☆桃兎の小説コーナー☆
(08.03.15更新)

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 レスは日記でしております〜。

 


 ドラゴンマウンテン 番外編  
  2. メディの秘密 (メインキャラ・メディ)(時系列14話後)
 
 
      1

 穏やかな冬の日差し。
 今日は特別に天気が良くて、町を行く皆の顔が明るい。
 通りに面した窓辺で暖かな陽光に金色の髪を輝かせながら、メディはうっとりと外を眺
めていた。
 『今昔亭』の向かいにある食堂に居るのは、大事な妹分と、その妹分が愛する男。
 正直男の方などには目もくれず、メディは可愛い妹分をじっと眺めていた。
「あぁ、あんなに嬉しそうにして。もう、輝いちゃって」
 澄んだ緑色の目を妹分よりも輝かせて、メディはふふっと笑う。
 食堂の屋外用の椅子に座った少女は、サンドイッチをほおばりながら向かいに座る男に
にこにこと話しかけている。口の動きから察するに『ありがとう!』とでも言っているの
だろう。

 愛する男と共に歩む為に、一緒に仕事をする為に、そして自分の為に、少女は今日も稽
古に勤しんでいた。
 そして稽古が一段落した午後三時ぴったりに、彼女のおなかが『ぐぅ』と鳴った。
 少女の師匠である男はそれを聞いてひとしきり笑った後、彼女の腹を満たす為にむかい
の食堂へと二人仲良く向かっていったのだった。

「あん、マリン、そんな食べ方したら…! あぁ、もう、ほっぺについちゃった」
 勢いよく食べたせいで飛び散ったトマトが、少女の頬にぴっとへばりつく。
「ほら、ガント、とってあげなさいよっ、あぁもう、笑顔でマリンを眺めてないで! も
う、私が取りに行っちゃうわよ!?」
 窓際でそわそわするメディに、カウンターにいる女将が小さく笑う。
「そ、そうよ、それでいいの…って、きゃんっ!?」
 突然の感覚にメディはビクッとなって振り返る。

「おぅ、まーた嬢ちゃんを眺めてんのかよ? あきねぇなぁ」
「貴方はまたセクハラ? ……いい加減自重なさいな」

 折角のマリンタイムを邪魔されて、メディはギロリと目の前の男を睨みつける。
 漆黒の短髪に、燃える様な赤い瞳、顔に刺青を入れた男、レンジャーのマクスだ。
「仕方ねぇだろ? イイ女がケツ振りながらうっとりしてたんだ」
「貴方の場合、胸とお尻が魅力的だったら誰でもイイ女になるんでしょ?」
 ふいっと顔を背け、メディは窓の向こうへと視線を戻す。

 最後の一個のサンドイッチに手をかけたマリンが、うーんとひとしきり考えた後にそれ
を半分にして目の前の男に差し出す。
 男はふるふると首を振ったが、マリンの必死の訴えに負けてそれを受け取り、ぽいと口に
入れた。

「もう、どうせガントがマリンの為にって買ったんだから、全部食べちゃえばいいのに。
マリンは優しい子」
 目を細めて、メディは至福の表情でマリンを見つめる。
「最後の一切れしかやらねぇのに、優しいもクソもあるかよ」
 背後からの突っ込みに、メディは再び振り返り、思いっきり睨みつけた。
「で、何? 私の至福の時間を邪魔しにきたわけ? そうだったら本気で怒るわよ?」
「ちげぇよ。ちょいと付き合って欲しいんだ。部屋まで来てくれよ」
 マクスのその言葉に、メディは露骨に嫌な顔をする。  

 マクスはセクハラ魔人だ。
 いや、もうそれはセクハラというレベルを超えていると言っても過言ではない。  
 戦闘以外は肉欲しか頭に無いのではないかというその振る舞いは、レンジャーとしても
人間としても大問題の人物である。
 だが、それ以上に女性にも男性にも人気があるのがマクスだった。

 メディにとっては迷惑以外の何物でもないのだが。

「なんもしねぇよ。ほら、恒例のアレ、頼むぜ」
 少し小さな声でマクスは呟き、二階の自分の部屋を指差す。
 『アレ』という単語に反応して、メディの表情が真剣な物に変わる。
「…、仕方ないわね。ほおっておく訳にもいかない…わね。女将さーん、私達、上に居ま
すからー」
 少し遠くに居る女将に、メディは大きめに声をかける。
「はいよ」
 女将は帳簿をつけながら、短く返事を返す。
 どうやら帳簿が合わないらしく、女将は真剣そのものだ。
「あぁん、マリン、じゃあね」
 名残惜しそうに窓の向こうに手を振りながら、メディは階段をたんたんと上がっていっ た。

        2

 二階の奥から二番目の部屋がマクスの部屋だ。
 マリンとガントの部屋の間に位置するのその部屋を希望したのは、マクス本人だった。
 マクスは少しがたつく扉を開けメディを先に部屋に入れると、少し後で自分も中に入り
カチリと鍵を閉めた。
「…、殺風景ね」
 荷物一つない部屋。
 マクスが『今昔亭』に来たばかりなせいもあるのだろうが、それにしても何も物の無い
その部屋にメディはふぅとため息をついた。
「しゃあねぇだろ。寝室に荷物を置いてりゃ今は十分なんだよ。それに、また旅に出たい
しな。物は持たないに越した事ねぇよ」
 寝室に置かれた大きなバックパック二つ分の荷物を指差して、マクスはニィッと笑う。
 不敵に笑うマクスとは対照的に、メディはクールな表情のままで淡々と問いかけた。
「で、何処ですればいいの? ここ? 寝室?」
 メディは豊かな金色の髪を一つに纏めて、白い手袋を外す。
「寝室でいいぜ?」
 マクスは迷わず寝室へ向かい、メディを手招きする。
 メディは少々の荷物が置いてあるその寝室に入り、奥にある部屋に唯一の窓のカーテン
をさっと閉めた。
「じゃ、私は準備してるから、貴方も準備なさいな」
「おう」
 マクスは短くそう答えると、手際よく服を脱ぎ始めた。
 上着をベッドに放り投げ、ズボンに手をかける。
 一分もたたないうちに、マクスは下着のみの姿になっていた。
 カーテンの隙間から僅かに差し込む光が、戦闘で負った無数の傷跡を照らし出す。
 そんなマクスを前にして、メディは表情一つ変えずその前に立った。
「始める…わよ?」
 仁王立ちのマクスに手を翳して、メディは真剣な表情で呪文を口にする。
 さらさらと流れるような<聖>の詠唱。
 その詠唱が一区切り来た所で、メディはぴくりと眉を寄せた。
「…、大分悪化してるじゃない。旅に出ている間、サボったでしょ」
「おう、金は旅費にあてたからな。教会なんぞいってる暇も金もねぇよ」
 メディの呪文に反応して、マクスの体に複雑な刻印が浮かび上がる。
 傷跡だらけの逞しい体全体に浮き上がる光の筋に、メディは首を振った。
「あまり進行させないでって言ったでしょ? 取り返しつかなくなるわよ?」
「かまうかよ。それで死んだら、オレはそこまでの男だって事だ」
「馬鹿」
 メディは再び呪文を唱え、マクスの体にその白く細い指を這わせる。
「いいねぇ、その指。そそるぜ」
「黙ってて」
 メディは詠唱を続け、マクスの体に浮かぶ白い筋に沿って『解呪』の呪文を刻み込む。
 次第に元あった光の筋が上書きされるように消え、新たな刻印がマクスの体に刻みこま
れる。
「お、楽になってきたぜ」
「そ、よかった」
 メディは目を伏せて、印を結び、呪文を締めくくる。
 すっきりしたマクスとは裏腹に、メディの表情は曇っていた。
「…、まだ気にしてんのか? あの事」
 不意に掛けられた言葉に、メディがびくりと反応する。
「忘れた事なんて…無いわよ」
 メディは俯いたまま、声を搾り出す様にして呟いた。
「馬鹿だな。テメェは。お前の『光』、見つけたんだろ? なら『光』だけ見てろよ。今
更そんな顔するな」
 マクスは下着姿のままベッドに座り込み、立ち尽くすメディを見上げる。  
「六年も前の事なのにね」
 自らの体を抱きしめるようにして呟くメディを見て、マクスはピクリと眉を動かす。
「オレを見る度に思い出してんじゃねぇだろうな」   
 低く投げかけられたその言葉に、メディはビクッと体を震わせくるりと背を向ける。
「二年もお前の前から消えてやったってのに、傷は未だ癒えず、か?」
 僅かに震えるメディの体を、大きな腕が包み込む。
 急に抱きしめられたメディは、ほんの僅かだけ表情を変化させる。
「てめぇはイイ女だ。過去なんて忘れちまえ」
 マクスの大きな手に余るほどの豊かなメディの胸を、荒く優しく揉みながら、男は小さ
く耳元で囁いた。
「こっちの『聖呪』も上書きしてくれた事だし、てめぇの体の記憶も上書きしてやるよ」
「嫌よ、…お断りだわ。六年前に貴方が上書きしてくれた分で十分よ」
 メディはマクスの手を掴み、そっと体から外す。
「お前は『メディ・サーケイス』だ。もう『エレノア・チェイン』じゃねぇ」
「その名を…出さないで」
 ゆっくりと首を振り、メディは声を震わせる。
「泣くな。メディ」
 マクスは後ろから再びメディを抱きしめ、その大きな掌で顔を覆う。
「言ったろ。オレに申し訳ねぇと思うのなら、その分前を向いて生きろと。自分の『光』 を捜せと」
「ちゃんと、『光』は見つけたわ。でもっ…!」
 マクスは言葉を遮るように口を塞ぎ、メディをきつく抱く。
「ならそれでいいだろ。もうあいつらはいねぇ。オレが殺した。お前は解き放たれたんだ。
お前はお前だ。メディ、そうだろ?」
「……っ!」
 肩を震わせるメディの背中に、熱い体温が伝わる。
 燃える様な、炎に抱きしめられているかの様な熱さがじわりと染み込み、メディの心が
一瞬ぶれる。
「オレはテメェの『光』じゃネェ。テメェが望んだって『光』にはなってやれねぇよ。だ
から、お前はあの嬢ちゃんだけ見てればいいんだ。…、悪かったな。次からは教会で処置
してもらうぜ」
 マクスはすっと手を離し、メディに背を向けた。
「別に、構わないわ。あの神父、法外な料金を請求するもの。ここに居る間は、私がする
わ」
 お互い、背中合わせ。
 メディは白い手袋を再び装着し、髪をほどいた。
 しばしの沈黙の後、メディは寝室の扉に手をかける。
「次は一ヵ月後、サボったら知らないんだから」
「おう」
「あと…」
「ん?」
「下のモノをいきり立たせたままそんな事いわれても、説得力ないわよ」
「へん、そんな体の女を前にして勃たない方が失礼だぜ?」
「馬鹿」
 メディはバタンと扉を閉め、すたすたと外へ向かった。  

 一人残ったマクスは俯いたままニヤリと笑い、窓のカーテンを開け放つ。
「なんだ、強くなったじゃねぇか」
 肩を震わせ、マクスは小さく笑った。
 窓の外では、マリンとガントが二人仲良く食堂を後にした所だった。
 かつての相方に目をやり、マクスは自傷めいた笑みを浮かべる。
「……オレだけか。闇に飲まれたままなのは」
 頬に刻まれた刺青を撫でて、マクスは笑った。


「あ、メディ!」
 『今昔亭』に戻ってきたマリンが、階段を降りてきたメディを見つけ駆け寄る。
「あら〜! お食事は済んだの?」
「うん! 結局足りなくって、もうちょっと食べさせてもらっちゃった」
 照れながらも満足そうな顔で、マリンはメディに微笑んだ。
「もう、ずるいわっ! ガント、なんでマリンをこんなに幸せそうにする訳っ!?」
「なんだよ、幸せにして悪いかっ」
 ガントのストレートな言葉に、マリンは顔を真っ赤にしてメディに抱きつく。
「よーし! 私もマリンを幸せにするわっ! マリン、まだ食べられる?」
「え!? す、少しくらいなら」
「『レディレイス』が新作のケーキ発売したのよ! 行きましょ! 苺のケーキらしいか
ら、えぇ、きっと美味しいわっ!」
 この町唯一のケーキ屋の新作と聞いて、マリンの目がキラキラと輝く。
「うわわっ、苺! お菓子は別腹だよ! メディ!」
「うんうん! ガント、マリン借りるわよっ! そして返さないわ!」
「借りたら返せっ!!」
 ふーんとメディは笑顔のままそっぽを向く。

 マリンはガントのモノだ。
 だがそれ以上に、マリンは大事な妹分であり、『光』なのだ。
 笑顔のマリンの手をとり、きゅっとその暖かな手を強く握りしめる。
 そう、大事な、大事な…。

「さ、行きましょ! マリン」
「ガントー! ちょっと行ってくるー! 夕方には帰るから、後でまた稽古しようね!」
 笑顔で手を振るマリンの手をひいて、メディは笑顔で『今昔亭』を出て行った。


「おう。賑やかなこって」
「マクスか」
 階段の上から聞こえてきた声に、ガントが顔を上げる。
「確かに嬢ちゃんは眩しいわな。オレにだってわかるぜ」
「…手ぇ出すなよ」
 ガントから発せられた殺気の滲んだ言葉を、マクスは大声で軽く笑い飛ばす。
「ださねぇよ。ああいうのは眩しすぎてダメだ。オメェが大事に大事にしてる花だろ? 
遠くから眺めるだけで十分だぜ」
「……おう」
 少し照れたのか、ガントは目をそらせて少し赤くなる。
「へっ、何だよその顔! あーあー、ちくしょー。つまらねぇ! おう、今晩付き合え!
酒だっ! 酒飲むぞ!」
「断る! マクスは酒癖悪すぎるっ!」
「じゃかしいわっ! 付き合えッ!!」

 その夜、マクスは酷く酔っ払い、町の酒場からガントに引きずられる様に帰ってきたの
は、言うまでも無い。
 マクスは酒癖が悪い。
 なのに酒を飲むのがこの上なく好きで、しかもザルだ。
 一人で飲みに行けば、必ず周りに絡んでろくな事を起こさない。
 だからチークの酒場ではマクスは一人来店禁止令が出ているのだった。
 そんな酒豪のマクスに付き合えるのは『今昔亭』ではガントだけで、酒場に飲みに行く
時にはいつもガントが付き合っているのだった。


「んもう、……馬鹿ね」
 その様子をメディだけが自室の窓から見つめていたのだった。
「ホントに……馬鹿」
 カーテンを閉めて、メディはベットにぱたりと倒れこむ。
 暖かく静かな部屋の中で、メディは昼間の事を思い出し枕をぎゅっと抱きしめた。


 暫くしてメディの耳に聞こえてきたのは、急に降りだした雨の音。  
 不意に降り出した雨は激しく屋根を叩き、耳障りな音が部屋に響く。
「雨……、嫌……」
 枕に顔を埋めながらメディは耳を塞ぐ。
 激しい雨の音は、嫌でもメディの記憶を蘇らせる。
 消そうにも消えない、あの記憶だった。

      3

「起きろ、起きるんだ、エレノア」

 重く低い声にびくりと体を震わせ、揺れる馬車の中で少女は目をあけた。
 外の激しい雨に打たれて、馬車の幌がばちばちと音を立てている。
「もうすぐ例の町に着くからな。ほら、後ろを向け」
 声の主にどやされて、少女は重い身をぐっと持ち上げた。

 汚れた金色の髪は頬にへばりつき、その緑の瞳は闇にのまれたように曇っていた。
 十八の少女、というには不似合いなまでに成長したその体には無数の傷跡がつけられて
いて、見るも無残な状態だった。
 白い肌は汚され、痣とかすり傷でいっぱいの体。
 そして少女が身に着けていたのは、薄い下着一枚のみ。
 後ろに回された手には木枠の枷がはめられており、手首には血が滲んでいた。  

「よし、これで外れた。ホラ、服を着ろ。町では『いつもどおり』にしろ。いいな。素質
のある者を見つけ次第、すぐに報告しろ」
 低い声の男とは違う細い男が、少女の手枷を外しその手を自由にする。
 男達は全員で三人、全員聖職者の纏う白いローブを身に纏っていた。
 少女の足元にそっと置かれたのは、同じく聖職者の法衣。
 少女は白い服を手に取り、慣れた手つきでその身に纏う。
 髪をとかし、自らに回復の呪文をかけて傷を癒すのもいつもどおりの事だった。
「手首の傷…、もう取れない……」
 幾度も幾度も刻まれた傷やあまりに深い傷は、どんな呪文でも消えずに跡になって残る。
 少女は白い手袋でそれを隠し、深く息を吐いた。

 少女は特殊な能力を持つ家系に生まれた子だった。
 代々<聖>の精霊の加護を受けるその血筋は、リゾルートの聖職者達の中でもトップク
ラスの地位にあった。
 そんな一族の中でも、この少女には特別の力が備わっていたのだった。
 いわゆる『聖女』とでも呼ばれる位の強力な力だった。
 あらゆる傷をたちまち治してしまうような上級のスペルを十歳にして使いこなし、そし
てその目には人の資質を見抜く力が宿っていた。
 少女は優しい父と母に愛され、何不自由なく育った。  

 だが、幸せは長くは続かなかった。

 戦争が一層激しくなった頃、両親は過酷な仕事に疲れ果て、病に倒れた。
 父も母も、国では重要なヒーラーだった故に、その二人が欠けたことによって国は大き
なダメージを被ったのだった。  

 そこで仲間である聖職者達が考えたのは、早急なヒーラーの補充であった。
 二人の一人娘であるエレノアには人の素質を見抜く力がある。
 その事に目をつけて、教会の聖職者達は強引に少女を王の前に引っ張り出した。

 少女は戦争に関わる事を嫌がった。
 だが強大な力は、それを許さなかった。


「見えてきた、町だ。ドラゴンの加護を受ける町チーク。あぁ、人を探す為とはいえ、こ
んな山奥にまで……。全く冗談じゃない」

 メディの傍に居た聖職者の一人である細い男が吐き捨てる様に呟く。
 その男の言葉に頷くように、メディを起こした声の主が深く頷く。
 その男の胸に光るバッジが、この中で一番高位の者だと言う事を示していた。
「マイリオ…様、精霊が騒いでいます」
 少女の声に、マイリオと呼ばれた高位の男は眉根を寄せた。
「あそこはドラゴンの領域だからな。なるべく滞在は短い期間にする予定だ。見えるだろ
う、あの馬鹿でかい山が。あの山は人の運命を変えるらしいからな」
「運命を……」
 少女は顔をあげ、雨に霞む山を見つめた。
 雨にかすんで僅かに見える山は、今までに見たこと無い程巨大で、聖地ともいえる雰囲
気を醸し出していた。
 運命を変えると言われている山、ドラゴンマウンテン。  

 少女の中で、とうの昔に捨ててしまった筈の『希望』という二文字がちらりと顔を出す。  

「さ、今回も期待しているぜ、今までに見つけたヒーラーの数は50人か。戦局も大分ま
しになってきたらしいしな。エレノアは体力が無いから戦場には向かない。戦場に行かな
かっただけ、ましだってもんだ。はははっ」
 太めの男が、馬を操りながら笑う。
 聖職者とは思えぬ下卑た笑い。
 そんな声を聞きたくなくて、エレノアは耳を塞ぐ。
(戦場で…死んだ方がましだわ)
 少女は心の中で呟き、目を伏せた。
「さ、町だ! 久しぶりに旨いモンが食えそうだな」
「羽目は外すなよ、あくまで我々は『聖職者』だからな」
 そういったマイリオの顔は、とても聖職者とは思えない、嫌な表情をしていたのだった。  


 馬車は綺麗に整備された町の中を足早に進んでいく。
 雨でなければ綺麗と言えたであろう町並みは、どしゃ降りの雨に濡れて暗く重い雰囲気
に包まれていた。
 町がこんなに暗く感じるのは自分達が町に歓迎されていないからだと、エレノアにはそ
んな風に思えて仕方が無かった。
 馬車は町の東に位置する教会の前で止まり、マイリオ達は雨を避けるようにさっさと教
会の中へと入っていった。

 少女は重い体を動かして馬車を降り、その場に立ち尽くした。
 夕方という事もあって、辺りはどんどん暗くなっていく。
 激しい雨に打たれながら、少女は町の北にそびえる山を見ていた。
 運命を変える山。
 町から見たその山は更に大きく、偉大で、少女の緑色の目はその山に釘付けになってい
たのだった。  


「どうした? 山に用か? 嬢ちゃん」  


 背後から掛けられた声にビクリとなって、くるりと振り返る。
 猛烈に熱い、炎のような気配。
 今まで感じた事の無いほどの強い『力』と、どこか掴めない様な不思議な感じ。

 そこには、血まみれになった男がびしょ濡れになって立っていた。

       4

「おう神父、傷の治療頼むぜ」
 男は荒々しく扉を開けて、教会に入っていった。  
「なんだ、またお前か。一体いくら怪我をすれば気が済むんだ」
 神父は首を振りながら、男の体を上から下までじっと見つめる。
 筋肉に覆われた硬く締まった体に無数に刻まれた切り傷。
 それはモンスターの手によるものではなく、人の手によるものだった。
「しらねぇよ、ちょいと酒場で絡まれただけだ。奴ら、瓶で殴ってきやがった」
 頬に流れる血を払いのけ、男はフンと笑う。
 血の下から現われたのは、頬の左右に刻まれた赤い刺青。
 男が笑うと頬に刻まれた刺青はくっと歪んで、その形を変えた。
「ふむ、傷が深いな。ちょいと高くつくぞ」
 ニヤリと笑ってそろばんを弾く神父に、少女が不意に割って入った。
「神父様、私が」
 雨でびしょ濡れになった少女は、迷わず男に手を翳す。
「闇を払い、光を持て……」
 突然の事に驚く神父をよそに、少女は優しい響きでスペルを唱える。
 白い光が体を包み、透き通るような風が男の体を駆け抜けていく。
 いつもの神父とは明らかにレベルも早さも違う回復の仕方に、男は驚いた顔のままその
魔法を受けていた。

 白い法衣、濡れた金の髪に緑の瞳。
 淀みなく唱えられる高レベルの回復呪文。
 それをみて神父が納得したような顔で頷いた。

「ふむ、これが本家の奇跡の娘、か」
「なんだこりゃ……、半端ねぇな」
 無数の切り傷はあっという間に塞がり、跡も残らず消えてしまっている。
 体の奥からみなぎってくる力に、男はその拳をぐっと握り締めた。  

「何をやっている、エレノア」

 礼拝堂の奥から聞こえてきた重く低い声にビクリとなって、少女はその手を止める。
「すみません、マイリオ様」
 少女は震える声で聖職者に頭を下げた。
 マイリオは苦笑しながら、先ほどとは全く違う声で神父に話しかけた。
「申し訳ない、カートン神父。どうもこの子は…。さ、奥へ行くぞ『礼拝』の時間だ」
「……!」
 それを聞いた少女は顔をひきつらせたが、そんな事何一つ気にせず聖職者達は少女の手
をとって礼拝堂の左奥の扉へと向かう。
「おい嬢ちゃん」
 男に呼び止められ、エレノアは足を止める。
「助かったぜ、ありがとよ」
 マイリオとは全く違う、良く通る、勢いのある声。
 だが、それは決して煩い物では無かった。
 素直に感謝を込められたその言葉は、エレノアの心を暖かく包みこんだ。
 エレノアは男に背を向けたまま浅く頷くと、再び手を引かれ聖職者達と扉の奥へと消え
ていった。  

「……なぁ、神父よ。あの娘はなんだ?」
 男は顎に手をあて、何か考えるような仕草で問いかけた。
「本家の秘蔵っ子、エレノアだ。両親は偉大な神官であったが無理がたたって死んでしま
ったらしい。今はこうして、<聖>の能力のある者を探して各地を回っているらしいが…」
 普段は金の事にうるさく聖職者と言うよりも商売人の様な笑みを浮かべるカートンが、
不意に真顔になって小さく呟く。
 男は初めて見る神父の顔に驚いて、思わず動きを止める。
「あいつらは金や色々な事でのし上がった神官連中だ。おそらくはエレノアも利用されて
いるんだろう。出来れば助けてやりたいが……な」
 いつもの神父からは想像も出来ない台詞に、男は眉根を寄せる。
「んだよ、らしくねぇなぁ。そんなに言うなら自分で助けろよ」
 だが、神父は真剣な表情のまま、首を横に振った。
「立場の問題やら、色々あってな。出来る事と出来ない事があるんだよ。あの子の両親に
は世話になった。彼らが死んでしまった以上、彼女を助けるのが恩を返す事になるのだろ
うが……」
 神父は男の目を見据えて、言葉を止める。
 だが、男の赤く燃える目は、その視線をふっと逸らした。
「やだね。オレだってなぁ……」
「お前はあの子のつらさを一目で見抜いたはずだ」
 神父の言葉に反応して、男はピクリと眉を動かす。
 だが、男は目を伏せ自嘲的な笑いを浮かべた。
「……だから?」
「なんなら、ツケの分をチャラにしてやっても構わん。それほど私は。解るか」
 金にガメツイ神父の口から毀れたその言葉に、男の表情から笑みが消える。
「しらねぇぞ? どうなっても」
「あいつらに連れまわされるよりはいいだろう。頼んだぞ」
 神父は小さく呟いて、彼らとは反対の側の扉に向かっていく。
 男はやれやれと首を振って、出口へと足を向けた。

 不意に、静まりかえった礼拝堂の向こうから聞こえた、くぐもった悲鳴。
 それは明らかに先ほどの少女のものだった。

「はっ、聖職者なんて生きモンは。……どいつもこいつも腐ってやがる」
 ぐっと眉根を寄せて、険しい表情のまま足を止める。
「厄介事は御免なんだがなぁ!」
 口では全力で少女に関わる事を否定しながらも、その目には怒りが宿っていた。
 悲鳴を上げる少女を放っておく事など、男には出来ない事だった。
 男は大股で左奥の扉へと進むと、更にその奥に位置する客間の扉を激しく叩いた。
「……、なんだ!?」
 荒く呼吸する太目の聖職者が扉の隙間から顔を出す。
 聖職者の着衣は乱れおり、一目で中で何が起こっているのか想像が出来た。
 それを見て男はグッと眉間に皺を寄せた。
「どけ。オレは嬢ちゃんに用があるんだよ」
 男は聖職者の頭を鷲掴みにすると思い切り膝に打ち付けた。
 突然の攻撃に太目の聖職者は声も立てずに白目を剥き、どさりとその場に倒れこむ。
「邪魔するぜッ!?」
 男は扉を開け放ち、中へと一歩足を踏み入れる。
 部屋の中には、同じく着衣の乱れた男二人と、ぼろぼろと泣いて身を強張らせている少
女がいた。
「な、何だお前は!!」
 細い男が目を見開き真っ赤になって叫ぶ。
 男は真っ直ぐ細い男に向かって歩を進め、間髪居れずにその顔に思いっきり拳をぶつけ
た。
 怒りの一撃に細い男は部屋の壁までふっとび、ぐしゃりとその場に崩れ落ちる。
「賊か!」
 マイリオは着衣を直しながら、杖を手に取ろうと手を伸ばす。
 だが、男はマイリオを無視してすぐさま少女を抱え上げ、その部屋から走り去った。
「なっ!? エレノアを返せっ!」
 マイリオは慌てて男の後を追った。
 そして開け放たれた出口から飛び出し、必死に辺りを伺う。
 真っ暗な町並みとどしゃ降りの雨はあっという間に二人の姿を隠し、最早追う事は不可
能だった。
「……まぁいい。夜が明けたらすぐにでもサーチで…!」
 マイリオは奥歯をギリリと鳴らし、雨に濡れるその顔を歪ませた。

      5

「もう大丈夫だ、嬢ちゃん」
 エレノアが目を開くと、そこは大きな建物の中だった。
 誰も居ないのか、ひっそりと静まり返ってはいたが、不思議と怖くは感じなかった。
「あ…、あ…っ」
 エレノアは必死に喋ろうとしたが、舌がもつれて上手く喋れなかった。
 そんなエレノアを見て、男は首を横に振った。
「あぁ、喋らなくてかまわねぇよ。まだ震えてるだろ。……男になんぞ触れられたくない
だろうしな。……よし、立てそうか?」
 男はエレノアを降ろしそっと立たせようとするが、すっかり怯えてしまっていた少女は
その場にへたり込んでしまった。
「無理か……。しゃあねぇ、嫌だろうが、もう一回抱えるぞ?」
 男は再び少女をひょいと抱え、奥の通路へと進んでいった。

 エレノアは『男』の事を怖いと思っていた。
 両親から離れるまではそんな事考えもしなかったのに、マイリオ達に連れ去られてから、
そうなってしまったのだった。
 両親と離され、王と謁見したその日の夜に起こった悲劇。
 戦争に加担する事を拒んだ少女は、『力』によってねじ伏せられたのだった。
 心も体も、全てを。
 それから、エレノアにとって男という生き物は恐怖以外の何物でもなくなっていた。

 だが、この男の手は暖かく、彼らとは違って嫌な感じはしなかった。
 確かに触れられるのは怖かった。
 だが、決して嫌だとは感じなかった。
 何故嫌だと感じないのか、エレノアには分からなかった。
『もしかしたら、このまま自由になれるかもしれない』
 そんな気持ちが心の隅で生まれたせいかも知れない。
 全てを諦め、望む事すら忘れていたエレノアの心に生まれた僅かな光。
 ずっと忘れていたその感覚に、エレノアの心は揺れていたのだった。

 男はエレノアを抱えたまま通路の奥の部屋に入り、そこの床にそっと座らせた。
 そこは広めの洗面所だった。
 奥には二つ扉があり、そこからは暖かい湯気がもれている。
「ほら、この先に風呂がある。湯は沸いているからゆっくりとあったまって来い。綺麗に
流して……って、大丈夫か?」
 床に座った少女は、戸惑うような、驚いたような表情で男を見つめていた。
 それを見て男は少しうろたえる。
「な、何だ? 風呂は嫌いか?」
 少女はふるふると首を振った。
「お風呂……いいの?」
 エレノアの顔は喜びの表情に変わっていた。
 だが、喜んでいるその目からはぽろぽろと涙がこぼれていた。
 男は涙を流すエレノアに戸惑い、眉を寄せた。
「あ、あぁ。いいぜ? 安心して入ってこい。此処は『今昔亭』。山のレンジャー達の基
地みたいな所だ。今日はオレ以外に人がいねぇから静かだが……」
 誰も居なかったのは、幸か不幸か。
 男は誰も居なくて正解だと思っていた。
「……あなたは、レンジャーなの?」
 エレノアは更に驚いた表情で男を見上げる。
 昔、父から聞いた、隣国の聖地を護り山に生きる気高いレンジャーの話。
 その話を思い出し、エレノアの心がより一層熱くなる。
「おう、一応、な」
 男はポケットから金色のバッジを差し出し、少女の手に乗せる。
 レンジャーである事を示す小さな割に重い金のバッジは、穏やかで澄んだ光を放ってい
た。
「オレは別に正義の味方なんて訳じゃネェが、ま、そんなトコだ。オレはそこのロビーで
待ってるからな。安心しろ、オレはなんにもしねぇよ」
 男は手を振って、その部屋を後にした。

 暫くして震えの収まったエレノアは、ゆっくりと立ち上がった。
 汚れた白いローブを脱ぎ、風呂の扉をそっと開ける。
 風呂は少し広めに作ってあって、常に清潔にされているのが一目で分かった。
 少女は湯桶を手に取り、痣だらけの体にそっと湯をかける。
「っ!」
 湯が傷に染みて痛かったが、一刻も早く洗い流したくてエレノアは幾度も湯をかけ続け
た。
 久しぶりの幸せな時間に、エレノアの表情が緩む。
 だが、心に深く刻まれた傷はすぐに開きだし、再びエレノアの心を苛み始めた。
「……っ! あうっ……!!」
 ビクリと体が震え、手から湯桶が滑り落ちる。
  さっきまでの光景が幾度も頭によぎり、エレノアは激しく首を振った。
「嫌っ、もう嫌っ…! あそこにだけはもう戻りたくない……!」
 今まで考えない様にしていた『本当の気持ち』。
 絶対にあの地獄から抜けられないと思っていたのに、たった一人の男の存在が、心に光
をもたらしたのだった。

 此処に連れてきてくれたあの男を、信用していいかどうかなんて分からない。
 でも、少女には他に頼れる存在などなかった。

 助けてくれた。

 絶望を生きてきた少女にとって、その事実だけでもう十分なのだった。

      6

 風呂からあがってきたエレノアを見て、男は驚いた。
 初めて会った時とは全く正反対な輝くような金髪に、雪のような白い体。
 何より下着を着ただけのその姿に、男は息をのんだ。
 少女のメリハリのある体に、男の目は釘付けになってしまっていたのだった。
「お、おめぇ、服はっ…!?」
 ふと我にかえって、男は慌てて目を伏せる。
 『何もしない』といった矢先にこんな状態になってしまう自分が少し悲しい。
 少し赤くなりながら目を伏せる男に向かって、少女は首を振った。
「もう、あんな服、着たくない……。白は、好きじゃないし……、汚れて気持ちが悪くて
……」
 少女が片手に持っている白い服は、血や色々な物で汚れていた。
 折角お風呂で綺麗になったのだ。
 確かにそんな服をもう一度着る気にはなれないだろう。
「た、確かにそうか…。かと言ってこのままって訳にも……、う、うし、こっちこい」
 男は少女の手を取り、階段を上がっていく。
 エレノアは不意に掴まれた手にどきりとして、目を見開いた。
 自分を助けてくれた、大きな手。
 意識していないのに心臓はどくどくと鼓動を早め、顔が熱くなってしまう。
 エレノアはその大きな手を軽く握り返し、必死で階段を登っていった。

 三階の一番手前の部屋の鍵を開けて、男は中へと入っていく。
 そこはどうやら男の自室らしく、エレノアも少し遅れてその部屋に入った。
 物があまりない殺風景なその部屋に、ぽつんと置かれた衣装箪笥。
 男は箪笥の前にしゃがみ込み、その一番下の引き出しをなにやらごそごそとあさりだし
た。
「ここら辺に新しい服が…、おう、これだ」
 引き出しから数点の服を引っ張り出し、ぽいぽいと絨毯の上に投げていく。
「全部新しい服だ。下着も…まぁ、男用だが紐で縛れば朝まで我慢できるだろ」
 絨毯の上に無造作に並んだ明るい空色のシャツと白のズボンに、男物の上下の下着。
 男物の下着にエレノアは戸惑ったが、すぐにそれを拾い上げぺこりと頭を下げた。
 服も汚れていたが、下着だってすぐに脱ぎ捨てたいほど汚れていたのだ。
 綺麗な衣服が着れるのなら、エレノアはそれで全然構わなかった。
「隣の寝室使っていいから、ほれ、着替えて来い」
 男は地面に直置きされたクッションの上に横になり、手をひらひらとさせた。
「あ、ありが…とう!」
 真新しい空色のシャツを抱きしめ、エレノアは何年かぶりに笑顔になったのだった。

 エレノアは隣の寝室の扉を閉め、つけていた下着に手をかける。
 ぶかぶかの下着を紐で縛りつけ、新しい服に袖を通す。
 違和感はあったが、それ以上に新しい綺麗な服が嬉しかった。
 久しぶりの新しい服にエレノアの表情が緩む。
「ふふ、サイズが全然違う」
 肩幅も足の長さもあっていない服だったが、それでもエレノアは嬉しかった。
 嬉しいと感じたのは何年ぶりだろうか。
 綺麗な空色が、少女の心をより一層明るくさせた。

 だが、喜ぶ少女の脳裏に再びあの男の声が響く。
「……!」
 耳を塞ぎ、首を必死で振るがその声は消えることなく大きくなっていく。
 明日になれば間違いなく彼らは自分を追ってくるだろう。
 エレノアの心からは、さっきまでの幸せな気持ちがもうすっかり消えてしまっていた。

 寝室を出ると、エレノアは寝転ぶ男に声をかけた。
「ありがとうございます。でも、朝になれば…私はまた捕まって、しまいます。私を……
匿っていては、あなたに危害が……」
 男は背を向けたまま、答えた。
「オレは神父との約束があるからな、お前を自由にしてやるつもりだ。だが、その後はお
前の意思次第だ。生きる意思が、あるのなら、な」
 その答えに、エレノアは目を伏せた。  

 死にたい。
 朝まではそう考えていた。
 だが今は確実に違っていた。
 あれほど遠くに感じていた『自由』の可能性が、今は目の前にあるのだ。  

 彼は教会から自分を連れ出し、そして新しい服を与えてくれた。
 そして、あの男たちの様に酷い事などしてはこなかった。 
 下着姿の自分に、下卑た笑いを浮かべる事も無かった。
 彼が内心どう思っているかなんて自分には分からなかったが、エレノアにはそれだけで
もう十分だった。
 助かりたかった。
 地獄のような日々から、少しでも遠ざかりたかった。

「自由に…、なりたい。彼らの力の及ばない土地で……、静かに…!」

 思い出したのは幸せだった日々。
 気がつけば、エレノアはその場にへたりこみ声をあげて泣いていた。
 いつも押し殺すように泣いていた自分がこんなにも大声で泣けるとは、エレノア自身も
思ってはいなかった。
「うし。なら少し休め。日の昇る前に此処を出るぞ。山へ向かう」
 男は立ち上がり、泣くエレノアの頭を撫でる。  

 泣いて縋る少女を、男は戸惑うような表情でただ見つめていた。

       7

「マイリオ様! エレノアはどうやら山に…、森へ向かったようです!」
 細い男が光の矢が指し示す方角を確かめ、腕組みをするマイリオに報告した。
「山へ逃げたか。あの山にある森は『迷いの森』。賊と逃げた所で迷い死ぬのがオチだと
は思うが……、娘は必要だ。あの森、我々でも行けるだろうか、カートン、どう思う?」
 マイリオは町の住民でもある神父に問いかけた。
 山の事など詳しくも無いので、地元の人間に聞くのが一番だとマイリオは考えたのだっ
た。
「確かに。マイリオ様程の力があれば、サーチの呪文ですぐに見つけられるでしょうし、
優秀な部下も二人いらっしゃるのです。迷う事なく、帰ってこれるでしょうとも」
 ニヤリと笑うカートンに、マイリオは機嫌よく笑った。
「ならば問題あるまい、メイズ、レント、行くぞ!」
 聖職者達は杖を持ち、教会を後にした。

「大丈夫か? エレノア」
 一緒に森を進むエレノアに、男は声をかけた。
「な、なん、とか」
 エレノアは呼吸を乱しながらも、必死で男についていっていた。
 夜も明けぬ内に『今昔亭』を出発し、眠る服屋の主人をたたき起こしエレノアの装備を
整えると、二人はすぐに山へと向かった。
 エレノアの着ている服は、空色の皮のワンピースだった。
 その服は彼女のたっての希望であり、男は気に入ったのならと買って与えたのだった。
「靴、きつくないか?」
「大丈夫、平気」
 エレノアは笑って見せたが、慣れない靴と山道に本当は足が痛くてたまらなかった。
 だが、自由を手に入れる為の試練だと思うと、今までの苦しみと比べればいくらもまし
な物だった。
「手袋まで、買ってくれて……、何てお礼を言えばいいのか」
 エレノアは白い手袋に包まれた手を見ながら、目を細めた。
「手首の傷、気にしてんだろ? そんなのたいした値段じゃねぇし、気にすんな」
 男は遅れていたエレノアの手を握り、再び先へと進む。
 エレノアはその手を離さぬように、ぐっと握り締めた。

「よし、此処だ」  

 男が立ち止まり、エレノアに合図をする。
 そこは森の最深部だというのに、木が無く、光が差し込んでいる不思議な場所だった。
 その中心にに見える石造りの小さな祠。
 何処か神聖な雰囲気の漂うその場所に、エレノアは息を呑んだ。

「ここ…は?」
 先ほどまでの暗い森とはうって変わった雰囲気に、エレノアは辺りを見回す。
 ふと横を見ると、エレノアの精霊が僅かに震えている。
 今まで一度たりとも震えたりした所を見たことが無かったので、エレノアは驚いてしま
う。
「これは古の時代からある竜の祠だ。此処は町からも遠いし、誰も来ない場所だ。運命を
変えるには、ちょいといい場所なんだぜ?」
 ニヤリと顔を歪ませる男に、エレノアはびくりと身を震わせる。
 男の体から、殺気のような闘気があふれ出していたのだ。
「さ、エレノア、覚悟しろよ?」
 男は背中に背負った斧を撫でて、赤い目を輝かせた。

「返してもらおうか! 賊め!」

 聖なる空間を引き裂くような低く重い声に、エレノアは身を強張らせる。
 一気に現実に引き戻されたように体は震えだし、足から力が抜けエレノアは思わずその
場にへたり込んだ。
「だめだな。テメェらにゃ渡せねぇよ」
 男は斧を担ぎ、にやりと笑った。
「む、お前、……レンジャー……か!?」
 黒い皮の服の上に光る金色のバッジを見つけ、細い男が叫ぶ。
「何、レンジャー、だと?」
 マイリオは驚いたように男を睨みつける。
「さて、どうかな?」
 男はニヤリと笑いマイリオを睨み返した。
「何故レンジャーがこんな事をする!?」
 細い男が男に詰め寄り、その襟首を掴む。
「一体どういうことだ!? ……ぐおぉっ!」
「気安く触れんな、この外道が」
 マクスは怒りを滲ませながら、細い男の胸ぐらを掴み返した。
 細い男は軽々と持ち上げられ、マイリオの隣に立つ太い男に向かって思い切り投げつけ
られた。
 突然の事に太い男は防御姿勢をとることも出来ず、細い男と共にその場に倒れこんだ。
 それを見てマイリオがぎりりと奥歯を鳴らす。
「このっ……! いくらレンジャーとはいえ、許さんぞ? この事実を知ったのなら、尚
更だっ!」
 マイリオは宙に刻印を刻み、聖の呪文を唱える。
 荒く素早い詠唱に反応して、白い光が男の右胸を掠めた。
「いてぇな、傷が増えちまうだろうがっ!」
 男は怒りを乗せた拳をマイリオに向かって振り下ろし、その杖を弾き飛ばす。
「メイズ、レント! コイツを始末するぞ!」
 マイリオの言葉に答え、部下達は一斉に詠唱を始めた。
 素早い詠唱は聖の光を呼び、三方向から避けられぬ光を放った。

「……いやぁっ!!」

 座り込んだまま、エレノアはやっとの思いで声を出した。 
 必死に呪文を紡ぎ、印を結ぶ。
 あの光に耐えれるだけのシールドを張ろうと、エレノアは精霊に必死に祈った。
 祈りは届き、エレノアの魔力と反応して男の周りに輝くシールドを展開する。
「エレノアああああああああッ!」
 マイリオの低く大きな声にエレノアは一瞬怯み、その呪文の途中で詠唱が途切れる。
 途切れた分の隙間からマイリオの光が滑り込み、男の腹を僅かに割いた。
「くそ、腐っても神官様か、いてぇな」
 吹き出す血を押さえながら、男はニィッと笑った。
 マイリオは一撃で葬れなかった原因を作ったエレノアを睨みつけ、その口を開く。

「エレノア、お前には『お仕置き』が必要と見える」

 マイリオの声に反応して、エレノアの体がびくりと震える。
 間髪入れずに、男が声をあげる。
「一体どういうお仕置きだ? なぁ、言って見ろよ?!」
 男は背に背負っていた斧を手に、鬼のような形相で三人を睨みつける。
「れ、レンジャーが『人』に武器を向けるのか!? それは違反行為だと聞いたぞ!」
 細い男が悲鳴のような声で叫ぶ。  

 確かにレンジャーは、依頼人にや人に向かって極力武器を向けてはならないと言う決ま
りがある。
 威嚇の為に構えることはあっても、実際にその力を人に行使しないのが通常だ。
 たとえ正当防衛であっても、命までは奪わない。
 だが、この男からは明らかな殺気が滲み出ていた。

 不意に男は部下達に飛び掛り、一振りでその首を飛ばす。
 首は森の奥に吹き飛び、残された体からは血が柱の様に吹き出した。
 あっさりと吹き飛んでいった首は無残に転がり、それを見たエレノアがひっ、と声をあ
げる。
「悪いな、俺はレンジャーの中でもアウトローな存在でね」
 斧を肩に乗せ血飛沫を浴びてにやりと笑う男は、まるで修羅の様だった。
「なんという…! おのれッ!!」
 マイリオは素早く詠唱し、その魔法を男に向かって放った。
 キラキラと散るような光があっという間に男を覆いつくし、その動きを封じる。
「!?」
「暫くじっとしていろ!」
 動きを封じられた男は、その身を動かそうと体に力を入れるも、その魔法の輝きに声を
発する事もできなくなっていた。
 マイリオは祠の影で怯えるエレノアに近づき、その緑の瞳を睨みつけた。
「よくも歯向かったな。アレだけ教え込んだのに、まだ足りぬか」
 近づく男に呪文を唱えようとするものの、体と心に刻まれた傷は深く重くのしかかり、
恐怖で言葉も出ない。
 逃げようとするも、足はもつれ、這う様にして逃げる事しか出来なかった。
「お前の事を思ってこれだけは止めてやっていたのに、言う事を聞かないのなら『聖呪』
をその体に刻んでやる」
 神官は逃げるエレノアに近づきながら詠唱を始め、印を結ぶ。
「っ、……っ!!」
 その聖の輝きに、エレノアは身を強張らせ首を振る。
 複雑な印が絡み合い、マイリオの詠唱が終わると共にその印は天使の形を持ってエレノ
アに襲い掛かった。
「いやああああああああッ!!」
 ようやく出た声は叫び。
 『聖呪』とは名ばかりのその魔法は<聖>の属性の影響を強く受けるものがくらえば、
その者意思を剥奪し生きる人形に変えてしまうという『呪い』だった。

「大丈夫だ、目を開けッ!」
 不意に聞こえた声に、エレノアは顔を上げる。  

 目の前に居たのは、頬の赤い刺青を輝かせた男。

 筋肉を張り上げ、闘気を全身から放出させながら、エレノアを庇うようにその間に立っ
ていた。
「!?」
 思いもかけぬ事態に、エレノアはその細い手を伸ばす。
 だが『聖呪』はあっという間に目の前の男を覆いつくし、その体を侵食していった。

 それでも男は怯まなかった。
 渾身の力を込め、男は斧を振りかざした。

「死ね」
 男は一言言葉を発し、マイリオに向かって斧を投げつけた。
 その顔には、人を殺す事への迷いなど一片も無かった。

「オレは殺しなんざに躊躇ったりしねぇよ。『流浪の狂戦士』。その二つ名、てめぇくら
いなら知ってるだろ?」

「なっ…、なぜそんな男がレンジャーなどっ……!?」
 マイリオのその言葉を最後に、斧はさっくりとその首を飛ばした。
 斧を拾い上げ不敵に笑う男に、エレノアは震えた。
 血を浴び豪快に笑う様はとても聖なる山に仕える戦士とは思えないものだった。
 だが、それでも、エレノアは目の前の男を嫌いになる事など出来なかった。

「オレが怖いか? そ…、ぐ……っ!?」
 不意に縛られるような感覚に身もだえ、男はその場に倒れこむ。
 脂汗がだらだらと流れ、心臓はリズムを乱し体中の筋肉がびくびくと痙攣を起こし始め
たのだった。
「……っ!!」
 エレノアは震える足で立ち上がり、目の前でうずくまる男に手を翳した。
 すうっと深呼吸し、目を見開き、詠唱を始める。
 声は震えていた。
 だが呪文の芯はぶれることなく、男の体には確実に呪文が刻まれていった。
 必死の詠唱だった。
 涙をぽろぽろとこぼしながら、エレノアは自らの魔力の限りをそのスペルに集中させた。
「貴方の様な人が『聖呪』をうけたら、体が…崩壊してしまう…!」

 一度受ければ決して解除できる事の無い呪い、『聖呪』。

 ならば、せめてそれを封じようと、エレノアは必死になった。
 神官によってかけられた『聖呪』の力は強く、エレノアの力を持ってしてもどのくらい
その効力を弱められるか分からない。
 だが、目の前の男を死なせるわけにはいかなかった。
 涙で滲む視界の中、エレノアはゆっくりと確実に印を結ぶ。
 絶え間なく男の体にこぼれ落ちてくる涙。
 男は震える手で少女の目元を拭い、首を振った。

「泣くな、これでお前は自由だ。後は好きにすればいい。そうだな、お前はもう、エレノ
アなんかじゃない、今日から新しい自分になればいいんだ。そうだな、お前の名は……」

        8

「メディ、まだ起きてる?」
 扉の向こうから小さく聞こえた声に、メディははっとなってその身を起こす。
「やだ、寝ちゃって……、って、この声はマリン?」
 叩きつける雨の音の合間に確かに聞こえた明るい声。
 雨の音は未だ激しく外は暗いことから、あれからさほど時間がたっていないことが分か
る。
 メディは慌てて立ち上がり、声の主の元へと急ぎ足で歩いていく。
 扉の向こうに居たのは可愛い妹分――マリンだった。
 メディは笑顔でマリンを部屋に招き入れると、ソファに座らせ、自分もその隣に座る。
「なぁに? こんな夜に」
 メディの質問に、マリンは少し照れながら呟いた。
「あ、メディ、昼間はごめんね? ほら、一緒にケーキ食べに行った時、あそこで私…、
つい三つも食べちゃったから……。やっぱり奢ってもらってばっかりじゃ申し訳ないから、
ちょっと作って来ちゃった」
 マリンは手に持っていた小さな物をメディの手の平の上にそっと乗せる。
 メディの手の平の上に乗せられたのは、小さな瓶に入った綺麗な空色のポーションだっ
た。
「これ…は?」
 メディの問いかけに、マリンはえへへと照れて頭をかいた。
「ほら、メディって空色好きでしょ? それ筋肉一時強化のポーションなんだけど、上手
く空色が出せてね? 副作用もないし、お礼に、なるかなって」
 きっとアレからすぐに、例の秘密の研究所に作りに行ったのだろう。
 そんなマリンが可愛くて可愛くて、メディは思わず力一杯抱きしめてしまう。
「ありがと、とっても助かるわ! ……大好きよ、マリン」
「うん、私も大好きだよ、メディ!」
 マリンを抱きしめ、メディは目を細める。  

 きっとマリンの『大好き』と自分の『大好き』は違う物に違いない。
 でも、メディにとっては、そんな事はどうでもいい事だった。
 一緒に居れて、マリンが幸せで、それを見守れれば、もう十分だった。  

 望んでも、手に入らない物だってある。  

 『生まれ変わった』メディにとって、『その事』は良く分かっている事だった。
 だからせめて、こうして一緒に居る事がメディにとっての最上級の幸せになるのだった。
「どうしたの? メディ? ……、さみしかったの?」
 不意にマリンに問われ、メディはビクンとなる。
「え? や、やぁねぇ。そんな事、ないわよ?」
「うーん、そうかな、それならいいんだけど…」
 心配そうに覗き込むマリンに、メディは優しく微笑みかける。
「そうね、じゃあ、今日はそういう事にして、朝まで二人で過ごしましょ? どうせ明日
は二人ともお休みなんだし」
 メディはウインクをして、マリンの頬をつっつく。
「うわ、いいね! そうしよっか!」
 マリンは茶色の瞳を輝かせ、全身で喜びを表す。
 メディはそんなマリンがやっぱり可愛くて、再び抱きつこうとした瞬間…。

「おおう! マリーン! こんな所にいやがったのかぁっ!」

 扉を開け放ち、その場に居たのは半裸の男だった。
「ま、マクス!?」
「あぁ、来たわよ? …馬鹿の代表選手が」
 マリンは目を見開き、メディは冷たい目でマクスを睨みつける。
「おーう! ガントのなぁっ、秘密! 教えてやるッ!!」
「ひ、秘密?」
「帰ってマクス。殴るわよ?」
「ガントはなぁ! グおおおおおおおッ……!!」
 背後から関節を極められ、マクスは大声を出して悶える。
「てめぇ、大人しく寝ろッていったろうが! 迷惑かけんな!」
 低い聞きなれたその声に、マリンがピクンと反応する。
「わ、ガント!?」
 マクスの背後に居たのはガントだった。
 だが良く見ると、ガントもほんのり赤い顔をしている。
 どうやら少し酔っているらしい。
「悪かったな、こいつは下に連れて帰って縛っとく。安心して話でもしてろ」
「う、うん、ガントも休んでね?」
 痛みに悶えるマクスを足蹴にしながら、ガントはマリンをちょいちょいと呼び寄せる。
「ん? なに? ……!?」
 不意に顎をつかまれ、マリンは目を見開く。
 ガントの唇がマリンの唇にふっと触れる。
「!? !?」
 突然の事に、戸惑い真っ赤になるマリン。
 当のガントは大真面目な顔でうんと頷き、マリンの頭を撫でた。
「おう、お休み」
「え!? えう、おやすみ」
 ガントは何事も無かったかのようにマクスを引きずって、廊下の奥へと消えていった。
「あらあら、ガントも酔ってたみたいね。大胆ですこと」
 少し驚いたように、メディは目を見開く。
「び、びっくりしたっ」
 マリンはその場にへたりこみ、はぁと息を吐いた。
「でも、嬉しかったんじゃない?」
「えっ!? …そ、それは、うん」
「やん! 可愛いっ! 私もちゅうしちゃいたいっ!」
「だ、だめ! 今したらガントと間接キスになっちゃう!」
「『今』したら…って事は、今じゃなければいいのかしらっ?」
「やーーーーーーーーん!」
「マリーン!」

 二人はじゃれあいながらも、夜遅くまで仲良く話をし、仲良く同じベットで眠った。
 メディは熟睡するマリンの寝顔を飽きることなく眺めていたのだった。


 そして、翌日目覚めたマクスは何故自分が縛られているのかさっぱり覚えておらず、廊
下を芋虫のように這いずり回り助けを求めていた。
 一方、マリンにキスしてしまったガントは、マリンに顔もあわせず朝早くに逃げる様に
仕事に行ってしまったのだった。

 階段を降りてきたメディが見つけたのは、無様に這っている赤い目の男。

「うぉい! メディ、これ何とかしてくれ」
「やぁよ。自分で何とかなさいな」

 メディは廊下に転がる男を見下ろし、すたすたと去っていく。
 昨日と同じ窓辺にもたれかかり、澄んだ雨上がりの空を眺める。
 美しい空には、ゆらゆらと漂う白い雲が一つ。
「……、貴方は何だか雲みたいだわ」        
 一人呟き、手に入る事の無かった男を思い出す。
「さて、私は私の幸せを掴みに行こうかしら…ね」
 メディはくるりと振り返り、マリンの居る裏庭へと向かうのだった。



終わり  


    
 
   


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