1997/May

     
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MAY/1
3人の来客
業生が3人、相次いで来校しました。3月まで担任をしていた卒業生です。
1人目の男子は、自衛官の制服姿で来校しました。何もそんな格好をしなくていいのに。
「いや、宣伝休暇ということで、学校に行って自衛隊の勧誘をしろと言われました」。
グリーンの4つボタンは、とても目立ち、颯爽と見えました。まだ入隊して1ヶ月ですから、わりと無邪気に自衛隊の実情を話します。
日曜日、来賓の話を「休め」の姿勢で戸外で聞いていたら、倒れる隊員が続出した。訓練は夕方に終わるが、消灯が10時30分なので、自主トレーニング、身の回りの整頓などであっという間に時が過ぎてしまう。諸々の署名活動には加わってはいけないが、どの団体が呼びかけているものなのか隊に報告すれば表彰される......等、さりげなく言ってました。
彼はあらかじめ来校することを伝えてましたが、その後ふらっと2人連れが来ます。1人は東京の専門学校に行った男子。もう1人は仙台の専門学校に行った女子です。男子は叔父の葬儀と重なったこともあって黒のスーツで。女子は濃い目の化粧で来ます。何もそんなに塗ってこなくていいのに。本来は会議が入っていたのですが、5分で追い出すのも不憫なので、進路室への来客として応対を続けます。2人とも、学校生活は楽しそうでした。ゴールデンウィークを1週間ほど休みにするのは一緒。女子の行っている学校は本格的授業を始めるのが連休明けからなそうです。そこ、カリキュラムに問題ある学校なんだよね。
「あぁ、また学校名を変えたんです。『国際』と入れれば格好いいらしくて、そうしたんです」。
「学園長が変わっていて、ピンクの色をした髪に、前だけ紫にしてるんですよ(志茂田景樹を想像しました、私)」。
で、調査書を書かないで済んだのだけど。
「書いてもらって入学した人もいるけど、学校の成績は見ないって」。
ちなみにそこは動物系の学校です。
男子の行った福祉系の専門学校は、実は結構人気のある学校のようです。人格者だ、と彼が認めた同級生が、実は第一志望を落とされて第二志望に回されたことで、人気を実感したそうです。彼が第一志望で入学できたのは学校の説明会に行ったからなんでしょうか。ところで試験科目は?
「面接と作文と体力テスト。体力なら大丈夫」。
そう、福祉系は体力が基本だから。その後、自衛官と専門学校生合わせて3人が敷地内で再会し、写真を撮ってから帰ったと、制服姿の卒業生から聞かされました。
進路指導部で、卒業後の動向を知るべく葉書を送るよう依頼したのですが、卒業クラスのうち返信を出した者が3割弱です。昨日の3人はみな、返信を出してません。
「だから、こうやって遊びに来たんじゃないですか」。
ごもっとも。後の2人は保健室に相当世話になって、養護教諭に挨拶して帰りたかったようでしたが、会議のためだめでした。
「じゃ、また7月に来ます」
と言い残して彼らはグランドに出ていったのです。どちらかというと、手間のかかった卒業生でした。職員室に行くのがいやだ、と未だに言います。彼らが近況を知らせに来校してくれて驚きましたが、安堵したのも確かです。(山田壮一)
注)仙台の専門学校に行った方は、後に学校を辞めます。ほどなく学校そのものが消えます。マッキーという名の学校でした。
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MAY/2
「かほく」の由来
々、「かほくのホームページ」の「かほく」ってどんな意味があるんですか、と聞かれます。いや、あまり深い意味はないのです。
もともとインターネットを始める前は、私の大屋さん(朝日ネット)もパソコン通信(BBS)部門しかありませんでしたから、そちらに書き込みを続けてました。始まりは5年半前のことです。大屋さんは書き込みは実名公開であるべきだ、という考えを持ってまして、各会議室には実名がでます。私も最初の1ヶ月は実名だけで書き込みをしてました。
しかし書き込みをしているうちに、住人が愛称(署名といったりハンドルネームといったりしてます)で呼び合っているのに気づきます。その中で本名を言い続けるのも違和感がありました。向こうも呼びづらかったようです。じゃ、愛称を決めようと会議室で宣言するのですが、悩みます。手がかりが何もなかったのですから。
そのころ出入りしていた会議室が、「カフェテラス/西日本」(今は「九州」「関西」「中部」に細分化されてます)でした。もとは修学旅行の情報ほしさでしたが、親切な住人が気に入ってしまい東北から連日通いました。そのこともアピールするハンドルはないか......。と、たまたま「河北新報」(注・宮城県を中心に東北6県で発行されている新聞)を見てこれだ!と決めたのが「かほく」です。
「白河以北一山百門」(くだけて言うと福島の先は田舎だ、ということ)と蔑視され続けてきた東北を逆手に取ったのが、原敬。彼は「一山」を名乗ります。それよりも創刊が古かった河北新報は「河北」を取りました。そこからわりと簡単に「かほく」と決めてしまい、あとからオフで本物の河北新報記者に「かほくさん」と言われた時は慌てましたが。
諸々の検索エンジンでも「かほく」で登録してます。ですから「河北新報のホームページ」「河北町のページ」などの下にコバンザメのように「かほくのホームページ」が出ます。幸か不幸か、その筋からの苦情がないので、今日まで「かほく」を名乗れるわけです。明日も盛岡でオフがあるのですが、もう「かほく」は私の名前の一部としてすっかり定着してしまいました。私の書き込み・ホームページが定着したかどうかは、また別問題なんですけど。(山田壮一)
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MAY/3
ワープロの授業
年ぶりにワープロの授業を担当して、戸惑いのうちに4月を終えてしまいました。
戸惑いその1)ずっと富士通OASYSで教えていたのが、今回は一太郎6.3。しかもウィンドウズ3.1のものです。95になじんでしまった私にとって、3.1への逆戻りはかなり難儀でした。OASYSは罫線を引くのが軽快で、慣れると愛着が出てきます(どのワープロもそうでしょうが。それにしてもソフトのOASYSは高くて買う気になりません)。そんなわけで、操作のギャップがあって最初の1ヶ月は焦りました。
その2)週2単位。つまり週2時間だけの担当。4月は行事が多く、授業がつぶれてしょうがありません。過去、2単位で授業した同僚は「4単位を2年で分割しても中途半端。それよりは1年間に3〜4単位で集中的にやったほうがいい」といいます。言われてみれば、4単位で授業した生徒は秋口からぐんと頭角を表してきました。
その3)授業の勘が鈍ってきてます。昨日は入力したものを印刷してもらうために20分設定しました。ところが1つのプリンタを4人で使うために、結構時間が取られます。まして「初めての印刷」だったのでトラブルが続出。前のワープロ専用機はプリンタ内蔵だったのでまだよかったのです。当然授業は時間内に収まらず、数人の印刷が清掃時間にかかったのでした。
授業は2人で担当してます。指示を出す分は1人でいいのですが、一度機械がトラブルを起こすと次々に手が上がり収拾がつかなくなるので、複数で授業することになります。昨日も入力の段階ではほとんど問題なかったのですけど、印刷になっての顛末は上記の通りです。それにしても、彼ら(2年生)が会社に入るころ、ウインドウズ3.1はまだ生存しているのでしょうか。(山田壮一)
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MAY/6
4度目の血小板献血
ールデンウイーク最終日の昨日は、仙台で過ごしました。「今年の人出は少なめ」とメディアがいう割には、JR仙台駅も賑わってました。普段は混まない東北道・泉〜盛岡南間も時速70〜80キロ運転を余儀なくされます。国道106号線(盛岡〜宮古)まで何度か数珠つなぎになり、こんなところでゴールデンウイークを実感しました。
さて、4度目の血小板献血をしました。本来は岩手県人なので盛岡の献血ルームで行うのが筋なのですけど、なぜか岩手で献血すると肝機能の数値が高く出て、そのたびごとに「出入り禁止」を宣言されます。こちらは飲酒を控えて献血に臨むのですが、盛岡の献血ルームにいる医者が頑として「No!」というので、それならこちらからお断りです。ですから、血小板献血の4回はすべて仙台でのものです。
11時過ぎに行った藤崎献血ルームは、たまたま空いてました。血小板献血は時間がかかるので、待ち時間がなかったのは幸運です(10分後からいきなり混み出し、その後に来た献血者は結構待っていたようでした)。それでも今回は心電図の当たり日となり、体に糊を塗られ、吸盤がつきます。「あれ、この(心電図の)コードからみますね」。この言葉で切り出した背が低めの看護婦さんはビギナーなのですけど、なかなか面白い方でした。血を採られている間2〜3度何かを落とすのですが、なぜか許せました。ふつうは採血に40分以上かかるのですが、今回は35分ほどで済みます。「とっても順調ですね」。−−たぶん相性がいいんでしょうねぇ。「それって、機械の方。それとも私かしら?」。−−両方でしたが。
200/400ccの全血の場合、採血中にとりたてて体調の変化はありません。ところが成分献血の場合、脈・呼吸などに自覚できる変化が表れてきます。あまり表れると気持ち悪くなることもあるのですが、かの看護婦さんのおかげで、楽しませてもらいました。仙台の献血ルームは仙台駅・藤崎・一番町の3ヶ所にあります。成分献血対応が藤崎・一番町で、なかでも一番町の献血ルームはCATVまでついたゆったりしたところです。それに比べて藤崎は狭いところなのですが、看護婦さんがきれいです。背の高い看護婦さんも普通の対応なのですがなかなかの美人です。次の献血も藤崎でしよう−−と妻にいったところ、例によってあきれられました。「あなたも、好きねぇ」(山田壮一)
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MAY/7
リンクをどうする
ームページの容量がそろそろ1MBになり、アクセスカウンタも700。どうやってホームページを作ろうか悩んでいたのが嘘のようです。これもひとえにリンクを張ってくださったみなさま、遊びにきてくださったみなさまのおかげです。
さて、私のホームページも曲がり角に来てしまいました。というのは、ホームページ作りの師匠(向こうは、そうは思ってないでしょう)が作っているページと、私が作成したページとのギャップが出てきて、扱いに困っているのです。具体的にいうとリンクについてです。「リンク9」を唱え、厳選主義でいっているのが師匠のページです。私も倣って、リンク9に関しては厳選主義を採っているのですが、昨今の状勢を考える時、それでいいのだろうかと考えるようになりました。
というのも、他のページに「検索エンジン」があり、ソフトのダウンロードができる欄あり、自己紹介からリンクできたりして、リンク9を設ける意味が残っているのかという点です。「リンクを張らせていただきます」というメールが来る一方で、こちらはリンクを張らないというのも仁義に反します。偏屈に見られたりするのもしゃくです。かといって、リンクでネットワークを作ってしまっても朝日系、宮古系の色が出てしまうので、これはこれで躊躇するものがあります。
コラムは連日書けば何とかなりますが、それ以外のコンテンツをもっと充実させないと曲がり角を抜けられないんだろうなと思います。さぁ、リンクをどうしましょうか、情報をどう整理しましょうか。(山田壮一)
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MAY/8
ネット改編事情
SAHIネット以外から見てらっしゃる方にとってはどうでもいいようなことですが、ASAHIを大家にしている私にとっては避けて通れないのが「ネット改編」です。これは「パソコン通信(以下BBS)」での書き込みを「インターネット」(以下WWW)でも楽しめるようにして、「1IDで2度(BBS・WWW)おいしい」というのを名実ともはっきりさせたいという考えからきてます。もともとBBSから始まったASAHI、NIFTYBIGLOBEのPC−VANなどは両方のメンバーを抱えてます。しかし、古くからの店子BBSのメンバーよりもWWWに関わっているメンバーの方が多くなってます。ASAHIでは、店子の要求に対応するためには改築しかないと事務局は判断し、Peopleとの連絡通路を廃止(書いていて、盛岡駅の件を思い出します)。6月中旬には大改装を終えたい、ということです。
ここに書いてしまっていいのかわかりませんが、BBSで私が関わっている会議室の状況について記します。教育喫茶・寺子屋は、モデレーター(注・会議室の世話役)を確保したので近日中に新会議室に移行します。ここはPeopleとの連絡通路が消えてますので、移行もスムースにできました。問題の「カフェテラス」(注・北海道、東北、首都圏、中部、関西、九州の6地域に分けて、それぞれフリートークをしている会議室のこと)なんですが、ここは厄介なことを抱えてます。わかりやすくするために寺子屋と比較するとこうなります。
1)モデレーターがいない
2)Peopleと相互乗り入れしている
3)カフェテラス分科会の話題が、ばらばらである
補足すると1)については、だからフリートークができたとも言えます。2)についても同様。ASAHIネットだけでは各会議室は盛り上がらなかったでしょう。寺子屋はもともと書き込みが多くなかったのですけど、Peopleから書き込みができなくなって、よけいに密やかなところと化しました。3)は、どうしても地域性が出るのでこれは仕方がないことです。
問題の、と記しました。ASAHIネット事務局は「すべての会議室をいったん閉鎖し」という方針を出してますから、モデレーターなしの会議室も当然その対象になります。事務局が「カフェテラス」の会議室をどうするか手だてを打ち出していないので、まず「カフェテラス東北」が「ティールーム東北」への移行を打ち出しました。それより前に、カフェテラス首都圏に集っているメンバーが「新カフェテラス(仮称)」を提案しようと、各カフェに働きかけてます。しかし現実は、他のカフェが同調する素振りを充分出してないです。それはさっき言った1)と3)に関わってくる部分で、6地区を3人で面倒を見ることに難しさが出るからではないでしょうか。東と西の2つに分けて、3人ずつモデレーターをすれば、問題はクリアできるのですけど。
さて、私は「ティールーム東北」の発起人でもあります。その立場でカフェ首都圏を中心としてでている提案を考えると、現在の各カフェの盛り上がりのままでは「合流」というわけにいかないでしょう。Peopleに東北のミニパーティーができたように、当面の間は併設で様子を見て、時がくれば一緒になる。来なければそのままというのが私の考えです。それにしても、他のカフェ関係者が「カフェは残る」と思い込んで安心しているのかどうか。話題に新会議室のことが出てこないのが気になります。一番やきもきしているのは新カフェ提案者でしょうが、私もちょっと気になっているところです。ASAHIのIDをお持ちの方はBBSから入って join cafe とコマンドで打つとそのへんの事情がはっきりすると思います。おついでの際に、どうぞ。(山田壮一)

注)その後、カフェの北海道・東北・関東・中部・関西で各1人ずつモデレーターがつき、カフェテラスはそのまま継続しています。他にもカフェ/九州、カフェ/全国というのがあるのですが、そこにはモデレーターがありません。一方ティーは東北と瀬戸内・中国四国という2つの会議室にモデ3人なのですが、こちらもなかなか苦労してます。他に九州が地域会議室を独立モデ(2名)で運営しています。
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MAY/9(TGIF!)
読響・宮古演奏会
光寺雅彦指揮、田部京子/ピアノの読売日本交響楽団演奏会が、昨日宮古市民文化会館でありました。前方に空きはめだったものの、1,300人収容のホールに8割強の入りです。この日のプログラムは
・メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」
・ショパン 「ピアノ協奏曲第1番ホ短調」
・ベートーベン 「交響曲第7番イ短調」
というものです。市教育委員会主催の演奏会なのですが、プログラムを決めたのは読響側でしょうか。
さて、前から6列目のほぼ中央からステージを見ると、男性がずらっと見えます。実は女性奏者も何人かいるので、後方の席だと気づかないのですが、前2列には男性しかいないので、これはちょっとした驚きです。他のオーケストラだと女性が座っている席に、若い(20代〜30代)男性がいる。それも弦楽器だけで10人以上もいて、中には茶髪の奏者もいるのですから、虚を衝かれた感じでした。彼らから奏でられる音楽は、まぎれもなく力強く、棒を持たなかった円光寺との意思疎通もよくはかられてます。
2曲目のショパンは抑え目のスピード、オーケストラの演奏で始まり、最後までトーンが筋肉質なものでした。「安全運転」と解釈することもできるのでしょうが、私はソリスト田部の誠実な演奏姿勢を感じました。この曲で、たいがいのソリストは技巧を前面に打ち出し、ともすれば自分の音色に酔ってしまう演奏になってしまうのですが、田部はあえてそれをしません。頑なまでに自分のペースを維持します。真骨頂はp(ピアノ)の音色に工夫が見られる点でした。響かないホールで、しかも前から6列目だと生の音が聞こえてきます。でも、ピアノ(スタインウェイ)を気持ちよく鳴らしてました。あまりにも気持ちよくなったので睡魔が私を襲ったのですが、でもいい演奏でした。
休憩後のベートーベンは最初から飛ばします。この日の円光寺は最後まで指揮棒を持たなかったのですが、つまり持っていると指揮棒が飛んでしまう(^_^;)。それほどまでにエネルギッシュな指揮で、弦から火花が飛び散る演奏を久々に見ました。あまり奏者が頑張るので、第2楽章のおしまいで女性奏者の弦が切れ(はっきりと鈍い音になって聞こえました)、バイオリンと男性奏者が途中退場するハプニングも。終結部では円光寺の背中にも汗が感じられます。実際、客席にお辞儀した時、顔中が汗だらけでした。実は花束贈呈を担当したのがうちの生徒(田部さんには男子が花束を渡します。照れてました)だったのですが、2年生の女子がナンパされます。
円光寺「君もブラスバンドの生徒かい?」
2年生「はい、そうです」
円光寺「楽器は何をやっているんだい?」
2年生「えっ、ト、トランペットです」
という会話が舞台上で行われていたとは知らず、何を長く話していたんだろうなぁ、と客席では思ってたのでした。
アンコール、モーツァルト 序曲「フィガロの結婚」をさらっと決めたところで、演奏会が終了します。
いい演奏会でした。テンションを高めて上京し、そこで聞く演奏会もいいのですけど、周囲に知り合いがいて、彼らがステージで花束贈呈を担当する。その何人かで「演奏会どうだった?」という話題が共有できるのですから、それは至福の時でした。もちろん、地方の公演ですから楽章と楽章との間に拍手が起こってしまうのは仕方のないことです(件の2年生も、ショパンの第1楽章が終わったら拍手してました)が、素直によかったと表現できたのですから、それはそれでよしです。
岩手にオーケストラが来て演奏する機会が多くなりました。今月は小山実稚恵+BBC響があります。来月早々には新星が地元コーラスと共演します。しかし、何せ2人の子持ち。次の演奏会は出張のついでに都内で、となります。(山田壮一)
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MAY/10
「寺子屋」新装開店にあたって
とはパソコン通信から始まった「ASAHIパソコンネット」は、その後「ASAHIネット」と名称を変えます。「パソコン通信にもっと文化を!」という姿勢は「電脳筒井線」でブレイクし、ネット主催の「パスカル文学大賞」から芥川賞を出してしまうところで、形を出すことができました。また、Peopleと連携を取ることで、会員数も双方で数十万人を突破。それぞれの会議室で書き込みが増えたのも事実です。
しかしインターネットが驚異的な速さで普及してきました。今までのパソコン通信そのものを飲み込み、ソフトもハードも速さについていけない部分が出てきました。ASAHIネットは、大手パソコン通信の中でいち早く「インターネットプロバイダ」を打ち出します。そして、基本料金の中でホームページを持てるようにし、料金体制も大幅に見直し、利用形態によっては値下げという方針も打ち出しました。その結果「インターネットをやっているが、パソコン通信の会議室を見たことがない・知らない」という会員数が増大することになります。これはパソコン通信をメインにやってきた私にとってつらいことでした。
会議室のモデレーターをしてましたから、そちらをおろそかにはできません。一方でそういうしがらみに関係なく、会員の自由闊達なホームページを見るにつけ、悔しい思いもしました。パソコン通信で何年かかけて蓄積した情報量を、ホームページの持ち主は一気に出します。しかも、こちらは画像(しかもカラーで動いたりするものもある)に音声が付き、自由にリンクできる。その実態がわかってくるにつれて、通信にしがみつくのが愚かにすら思えてきます。
この度のASAHIネット・大改編は、パソコン通信からインターネットに軸の向きを変えるものであります。だからといって、パソコン通信もやっているわれわれはひるむ必要はないと思います。必要があればインターネットに出て行けばいいわけですし、熟成が必要であればなお通信に専念していればいいのですから。
教育喫茶「寺子屋」(注:ASAHIネットにあるパソコン通信の会議室)は当面、インターネットに非公開です。ASAHIネットの一部の会議室では、パソコン通信の最新書き込み20本を、インターネットに名前ともども公開しています。しかし、「寺子屋」参加者内部の意思統一が図られてないまま「公開」を決めると後悔するので、ここは非公開でのスタートとなります。
モデレーターを3人にしてもらいました。熊本・東京・それに岩手と、拠点を分けてます。当面は私が流れを作っていきますが、様子を見て仕事を分担するか、それとも流れに任せるか決めるつもりです。3人とも仕事のかたわらアクセスしているので、コメントをつけるのが遅くなるかも知れませんが、それはご容赦くださいますよう。
−−という挨拶文で、ASAHIネット・新寺子屋を始めようかと思ってます。IDを持っていらっしゃる方、その節はよろしく。(山田壮一)
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MAY/12
帰宅のうれしさ
週間ほど、妻子を実家に帰してました。本来は1週間前に戻ってきているはずだったのですが、子どもは風邪を引くし、妻の虫歯は悪化、ということで1週間帰宅が遅れたのです。昨日の東北新幹線→山田線は、旅行客も少なく、山田線・2両の快速列車は余裕で1ボックス取ることができたのでした。祖父母になついていたはずの息子は、新幹線に乗れるうれしさで、ずっとハイテンション。仙台駅まで見送った祖父母のことを忘れてしまいます。
ピークが外れたことで、仙台から乗務の車掌が息子に近寄って声をかけます。帽子をかぶせる大サービスで、彼も上機嫌です。あとでその車掌に2度お世話になります。食事中に車内改札に回ってきた時、配慮を示します。もう1回は娘の「いきみ」の時、車掌室を貸してもらったこと(だって、ベビーベッドがないものですから)。1週間前だったら、こうスムーズに行ったのでしょうか。
さて、実家で祖父母にさんざん遊んでもらったはずの息子は、家に着くなりまたまたハイテンションになります。彼が遊んでいたおもちゃがそのまま残っていたので、食卓に車を並べ、寝床に絵本を並べる芸当をします。彼にとっても、うちに戻ることはうれしさの方が寂しさよりも上なんだ、と改めて思ったのでした。(山田壮一)
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MAY/13
ライブの感触
徒に、先日の「読売日本交響楽団・宮古公演」の感想を課したところ、普段のんびりしている生徒ほど刺激を受けていたようです。
「指揮者(=円光寺雅彦。何人か『雅彦さん』と書いてました)が情熱的でかっこいい」
「リハーサルが合理的で、見習いたい」
「ピアノ(=田部京子)の指の動きが見事」
と、ほとんどが絶賛していたのですが、一人だけこんなことを書いてました。
「リハーサルの時、演奏者が指揮を見てない。私の見たかったリハーサルと違う...」。
彼女は熱心なのですが、演奏を聞かないで帰ってしまった子でした。彼女だけそう記したことを見て、ふと高校1年の春休みを思い出しました。
吹奏楽の作曲者、アルフレッド・リードが自分の曲を演奏するために来日し、新宿までコンサートを見に行きます。吹奏楽雑誌から招待券をもらい、そのチケット代金(1,000円)よりも旅費がはるかにかかったのですが、とにかく行かせてもらいました。ちなみにその時のライブはCDになって出てます。で、プロ吹奏楽団の演奏を聴いて思ったこと。
「うまいんだけど、ところどころミスがある」
そう、アンケートに書いたように思います。
話は読響のリハーサルに戻ります。リハーサルで円光寺が棒を止めた時、確かに半分ぐらいのプレーヤーが演奏を続けてました。それからリハーサルは要所要所の通し練習だけで、細かいフレーズはさらってません。彼女は「吹奏楽部の生徒のためになる練習の仕方」を教えてほしかったんでしょう。でも、練習はいつものような感じだったのです。そこからリハーサルだけ見た生徒とライブも見た生徒との差が表れてきます。ライブも見た生徒はこう記しました。
「花束贈呈でステージ袖から見ていましたが、それでも迫力が伝わってきました」。
−−そのように客観的に演奏を見る機会があっただけでもよかったのではないか。教頭は感想に一通り目を通した後、そういってました。メンバーの半分が1年生。彼女らほど刺激が大きいところに、これからの可能性を感じます。(山田壮一)
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MAY/14
模擬試験のデータ
日中に、予備校系の模擬試験を行うこととなり、上司と打ち合わせをしていたところ、受験教科の取り扱いで議論となりました。
勤務校は専門高校(実業高校・職業高校という言い方もあります)なものですから、社会・数学の代わりに簿記を受験する例が多いのです。しかし、模擬試験に簿記を課す団体を知らないものですから、代替教科で受験させないと合否判定が出ないのです。
「しかし、社会・数学をさせることはむだじゃないか?」
「でも、データが出ません」
「それにしても5教科受ける生徒なんて、本校にいるのか?」
「受験希望がある以上、模試だけでも受けさせるべきです」
−−。もちろん彼らの志望で非現実的なところがありますし、われわれでも志望動向をつかみきってないところがあります。そんな過渡期の中での模試です。実際は、推薦入試で大部分決着するのですが、受験に失敗した場合の対処を考える時に、「データがないと困る」のが現場です。
「模擬試験は力試しで受けさせて、あまりデータは気にしないようにする」
「英語・国語だけ受けさせて、簿記は点数が取れるのだから、他の教科は受けさせなくてもいいんじゃないか」
というのもわかるのですけど、何かピンときません。
もしかしたら、私が模試にかぶれていて、判断がおかしくなっているかも知れません。事務手続きだけをやっていることで、周囲が見えていないこともあるでしょう。ともかく、現状を的確に判断しなければ、という点では両者が一致しました。最近調整役が多くて、今年はそんな巡り合わせなんでしょうか、ねぇ。(山田壮一)
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MAY/16
“同志”の結婚
の人とは数年前、たまたまチャットで知り合いました。向こうは「なんて傲慢な人」と思ったらしく、こっちは「ずいぶん変わった人」というのが第一印象でした。チャットをしたときのIDで、実は彼女はある会議室の世話役をしていたことがわかります。
「会議室を辞めたの。私疲れたから」
というのを冗談半分で聞いていたら、実は彼女がハンディキャップを持っていたことを知ります。それから彼女とは厄介なことをチャット・メール・手紙・電話で交換することになります。私が持とうとしていたハンディは、彼女の持っているそれと比べてはるかに軽いのですが
「ただの同情だけじゃ結婚なんてできないわ」
というのが彼女の口癖でした。
一度も会ってない私に対して、彼女は実に率直でした。私も身の回りのことを話しましたけど、彼女からも取り巻きについて聞かされました。お互い愚痴ってましたから、ある意味では“同志”だったのです。
愚痴仲間だった2人のうち、先に結婚したのは私の方でした。その時彼女は、精神状態がどん底です。
「私なんか、どうなるあてもないし、まっ、せいぜい幸せになってね」
と電話口でいう彼女を、どうしたもんかと夫婦で言っていたものです。
ところが今年になって別の会議室を見ると、何か雰囲気が違うんです。「式の用意」「おめでとう、幸せになってね」「ドレスの寸法を」......。それって結婚じゃないの、と気づくまでに時間がかかりました。だって、彼女は結婚をあきらめていたはずなのに。
式はゴールデンウィーク中にひっそりと行われました。電報を出したお礼にと、後からいただいたハガキ・式次第などを見て納得しました。彼女の不安を旦那が頑張って打ち消したのです。彼女が嫁ぐことに際して、双方の父親が悩んだといいます。けれども、彼は新婦を口説き、両親を口説きました。それはただの同情じゃなくて、旦那が彼女をとことん愛し抜こうと態度で示したからこそ結ばれることができたのでしょう。
妻が言います。「どこのうちでも、誰が結婚しようとも、すんなりとは行かないのよ。最後は結婚したほうが勝ちよ」。−−何だかんだ言っても、文面から幸せがにじみ出てるよね。「そりゃぁ、そうよ」。
というわけで、われわれの“同志”関係は第2ステージに突入しました。あっ、タオルハンカチどうもありがとうございました>ご両人。(山田壮一)
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MAY/17
3本建てはむずかしい
本建て−−といっても映画のことではありません。私がホームページを持って、パソコン通信(BBS)のモデレーター(世話役)2つ抱えていることを「3本建て」といいます。木造だったBBSを容量の大きい鉄筋に変えよう、と大家(ASAHIネット)が言ってきたことは前にも記しました。それに伴って、私が関わっていたBBSの2会議室も対応を余儀なくされました。そんなことをしないで、ただ己のページを更新していれば良かったんでしょうが、そこはつい面倒を見てしまいます。その後、幸運なことにあっさり模様替えに成功し、一つの会議室はインターネットから公開もされてます。
「むずかしい」というのは、3つ(ホームページとBBS2つ)にきっちり書くことがです。実は、BBS「会議室の紹介文」を書いてしまわなければいけないのですが、インターネット非公開の会議室について、まだ書き上げてないのです。そんなうちに議論がどんどん進行していくのですが、今のところ他のモデレーターがコメントをつけてくれるので、何とかなっているのであります。
ある人が私にこういいます。「BBSからも目が離せませんぞ、旦那」。改編のおかげでBBSも賑わい、ありがたいことです。でも3つ万遍なくやるのは、予想以上に難儀です。
モデレーターは2つで止めようともともと思ってましたが、いや、1つで充分。ホームページも直さなければいけないところがあるのに、どうしても更新が遅れてしまいます。「3本建て」は充実している反面、ハードでもあります。この先、どうなりますやら。(山田壮一)
注)98年末にモデレーターの1つを辞し、2本建てになっています(99年5月記)。
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MAY/19
「昨日」のこと
晩、高校から大学時代にかけて世話になった牧師がラジオに出るというので、隣局との混信に悩まされながらダイヤルを合わせました。
「高知での仕事」のことから話し出したのは番組の意図もあったのでしょうが、牧師らしい話の切り出し方でもあります。混信の中から聞こえてきたのは、おおよそこんなことでした。
「赴任して最初に驚いたのは、物事をストレートにいうこと。しかし、後から蒸し返すことがないので、仕事がとてもやりやすい。高知の人は京を見ないで、太平洋を見て物事を考えるから、スケールが大きくなるのではないか」−−。
5年ほど前に高知に遊びに行ったときも、実は同じようなことを牧師が言ってました。そのことには驚かなかったのですが「赴任して9年になる」という段で、はっとします。そういえば私が仕事に就いてから経過したのも9年でした。
私にとっては「つい昨日のこと」と思えることでも、昔のことを話して通じる相手が少なくなり、配偶者を得て子どもができるとさすがに「昨日のこと」とは言えなくなります。彼が「9年」と言ったことで、時の経過が早いことを改めて知ります。今週も慌ただしいうちに1週間が過ぎていくのでしょう。そのスピードの速さに驚く時が来るのが恐いです。(山田壮一)
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MAY/20
このページの見方
ットサーフィンをしているうちに紛れこんでしまったあなた。次のサイトに行ってしまう前に、「かほくのホームページの作り」をちょっと読んでいってください。
5月20日現在の画面で説明すると、
・【大きな看板と小さな看板】で案内があります。ちなみに小さな看板はときどきCSJを通して出張することがあります。次にあるのが
・【きょうの一言】。これは連日変わります。その下に
・【mailto】できるようにしてます。下のポストをクリックしても同じです。ネットスケープメールなので、他のブラウザだと厄介かも知れません。その下に
・デジタルカメラで撮った【写真】があります。たまにどこかのページに飛べるようになっていることもあります。写真の説明はそのページになります。続けて
・【アクセスカウンタ】があります。およそ1日に10人強といったペースです。もっともスペースを取っているのが
・【きょうのコラム】で、作成者の気分が表れてます。「更新」と言った場合、ここを指すことが多いです。最近マンネリになってますが^^;。それから
・リンクフリーのアナウンスと【ネットスケープ使用】のクレジットを入れてます。と、次に行く前にこれだけの関門があります。
コンテンツの整理とつぶやくのですが、なかなかままなりません。現在、表にしているものを整理すると
・【「かほくのホームページ」の中にあるコンテンツ】:宮古デジタル観光案内・コラムのバックナンバー・自己紹介・リンク9・こどもの写真・食い道楽・検索エンジン(7つ)
【「かほくのホームページ」の外に出るコンテンツ】:ASAHIネット会員ホームページ一覧・サッポロビールホームページ・ASAHIネット会議室の話題(3つ)となります。「外に出る」ものでASAHIネット関係のものは大家さんへの義理として、サッポロビールが唐突に出てくるのは相互リンクを張っているためです。さらに
・【インフォシークのサービス】と【CSJのサービス】にリンクできるようになってます。CSJの下に他のサイトの案内がでることもありますが、その時は私の看板がよそに出張しているときです。
そんなわけで、音も出ませんし、画面も動かない地味なページなのですが、クリックすると意外なことを発見できると思います。よかったら、これからもどうぞよろしく。(山田壮一)
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MAY/21
その他のページの見方
日の続きです。以前書いたことと繰り返しになる部分も出てきますが、悪しからずご了承ください。
・【宮古デジタル観光案内】私が宮古市内を回って「これは」という名所を紹介するものですが、最近忙しくて更新してません。小山田(こやまだ)近辺に新しい建物が続々と出てきているのですが、これを観光地というのには無理があります。あとは「観光船」「三陸鉄道」「106急行」といった乗り物の写真を載せることが考えられます。それから名店巡りもあるのでしょうが、どうすればいいんでしょう。
・【コラムのバックナンバー】このページにあるコラムは、随時更新されてます。半月につき1ページを設け、後で読めるようになってます。「ジャンル別」という分類も考えられるのですが、そこまで凝ると文章が書けなくなるので、自重してます。
・【自己紹介】ASAHIネット・パソコン通信(BBS)は氏名・居住地(市郡まで)を公開し、かつ自己紹介をするよう求めてます。ですから自己紹介がないとホームページも持てないのです(中には「私が**だ」としかない自己紹介もありますが)。BBSではできないリンクも、WWWで飛ぶことができます。次のページ、インターネット利用環境は若干変動があるのですが、まだ手をつけてません。ここだけを見てダウンロードに手慣れている、と錯覚しないで下さい。弱いんです、その手のページ。
・【リンク9】「あちこちにリンクしているのに、どうしてここだけ『9』に限定するのか」という疑問があることでしょう。実際、私のページに来ることができるのに、こっちからはリンクされてないページがいくつかあります。それは、他のページ経由で行くことができるからなんですが、答えになってませんね。あとは地域のバランス、ネットのバランスを考慮して9に絞ってます。企業・団体を減らすと若干調整の余地が出てきます。
・【こどもの写真】1ヶ月に1度更新してます。彼らに物心がついたら更新できなくなるかも。
・【食い道楽】妻子があると外食もままならないので、これも更新が遅れてます。宮古市内だと「すし屋」が多くなるので、高くなります。ですから、どうしても遠出をした時にまとめて取材することになります。これもそろそろジャンル分けをしないといけなくなってきました。
・【検索エンジン】以前はあちこちのページに飛び道具として置いていたのですが、猥雑になってきたので1ヶ所にまとめました。某エンジンだけ大きくしているのは、私が小さくできなかったからです。そこを1押ししているわけじゃありません。
ASAHIネット関係にリンクすることについても説明しておきます。
・【ASAHIネット会員ホームページ一覧】五十音順・ID順・更新日順で探すことができます。ホームページ1行紹介もあります。
・【ASAHIネット会議室の話題】会議室をインターネット公開にしたい、という事務局の意向に対してネットで異論があり、公開されているのは一部にとどまっています。私もどこかの会議室に書いていることがあります。本当はワンクリックでその会議室に飛ぶようにしたいのですが、CGIのせいなのか、できないようです。
これは5月21日現在のことです。将来変更があるかもしれません。(山田壮一)
注)2000年5月、かなり内容が変わっています。変わってよくなったのかどうか、自信がありませんが。
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MAY/22(THU)
「教職員」組合の意義
合の支部総会がありました。硬い方は予算・決算の審議から、柔らかい方は運動会の出し物を踊ってくるところ(←なぜかわれわれも踊ってしまいます)までといろいろでした。楽しませてもらった交流会のことはさておいて、岩教組(岩手県教職員組合)の先生がこう切り出したことを忘れるわけにはいきません。
「先日岩教組でも支部総会があって、議案も承認されたのだが、ある質問には立往生してしまい、言葉に詰まった」。
実は、近郊の小学校6年生が自殺してしまいます。
「『この子の自殺について、(組合)執行部はどう考えるか』と聞かれた時、考え込んでしまった。最後は『組合としてもさまざまな機会を通して討論したい』と答えたが、『組合』としてこの手の問題にどう関わるか問われた感じがする」。
「いじめ・不登校についてもいろいろと言われているが、われわれ(注:岩教組は小・中学校の教員で組織されてます)義務教育に関わっていると『学校に来させる』指導をしなければいけない。それがわれわれの悩みでもある」
と告白します。後で別の来賓が「財界が教育に『効率化』を求めている」と続けるのですが、そのことについても触れます。
「私が勤めている分校は全校で6人の児童だ。対する教師が4人と、これほど『非効率』な現場はない。その中でどんな実践をするか日々悩んでいる」。
別の来賓からは、児童・生徒の減少によって「高校再編成化」が進められることも出ました。真っ先にあおりを受けるのは小規模校といわれているところで、知人に言わせれば「理想の教育」が展開できるところでもあります。規模が小さければ小さいほど、1人1人を教師が把握することは容易になります。
「『効率化』は生徒をモノ扱いすることだ」
と言い切った来賓もいました。
われわれが訴えたいことを広い層に伝えて行き、認めてもらうのが組合活動の意義だとすれば、ある来賓が言ったことがあてはまると思います。
「高校生を持つ親として、娘の顔色を伺いながら毎日を暮らしている。1人の子どもですらそうだ。加えて先生は40人の生徒を同様に見なければいけないのだから、大変さ察して余りある。その1点から共に手を携えることができるのではないか」。
まったくその通りです。「連帯」「団結」という言葉に息吹を感じた晩でした。(山田壮一)
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MAY/23(TGIF)
寒い!
10度ちょっとの最高気温が続いていた宮古。昨日はとうとう10度を割り、最高気温が9度でした。家ではもちろん、労働組合の集会先、歯科「健」診の会場ではストーブが赤々と燃えてます。しかしそれ以外の場所ではストーブがつかず、震えてます(暖房費にかける年間予算が決まってますから、簡単に暖かくはならないようです)。こちらは冬物の背広を出し、厚手のシャツで寒さに備えているのですが、それでもサッシで締め切った部屋ですら14度しかないのですから、切ない。
外はどういう状況かというと、一日中曇っていて(雨の時もあります)日が射さない。これが数日続いています。さらに海からの風が冷たく、気温が上がる状況にならないのです。昨日は「宮古湾の水温」の方が高かった(10.3度)というありさまです。
妻はママコートを実家に預けていたのですが、あまりの寒さに耐えられずSOSの電話を入れます。子どもも外で遊ぶような状況じゃありません。当然、彼らのストレスもたまり就寝前の一暴れに付き合うことになります。
昼食を売る業者は、この時期にもおでんを売ってます。「おでんって1個いくらだっけ」という会話が、5月下旬だというのに飛び交ってます。(山田壮一)
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MAY/24(S・A・TUR・DAY)
仙台−久慈・直行列車の意義
TB時刻表6月号付録(黄色い)22ページに「リアス・シーライナー」が運行されることが出てます。赤字になってしまった三陸鉄道が、観光客を呼ぶために7/26→8/10の間運転する臨時列車です。仙台発久慈行が8:29→15:13、久慈発が12:17→19:40という運行です。列車は仙台を出て東北・気仙沼・石巻・大船渡・南リアス・山田・北リアスという三陸海岸沿いを走ります。風景に関しては何も不足がありません。難題は、どれだけ人が乗ってくれるかです。
仙台−久慈、仙台−宮古には直行バスが走ってました。時刻表を見ると両者とも掲載されてません。確かに仙台−宮古は7月から11月までの限定運行なのですが、そんなに乗客がいるようには思えないのです。つまり、安い(バスで5,000円弱。今回の運賃は不明)のはわかっています。しかし腰が痛くなる。加えて車内に何もないので退屈する−−それが問題なのです。
開き直って「何もない」のをウリにするのも手でしょう。しかし新幹線などに対抗するには「どう快適に移動するか」を提案しなければならないでしょう。「リアス・シーライナーグッズ」の限定販売はもちろん、列車待ち合わせの時間に駅で売るお土産にもそそうがあってはいけません。
直行列車に通しで乗る人が多いと思えません。周辺住民に「臨時列車が走る」ことを周知させないと。JTB時刻表では本文への掲載がありませんでした。JR時刻表には本文に「臨時列車」の記述がありましたが、同じように駅にも「臨時に乗ってくれ」とアナウンスしないと観光客と住民の触れ合いはありません。どうして臨時列車を走らせるかといえば、住民に「鉄道に乗ってよかった」と思わせるためなんですよ。それが直行列車の意義なんですが、ね...。
運賃は北リアス線(久慈−宮古)が1,630円、南リアス線(釜石−盛)で940円。これにJR分(参考までに「青春18」を5で割ると2,300円)が加わります。(山田壮一)
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MAY/26(MON)
本日の出張
7時30分。静寂を電話音が破ります。こんなに早く何かと思ったら、上司から「応援活動が1日延びそうだから、吹奏楽にも明日加わってほしい」というものでした。その電話だけでは事態は読めなかったのですが、1時間後の応援団顧問からの電話で事情がわかってきます。
「競技が雨天で延びたので、明日の応援に加わってほしい。ついては生徒に連絡してほしい」
−−それって、私も行くことになりますか?
「そうです。私(応援団顧問)では生徒を把握できないので」
ということで、部長に連絡をします(注:日曜日の部活動は休みにしてます)。
−−かくかくしかじかで明日応援に行くことになりそうだ。何とかなるか?折り返しの電話で
「何とかするから学校を開けてくれ」
ということになり、3名が学校に出て準備の段取りをしてくれました。私は簡単に考えていたのですが、彼女たちは翌日の用意を愚痴も言わず細やかにしてました。
さて、きょうも天候はよろしくありません。加えて私が試合を見に行くと負けるジンクスがあるので、それがちょっと心配です。結果の報告は明日にします。(山田壮一)
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MAY/27(TUE)
応援団の黄昏
校野球春の東北大会予選・準決勝は平日だというのに千人以上の観客がスタンドを埋めます。第1試合は地元校登場だったので、父母会・OB・ファンが応援します。両校の生徒も最小限いてスタンドで踊っていたのですが、夏の大会と違う独特の雰囲気を感じます。ちなみにこの日はNHKがラジオ中継をし、テレビ岩手などのアナウンサーもスタンドで取材してました。
第2試合。両校同じようなチームカラーで、試合は最後までもつれます。それもそうで、同じ学校の現役とOBが監督と選手で対決したのですから。結局試合運びに一日の長があった現役が試合を制したのですが、私は別のことが気になってしょうがなかったのです。
準決勝進出の4校中、吹奏楽を使わないで和太鼓だけで応援した学校。応援団が10人ほどと野球部の控え、それにマネージャーがスタンドで応援します。県内の「伝統校」と呼ばれるところは、和太鼓1つで応援の統率を行い、リーダーが太い声を出し、旗を振るのがならわしになってます。応援団には権威があって、学校によっては吹奏楽すら入れないところもあります。
しかしその学校。昨日は応援団が和太鼓を叩いている横で、野球部は全然違う応援をします。ペットボトルを叩き、歌うという、どちらかといえば女子マネージャー2名が控えの部員をリードし、最終的には応援団もその応援に加わってしまいます。つまり「狙い打ち」を歌っている横で和太鼓がリズムを刻む状態になるのです。
7回になってエール交換になります。双方の応援団が立って対戦校を応援する場面で、控えの野球部員は座ってエールを聞いてました。(注:その時守備に回ってましたから、応援活動は休止になるんです。でもねぇ)これって、「応援」をなめてませんか−−。そう、帰りのバスの中で応援団顧問に話を聞きました。
「いや、どこの学校でも応援団が変わってきているようです。甲子園に行った某公立校も『応援団』ではなくて『応援委員』の組織です」。
その学校がモダンだったからそんな応援も許されたのでしょう。しかし、応援団の内部に属さなかった私ですら、応援団をないがしろにした行いに見えました。かの学校も「応援団」という人種の消滅に向かっているのでしょうか。そして、こんなことを書いている私は、古いほうの人間になってしまったのでしょうか。(山田壮一)
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MAY/28(WED)
顧問交替劇
学の先生から「楽譜を貸してくれ」という催促の電話がありました。持っていくはずの生徒が楽譜を届けてないとわかり、一件落着だったのですが、その際とんでもないことがわかります。
その先生は去年大学を卒業し、初任にもかかわらず吹奏楽の事務局が回ってきました。彼は大学でも吹奏楽をやってましたから、役目を無難にこなします。とはいっても、事務局は理事会(=顧問会議)やら行事の運営をしなければいけないですから、実質1人で切り盛りするのは大変だったと思います。前校長も彼の活躍は認めていたように思います。ところが電話で彼が何気なく「新しい顧問」と口にします。
−−「あたらしいこもん」って、顧問が変わったんですか?
「えぇ、野球部の顧問にさせられてしまいました」。
事態がわかるまで時間がかかりました。卒業生だった楽譜係の生徒に事情を話すと、彼女も「??」です。
−−若い男子教諭が野球部の顧問をさせられるのはよくあるパターンですが、校長が変わったからですか?
「えぇ、3年計画でコンクール県大会出場と考えてました。県の役員も新しい顧問になってもらいます」。
この話を聞いて、怒りをとおり越してあきれてしまいます。「若いうちは運動部の顧問」という雰囲気が教育現場には確かにあります。勤務校も実はそうです。しかし、吹奏楽だってまともにやればシーズンオフはないのです。“若いうち理論”はあたりません。1年顧問をやって、さぁこれから頑張ろうという時に、別の指導者(初任のようです)が来る。生徒は混乱します。こういう事態を甘んじて受けた職場は何をやってるのか、不当労働行為じゃないのか、と思うのです。でも「若いうちは何でも経験しなさい」という一言で、顧問が替わったんでしょう。あちこちの現場でそんなことやっているから、高校野球の人口がサッカーに逆転されるのですよ、たぶん。(山田壮一)
注)彼は、その後も野球部を持たされるのですが、翌年県大会を制覇してしまいます。いや、恐れ入りました。
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MAY/29(THU)
同窓会の欠席通知
月、東京と盛岡で卒業生の激励会(いわゆる同窓会)をするのですが、私が担任した卒業生はことごとく「欠席」と記してきてます。他のクラスだった卒業生はそこそこの出席表明なのですが、どうしたもんなんでしょう。
確かに学生の比率が他のクラスより高いですから、彼らは仕方ない(土曜日も授業がある、と先月来た生徒は言ってました)。問題は大企業の事務職に就いた卒業生までもが「欠席」と書いてよこしたことです。会社を通して案内を送ったのですから、会社は何らかの配慮をするはずです。
ここからは憶測なのですが、今回の激励会に限って2年分(昨年度と一昨年度の卒業生対象)まとめてやってしまう。そのことに対する不満が表れているのではないかと思うのです。ただ、学校側の事情だったのですが、卒業してまでも「先輩後輩」の関係を思い出したくない−−そういうメッセージが読み取れるのです。
ある卒業生は、一度出席に○をしておきながら、修正液で消して「欠席」に印を付け直しました。たぶん裏のネットワークが機能しているのだと思います。もう立派に自立を果たしたんだと喜べばいいのでしょうが、私にとって「欠席」しかない返事を見るのはつらいです。残り数人がどういう返事を書くのか、不安と期待で待ちます。(山田壮一)
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MAY/30(TGIF)
5月30日
15年前の今日、バプテスマ(=洗礼)を受けました。日常の雑事に翻弄され、きょうになるまですっぽりと忘れていたのです。どうやって思い出したのかというと、新聞の活字「ゴミゼロの日」...まてよ、きょうは5月30日...それって、もしかするとバプテスマを受けた日...ありゃぁ、となったわけです。
信仰を持つ=日々平穏無事というのは違う、と信仰の先達は言います。まったくその通りで、コンクールの予選落ち、受験の失敗に始まり、何となしに息詰まっている最近まで「つつがなく」とは行かず、願いが何でもかなうというわけでもありませんでした。しかし私にとっての5月30日は、自覚的に物事を考え出そうとした日であり、この日がなかったらもっと世の中に流されていたように思えるのです。
現在、礼拝に出席して思うのは、若年層が自覚的に信仰を持ち得なくなったことです。なぜなら、私が行く教会は老人が多く、こういう雰囲気の中に若者が入っていきづらいように思えるからです(私もプレッシャーを感じます)。だから教会員の子どもも礼拝に出ない。もっとも高齢化が進む社会では、まず老人をどうするかを考えなければいけないのでしょうが、子どもを育てないと、彼らが近寄らないのもむべなるかな、であります。
信仰を持たない周囲は15年前、何も言ってくれませんでした(家族にも内緒で信仰を持ったのですから)。ただ、1人だけ「おめでとう」と言った友がいます。彼は信仰から距離を置いています。だから虚を衝かれもしたのですが、祝ってもらったのはうれしい出来事だったのです。それから15年経ちました。(山田壮一)
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