歌姫たちの系譜 I

                リヒャルト・シュトラウス:歌劇『ばらの騎士』

 『ばらの騎士』は、写真というものが記録媒体として利用され始めた時期に初演されたこともあって、こうした名曲としてはめずらしく関係者の映像が残っています。録音技術はまだ不十分だったため音は残っていませんが、初演当時に活躍した歌手たちが後年になって自身の声を録音しているので、当時の演奏様式に接することはできます。また、シュトラウスが亡くなる直前にバイエルン国立歌劇場で作曲者自ら棒を振って『ばらの騎士』の一部を演奏する姿や舞台が映像として残されているのも、この曲の解釈の助けになっています。

T 創生期の歌手たち
      

◆ 1911年1月26日 『ばらの騎士』 ドレスデン初演のメンバー
指揮:エルンスト・フォン・シューフ
演出:ゲオルク・トラー
舞台装置&衣装:アルフレッド・ロラー
【左】 元帥夫人:マルガレーテ・ジームス(S:1879-1952)
【中】 オクタヴィアン:エヴァ・ファン・デル・オステン(Ms:1881-1936)
【右】 ゾフィー:ミニー・ナスト(S:1874-1956)
    オックス男爵:カール・ペロン(Bs)

   
◆ 1911年2月21日 ハンブルク初演
【左】 ゾフィー:エリザベス・シューマン (S:1888-1952)
【右】 作曲家シュトラウスとエリザベス・シューマン(1921年)
 数多くのレコードを残したエリザベス・シューマンが早くも登場します。この時、後に元帥夫人で有名になるロッテ・レーマンにゾーフィーを歌わせる予定だったのですがオクタヴィアン役の歌手がエリザベス・シューマンをゾフィー役に選んだために、ロッテ・レーマンの怒りはたいへんなものだったとか。しかし、後に誤解は解けて仲直りしたそうです。

       
◆ 1911年4月8日 ウィーン初演
指揮:フランツ・シャルク
舞台装置&衣装:アルフレッド・ロラー
【左】 元帥夫人:ルーツィエ・ヴァイト(S:1876-1940)
【中】 オクタヴィアン:マリー・グートハイル=ショーダー(Ms:1874-1935)
【右2枚】 オックス男爵:リヒャルト・マイヤー(Bs)
 いづれも、マーラーがウィーンの音楽監督だった時にマーラーの薫陶を受けた歌手たち。リヒャルト・マイヤーはオックス男爵で一世を風靡。この年37回も上演。翌1912年3月29日にはシュトラウス自身指揮台に立ち、大成功をおさめます。


    

◆ 1911年 ベルリン初演
【左の写真の右】 元帥夫人:フリーダ・ヘンペル(S:1885-1955)
◆ 1913年12月9日  ニューヨークのメトロポリタン歌劇場初演
指揮:アルフレッド・ヘルツ
【左の写真の右】 元帥夫人:フリーダ・ヘンペル(S:1885-1955)
【2枚共左】    オクタヴィアン:マルガレーテ・オベール(Ms 1885-1971)
【右の写真の右】 ゾフィー:アンナ・ケーゼ(S)
         オックス男爵:オットー・ゴーリッツ


◆ロッテ・レーマン(元帥夫人)とエリザベス・シューマン(ゾフィー)

 初演期の後を継ぐ『ばらの騎士』歌いの代表格がこの二人。シュトラウスから直接指導を受け、共に第二次大戦前戦中にその絶頂期を迎え、ウィーン、コヴェントガーデン(ロンドン)、メトロポリタン(ニューヨーク)で活躍します。エリザベス・シューマンは当初はオクタヴィアン、ゾフィーの両方を歌いましたが、ほぼ一貫してゾフィーを歌い続けました。

◆ 1912年11月28日 ハンブルク
指揮:オットー・クレンペラー
オクタヴィアン:ロッテ・レーマン(S:1888-1976)
ゾフィー:エリザベス・シューマン(S:1888-1952)
 ロッテ・レーマンは極めつけの元帥夫人歌いとして一時代を画しますが、オクタヴィアンを歌ったこの公演は不評だったとか。なお、この時、指揮者のクレンペラーとエリザベス・シューマンは不倫関係にあり、クレンペラーは『ローエングリン』の指揮の最中にエリザベス・シューマンの亭主から叩かれるというスキャンダルを起こしています。その後クレンペラーは躁鬱病で入院を余儀なくされます。

       

【左】    オクタヴィアン:ロッテ・レーマン  (S:1888-1976)
【中】【右】 オクタヴィアン:マリア・イェリッツア(S:1887-1982) 
 イェリッツァ(チェコ出身)とレーマン(ドイツ出身)と共にウィーンで二大スターとして活躍。ドラマティックなイェリッツァ、繊細なレーマンと評されました。

◆ 1914年11月20日 メトロポリタン歌劇場(ニューヨーク)
ゾフィー:エリザベス・シューマン(S 1888-1952)
 リヒャルト・シュトラウスの紹介でニューヨーク・デビューを果たします。

◆ 1914年 ロンドン
指揮:トーマス・ビーチャム
元帥夫人:マルガレーテ・ジームス(S:1879-1952)
元帥夫人:フリーダ・ヘンペル(S:1885-1955)
ゾフィー:ロッテ・レーマン(S:1888-1976)
 この時、ロッテ・レーマンは代役ではありましたが初めてゾフィーを歌います。この時の元帥夫人はドレスデン初演のジームスとベルリン初演のヘンペルでした。

◆ 1919年9月4日 ウィーン国立歌劇場
指揮:リヒャルト・シュトラウス
オクタヴィアン:ロッテ・レーマン(S:1888-1976)
ゾフィー:エリザベス・シューマン(S:1888-1952)
  シューマンは1921年シュトラウスのアメリカ演奏旅行に同行し、シュトラウスのピアノ伴奏で歌曲を歌います。

◆ 1924年  コヴェントガーデン王立歌劇場(ロンドン)
指揮:ブルーノ・ワルター
元帥夫人:ロッテ・レーマン   (S:1888-1976)
ゾフィー:エリザベス・シューマン(S:1888-1952)
 この公演でロッテ・レーマンは初めて元帥夫人を歌います。オクタヴィアンのつもりでロンドンに到着したレーマンを待っていた役は歌ったことのない元帥夫人。大慌てでワルターに指導してもらって公演は大成功。これをきっかけにワルターとレーマンの関係が深まり、ワルターのピアノ伴奏で歌曲のレコード録音も残されています。1924年にこの二人の組み合わせで5回、1925年には4回、1927年に3回、1929年に3回、1931年に1回、いずれもワルターの指揮、デリア・ラインハルトのオクタヴィアン、マイヤーの男爵で上演されました(1929年の1回だけエリザベス・シューマンは歌っていません。)。この組み合わせがいかにロンドンで好評だったかがわかります。
 リヒャルrト・シュトラウスはレーマンの芸術性を高く評価していて、自作のオペラの初演に起用しています。『ナクソス島のアリアドネ』の作曲家、『影のない女』の染物師の妻、『インテルメッツォ』のクリスティーネ。以下はすべて、ロッテ・レーマンが扮する元帥夫人。

      

      

      

◆ 1929年8月19日 ザルツブルグ音楽祭初演
指揮:クレメンス・クラウス)
元帥夫人:ロッテ・レーマン(S:1888-1976)
オクタヴィアン:マルギット・アンゲラー
ゾフィー:アデール・ケルン
オックス男爵:リヒャルト・マイヤー(Bs)
【左】 マイヤーのオックス男爵と元帥夫人のレーマン
【中】 指揮者クレメンス・クレメンス・クラウスとレーマン
【右】 指揮者ブルーノ・ワルターとレーマン(左)
 このあと、ザルツブルク音楽祭ではヨゼフ・クリップス(1935年)、ハンス・クナッパーツブッシュ(1937/1941年)、カール・ベーム(1938/1939年)、ジョージ・セル(1949年)らの指揮者が『ばらの騎士』を取り上げています。


     

レーマンが元帥夫人を歌ったCD
【左】 オルシェフスカ(オク)/シューマン(ゾフィー)/メイヤー(オックス男爵)/ウィーン国立歌劇場 1933年9月
【中】 スティーヴンス(オク)/ファレル(ゾフィー)/リスト(オックス男爵)/メトロポリタン歌劇場 1939年1月7日
【右】 スティーヴンス(オク)/アルヴァリ(ゾフィー)/コナー(オックス男爵)/サンフランシスコ歌劇場 1945年10月18日

◆ 1933年9月
指揮:ロベルト・ヘーガー
管弦楽:ウィーンフィルハーモニー  (このオペラの初録音)
元帥夫人:ロッテ・レーマン(S:1888-1976)
オクタヴィアン:マリア・オルシェフスカ(Ms)
ゾフィー:エリザベス・シューマン(S:1888-1952)
 この録音は、レーマンが第3幕の三重唱を歌った後、勘違いして帰宅してしまったために最後のセリフ "Ja,Ja"をエリザベス・シューマンが代わりに歌ったという珍事で有名な録音です。ゾフィーの他オクタヴィアンも歌っていたエリザベス・シューマンは、この一言以外元帥夫人を歌ったことはないのですが、『ばらの騎士』の3つの役を歌ったと冗談を言っていたそうです。レーマンとシューマンは終生仲の良い関係を保っていたとか。この録音は本来ブルーノ・ワルターが振るはずだったのですが、国籍あるいは人種の問題で実現されなかったそうです。ワルターはユダヤ人ですが当時の国籍は不明です。


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