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1985 1115. Harison Ford, in WITNESSS

 2.日本出発 

 これからは日記風に書いてみます。

 いよいよ11月14日に福岡を出発した。前の晩、弟の秀幸が夜の介助の後、素朴に祝福してくれた。

 この最期の日の朝までヘルパーさんに来てもらった。紺のJプレスのスーツにレジメンタルタイ、ワイシャツは白を着た。ヘルパーさんと握手して別れた。祖母との長い別れ。

 父のクラウンで福岡空港へ行った。電動車椅子、手動車椅子、書字道具や食事道具などを入れたスーツケース2個、手提げ鞄二つ、クッション3個という荷物だった。荷物は赤帽で運んだ。

 福岡空港には福脊連やミスタードーナツの人達も見送りにきてくれた。

 サンフランシスコまで弟の幸治が付いてきてくれることになった。渡航中、褥瘡、トイレ、電話連絡、荷物の管理など様々な困難が予想されたからだ。リハ協の井窪さんの計らいだった。

 成田空港のエアポートレストハウスというホテルで1泊した。ホテルへの移動は日産キャラバンを使った。

 その夜レストハウスに高校の友達が二人訪ねてくれた。

 僕は、
「冗談が冗談の風に乗り、冗談の波の上で、サーフィンをやっている気がする。戦争で負けた国から電動車椅子で来てトイレの世話まで頼むのだから」
 と言った。

 ドン・キ・ホーテ。しかし見れる夢があるのは幸せなことかも知れない。狂気の夢でも夢から醒めさせられると人は頭にくる。それに重度身体障害者にとって夢と狂気と現実の区別をつけることは難しい。体が麻痺してしまったことだけは確かだが。とにかくアメリカン・ドリームを掴むことができるかどうか。スポンサーがついて大義名分があるからアメリカに長期間行けるが、その分受験勉強ができないしできなかった。これは賭だ。


[写真説明]1985年11月、成田国際空港


 15日に出国した。成田空港では、井窪さん、飯村さん、金山さん、草薙さんが見送りにきてくれ、リハ協から研修報告用紙と留学研修費用約4,000ドルを貰った。広い空港を二周ぐらいした。物凄い警備だった。

 日本航空に、
「長い時間座りっぱなしでは尻が危ないので隣の席を空けて下さい」
 と頼んだ。

 席はエグゼグティブだった。隣は幸治と空席。幸治の協力で、横になったり、リクライニングを倒したり上半身の体重を背中や横に逃がした。 映画は『目撃者』、食事は洋食だった。シャンパン、ワインを飲んで寝た。

 日付変更線を越えた。



 3.アメリカ到着

 サンフランシスコ空港に着いた。

 サンフランシスコ空港で少し待ったりしていて10時間以上飛行機に乗っていた。空港の中は凄く慌ただしい。サンフランシスコ経由でヒューストンに行く人を見て思わず声を掛けたくなった。ヒューストンでは高校の友達が働いている。

 入国手続きで弟と間違われた。ポーターに5ドルのチップ。


[写真説明]1985年11月、サンフランシスコで


 アツコさん、介助者のハワード、運転手のデニスが迎えにきてくれていた。

 サンフランシスコは晴れていた。アパートまで自立生活センターのバンで40分ぐらいかかった。バンにはリフトが付いていて電動車椅子のまま乗れる。


[写真説明]弟幸治と:1985年11月、バークレーで


 アパートはオークランド市にあった。用意されていたものは、ベッド、オーバーヘッドバー、シーツと毛布、それに電話。やかんもコップもない。

 ルームメイトのジャネットに会った。彼女も電動車椅子を使っていた。

 ベッドに上がった。尻は破れてない。感謝。

 ハワードとは今日は面接のみ。マクドナルドでビッグマックとコーヒーを買ってきて貰い食べた。アメリカのコインの学習。

 とにかく寝た。

 みんなが僕を暖かく迎え入れてくれた。異国の地で人の暖かさに触れた。

  以下次号に続く。







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1985 1115. narita international airport

1986. LA
アメリカ合衆国カリフォルニア州、ロサンゼルス、LA、
The International Love Circle
ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業
広げよう愛の輪運動基金




ロサンゼルスの夜
1986 0904. LA NIGHT



1986年09月04日、当時、29歳。
『アメリカの一年』One Year of the Life in America。


ロサンジェルスの夜。ダウンタウンの高層ビル群が見えてきた。LAの中心街も東の方は荒廃していて見るからに治安が悪そうだった。が、メインストリートのビルの高さ豪華さはさすがだった。ニューヨークほどではないがアメリカの富が集中していると言う感じだ。ただLAの方が遥かに広い。道路も発達していてい、スペースが十分にある。

 ガイドブックに載っていたレストランに行く。凄く高級そうなホテルの最上階にあった。丘の上にあるので高さも高い。ホテルの駐車場の料金が高い。レストランも覚悟して行ったがそれほどムチャクチャには高くなかった。

 景色は凄く良かった。LAの大平野が一望できた。しかもそれが美しい豪華な夜景に変わっていく。ヘリが飛んでいた。大都会だ。


written by Kazuo Seike 清家 一雄:重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表編集者
初出:「アメリカの一年」[1]、『脊損ニュース』1987年ー1988年、 全国脊髄損傷者連合会、1987.
1985年11月〜1986年9月、アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー
ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業
財団法人 広げよう愛の輪運動基金、財団法人 日本障害者リハビリテーション協会

有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)
清家 一雄、取締役社長
http://www.asahi-net.or.jp/~YS2K-SIK/ seike@working-quads.com
Tel 092-821-0819 Fax 092-821-0810
〒814-0012 福岡市早良区昭代1丁目21番10号










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on February 14, 2009 from
"WORKING QUDS" Inc.The Helper Stationon
2009年のWQアンパンマン
on February 14, 2009

2009年のWQアンパンマン
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有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)



清家一雄
有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)
介護保険・障害者自立支援法による高齢者・障害者ヘルパーステーション
介護保険事業者番号 4071401394
支援費事業者番号 40130100107116
昭代ヘルパーステーション
〒814-0012 福岡市早良区昭代1丁目21番10号
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清家 一雄 
有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)取締役社長
     重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表
   『ワーキング・クォーズ』編集部
"WORKING QUADS" HomePage 制作提供

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昭代ヘルパーステーション
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