絶深海のソラリス

 ヒーローなんてそう簡単には現れないし、秘めた力なんて誰もが持っている訳じゃない。奇蹟は滅多に起こらないから奇蹟であって、飛行機が落ちればたいての場合は誰も生きては戻れないし、武器も持たずに強大な敵に立ち向かったら確実にやられる。それが現実。絶対の。

 だからせめて、現実を離れた物語の中でくらい、ヒーローになって誰かを救いたいし、秘めた力であらゆる困難をうち砕きたいと誰もが考える。その結果としてヒーローが大活躍をし、奇蹟が連続して起こり、誰もが生き延びハッピーエンドを迎える物語で書棚はあふれかえる。
 それで良い。この厳しい現実を少しの時間でも忘れたくて、架空の物語に思いを乗せて悪いことはない。ただ、逃避のあまりに本当の現実が見えなくなってしまったり、見ようとしなくなってしまった人が増えすぎた時は、物語の方で現実のいたたまれなさを教える必要が出てくるかもしれない。

 ヒーローなんていない。秘めた力なんて存在しない。ハッピーエンドなんて訪れない。そんな現実を。

 らきるち、という人による「絶深海のソラリス」(MF文庫J、580円)に描かれる架空の物語によって突きつけられる“現実”を、読んだ人はどう受け止めるだろうか。舞台は22世紀の地球。日本列島は海に沈み、多くが大陸の奥地へと移住して後、≪水使い≫と呼ばれる深海でも道具なしに動き回れるミュータントが生み出され、海洋に眠るソラリスという生きた鉱物の採掘などに従事していた。

 ≪水使い≫としての高い適性を持った少年少女は、日本列島があった海上に浮かぶ人工島に建つアカデミーに集められ、与えられる課題をクリアしながら卒業を目指す。4種類ある≪水使い≫の能力でも、すぐれた感知の能力を持つ山城ミナトという少年も、アカデミーをどうにか卒業し、今度は訓練生を指導する教官としてアカデミーに勤めることになった。

 少し前まで同級生だった幼なじみの星野ナツカは、課題の進み具合が遅くまだ訓練生のまま。ミナトはそんなナツカに、訳あってミナトの言うことを何でも聞かなければならない羽目となった、クロエ=ナイトレイという名門のお嬢様で、アカデミーきっての俊才をバディとしてあてがい、いっしょに訓練に励ませる。

 類い希なるパワーを発揮する秩序独裁型≪水使い≫として圧倒的なクロエは、ミナトも含めてどこか他人を見下しているところがあった。その鼻をミナトは経験の差によってへし折り従属させる。幼なじみのナツカはもとよりミナトを慕っており、ナツカのルームメイトというメイファ=リーという機械の扱いが苦手な少女も加わって、ミナト1人をめぐるラブコメディが幕を開ける……。

 という展開なら、誰もが喜び楽しんでページを繰れただろう。例えありきたりのハーレム&異能バトル物だったとしても、読んでこれからの期待の中にページを閉じられただろう。前半の、ほのぼのとして日常が積み重ねられている描写に、そんな内容を期待したくなる気持ちが生まれても仕方がない。

 けれども違った。その違いは読んで理解するしかない。たとえ容認しがたくても、そう描かれている以上は認識するしかない。その上で問うしかない。なぜこうなったのかを。そして感じ取るしかない。偶然など滅多に起こらない現実の厳しさを。確実に安全に生き延びるために必要なことは何なのかを。力に頼るな。奇蹟を信じるな。最善を選び、最適を目指して慎重に進む大切さを思い知るのだ。

 「絶深海のソラリス」が、そんなメッセージの発信を目的にして書かれたものとは限らない。ライトノベルというカテゴリーには異端だけれど、パニックホラーには常道の手法を、ただ取り入れ描こうとしただけなのかもしれない。ホラーに慣れ親しんだ頭なら、そうなって当然と簡単に受け止められる物語。ただ、そうではないカテゴリーから出された作品である以上は、そこに何らかの意図を探りたくなる。

 どうやら物語は続くらしい。そこでミナトが、どのような感情を心に抱いて歩み続けるのかをまずは見たい。そして考えたい。ミナトはあの時、あの場所で何をすべきだったのかを。この現実の世界を生きる者たちは、どのように決断を重ねて生きていくべきなのかを。そうした思索が、現実の世界で幾度も浮かぶ諸々の贖罪意識と折り合いを付け、前へと進むための力になるはずだから。


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