変わってきているのだな、
と感じました。

今福義明さんも、ミスタードーナツ留学研修の4期生です。
電動車いす利用者で、小児リウマチです。


WORKING QUADS
勝矢光信さん・ミスタードーナツ留学研修2期生
Mr. Mitsunobu Kaztsuya,
"WORKING QUADS" homepage
1999年08月、熊本から大阪までの旅

勝矢光信、ミスタードーナツ留学研修2期生

勝矢光信さん

1999年8月16日 19:59

勝矢光信

熊本から大阪までの旅

8月9―11日熊本―福岡―小倉―広島―大阪―東京

今福41、三沢37、勝矢光信52 3台電動車イス 、介助 佐藤31

去年8月に電動車イス3台で札幌を旅行したので、今年は九州。ずっと新しい電
車、バス、モノレールだけを追い続けている3人組み。年齢的には、15歳もち
がうのに、電車が好きなのは共通している。乗っていれば満足な、単純な人の集
団。

体験と感想:

どうしてこんなに楽に旅行ができるのだろうか?

 今まで50年間、人々に迷惑をかけてはいけないと、それだけで、がんじがら
めになっていた人生であった。怒られたり、どなられるのがイヤで、外出を避け
て、家に閉じこもっていた。もったいない時間が、矢のように去って行った。

9日7:30自宅を出発。9:10羽田到着。問題無し。

ANA249便10:50羽田発―福岡行き。

先日の殺人事件で、検査が厳しくて、まるで、女性係官に指圧を受けているよう
であった。レベル2の厳しさで、検査をしていると。うれしいような、かなしい
ような…。機内では、チーフスチュアーデス山口以下、クルー12人全員が親切
であった。

 日本列島は、どこも良く見えた。いつも、この景色を見るのが最高の喜び。江
ノ島、富士山、木曽川、関西新空港、淡路島、小豆島、瀬戸大橋、宮島、しまな
み街道たたら大橋、秋吉台、海の中道、これだけ見えると、障害者割引はいらな
い。あってもいいけれども…、

 福岡空港は直結の地下鉄で、問題無し。19駅中16駅がエレベーター。残る
3駅も今年度中に完成。100%アクセスOKになる。空港駅の改札は71CM
であって、自動改札を通れた。

 博多駅1階で、博多ラーメンを。電動車イス3台が食べられる食堂は、たちぐ
いが向いている。3人とも、高いテーブルが良いといっていた。まずまず、おい
しかった。豚こつラーメン、あぶらっこいが、こくがある。

 てかてかの天気の中、4人はエレベーターのある「天神駅」から1駅歩いて、
市役所交通局に行き、地下鉄、ノンステップバスの対策を聞いた。

 4:00大濠公園を散歩。蓮が、満開。昔の日本のニューヨーク「こうろ館」
など、歴史を感じた。5:00有名な42歳の「清家氏」訪問。ヘルパーさんの
買ってきてくれた夕食をいただく。



『WORKING QUADS』編集部
at 大手門公団
in 福岡市中央区




『WORKING QUADS』編集部
at 大手門公団
in 福岡市中央区



「進行性筋萎縮症で、52歳まで生きられて、思考を深められた事、
よかったですね。
勝矢さんは軽度なんですねェ」
「はい、頭も軽くて・・」
清家氏は書類とコンピューターに埋もれていた。学者であった。
高校のスポーツ事故で障害者になったが、医者の強い勧めと、
大学受験の診断書まで書いてやる、という励ましで、
大学法学部を卒業。
重度障害者情報
「WORKING QUADS ワーキング・クォーズ(4肢マヒ者就労研究)」
で成果をあげている。





 大濠公園駅エレベーターで、地下鉄を使用し、博多駅グリーンホテル(092
―451―4111)に。

22:30博多駅徒歩2分、グリーンホテル障害者対応ルーム3部屋(452、
552、652)個室。使いやすかった。車イス障害者には、中での回転可能な
事、トイレ、浴槽まで段差がない事が条件。このホテルは3室も対応できている
ので、障害者集会などで、たびたび利用されている。宿泊のみ6500円。

 部屋のドアを開けられなくて、通りかかった若者に開けてもらった。部屋の番
号を言って、「いつでも僕を呼んで下さい」と。1人での部屋は始めてなので、
ビクビクしていた。電話して、フロントの人に、クーラースイッチを切ってもら
い、ベッドのカバーを開けてもらった。

長崎の原爆犠牲者に追悼して、就寝。



10日(2日目)

 フロントにベッドから電話して、呼び出し、ホテル職員に4:30ベッドから
起こしてもらった。ひっくり返った場合に佐藤さんに連絡可能なように、PHS
をにぎりしめて、トイレの高さが車イスと全く同じで、車イスから移動可能だっ
たので、トイレに挑戦。20年ぶりのチャレンジ。普段は旅行中にはトイレはし
ない。今回は、1人での可能性を試すために、うんとがんばって、1時間30
分、便と格闘。でたでた。つきが、、、。

 その後、余勢を駆って、車イスと同じ高さの床に移ってシャワーに挑戦。でき
た!!!きもちよかぁ!!!毎日、朝シャンしている娘の気持ちが分かった。
初めてのトイレ、シャワーで、気持ちはハイになっていた。6:50散歩に出
発。朝の散歩。カナルシティー、障害者福祉センター、魚市場まで言ったら、時
間が無くなってきて、天神駅から地下鉄でもどろうとしたが、エレベーターを見
つけるのに一苦労。7:40ホテル着。8:00熊本に向けて出発。

 JR博多駅8:40「つばめ」熊本へ。駅を出ると、そこにドイツ、ベンツ電
車部門アドトランツ社から、日本で最初に輸入した「市電」が信号を渡ってき
た。運転手「2人しか乗れない」「東京から来たので、どうしても、お願いしま
す」硬直した顔で「規則だから、、」今福は後ろの席に乗った。車内電話で指令
所に「お客様本人の了解の元に、3台お乗せしました」とほうこく。スペース的
には6台はのれる。良くできた市電であった。ヨーロッパでは、これが主流にな
っている。

 市役所、福祉課で降りられる駅の地図をもらった。数駅しかない!!!
市役所14階で、澄み切った空に、豪快にそそり立つ「熊本城」を見ながら、食
事。炎天下、調子を狂わしたのに、私達のためにわざわざ車イス市議会議員村上
氏到着。一緒に、食事をしながら、輸入の苦労と問題点を教えてもらった。
再び、市電で「交通局」に。詳しい説明を聞いた。

 その後、2台しか乗れない「ノンステップバス」に今福、三沢が乗って、勝矢
は「市電」で熊本駅に。途中、水前寺公園を見学。清らかな湧き水の中、大きな
コイが泳いでいた。

 熊本駅から、「つばめ」「ソニック」を乗り継いで、「小倉」に。狭くて、お
かしな車イス席、多目的室で行った。障害者席は、喫煙の場所と一緒になってい
て、三沢、佐藤がハンカチを口に当てて、気分が悪くなってしまった。総合的な
特殊な場所として、車イス席と喫煙所がどこでも一緒になっているので、タバコ
の煙に弱い障害者には耐えられない場所である。





 小倉のモノレールにのって、終点まで往復し、居酒屋「三海」で夕食を食べて、
ライトアップされた「小倉城(細川忠興が1602年に建てた)」を見ながら30分
徒歩。「九州厚生年金会館」(093―592―5401)4人とも疲れきって
いた。

 2人づつ。1室が、車イス対応で、エキストラベッド。もう1つが一般のツイ
ン。今福が少し歩けるので、三沢、勝矢が、障害者ルームを使用。



11日(3日目)

 4:30ベッドから床に転げ降りて、シャワーに挑戦。成功!!!
どういうわけか、起きたのも、準備が整ったのも昨日と全く同じ時刻。廊下に出
て、エレベーターの前で、通り掛かりのおじさんに、車イスに乗せてもらった。

6:50小倉城周辺を散歩。

 長崎原爆は、最初は小倉に落されることになっていた。曇っていたために、長
崎に。後で知った小倉市民は、長崎で亡くなった人々の追悼慰霊碑を立てた。松
本清張が、自分の生い立ちを語った、歴史のある町。

8:00出発。9:12新幹線で「広島」へ。JR九州と、JR西日本の連絡が
うまくいかなくて、ぎりぎりの時刻に新幹線に乗った。

 広島では、日本で2番目のドイツ、シーメンス製新型「市電」(99年4月購
入)に乗ろうとしたら、水曜昼間は点検日でお休み。

 3人と分かれ、5分後、勝矢光信は大阪に向かって、新幹線に乗っていた。
ジンベイザメで有名な「海遊館」と、ヒマラヤの青いケシで有名な「咲くやこの
花館」を、地下鉄を乗り継いで見学。長い間、行きたくて行きたくて、あこがれ
続けていた所。
ところがところが、地下鉄「本町」階段であった。職員が7名で介助してくれ
て、問題無し。

「大阪港」から、てかてかの炎天下を歩いて、15分で「海遊館」到着。

「海遊館」では「お1人ですか?」10年昔の問答をしなければならなかった。
見れば分かるのに、ガードマンを含め4名の点検。「1人では、入れないのでし
ょうか?東京から来たのですが…。ダメな理由を聞かせてください」「館内は暗
いし、混んでいますので…」「他には?」しばらく、職員で相談していて、折れ
た!!!!このように、待っている時間が、本当にもったいない。でも、でも、
ジンベイク〜ン、会えたよ〜!!!巨大なオス。昨年、さらに巨大な奥さんを、
原因不明の病気でなくして、やや元気が無くなっていたが、水槽の浅い所をコバ
ンザメを乳母のようにぶら下げて、泳いでいた。

悟りきった「かめ」交尾をしている「らっこ」元気な「カマイルカ」など。車イ
ス対応の不完全な建築で、日本水槽の部分は見る事ができ無かった。しかも、ム
ードいっぱいの入場口エントランスは最後に見なければならない構造になってい
た。1995年にもなってなじぇ、昔の考えで、新しい建築を創ったとかバッテ
ン?(熊本弁)この第三セクターの常識を疑った。しかし、館内は、集団で来た
車イス、バギーで、大坂人の積極性を感じた。どこでも、車イスやバギーが見ら
れ、地下鉄エレベーターには、バギーの列ができていた。

さらに、地下鉄を乗り継いで「咲くやこの花館」(1990大阪花の万国博覧
会)へ行き、ヒマラヤの青いケシにも会えた。うれしかった。長い間見たかった
のだから…。

17:33新幹線乗車、22:00帰宅。

 今福くんの積極的な行動と、責任感の強い、石屋で働いていた、たくましい佐
藤さんのおかげで、そして、おおくの人々の親切で、3日をすごせた。

 水族館の出口で「あー、おもしろかった」と言った子供のように、私達全員
が、せっかくの人生を精いっぱい生きる事ができて、死ぬ時に「あー、おもしろ
かった」と言って、死んで行ける社会を造りたい。人生の結論は「あー、おもし
ろかった」で十分。他に何があるんだ。金も、名誉も天国には持っていけない。
思い出をたくさん作ろうよ。たくさん作ってあげようよ。緊張が緩み、そんなこ
とを考えていたら、新幹線の中でボロボロと涙が出た。良いたびであった。PH
Sで応援してくれた麻美子さん、ありがとう。どこでも、愛のPHSは、良く聞
こえた。奥さんから、もう、逃げられない!!!!

 大都市はどこも、重度の障害者でも自由に行動できる時代になった。今後、ニ
ューヨークにも、ロンドンにも言ってみたい。

熊本市電97、8月導入アドトランツ社LRV(ライトレールビークル)
096―361―5241 床120CM

 降りられる駅:上熊本駅前、新町、洗馬橋、辛島町、熊本城前、市役所前、通
町筋、交通局前、水前寺駅通り、健軍町、熊本駅前、

熊本市営交通の歴史には、日本で初めての物がたくさんある。交流式電車、クー
ラー付き、そして、低床電車。
ノンステップバスの導入状況:
市営バス5台、今年3台追加
産交バス2台、今年9月までに5台追加
電鉄バス1台
熊本バス1台



大阪市営地下鉄のコース:
本町階段―大坂港エレベーター―森ノ宮エスカレーターー鶴見緑地エレベーター
―心斎橋車イス対応エスカレーター ―新大阪エレベーター



その後の3人:

11日広島で、今福3人組みは、まず、偶然に出くわしたのだが、宅地化された
所のケーブルカー「スカイレール」(問題無し。車両との段差あり。ガイドブッ
ク1000円。エレベーターあり)に乗って、広島全体を見渡した。その後、J
Rで宮島駅で降り、市電グリーンムーバーで、「交通局」へ。「ノンステップバ
ス」で、郵便貯金メルパルクホテル着。食事後、ゆりかもめのような(ゆりかも
めよりも、ずっと古いのに、ゆりかもめよりも完璧。段差なし)「アストロライ
ナー」に乗った。原爆ドームも、車窓から見られた。

12日再び、市電グリーンムーバーで広島駅に。500系のぞみで「京都駅」乗
り換え、サンダーバードで「金沢駅」に。「金沢駅」では駅員がいなかったの
で、降りる時にあわてた。車内販売のおばさんが手伝ってくれた。

 今年走りはじめた、全国初の「小型ノンステップバス」(これが、絶対に21
世紀の主流になる)に乗ろうとしたら、「電動車イスはダメ」と言われた。「市
役所」にケータイで電話して、猛烈に抗議した。一般の大型ノンステップで「市
役所」につくと、広報課と担当職員が待っていた。「現在、電動車イスの固定装
置を検討中」と言っていた。「電動車イスは動かないので、固定装置はそれほど
重要ではない」「明日、実地見聞をしましょう」との結論。そこで、明日の朝
9:18、職員の同行で、乗る約束をした。郵便貯金メルパルクホテル着。広島
とちがって、ホテルが古くて、部屋に段差があり、狭くて介助が大変であった。
13日朝、職員とともに、「小型ノンステップバス」に、固定装置無しで2台乗
車。全く問題無し。兼六園で降りて、庭を見学。金沢駅から「ほくほく線」新型
車で、豪雪地帯のやまあいをトコトコと抜けていき、越後湯沢着。この電車が遅
れたので、北陸新幹線は、新型ではなく「谷川号」でかえってきた。20時東京
駅着。

 金沢の交通機関は、規則が厳しくて、15年前にも、夫婦で新婚旅行した「富
樫君」が、せっかく楽しみにしてきた「大型リフトバス」が「2人介助がいない
ので乗せられない」といって断られ、乗れなかったという体験談を聞いた事があ
る。行政が最初に規則を作ってしまうと、ケースバイケースの対応ができなくな
っている。安全優先を、机上で考えて、文章にしてから始めるので、始末に負え
ない。それでも、日本は「民主国家」と呼ばれているのだから、恥ずかしい。な
ぜ、利用者に直接聞かないのだろうか?障害者は、3人で新婚旅行をしなければ
ならないのだろうか?

 私が今回の金沢のケースにであったなら、小倉や広島でもあきらめてしまった
ように、すぐに「あきらめた」であろう。2度は絶対に乗らないであろうバスや
電車のために、市役所や交通局に抗議しに行くほど、元気な「エネルギー」はな
い。そこが、今福とのちがい。あのエネルギッシュなパワーはどこから出てくる
のだろうか?本当に、スゴイとおもった。





「世界中の交通機関を改善していこう!!」という、心意気が彼にはあった。そ
の結果,どこでも道が開けて、様々な経験をする事ができた。今回も、私より
も、熊本ノンステップ、広島市電、金沢小型バスと、多く乗っている。交通機関
は体験が必要なので、乗れなければ、それだけ経験のチャンスを失った事にな る。

来年は、ロンドンとベルリンの地下鉄に乗りに行こう!!!



旅行の不安:

 これまで2泊以上できなかったのは、トイレができない事、入浴ができない事
が大きかった。2日位は、大便をガマンしていられる。入浴しなくても、体臭が
匂わない。従って、今回も、勝矢光信だけは、2泊で帰ってきた。

 精神的な面では、駅員にどなられる恐怖と、家族がいるのにこんなことをして
いて良いのかという良心のかしゃく。様々な要素が交じり合っている。

 今回も、自分で自分に許した、小さな小さな夏休みであった。しかし、今回
は、様々な挑戦をした。大便、シャワー、大阪市営地下鉄乗車。全部、問題が無
かった。1日目のグリーンホテルでは、47CMの電動車イスと全く同じ高さの
便器と浴場床。2日目の、全く段差のない浴室の床。現代の建築技術が、これを
可能にした。0CMは、上下移動不可能な障害者にとって、重要な要素であると
感じた。

 過去の恐怖から、少しだけ脱出できた。社会が急速に変ってきたのを実感し
た。昔は、こんなに簡単に旅行はできなかった。「電動車イス」は、人々に迷惑
をかけるものでしかなかった。皆が、そう感じていた時代であった。20年間
に、電動車イスは増えた。そして、社会は受け入れてくれた。しかし、自分の意
識は、昔のままで、恐怖に凝り固まっている。開放されたい。

 今回も、全体的にはスムーズにできたが、市電の運転手、海遊館での戦いな
ど、昔と変わらなかった。それでも、私は主張しやすくなった。心の底までボロ
ボロになって、受け入れられないで、帰宅する必要がなくなった。こちらの主張
の方が、整然とした理論武装ができていて、強くなった。障害者の啓蒙運動で、
受け入れる事が常識になってきた。拒絶に出くわしても、ほとんどクリアーでき
る。

 今だから旅行が可能であると感じている。だからこそ、トイレ入浴を心配しな
いで、1回でも多く旅に出たいと思う。常に、介助者を思いやり、お互いに楽し
いと感じられるような旅行にしていけたらと思う。


(1999/08/16、メール)

(1999/08/22)



皆さんも、何か情報、ご意見、ご感想がありましたら、
お聞かせいただけると助かります。

kazuo seike@working quads
September 3, 1999

(by Seike)


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    清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会