情報考古学会 前期旧石器問題ミニシンポ

3月17日に帝塚山短期大学(奈良県)で開催された情報考古学会第11回大会(第1日)に参加してきました。日程の前半は普通の研究発表、後半が前期旧石器捏造問題に関するミニシンポです。ミニシンポのさらに前半が竹岡俊樹氏と小田静夫氏の講演、後半が討論会です。記録集を出すそうなので、全体の概要ではなく興味深かった部分の紹介とします。[]内は私の感想です

参加者約60人[例年は何人くらいなのか?]

竹岡俊樹氏の話

「捏造石器コメンテーターの竹岡です」と切り出し、講演の大部分は、竹岡氏の視点による発覚までの経緯(4月上旬発売の季刊邪馬台国72号に掲載予定)

95年春 K氏との会話で、東北「前期旧石器」に関する不思議な話を聞く[オウムで大騒ぎの時期]

96年 当時の考古学協会会長に、「前期旧石器」の検証を提言するが相手にされず

96.11 寒河江市富山遺跡の石器を観察。これこそ前期旧石器

97.2 上高森の石器を実見。一見して、比喩ではなく本当に笑ってしまった。黒土の付着にも気付く

97.3 ある研究会後の懇親会で鎌田氏と話す。藤村氏に不思議な話があるようだがと水を向けると、否定するどころか、進んで、藤村氏の特異能力に関する信じがたいエピソードを語る(藤村氏が遺跡に着くと風が舞い石器が姿を現す。藤村氏に言われてロームの断面を叩いたら上から石器が降ってきた 等)。鎌田氏はグルではないという心証を抱く

98年春 相当悩んだ末、『旧石器考古学』に批判論文を投稿。「一人の特殊能力の持ち主によって発見され」のくだりに編集者から削除要請。掲載号は98.6に刊行。この論文の感想を多くの研究者に聞いたが冷淡な反応がほとんど。もっとも真っ当な反応は岐阜県のS氏で「性悪論が必要だね」。[S氏とは98年秋の考古学協会沖縄大会でお話しする機会がありました。]

99年[岩宿50周年]春 問題の石器群を再観察しようとするが鎌田氏に断られる(「あなたは人の悪口ばかり言う」)。ある人の配慮でなんとか観察できる

考古学内部での解決はあきらめ、馬場氏と相談。2001春位からある新聞社(毎日に非ず)とタイアップして批判キャンペーンを張ろうという構想を練る。[立花本p56に馬場氏の関連発言有り]

2000.9上旬 毎日新聞T記者の取材を受ける。初めは警戒したが、真剣に取り組むつもりと分かったので協力

同中旬 NHKのY記者から取材。「毎日がそのうちスクープするよ」「それなら秩父シンポの前に動きがあるでしょう」[秩父シンポの半月前に上高森で建物跡「発見」・捏造発覚]

11/4夜 T記者からTEL。「藤村が捏造を認めました」

後半は、フランス先史学の石器の記載についてなど。「日本の旧石器研究が立ち直るまで1年で充分。今私がまとめている本を読めばいい」

小田静夫氏の話

冒頭に、「聖嶽問題に関してインターネットで批判されて滅入っている。批判するなら実名にせよ」
前半は日本の旧石器研究史の概観。「前期旧石器」は失敗の連続。

中程で芹沢・藤村系「前期旧石器」にふれる

後半は、小田氏が現在考えている「日本人はどこから来たか」。
愛鷹・箱根、相模野、武蔵野、北関東の4地域の編年を対比し、いずれも最古から「イモ石器」→「チャート石器群」→「磨製石斧を含む石器群」と変遷することを指摘(「黒潮圏の考古学」
スンダランド(東南アジア)の礫器文化が黒潮に乗って渡ってきたのが日本の旧石器文化の起源と考える

討論会

司会が用意した質問(および会場からの質問)に2人が答える形式

主な質疑

Q 11/5のスクープの感想は?
小田 小野昭氏(都立大)から毎日新聞を読んで見ろと電話が掛ってきた。捏造とは思っていなかった

Q 藤村石器のすべてが縄紋か?
竹岡 古そうなものも混じっている

Q(会場から) 会津で観察した石器の中に藤村氏が作ったと思われる石器はあったか?
竹岡 無い。自分が捏造するならアシューリアンを作って薬品処理するが、藤村氏は石器が作れないから縄紋そのものの石器を埋めたのだろう。


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