************* "WORKING QUADS" homepage インターネット・マガジン           ************* 『ワーキング・クォーズ』関係者各位 1998年2月24日 お忙しいところをすみません "WORKING QUADS" homepageのトピックスです 長文です。 おいそがしければ無視してください。 もしお時間があれば見てください キーワードは 重度四肢まひ者(重度障害者) 自立 ホームヘルパー、介助サービス (ゴールドプラン、公的介護保険) 以前は孤立していた重度四肢まひ者たちの パソコン、インターネットによる ネットワーク活動 清家 一雄 重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表 〒810 福岡市中央区大手門1丁目4番605号 092-735-1133 TEL 092-735-1134 FAX Kazuo_Seike@msn.com seike@ma4.justnet.ne.jp QZE07711@niftyserve.or.jp http://www4.justnet.ne.jp/~seike/ http://www.asahi-net.or.jp/~YS2K-SIK/(ミラーサーバー) ------------------------------------------------------------------ Contents "WORKING QUADS" homepageの感想/後藤 礼治 うれしの温泉のホームヘルパーさん /佐賀県嬉野町吉田 中島虎彦 「"WORKING QUADS" homepageの感想」 /太田 恵蔵 WORKING QUADS のホームページを見て 「介助に関する情報の必要性」 /中島 晋市郎  ホームページ・介助者について 1997頚連全国総会in大阪に参加して/桜井 龍一郎 本の出版、『ぼくに涙はにあわない』 /千賀 康司 会社設立、「クレッシェセンド」 / 今村 登 私の仕事、1997年12月 /  田村 辰男 「"WORKING QUADS" homepageの感想」 / 柴田 努 公的介護サービスの現状(岡山県倉敷市の場合) / 福井 英樹 在宅勤務マニュアルについて /井手將文さん・"Working Quads"編集者 Mr. Masafumi Ide of "WORKING QUADS" editor 徳島大学大学院エコシステム工学専攻科助教授 ヘッドポインターB/小林 博光 さん 総合せき損センター医用工学研究室 「24時間巡回型ホームヘルプサービスが始まって」 /池戸 大耕、愛知県春日井市 宮野 秀樹 さんのプロフィール(自己紹介) 同居(下宿)してくれる人を捜しています。         お部屋代無料! 光熱費半額!  曽我部 教子 さん 麸澤 孝 さん:自立生活一問一答 (瀬出井弘美さんとの) Mr. Takashi Fuzawa of "WORKING QUADS" writer マイ・ホームを持とう! -1500万円でマイ・ホームを!- 丸紅基金データベース、住居 向坊 弘道 あいかわらず自営業(自由業?)です Workin' Quads 坂上 正司 "WORKING QUADS"ホームページの感想 /吉田 憲司   自力呼吸、会話ともに不可能で人工呼吸器利用の若い頚髄損傷者からのE-mail WORKING QUADS 編集者 編集者から From The Editorial Office WORKING QUADSとは「働く四肢まひ者たち」という意味 細川 辰正 "WORKING QUADS" homepage What's new 丸紅基金・データベース・(福岡市)ホームヘルパー派遣事業年表 ホームヘルパー派遣事業年表 清家 一雄 ------------------------------------------------------------------ "WORKING QUADS" homepageは、 介助を必要とする重度四肢まひ者の ハイテクを活用した知的生産活動を 支援することを目的としています。 1997年10月3日 清家 一雄 Kazuo_Seike@msn.com This "WORKING QUADS" homepage aimes to support Intellectual Working of the Quadriplegics making good Use of Technology who need Attendant Services. October 3, 1997 Kazuo Seike ------------------------------------------------------------------ 1993. 大手門公団での生活 電動車いすのおじさんは、1993年2月末、 親の家を出て、大手門公団での生活を始めた。 ヘルパーさんたちの介助サービスなどを受け、 好きな仕事をしている。外にもよく出る。 人もよく来る。現在の生活に不満はない。 しかし、緊急事態に対しては、綱渡りの生活だ。 費用もすごくかかる。 特別な財産、才能を持たない重度四肢まひ者が、 家族に頼らず、生活費、公的住宅、 公的介助サービスを利用し、 一人暮らしをすることを、 可能にする社会的な仕組みを 開発していかなければならない。 1993年10月20日 清家 一雄 ------------------------------------------------------------------ 1985. アメリカ留学当初の生活 アメリカで留学生活を始めた時、僕は28歳だった。 想像と実際の生活は非常に違ったものだったが、 刺激に満ち溢れた、修行の場としては 最高の1年だったように思う。 僕が最初に留学生活を始めたのはアメリカ西海岸にある カリフォルニア州のベイエリアと呼ばれているところだった。 ベイエリアというのはサンフランシスコ、バークレー、 オークランドなどがバートという地下鉄で一つになっている サンフランシスコ湾岸地帯だ。ベイエリア全体では 人口450万人を越え、メガロポリスを形成している。 僕はオークランド市の41番ストリート517 にあるアパートで生活を始めた。 アパートは民間のもので、木造2階建ての1階だった。 かなり古い建物だったが1階の出入口に 車椅子用のスロープが付いていた。 クーラーはなかったがセントラルヒーティングがあった。 収入は留学研修生として奨学金・研修費を愛の輪基金・ リハ協から送金してもらった。アパートの家賃(1カ月250ドル)、 ベッドのリース料(1カ月96ドル)、食費(1日10ドル)、 雑費(1日5ドル)、アテンダント費用(1日35ドル)などで 1カ月約1、800ドルだった。 仕事というか勉強は自立生活センターバークレーを 媒介としてアメリカのアテンダント・サービス・ プログラムを中心としたリサーチをしていた。 人に会って話を聞いたり文献を読んだりもしていたが、 生活の全てが勉強みたいな面もあった。 そしてそれをワープロや写真で記録に取っていた。 一応、毎月研修報告をリハ協に出すということが 研修費送金の条件となっていた。 「アメリカの一年」[2]、 『脊損ニュース』1987年5月号 清家 一雄 ------------------------------------------------------------------ "WORKING QUADS" homepageの感想 後藤 礼治 いつもお世話になっています。 ようやく私もインターネットへアクセス出来るようになり、皆の仲間入りという気分です。今Nifty経由ですが、当分、この状態でアクセスする予定です。 "WORKING QUADS" homepageは、初めて見たときはやはり衝撃的でした。 昨年の九月に清家さんと韓国へ旅行した際、ロッテホテルの通信室?からHomePageを見たのを思い出しました。情報量と充実した内容はすごいですね。 私を含め、"WORKING QUADS" homepage上に各個人のホームページが出来ているような感じです。"WORKING QUADS"という場を借りて、各個人のデータベースを構築していけるのではないでしょうか。 世界各地からいつでもダイレクトに見ることが出来るため、個人をアピールするにはとても良い手段だと思います。また、リンク関連の情報もいいですね。主な障害者情報がすべて得られそうです。ひとえに清家さんの人脈の賜ではないでしょうか。 ただ、あまりにも量が多いためもう少し整理すると見やすくなるのではないでしょうか。 それでは、またお会い出来る日を楽しみにしております。               98年2月 ------------------------------------------------------------------------ うれしの温泉のホームヘルパーさん 佐賀県嬉野町吉田 中島虎彦  私は大学3年のとき器械体操の事故で頚髄損傷(略してケイソン)になって、今年ではや23年になる。言いたかないが44才のチョンガーである。現在は自宅で文筆業を営んでいる。昨年の八月には初めての本「障害者の文学」(明石書店)が出版されたばかりである。一月現在800部ほど売れているそうで、昨年末に第一回めの印税24万円ほどが振り込まれてきた。ケイソンになって以来最高の入金で、思わずニヤついてしまう。寝たきりで福祉手当の月額一万円しか収入のなかった長い期間を思えば夢のようである。また、文筆業のかたわら自然発生的にはじまった補修塾も開いている。なお、大学生時の私傷ゆえ国保に加入しておらず無年金で、現在は特別障害者手当(月額26000円)を受給している。  介護は主に母親に頼っていたが、さすがに老齢で弱ってきたため、平成八年から嬉野町のホームヘルパーさんに、週二回一時間半ずつ来てもらっている。入浴と着替え、掃除とリハビリ、買い物などの用事をやってもらっている。これは特別養護老人ホーム「うれしの」の中に併設されている介護支援センターの中の「ホームヘルプステーション」の管轄になる。  そもそもは町役場の厚生課に手紙を書いて窮状を訴えた。すると三日もせずに職員とヘルパーさんがやってきて、その場で派遣が決定された。恥ずかしながら世帯の所得の関係から個人負担は無料である。それはありがたいことには違いないが、精神の安寧のためにはわずかなりとも負担する形のほうがいいかもしれない。嬉野町にホームヘルパー制度が取り入れられたのは、はっきりとはわからないが十数年ほど前からではないかと思う。  県内でも基山町のケイソン西和雄さんなどは週6日来てもらっているというし、粗相の緊急時などはまた別枠で来てもらえるというから、市町村でも対応に若干の差はみられるようだ。もっとも私はケイソンの中でも比較的軽度で、自然排尿・排便を維持しているし、電動リフターを導入して自力で乗り降りできるので、週二回でもかなりの手助けになっている。しかし排泄が予定通りいかずに粗相することが、ケイソンにとっては一番の悩みだから、そういう緊急の場合にどう対応してもらうかが課題であろう。私の場合直前に電話すれば曜日を振り替えてもらうこともできるので、ある程度は助かっている。そういう意味では週二回一時間半ずつ来てもらうより、毎日15分ずつぐらいでも顔を出してもらうほうがありがたいかもしれない。風呂に入らなくても別に死にはしないが、粗相の始末はしてもらわないわけにはいかないからである。  現在、嬉野町には10名のヘルパーさんが登録されていて、全員既婚で子持ちである。募集要項に別段そういう規定があるわけではないという。津屋崎町のケイソン鈴木郁子さんに聞いたところでは、彼女は20代の独身ヘルパーさんに来てもらっているというから、自治体によってさまざまなのであろう。嬉野町はもちろん女性ばかりである。男性障害者に女性ヘルパーさんたちが入れかわり立ちかわり来てくれるのは「ハーレム状態だ」などと笑い飛ばすケイソンもいるが、あまり大っぴらにできる話ではない。中には男性のほうが気安くていいという人もいるだろう。現におとなり長崎県には男性のヘルパー(主任)さんがいるという。  対象となっている利用者は60名ほどである。そのうち障害者は八割ぐらいで、残りは老衰の方たちであるという。特に嬉野町の場合は国立病院に温泉治療によるリウマチの名医がおられるので、それを慕って移り住んできたお年寄りが多く、その方たちが利用者となっている。しかし保守的な風土から障害者はなるべく身内で面倒を見たいという世間体からか、対象者は増えていないらしい。そのため支援センターでは対象者の掘り起こしに乗り出しているという。  ヘルパーさんの平均年齢は45才というところで、私とほぼ同年代なのでちょっと照れ臭い。最初に来てもらった人は中学校の一年後輩だったし、現在来てもらっている人は高校は違うが同級生である。狭い田舎では当然こういうことが起こってくるので、プライバシーの面でいささか問題はあろう。「付かず離れず」という態度が望ましいために、担当ヘルパーは一年ごとに入れ替わる。それでも家庭の事情に深入りされたくない家族や、変にプライドの高い障害者は受け入れられないかもしれない。何を隠そう私の母も初めは猛烈な抵抗を示した。しかし身体が弱ってくるとそんな我も通せなくなるのだった。  なにしろ学校時代はピンピンしていた姿が今では電動車いすに乗った姿に変わり果て、アリノトワタリまで見られて介護してもらわねばならないのだから、最初の抵抗感は一通りではない。私はそれを「ありのとわたりまでヘルパーさんのもの」などという句にひねって笑い飛ばしている。たまにはうら若いヘルパーさんに来てほしいと思わないこともないが、きっと照れ臭さが増すことだろう。  いずれにしても、ヘルパーさんのおかげで飛躍的に自立が進んだことは間違いなく、いくら感謝してもしきれるものではない。ヘルパー制度もなく野たれ死にするように無念の最期を遂げていった過去の障害者たちを思うと、私たちははるかに恵まれている。しかし馴れるにつれてその感謝の念をともすれば忘れてしまうから、情けない話である。人間はいつもいつも「ありがとう」と言いつづけることにも疲れてしまうように出来ているらしい。  そのためヘルパーさんに私の編集している文芸雑誌をあげたり、社協に古切手を寄付したり、脊椎カリエスの友人が発行しているミニ新聞を他の利用者たちにあげたりするなど、イヤ味にならない程度で気を遣っている。母のほうも帰りにお茶菓子を出したり、畑でとれた野菜をお土産に包んだりして、負い目を薄れさせている。ヘルパーさんの中にはそういうことを杓子定規に辞退される人もいるが、素直に受け取ってもらったほうが私たちとしても気が楽になるのだから、世間とはそういうものであろう。とはいえそういうなあなあの風土が、やがては大蔵省金融検査官のような汚職を引き起こす大本になっているのかもしれないから、これはなかなか難しい問題ではある。ちなみに障害者はノーパンしゃぶしゃぶなどに接待されない分だけ果報者であると思わなければならないだろう。  とはいえ、現在のヘルパー制度が完璧というわけにはいかない。たとえば私が今要望しているのは、社協にあるリフト付きワンボックス車をヘルパーさんが県外などにも運転してくれないだろうか、ということである。というのも昨年初めて歯科医に4回ほど通院したとき、ヘルパーさんに付き添ってもらったうえ、当のリフト車を社協の所長さんに特例で運転してもらえたので大変助かったのである。しかし現在は運転手ボラを自分で確保しなければならないし、手動車いすしか乗れないし、町外の用事には使えない規則である。やはり事故が起こった場合の責任問題がネックになっているようなのだ。昨年のように融通を利かすこともできるのだから、もう少し柔軟に運用してもらいたいものである。 ------------------------------------------------------------------------ 「"WORKING QUADS" homepageの感想」 太田 恵蔵 WORKING QUADS のホームページを見て こんにちは、別府の太田です。WORKING QUADS のホームページを見ました。これまで、活動されてきた 歴史(清家さんの若い頃の写真もありました)と資料(様々な人たちの生活状況及び考え)が掲載され ており、重度障害者にとって参考になると思います。 ただ、写真が随所に織り込まれており、マシンの性能が劣る場合、表示に時間が掛かりちょっと辛い かなとも思いましたが、言葉よりも説得力があり、致し方ないことですね。 ところで、WHAT'S NEW という最新情報欄があり、全国からの意見、活動報告が載せられていて、情報 の発信機能を持っているようです。でも、報告書の色彩が強いのではないでしょうか。もっと、自然に 意見を述べられる、掲示板を設けられては如何でしょうか。困っていることことを、全国の人たちに訴 え情報や励ましを受けるようにし、障害者の生活支援の機能を持たせる訳です。 内容としては、 @こんな補助具がないだろうか。 A旅行に行きたいが、準備すべきもの、障害者用に完備された宿泊先はあるか等の問い掛け。 B就労 C悩んでいること 等となるでしょうか。匿名でも言い訳で、障害者の生の声が聞けるのではないでしょうか。ただ、気軽 に参加出来ることで、 @アクセスの増加によりつながりにくくなる A中傷する内容が掲示される という弊害を生じる恐れがあり、運用管理に慎重を要する面もありますが。 では、これからも幅広いご活躍を期待しております。 失礼いたします。 (1998/2/22、電子メールで到達) ------------------------------------------------------------------------ 「介助に関する情報の必要性」 中島 晋市郎  ホームページ・介助者について  自宅での介助について情報を下さい。 テレビ・新聞などでの情報も少ない様に思えます。 どこに問い合わせてよいものか? 費用はいくらかかるのか? 突発したアクシデントでも対応してもらえるのか? いろいろと疑問はあり、わからないことだらけです、  介助について皆様は、どのようにされていますか? ------------------------------------------------------------------------ 1997頚連全国総会in大阪に参加して 桜井 龍一郎  このたびの全国総会は大阪で開催されるとあって、前回大阪で開催され て以来久しぶりに参加させていただきました。1日目の交流会では清家さん をはじめ、久しぶりにお会いできた方が何名もおられて、懐かしい思いを いたしました。とくに、大阪頚損連の前会長である三戸呂さんの元気そう なお顔を拝見できたことは、大変嬉しいことでした。ご家庭の都合で施設 に入所され、またご子息がお亡くなりになったことをお聞きしていたので、 どうなさっているのか気掛かりだっただけに、お会いできたことはなによ りのことでした。この日は結局、夜中の2時頃まで、久々の仲間達と飲み明 かしてしまいました。  おかげで翌日の総会は眠気まなこでの出席となってしまいましたが、こ の総会では現在頚髄損傷者がおかれている現状を認識させていただきまし た。とくに高位頚髄損傷者の問題の深刻さには考えさせられました。 ********************************************** 桜井 龍一郎/げんた (SAKURAI Ryuichiro / genta) ********************************************** ------------------------------------------------------------------------ 本の出版、『ぼくに涙はにあわない』 千賀 康司  突然の誘いでした。 「本を出してみませんか」  僕にとっては大恩人にあたる方の紹介で、ある出版社から連絡が入りました。闘病記を出してみないかとのことでした。  後先のことも考えず、こんなチャンスはめったにないとすぐにOKの返事。その日のうちからワープロに向かい、キーを打ち始めました。でも、わずか一週間、壁にぶち当たってしまいました。一冊の本を出すには原稿用紙300枚に内容をまとめなければなりません。なのに、100枚で手が止まってしまったんです。 「もう書くことがない……どうしよう」  こんなことなら、高校生の時にもっと本を読んで勉強をするんだった。ラグビーと麻雀と女の子をデートに誘うことしか考えていなかった高校時代を思い、ため息。でも、あのころもそれなりに楽しかったし、と落ち込まないところが僕のいいところ。そうやって自分を励ましながら、原稿の続きを書く毎日。  出版社の編集者にアドバイスと再提出の声を何度ももらいながら、三年間のことを思い起こして書く。できるだけわかりやすい言葉を使い、精一杯の冗談も交える。半年後、なんとか、どうにか、やっと完成。原稿用紙に280枚の大作。もう二度とこんなのは書けない、と完成本を手にしたときは開放感に浸っていました。  題名は「ぼくに涙はにあわない」。  なんとも恥ずかしい題名に、人に読んでもらうのも恥ずかしくなってきました。なんと、実は僕自身、完成した本は一度も読んでいないんです。  出版した当初は、近所の本屋にも並んでいたのに、8年経った今では、もうどこの本屋にも並んでおらず、ほっとしているような、なんだか寂しいような。もし読んでくださる方がいらしたら、ご連絡ください。実は、店頭に並んでいないだけで、売ってるんです。 ------------------------------------------------------------------------ 会社設立、「クレッシェセンド」  今村 登 この度仲間と一緒に会社を設立することが出来ました。 色んな申請手続き上、僕はまだ正式な社員ではなく、 ちょこっとお手伝いしている程度ですが、とりあえずスタートを 切りましたので、何とか早く軌道に乗せられるよう頑張ります。 まだ貧弱ですが、僕らの会社のHPが出来ましたので よかったら覗いてみてください。 今村登さんの会社、 http://w3.mtci.or.jp/~cresc/top.html ------------------------------------------------------------------------ 私の仕事、1997年12月   田村 辰男 最近、在宅で小遣い稼ぎを始めました。就職、アルバイト雑誌で見つけたホームページ作成の補助です。現在はデータ入力という単価の安い仕事ですが、いずれ高度なことも信用が出来れば任せてもらえると思います。 仕事は電子メールと電話で指示を受け、完成したものはインターネットで送るという好都合です。ただし、スピードが要求されマウススティク操作の僕にはキツイデス。 だから信用が出来るまで忙しいです。出来高制で何の社会保障などもありませんが受傷後初めての仕事で今、必死です。 「自立への第一歩」と考えています。 ------------------------------------------------------------------------ 「"WORKING QUADS" homepageの感想」  柴田 努 はじめまして。 ホームページのリンクなどでお世話になっております、柴田です。 今週は私のところ(福島)ではドカ雪続きで、今日は客も来そうもないので、今日一日メールデーということに勝手に決めて、たまっていたメールに返事を書いたり新規のメールを書いたりしております。(^^) 話は変わりますが、自分は大学2年の時の怪我です。普通、車椅子で復学するなんていうと向学心に燃えた人間が連想されるんですが、自分の場合、ラグビーと遊びにかまけて全然大学に行ってなかったので取得単位が極小で大学の担当者がニガ笑いしてました。(^^);;; まー余談はこれぐらいにして、homepageの感想ですが、僕にとってはとっても楽しいページです、「楽しい」というのは変な表現かもしれませんが、実際ながめていると何故か楽しい気分になるわけです。 おそらく自分のように片田舎に住む、しかも自分で車の運転ができない頚損者にとっては同レベルの者とのコミュニケーションが少ないのが実情です。ニフティーサーブ等の文字通信のみのパソコン通信というコミュニケーション手段を得たときにも感動はあったのですが、さらにホームページで映像をみられるというのは格別ですね。 例えば坂上さんの MLで発言されている方の画像を清家さんのホームページでみることができいっそう、距離が縮まった気がします。これぞホームページの最大の威力ですね。 掲載されている内容も頚損者にとって切実な問題が具体的にとりあげられていて参考になります。 ただ、清家さんのホームページって、どこに何があるのか解りづらいですねー 大学教授が机の上に資料をバンバン平積みしていった感じですか。(^^);; 最初ホームページに入った頃はトップページからMain Menu (Japanese)に入って、そこから記事や画像を見ていたのです。What's newもあるけど画像はあんまり更新してないな。。などと思っていたら、最近Main Menu (Japanese)の最後にも What's newがあり、そこから最新の情報にアクセスできると知ったときは、思わず「なんでWhat's newがこんな所に!」とうなってしまいました。(^^)。。 内容がすばらしいので、知りたい情報にもっと直観的にたどり着ければもう完璧!って感じでしょうか。 では今後とも有益な情報特に画像(とくにキレイどころを!)をよろしくお願いします。 寒さ厳しき折り、御自愛のほどお祈り申しあげます。 ☆★☆★柴田 努 ★http://www.peach.ne.jp/home/oguraji/home.htm うなってしまいました。 ------------------------------------------------------------------------ 公的介護サービスの現状(岡山県倉敷市の場合)  福井 英樹  私が現在利用している公的介護サービスは以下のとおりです。  1.市派遣のホームヘルパー・・・1回2時間迄で週5日が限度。  2.訪問看護サービス・・・・・・1回2時間迄で週3日が限度。  3.訪問入浴サービス・・・・・・1回1時間前後で週2回迄。    利用料金は世帯所得によって違いますが、低所得世帯の場合だと全て無料と なります。但し訪問看護サービスの交通費(1回100円)は必要です。  これらのサービスは、重度障害者やその家族にとって大変ありがたい制度です。しかし予算不足などの理由から大勢の人に利用されると困るのか、行政サイドでは一切PR活動は行っていませんでした。市役所の障害福祉課に電話をして関連事項について問い合わせても、市から積極的に情報提供をしてくれるという事などは決してありません。ですから、これらの制度を知るにはサービスを受けている人達との情報交換、いわゆる口コミで知るしか方法が無かった訳なのです。  ホームヘルパー派遣制度などは15年も前から存在していたのですが、私が知ったのは一昨年です。これらのことはマスコミが取り上げて問題になりました。私も昨年の9月と12月に証言者として読売新聞に掲載されました。市側もPR不足を認めていましたが、根本的な問題は予算が十分に計上されない事にあるのですから、今後の利用者の増加に伴いサービスの低下や人材不足などが懸念されるところです。  とにかく倉敷市では24時間介護サービスに到達するには、まだまだ時間がかかりそうな雰囲気です。皆さんの地域ではどうですか? 地方行政はとかく横並びが主流ですから、全国各地の行政福祉サービスが少しでも向上されることを願っております。 ------------------------------------------------------------------------ 井手將文さん・"Working Quads"編集者 Mr. Masafumi Ide of "WORKING QUADS" editor 徳島大学大学院エコシステム工学専攻科助教授 在宅勤務マニュアルについて 井手です。日本障害者雇用促進協会の、在宅勤務障害者雇用管理マニュアルが発行されましたが、それについての感想を述べてみたいと思います。 在宅勤務という就労形態は、 (1)通勤の負担(運転手の確保、公共交通機関の利用等)を軽減し, (2)必要なときに家族やヘルパーに身のまわりの介助を受けながら仕事ができる, (3)自分の生活パターンや体調などに合わせて仕事時間が調整できる、 等の利点を持ち、重度四肢麻痺者にとって期待される就労形態ではありますが、その反面、 (1)仕事を行うための学習・訓練をどうやって行うか、 (2)作業内容について、客先担当者や社内他部門とのコミュニケーションをどのようにとるか (3)その方の身体能力や体調にあった、仕事の質及び量の確保、 等についての問題を乗り越えねばなりません。 今回発行の障害者雇用マニュアルは、これらの利点・問題点についてはまだ十分に述べられているとはいえませんが、障害者の在宅勤務をガイドブックの形で明確に示したことはとても意義深いことだと考えられます。とはいえ、自動車運転免許を取得できない障害程度の重度障害者の在宅勤務例は、まだ、わずかの事例しかないと言わざるを得ません。 個人的には、重度障害者の在宅勤務という就労形態は、いわゆる「復職」がその突破口となるものと考えています。「復職」では、前述の問題点のうち、仕事の学習や、社内でのコミュニケーション等に関しては、復職であれば既に問題がクリアされていることが多いでしょう。たまたま事故等により重度障害者になった職場の仲間が復職できないような会社に、同程度の障害者が新規採用されるとは思えません。 その意味では、一歩踏み込んで「障害者のための復職マニュアル」のようなものが発行され、その中の選択肢のひとつとして在宅勤務が紹介されるような冊子があってもいいのではないかと思います。 以上 ------------------------------------------------------------------------ ヘッドポインターB 小林 博光 さん 総合せき損センター医用工学研究室 こんにちは。マウススティックの代わりになるものの情報です。 あごの部分はトラックボールなどのポインティング装置をコントロールす るために滑りどめのゴムがついていますので、文字入力はスティック、カ ーソルやポインターの移動はトラックボールなどに利用できます。 ADLエクスプレス (株式会社 日本アビリティーズ 通販事業部) 商品の注文 Tel:03-3468-2711 FAX:03-3468-2724 商品のお問い合わせ・出荷確認 Tel03-3468-0467 住所 東京都渋谷区代々木5-16-4 営業時間 9:00〜17:00(日曜祭日を除く) 商品番号 L236 商品名 ヘッドポインターB 定価 40,000円 上記は平成8年のカタログでの情報です。 商品は確認することをおすすめします。 ------------------------------------------------------------------------ 「24時間巡回型ホームヘルプサービスが始まって」 池戸 大耕、愛知県春日井市 暑中お見舞いありがとうございます。先日まで1週間ほど熱と頭痛で寝込んでました。原因はまだ分かってないのですがきっと尿関係でしょう。さて、昨年お邪魔してからはや1年がたとうとしてますが、私の方はまだ納得行くような生活は送っておらず、これじゃないぞ!という毎日です。でもこの4月から私の市で24時間サービスが始まりました。この原稿を送らさせてもらいます。 「24時間巡回型ホームヘルプサービスが始まって」 4月21日から、私の住む愛知県春日井市では24時間巡回型ホームヘルプサービスが始まりました。もちろん私も利用している一人です。愛知県内では8年度にスタートした高浜市に次いで2番目という事です。それでこの巡回型サービスが始まると聞いたのは3月末頃で、家に来ているヘルパーさんから聞き、もちろん私はこのサービスを利用することを決めました。こういう情報を公報などに載る事前に知る事ができるという点でも、公的サービスを利用しててつくづく良かったなと感じます。 では巡回型というのはどんなサービスなのか簡単に言いますと、24時間対応で一回20分程度、一日5回までの利用が可能。利用料金は、所得によって違いますが、昼間は1時間当たり無料から650円、深夜は一回の訪問当たり無料から750円です。というシステムです。私はこの24時間対応に非常に魅力を感じ、このサービスを利用して就寝準備や早朝の体位交換だけでも手伝ってもらえたらかなり違うだろうなと思いました。 そして、サービスが始まり私の生活はかなり大きく変わりました。まず、家族が寝るから私も寝る準備をするということがなくなったという事。夜、遅くまで起きていられる事。朝6時に水分補給と体位交換をしに家族が来なくてすむ事。また精神的にもかなり楽になり、このサービスが始まってとても嬉しく思ってます。 それで私が現在利用している回数は3回、時間帯は夜の11:00と夜中の1:00そして朝の6:00です。最初の頃は夜の11:00の就寝準備と朝の6:00の体位交換だけでしたが、やりたいこともあったので5月中ごろから就寝準備を1:00にずらして、11:00は水分補給や顔を拭いたり座位を直す事を頼んでます。とにかくこのサービスがはじまりとても良かったと感じてます。                                   以上 ではまたメールします。 油断してたら体こわしました。体調には気をつけて下さい。 (1997年8月18日、原稿が、『ワーキング・クォーズ』編集部に、電子メールで到達。) ------------------------------------------------------------------------ 宮野 秀樹 さんのプロフィール(自己紹介) 宮野 秀樹 1971(昭和46)年4月28日生まれ 現在26歳 兵庫県加東郡社町在住 平成4年12月25日受傷、交通事故 C4頚椎損傷  現在、イマセンの電動車椅子(リクライニング・チンコントロール)に乗り 快適生活実施中。 自宅において、両親の介護を受けながら生活しているわけですが、生活の 全てを頼っている訳ではなく、ECS(環境制御装置)を巧みに活用し100% 満足してはいませんが、一通りの事は出来る環境下にいます。 また、車椅子上から操作できる呼気スイッチを取り付けることにより、1日 12時間以上の車椅子上での生活が可能になりました。 外出時は、自家用車である日産ホーミー(リフト付き)を利用することに より、あらゆる場所への移動が可能です。 現在、よりレベルの高い生活を目標に活動中。 FREE EXPRESSION GROUP かもめ 兵庫リハセンターで知りあった友人と共に結成。16mm映画製作の実現のた め活動中。 主な活動内容は、障害者の社会参加、活動協力およびビデオでの記録。ス トリートミュージシャンのプロモーションビデオの制作。音楽ボランティ アグループ「ぶりきのおもちゃ」への活動協力。 現在、神戸のFM局「FM MOOV KOBE」において、番組制作およびパーソナテ ィーとして活動中。 ------------------------------------------------------------------------ 同居(下宿)してくれる人を捜しています。         お部屋代無料! 光熱費半額!  曽我部 教子 さん  私は、尼崎市に住む、曽我部教子ともうします。1989年、アフリカ で熱気球に乗っていて事故に遭い、全身麻痺の障害者になりました。3年 間の入院後、転院や、施設入所が嫌で、地域に住むことを希望しました。 どうしても復職したかったからです。私は、尼崎市の公立中学の理科の教 師でした。  1992年9月、幸いにも同居して下さる方が二人見つかり、念願だっ た地域での生活を始めることが出来るようになりました。その年から今ま で、いろんな大学の方が同居をして下さいました。今までの同居年数は、 最低1年、最高3年になります。そして復職も認められ現在は、尼崎市立 教育障害福祉センターで勤務し、必要に応じて、講演や授業をしています。  しかし、今、同居してくれている学生さんは、来年の三月で卒業してい きます。私は、新しい同居人さんが必要になりました。日中(7時〜19 時)はヘルパーさんを雇っていて、その人が私の一切の介護をしてくれま す。同居して下さる方には    *夕方、当番の日に19時までに帰って来てもらうこと     *必要に応じて簡単な介護をしてくれること(21時半頃まで)     (検温、家計簿書き、お茶を飲ます、パソコンの準備、就寝準備等) をして欲しいのです。  6畳の和室か、ベッド付の洋間を無料で提供いたします。二人の同居人 (女性)を求めていますので、二人で相談して当番を決めてもらうことに なります。私のための、炊事、洗濯、買い物、食事介助などは一切ありま せん。当番以外の日はアルバイトも可能です。リビングには、同居人さん 用の冷蔵庫などもあります。  どうか貴方の力を貸して下さい。私に教師を続けていく希望を持たせて 下さい。私のマンションは、JR尼崎から17分、阪神杭瀬駅から12分 のところにあります。同居してやろうという貴方、詳しく知りたい人は、 下記に連絡して下さい。 (1997年12月1日、『ワーキング・クォーズ』編集部に電子メールで到達) ------------------------------------------------------------------------ 麸澤 孝 さん:自立生活一問一答 (瀬出井弘美さんとの) Mr. Takashi Fuzawa of "WORKING QUADS" writer Q.東京都保谷市を選んだ訳は?  東京は制度的に全国でも充実しているし、こちらに友人がいた事と、埼玉の実家から近いという事で選びました。電動車イスで使える西武新宿線西武柳沢駅が最寄り駅です。 Q.自立生活をしようと思った動機は?  自宅に帰って、家族の介護を受けて生活したくなかったというのが一番大きいかな。自分には自分、家族には家族の生き方や生活があるから。受傷した当時は一生施設か病院暮らしかと思ったけれど、周りで自立していく頸損の人達を見て、段々と自分にもできるんじゃないか!と思い始めました Q.実際にはどの位の期間がかかったか? 最終決断は?  毎年冬に行く「フィリピン滞在」も今年初めて単独で往復し、約50日間の長期滞在が大きなトラブルも無く上手くいき自信がついた事と、カーサ・ミナノでの生活が自分の思っていた生活と段々かけ離れていくのが、自立生活の最後の一歩を踏み出せた大きな理由のひとつです。  カーサ・ミナノ入居当時は、個室でのプライバシーの守まれた生活に満足していたけど、強制的な部屋替えと毎年厳しくなる「管理と規制」に積極的に生きて行きたい私には「きれる!」寸前でした。遊びに行くと外泊届けを出して、アパートを探し、施設長に報告をしたのは退所の8日前で、いろいろな手続きもひとりでやり、飛び出すようにカーサ・ミナノを退所しました。 Q.家探しはどうしたか?  土地勘のある、こちらの車いすの友人と一緒に不動産屋を回って、五日位で今のアパートが見つかった。埼玉の実家に近いという事と、電動車イスで使える駅というのを条件に、西武線沿線の保谷・田無・東久留米を中心に10件以上回ったけれど、車いすだという事で断る不動産屋は一件もなかった。今は昔と逆で、障害者の方が年金とか定期的に収入が入るので、家賃の滞納がなくむしろ貸しやすいというか、このアパートの不動産屋さんもとてもいい人で、出る時に現状復帰すればいいという事で、快く改造もOKしてくれました。 Q.介護者はどうやって見つけているか?  大学生やフリーター、介護を専門にしている人達がほとんどで、今10人位入っている。ボランティアではなく、全員介護料を出して契約しています。募集はアルバイトニュースに載せたり、大学のアルバイト情報誌に載せたりするのが一番集まる。それから障害者センター、ボランティアセンター等、そういう人達が集まりそうな場所にビラを貼っている。介護者は面接をして決定します。 Q.介護料はどうしている?  たまたま6月から保谷市で、24時間対応のホームヘルパー制度に変わってそれを利用している。自選のヘルパーを登録するという形です。だから、東京都の全身性障害者介護人派遣事業は利用していません。月給ではなく、時給としてヘルパーに支払っている。 Q.介護者の入り方は?  基本的には、朝の9時から夜の9時の12時間制二交替で入ってもらっています。外出もその時に入っているヘルパーと出かけ、出先で会議等の場合は、終了時間に迎えに来てもらっています。 Q.時給制にする訳は?  24時間介護者が側にいるのはイヤではないが、一人で過ごしたい時は早く帰ってもらったりする。それはこちらの都合なのでその分の賃金は支払うが、その逆にヘルパーの都合で早く切り上げさせてほしい時はお金は出しません。時給制の方がそういう融通や、臨機応変な対応ができるので。 Q.ヘルパーを選ぶポイントは?  資格や経験よりも見てやる気のある人が一番です。 Q.入浴とトイレは?  入浴は月4回、巡回入浴サービスを水曜日に利用している。トイレは、月・金で訪問看護の看護婦さんにお願いしています。入浴は基本的には週一回だが、看護婦さんが来た時に、洗髪や清拭をしてもらっています。散髪は、近所の床屋に行っています。 Q.経済的収入は?  介護料は別で、障害基礎年金・特別障害者手当・都と市の障害者手当です。生活にすごいゆとりがあるというほどではないが、明日のお米に困るほどでもありません。 Q.一ケ月の生活費はどのくらい?  介護料・家賃は別で、光熱費込みでだいたい10万ちょっとかな?紙おむつとかガーゼとか、医療費で出ない部分の支出もバカにならない事が一人になってわかりました。 Q.外食や外で買うお弁当等の割合は?  一週間に0〜1度。朝はお茶だけで昼食と夕食は、ヘルパーさんに作ってもらっている。献立は、その時の冷蔵庫の中身を見ながら。一週間分をまとめ買いしています。野菜を多く取るように心がけています。 Q.ケアについてのマニュアルは?  作りました。特に、お尻の床ずれのチェックは感覚がないし見えないので、お互い口で説明したり理解するのが難しいですね。 Q.一番困った事は?  当日急にというのは一度もないが、ヘルパーに休まれた時。10人のヘルパーの他にもう10人位、何かの時に電話をかけられる相手を確保しています。失禁も何度もしたけれど、マニュアルに書いておいてあるし、仕方ない事なので開き直っています。 Q.今、どのように生活している?  起床は、入浴サービスと訪問看護の日は来るまで寝ている。(だいたい9時半)洗濯、掃除といった家事も午前中には終わるので、午後はほとんど毎日外出している。夜は9時から10時にはベッドに上がり、寝るのは12時過ぎ。歯磨きが終わったらアコーディオンカーテンを閉め、一人でテレビを見ています。背中に枕を入れて腰を浮かしているので、朝まで上向きのまま体交は無しです。何かなければ夜のヘルパーは楽だし、かなりいいアルバイトでは?と思う。 Q.今の生活の一番楽しい点は?  やはり、いろいろな意味で自由だという事でしょうか。寝たい時に寝られるし…。それも絶対とまでは言えないけれど。 Q.緊急時のかかりつけの病院等は?  泌尿器は、近くの個人の医院にお願いしている。3週間に一度のバルーン交換もそこでやってもらっています。市内の、大きな総合病院の看護婦さんが訪問看護に来ているので、そこにカルテもあるし、緊急時はそこに救急車で行くことになるかなぁ。 Q.これまでこれは大変だ!という事は?  引っ越してすぐに高熱を出した事。疲れとかいろいろ重なったのだと思う。泌尿器の先生に往診してもらって、抗生物質の点滴をしてもらったらすぐに治ってホッ。 Q.どんなリスクが一番大きいか?  だいたいいつもヘルパーが側にいるし、死にそうな大変な目に合っていないので…。 体調さえ崩さなければと思っています。 Q.今後の生活の目標や夢は?  障害者に限らず、地域との関わりを持った活動をしていきたい。少したったら、自立生活をしたいという頸損のアドバイザーもできたらと思っています。年をとったら!? フィリピンに越冬に行く生活もいいですね。 Q.自立がしたいと思ったら誰でもできる?  私の場合施設にはもう戻れないし、後戻りはできないんだ、この生活を続けなければ %%% という覚悟がないと、いくら制度が整っていたとしても、何とかなるカナー? ぐらいでは長続きしないのでは? Q.自立生活に一番必要なものは?  始める一歩が重要だと思います。 Q.これから自立生活を目指している人に何かアドバイスを  絶対一人暮らしがいいとは言い切れません。どんな生活でも、本人が納得していればよいのですから。私の場合は制度の事は知っていたけれど、内容をよく確かめなかったたため、こちらに来てから慌てたという事がありました。住民票を移さないと、補助や制度は受けられません。その辺の下調べや準備はきちんとした上で、行動を起こして下さい。それからケア・マニュアルは必要です。 (1997年12月11日、『ワーキング・クォーズ』編集部に電子メール原稿がで到達。) ------------------------------------------------------------------------ マイ・ホームを持とう! -1500万円でマイ・ホームを!- 丸紅基金データベース、住居 向坊 弘道 <画像>福岡県北九州市若松区にある向坊弘道さんの自宅、1989年10月  私の家はアマチュア無線、パソコン通信、インターネット等を安心して楽しむのにも、自分の意志で自由に切り刻むことさえできる持ち家に住むことは必要だと昔から考えていました。  なぜなら、天井走行型ホイストのために屋根裏を加工したり、屋根にアンテナを建てたり、風呂の床を埋めたり、本来なら家主がいれば柳眉を逆立てそうな改造を平気で自由にやらなければならないからです。  そこで、ある時近所のお百姓さんに「タバコ銭ていどでいいから、、、」とせがまれて、崖がほとんどという60坪の土地をわずか3万円で買っておきました。 そしてそこに、18年後、1983年に両親が亡くなったチャンスをとらえて思い切って7坪の我が家を建てたのです。 7坪といえば畳にしてわずか14枚分で、その中に居室(8畳)、キッチン(3畳)、風呂兼便所(3畳)という狭さですから、もちろん玄関などはありません。  表を歩く小学生が「ねえ、見て! この家は玄関がないよ」と珍しそうに”正直な感想”を大声で述べ給いながら通り過ぎて行きました。  ウサギ小屋ならぬマッチ箱小屋ていどでも、寝ていることの多い重度身障者の独居生活にはじゅうぶんです。 この建築費350万円也と周囲の石垣と門などが150万円也で、合計500万円でした。 高々とアンテナを建て、海外とのDX無線を楽しみました。  ところが、3年経つと車イスの雨天練習場を持たないのが不満で、裏の崖を250万円でブロック化、その崖っぷちに今にもこぼれ落ちそうな20坪の練習場を250万円で建てようと張り切りました。 欲は限りのないもんだと思います。 でも、欲望こそが統合生活(ノーマライゼイション)への原動力なんですねえ。  崖っぷちの庭から海を眺めて飲むコーヒーのうまさ。。。と、思いきや、人が集まってバーベキューを楽しむときに庭が狭い、というのが気になって、1997年に贅沢にも鉄骨を組んで海岸側に16坪のベランダを突きだしました。  頸髄損傷者としての持ち家を考えるならば、例えば郊外に30坪の土地(坪25万円くらい)を買うとしましょう。 そしてそこに1階10坪を自分の部屋とトイレ、キッチンにして、2階5坪をゆとりの部分とすれば15坪で建築費は500万円となります。  締めて私と同じように千万円あまりで一戸建てができ、誰にもイチャモンをつけられない一国一城のアルジとなります。 管理に問題の生じやすいマンションよりおススメ、、、です。  一方、身障者個人の家を近いところに集合させ、介助の効率を向上させるグループ・ホームという構想の実験がスエーデンやアメリカ、日本で行われています。 個人的な自由と公的な義務がマッチするこの考え方が将来の身障者の住居の究極を示唆するものだと受け取られています。  グループ・ホームといっても、少なくとも借家か持ち家かの集合構成上の違いは生じそうです。 個人の権利がほぼ完全に保障される持ち家のグループ・ホームこそ望ましいわけです。  ド田舎の崖っぷちの我がマッチ箱小屋も、その実現に向けて一石一石布石を打つ意味で、少しは意義がありそうだと考えています。  庭先に車イスを止めて、またも海風に吹かれながら一杯のコーヒーを飲んでいると、やはり一国一城のアルジとなってからは、そのうまさもまた一段と違っているような感じを受けます。  頸髄損傷者の持ち家、マイ・ホームを提案して、行く行くはグループホームに発展するように念願しています。 身障者もがんばりましょう!     終わり ------------------------------------------------------------------------ あいかわらず自営業(自由業?)です Workin' Quads 坂上 正司  兵庫県宝塚市在住、C-3,4不完全麻痺電動リクライニング車いす使用、高校時代にラグビーの試合中受傷、頚損歴16年半の坂上です。  仕事上の基本的な立場は、父親の事業専従者(青色申告専従者控除対象者)ということで、前回の報告と変わっていません。近い将来に有限会社を設立する予定ですので取締役になるはずです。といっても、仕事内容は変わらないでしょうけど。  さて、仕事の内容ですけど、次の1〜3が事業専従者としての主要な仕事で、残りは派遣という形でやってい ます。 1.農業会計  電話(スピーカ・ホン)での注文の受付、毎日の記帳(簿記ソフトとデータベース・ソフトを組み合わせて)、節季末(5月31日、8月15日、12月31日)締切業務、従業員(知的障害男性27才)の給与管理、雇用・労災保険の支払い、たまに従業員の管理指導も行う。 2.不動産経営  賃貸マンション及び賃貸アパート4棟68軒・駐車場68台・トランクルーム11・貸店舗1軒、貸し地1筆の家賃・使用料入金管理、借入金返済管理、建物・居室のメンテナンス、そして苦情処理が仕事の大きな部分です。業務には簿記ソフト、データベース、エディタ、簡易ワープロ・ソフトを使ってます。電話はスピーカ・ホンとイアホンマイク付き携帯電話を利用します。冬など手が動きにくい時は、インターホンのボタンを棒を使って押すことができにくいので、用のあるときは部屋の近くまで行って、携帯電話で呼び出してでてきてもらいます。また、事務所の留守電から内容を携帯電話へ転送することで、出かけていても苦情処理ができるようにしています。  定型の仕事はいかのようになってます。事業性のある仕事をされている方は殆ど同じだと思いますが。  月末 給与処理  1月 年末調整  2月 所得税確定申告  3月 消費税確定申告  4月 固定資産税縦覧、雇用・労災保険確定申告     所得税支払い  5月 固定資産税支払い  6月 県市民税支払い  7月 事業税支払い、所得税源泉徴収  12月 決算説明会、決算処理  1年の後半は暇なようですが、実際は抜き打ちの税務調査があったりして結構忙しいです。  また、入居管理もしているので、個人で付けた入居希望者の案内や、仲介業者への空室情報の提供、家賃の督促や家賃未納者の追い出しなどは不定期の仕事です。 <画像>坂上正司さんの賃貸マンション 3.区画整理関係  土地の有効利用を図るため、近隣のJR駅前の農地を区画整理しています。組合員として利用計画や、障害者・高齢者に利用しやすい街づくりも同時に考えていってます。 4.講師  今年から関西学院大学の非常勤講師として障害者問題を担当しています。講師料以外に交通費(リフト付きタクシー代)と介助者の交通費も出たことがよかったです。また、ダスキンが主催する民間では珍しい厚生省認定ホームヘルパー2級養成講座の講師もやるようになりました。こちらも相当額の交通費が出ました。その他、近隣の福祉関連施設、小・中・高校、民生委員関係や生協などでも講演をしてます。報酬は、90分で菓子折(交通費なし)から3万円(税・交通費別)まで様々ですが、いくら市内でも5000円はでないとタクシー代も出ないので辛いです。と言いつつ、断らずに行ってますけど、これでは仕事とは言えないかもしれませんね。まあ、前回の報告では、報告できるほどの報酬はありませんでしたが、今回は前回に比べてかなり増えました。ちりも積もれば・・・小銭稼ぎにはなります。 5.自立生活センター・たからづか(宝塚市障害者生活支援事業)  1998年4月の事業開始に向けて現在事業計画を策定中ですが、事業開始してからは運営委員として若干の報酬が出るはずですので、当てにして待ってます。 6.宝塚市小規模通所援護事業  1997年10月設立に向けて準備中です。こちらも、運営委員としての報酬をあてにしています。それから、パソコンによる情報収集・発信事業を部分受託していくつもりです。  全体として変わってきたところは、副業の講師や委員の部分が、以前は殆ど無報酬だったのに比べて、それなりの対価が得られるようになったということです。以前に比べて、明らかに障害者の地位向上が見られるようになってきたことは大きいです。 ------------------------------------------------------------------------ "WORKING QUADS"ホームページの感想 吉田 憲司   自力呼吸、会話ともに不可能で人工呼吸器利用の若い頚髄損傷者からのE-mail ホームページの感想、その他 どうもはじめまして。大阪の吉田憲司といいます。 ホームページを見ました。カウンターとかはつけないんですか。日頃よく利用しているホームページとか福祉関係の行政組織または業者のホームページ、民間のボランティアのホームページなんかのリンク集もつけてほしいです。 それから特にお願いしたいのがワーキング・クォーズをホームページで公開してください。僕が本を読むときはいつも誰かにページをめくってもらわないといけません。本来二時間で読める本も何日もかかることもあります。パソコンで文書を読むのならページをめくってもらうこともなくなんのストレスも感じることもなく読めるのです。ですからどうかお願いします。  どうもお久しぶりです。更新した ホームページを見せてもらいました。あまりのデータ量に脱帽といった感じです。全体を把握するのに結構時間がかかりました。僕のパソコンの通信速度はあまり速くないので結構ストレスがたまります。やはり多量の画像データのせいで重くなっているんでょうが、かといって削除してしまうと雰囲気がつかみにくいし困ったものですね。データを圧縮して配布するか受け手の通信速度を速くするしかありませんね。 アメリカの一年はとても興味深いです。アメリカでの体験談は人生経験の浅い僕にとってよい勉強になります。見ていて励みになります。がここで書かれている問題は僕自身に起こりうることなので感心ばかりしていられません。本当は僕自身も情報を発信しなければならないのでしょうが今はただひたすらにいろいろな人の様々な情報が欲しいです。あと交流も。僕は呼吸器をつけているので声が出ないので電話は使えません。外に出ようとしても呼吸器やらバッテリーなどの用意が大変です。そうなるとパソコン通信を使っての交流というわけで会議室のようなものがあればいいなと思います。それもできるだけ重度の四肢まひの方や障害者の方が直に参加する情報交換の場があればと思うのですが難しいでしょうか。重度の障害を持った人がどのような方法で外部とコミュニケーションをとったり情報の収集はどうしているのとか。いずれにせよ情報が不足しています。 勝手ながら清家さんのご活躍と"Working Quads"のネットワーク拡大に期待させてもらいます。 ------------------------------------------------------------------------ WORKING QUADS 編集者 編集者から From The Editorial Office WORKING QUADSとは「働く四肢まひ者たち」という意味 細川 辰正 四肢まひのような重度障害者が職業を持つことは現在でさえ至難のことですが、社会人として立派に自立されている四肢まひ者も少数ではありますが実際にいらっしゃいますし、WORKING QUADSに紹介されています。 ただ、「働く」という意味を広く「障害と戦い、生活を改善し、自立に向けて一歩でも近づく」というふうに解すれば、WORKING QUADSの執筆者は皆働いていると言って良いのかも知れません。 社会人として完全に自立するという目標ははるかに遠いものかもしれませんが、その目標に一歩でも近づくよう研鑽に励む場がWORKING QUADSだと思います。 健常者も遠慮なく交流できる場になればいいと願っています。 It is very difficult for persons with severe disabilities like quadriplegics to get a job even today. Nevertheles there are some quads here in Japan who are really working and live on their income. Their cases have been presented in WORKING QUADS. If you interpret working broadly it means fighting against one's own disability and making life a little more tolerable. In this sense the writers of WORKING QUADS are working. Although it might look nearly impossible for us to live independently , especially accounting for the poor standards of welfare in Japan, we ask all the people interested including non-dinsabled persons to come together at WORKING QUADS and make the impossible dream come true! ------------------------------------------------------------------------ What's new 「ホームヘルパー派遣事業年表」 清家一雄、データベース、介助 (1998/2/24) 「"WORKING QUADS" homepageの感想」 後藤礼治さん、『ワーキング・クォーズ』執筆者 (1998/2/24) 「"WORKING QUADS" homepageの感想」 太田恵蔵さん、『ワーキング・クォーズ』執筆者 (1998/2/23) うれしの温泉のホームヘルパーさん 、中島虎彦、『ワーキング・クォーズ』編集者 (1998/2/23) 「介助に関する情報の必要性」 中島晋市郎、『ワーキング・クォーズ』執筆者 (1998/2/23) 「プロフィール(自己紹介)」、 千賀 康司 さん (1998/2/23、電子メールで到達)(1998/2/23) 「"WORKING QUADS" homepageの感想」、千賀康司さん(1998/2/23、電子メールで到達)(1998/2/23) 「自律神経の悩み」、 千賀 康司 さん (1998/2/23、電子メールで到達) (1998/2/23) 本の出版、『ぼくに涙はにあわない』千賀康司さん(1998/2/23、電子メールで到達) (1998/2/23) 「丸紅基金データベース:介助サービス(プログラム)」清家、(1998/2/20〜)(必見!!) 「会社設立、"クレッシェンド"」、 今村 登 さん(1998/2/16、電子メールで到達) 「1997年製スズキ新型電動車いす MC−16(スタンダードタイプ)」 福井英樹さん、(1998/2/15) 「ヘッドポインターB」(マウススティックのかわりになるもの) 、小林博光さん(1998/2/15) 「現在の仕事、1997年12月」、(自立への第一歩) 田村辰男さん 、仕事 (1998/2/15) 柴田努さんのプロフィール (1998/2/7、電子メールで到達) 「"WORKING QUADS" homepageの感想」、 柴田 努 さん(1998/1/9、電子メールで到達) 「1997ソウル障害者国際会議に参加して」、後藤 礼治 さん 「第18回RI世界会議、ニュージーランド・オークランドに参加して」、後藤礼治さん (1998/2/2) 後藤礼治さん、『ワーキング・クォーズ』執筆者のプロフィール (1998/2/2) 「麸澤 孝 さん:写真集、自立生活」  麸澤孝さん、データベース、(1998/1/29) 「麸澤 孝 さん:写真集、フィリピン・ルセナ」  麸澤孝さん、データベース、(1998/1/29) 桜井 龍一郎 さんのプロフィール・自己紹介 (1998/1/27) 桜井 龍一郎 さん、「私の仕事」 (1998/1/27) 桜井 龍一郎 さん、「私のパソコン環境」 (1998/1/27) 身体に合った車椅子を求めて・・・、 カーフシステムについて福田孝一さん(1998/1/23) 福井英樹さん、「公的介護サービスの現状(岡山県倉敷市の場合)」、介助、(1998/1/23) 『在宅勤務マニュアル』(日本障害者雇用促進協会)について 、井手將文さん、文献、(1998/1/19) 「デジタルカメラのデジカメ画像」  中島晋市郎さん、データベース、パソコン(1998/1/19) 池戸大耕さん、「24時間巡回型ホームヘルプサービスが始まって」 (1998/1/18) 池戸大耕さん、「私の住んでる環境」、1996年8月、愛知県春日井市、県営住宅にて(1998/1/18) 「1997ソウル障害者国際会議」  清家一雄、データベース、国際ネットワーク活動(1998/1/17) 小林 廣 さんの作品、『Road to France』  1997年7月制作 『Road to France』 (1998/1/16) 小林 廣 さんの作品、『DEEP SKY』  1997年4月制作 『DEEP SKY』 (1998/1/16) 小林 廣 さんの作品、『Merry Xmas 97』  1997年12月制作 『Merry Xmas 97』 (1998/1/16) 小林 廣 さんの作品、『White Beauty』  1997年12月制作 『White Beauty』 (1998/1/16) 小林 廣 さんの作品、『少女』  1996年4月制作 『少女』 (1998/1/16) 小林 廣 さんの作品、『レッドテールキャット』 (1998/1/16) 小林 廣 さんのプロフィール (1998/1/16)とにかく素晴らしいイラストレーター(1998/1/15) 坂上正司さん、 1998年1月 新年おめでとうございます (1998/1/13) 「改造マウスのデジカメ画像」  中島晋市郎さん、データベース、パソコン(1998/1/11) A Happy New Year 1998 清家一雄 (1998/1/1) Merry Christmas 1997 清家一雄 (1997/12/24) 北海道での重度四肢麻痺者によるネットワーキング 川原 六十夫 さん (1997/12/21) 「1997 日本職業リハビリテーション学会・九州ブロック研究会in総合せき損センター」清家(97/12/18) 「フィリピン日本人障害者の家(GLIP)滞在49日間(96年12月15日〜97年2月1日)」麸澤孝さん(97/12/14) 「麸澤 孝 さん:自立生活一問一答(瀬出井弘美さんとの)」 麸澤孝さん(1997/12/14) 「私の仕事」  沢藤充教さん、データベース、仕事(1997/12/8) 河崎信太朗さん、『ワーキング・クォーズ』ゲスト   (1997/12/8) 「明日フィリピンに出発です」  向坊弘道さん、データベース、(1997/12/2) 「同居してくれる人を探しています」  曽我部教子さん、データベース、(1997/12/2) 「療護施設から地域で自立生活」  麸澤孝さん、データベース、(1997/12/2) 「新しい生活−都営住宅での自立生活」  内山幸久さん、データベース、(1997/12/2) 「トイレの悩み」  向坊弘道さん、データベース、健康(1997/11/25) 「無年金の問題について」 、中島虎彦、(データベース、所得保障) (1997/11/25) 「第12回リハ工学カンファレンス佐世保と"WORKING QUADS" homepageの感想」、横田恒一さん(97/11/24) ************************************************************ 丸紅基金・データベース・(福岡市)ホームヘルパー派遣事業年表 ホームヘルパー派遣事業年表 清家 一雄 ************************************************************ 1963年、日本で家庭奉仕員の制度開始。それから10年たっても1万人、20年たっても2万人にもならなかった。 1982年までは派遣先を低所得家庭に絞った。厚生省社会局長通達、「派遣回数は1世帯あたり週2回程度」。通達は7年後に撤廃されたが、家庭奉仕員の数が増えないために、20年にわたって、不文律として横行。 背景として1970年代に政財界で台頭した「日本型福祉論」。「家庭の相互扶助」に過大な期待。日本には他人が家庭に入ることを好まない文化があるとも主張。 1966年、福岡市の家庭奉仕員制度、5名で開始 1972年、自立生活センター・バークレーが、エド・ロバーツらによりアメリカ合衆国カリフォルニア州バークレーに設立された。 1983年、日本で、家庭奉仕員、有料制度開始。 1985年11月〜1986年9月、清家一雄、米国留学。アテンダント・サービス・プログラムのリサーチ。 1989年 「ゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10か年戦略)」の策定 1990年9月現在、福岡市社会福祉協議会に140名の家庭奉仕員 1990年 福祉8法の改正(福祉サービスの市町村への一元化、老人保健福祉計画) 1990年9月1日、福岡市市民福祉サービス公社発足。 1990年9月5日、開催、市、市社会福祉協議会、市民福祉サービス公社の三者会談で、市社協が委託派遣している奉仕員については、「60歳定年に達するまで、身分を保証するが、補充しない」ことを決め、組合側に説明した。 1990年9月7日から、福岡市、協力員の募集(目標500人)を開始。 1990年12月1日、登録受け付け開始。 1991年 老人保健法の改正(公費負担の見直し、老人訪問看護制度の創設) 1991年1月16日から城南区でサービスのモデル実施、ホームヘルプ協力員、406人が研修を終え、活動に備えている。 1991年3月1日から、派遣実施。全区で活動を開始。171人の高齢者及び障害を持つ人に家事援助または身体介護のサービスを行う。サービス提供の報酬は、内容に応じて740〜1120円(1時間当たり)。サービス利用者の自己負担は、所得と内容に応じて、190〜770円(同)。協力員は「家事のみ」「軽介護」「重介護」などの中から希望する介護を選択、21時間から90時間の研修を受け、依頼を受けた家庭に出向く。 1993年 臨時行政改革推進審議会最終答申(規制緩和の推進、地方分権の推進) 1993年9月5日 朝日新聞、福岡市のホームヘルプ協力員 登録1000人超える 1994年 地方分権の推進に関する大綱方針(閣議決定)  社会保障制度審議会・社会保障将来像委員会第2次報告(公的介護保険制度の創設)  「新ゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10か年戦略の見直し)」の策定 1994年7月24日 朝日新聞 利用者3年で6倍 ホームヘルプ好調 福岡市 福岡市のホームヘルプサービス事業が、発足から3年間で利用者数が6倍以上に増えるなど、充実ぶりを見せている。登録者数1100人に達したホームヘルプ協力員の表彰制度も新設され、24日に60人を表彰して、一層の事業拡充を図る。 実施主体の福岡市市民福祉サービス公社ができた1991年3月と今年3月を比べると、利用者数が186人から1240人に、利用時間も4207時間から2万6970時間に大幅に増えた。 1994年9月1日〜、福岡市市民福祉サービス公社のホームヘルプ協力員の活動時間の延長と拡大開始。平日の活動時間、9:00〜19:00。日曜祭日の活動時間、9:00〜17:00。 1995年 地方分権推進法施行、地方分権推進委員会発足  老人保健福祉審議会中間報告(新たな高齢者介護システムについて)、高齢社会対策基本法施行  訪問看護制度開始。 1995年4月〜、福岡市では、中央区をモデルとして、夜間巡回介護ホームヘルプサービスを開始。対象は、区内に住む寝たきりなど介護が必要な高齢者(65歳以上)で、午後7時から翌朝9時までの間、必要に応じてホームヘルパーが巡回し、おむつ交換やトイレへの誘導などの介護サービスを行う。介護の時間は、1回当たり10分から20分程度で回数など詳しい内容は症状に応じて決められる。利用料金は、世帯の所得状況に応じて一部負担金が必要。(1995年9月15日 市政だより) 1996年 地方分権推進委員会中間報告(国と地方の役割分担の基本的考え方、機関委任事務の廃止)  老人保健福祉審議会最終報告(高齢者介護保険制度について)、厚生省による「介護保険制度修正試案」  介護保険制度案大綱について(老人保健福祉審議会答申)、介護保険制度の制定について(社会保障制度審議会答申) 1996年10月〜、福岡市全区で夜間巡回介護サービス開始。中央区は福岡市市民福祉サービス公社の業務指導員、博多区、東区は潟Rムスン、城南区、早良区、南区、西区はホスピカが担当。 1997年12月、公的介護保険法案成立 2000年の施行をめざす。