同人誌コーナー

Neo Aqua 8 「きみがほしい」 吉田 縁




神崎智弘17才♂
真穂の携帯登録名は「ポチ」
絶対に噛みつきません(本当か)


斉藤真穂

外見は美人の母親似、
中身は格闘好きな父親似
「智弘は私が守る」
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 プロローグ

 黒い髪の少年が小さく礼をした。
 彼が顔を上げて客席を一瞥し、はにかんだ笑顔を浮かべた。
 そしてピアノに向かって歩く。
 多くの子どもがヤマハかスタンウェイのピアノを選んだ中、彼ひとり、ベヒシュタインを選んだ。
 グランドピアノの前に少年が座る。その瞬間、あどけなさが消え、大人びた表情になった。
肘から手首までがすらりと長い腕をすっと上げる。
 その仕草一つで周りのノイズを奪い去る。
 聴衆は水を打ったように静かになった。

 完璧な沈黙──それが彼が第一音の前に奏でたものだった。



 携帯が鳴った。
「智弘、真穂ちゃん来たわよ」と母の声。
 顔を上げた。三つ編みの少女が手を振ってドアの側に立っている。
「おう」と智弘が言った。
「おじゃま〜」
「おっ、真穂。三つ編みして若作り?」
 智弘の言葉に真穂がにこりと微笑む。次の瞬間、「出会い頭に言うセリフか!」と
言いながら真穂が床に落ちていたクッションを掴んで力いっぱい投げた。
「バカ兄たちがうっさいんだよ、男と間違えるからそれくらいしろって。──よし、撃沈」
 パン、パンと手を叩いて真穂が言った。智弘は全くよける暇もなく、顔でクッションを受けてソファに沈む。
「ってぇな〜野蛮女!」
 何年経ってもこのギャップはインパクトがある。
 真穂の母さんは華奢な美人で、肉体派の父さんと並ぶと『美女と野獣』そのものだ。
真穂は顔は母親似で性格は父親似だと思う。
 グランドピアノがあってもまだ余裕のある広い部屋なのでよけいに暴れたくなるらしい。
「智弘の分際で私に悪態をつくなんぞ百年早いわ。──いつも思うけどあんたんとこの親子関係、
おかしくない? どうして家の中で携帯使うかなあ」
 真穂が智弘の隣にクッションを並べ直して座った。
「防音完備の部屋だから普通に呼んだって聞こえないんだよ」
 ピアノの音が漏れないように防音工事に随分金をかけたレッスン室だ。
「うちなんか、中二階の私の部屋三畳しかないし、カーテンで仕切られてるだけだから、
リビングの会話つつぬけだよ? アホ兄が筋トレやってる音まで聞こえるしご飯だよって
言われなくても匂いでわかるし」
「真穂ん家は大家族だもんな。ここではぼくが真穂を押し倒しても外に聞こえないよ」
 しゃれにならない冗談を言って内心『マジ』とつぶやいた。
「あんたが瀕死の重傷を負ってもね」
 真穂が冷たい顔で言った。冗談に聞こえない。
幼い頃から体育会系の兄三人に鍛え抜かれた彼女は、学校の帰りに
よく悪ガキに待ち伏せされた智弘のボディーガードだった。そんなわけで
今でも智弘は真穂に頭が上がらない。「智弘のくせに生意気」とか「ポチ」とか言われようと……。
「ここ広くていいよなあ。クロストレーナーとかベンチプレスとか好きなだけやれそうだもん。
バク転もできるよ、やってみようか?」
「スカートでそれはやめてほしい、できれば」
「なんだ〜。じゃあ大音響でCD聞いていい?」
「うん」
「そうだなー……これ、これがいい」
 真穂が少し迷って、それから一枚のCDをラックから取り出した。
──ラフマニノフ
 真穂がピアノコンチェルトに関心を寄せるとは珍しい。
「真穂ってこの曲好きだったか?」
「……いや、ジャケットが派手だから。青と赤で思いっきり目立ってる」
 そんなことだろうよ。
 智弘はケースからCDを出してラジカセに入れた。
「これは、アナログ音源なんだぜ。レコードの復刻版で、ジャケットのデザインもそのままなんだ。
途中で寝るなよ。アシュケナージが泣く」
「バカにすんな」
 真穂はきっぱりと言ったがやはりバカだった。第一楽章の途中から居眠りを始めた。
 真穂はここのところ学祭の実行委員で毎晩帰りが遅いらしい。
他人の家で居眠りするなら自分ちで早く寝ればいいのに。
 智弘は音量を下げながら、少しほっとした。
 真穂はこんなふうに時々気まぐれにやって来ては何をすることもなく帰って行くんだ。
何か言いたそうにしているが何も言わない。何をしに来たんだか。