夢を与える

 自らを余すところなくさらけ出す。作家としてそれが正しいというのならこれほど正しい小説はないし、みっともないというのならこれに勝るみっともなさを持った小説はない。誇るべきものなのかそれとも恥ずべきものか。書き手の意志がどちらにあるのかによって受け手の考え方も正反対にぶれて揺れる。

 絵空事のロマンスでもなく突出した非日常でもない、ありきたりの学生たちの日常に起こる感情の揺れを軽妙に描いた「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞してから3年。発表から数えれば3年半という、決して短くはない沈黙を経て刊行された綿矢りさの「夢を与える」(河出書房新社、1300円)が醸す物議は、綿矢りさ1人にとどまらず、作家と作品の関係を改めてうかがう上で大きな意味を持つ。

 付き合っていたフランス人と日本人のハーフの男から別れ話を切り出された女が、三十路をのぞいて何としてでも結婚したいとすがりつき、画策して身ごもり大逆転の果てに彼との結婚を成し遂げ、娘を出産した。こうして生まれた夕子は、父母の血を受け誰もが見初める美少女で、子供の時分からファッションモデルとして活躍し、1人の少女の成長をそのまま追っていくチーズのCMに大抜擢される。

 「ゆうちゃん」の相性で誰もが知っている存在になった夕子を放っておく芸能界ではなく、誘われて入った芸能事務所から深夜バラエティのマスコットとしてテレビに出演し、ドラマにも出て人気をいっそう高めていく。それでも根が真面目だったからなのか、どこかぎこちない父母の関係に早くから自立心を育んでいたのか、浮つくことなく真面目に日々の仕事をこなす“良い子”であり続けた。

 そんな夕子にも思春期が訪れる。テレビで見かけた無名のダンサーに心引かれ、所在を聞き出し通うようになって、いつしかそのダンサーの少年と付き合うようになる。真面目さは頑固さに変わり、国民的なアイドルの色恋沙汰だと週刊誌やワイドショーで評判になっても気にせず諦めず、説得されても聞かず少年と付き合い続けた夕子は絶頂から転げ落ち、堕落していく。

 描き方は実にシンプルで、父母の結婚から始まり生まれた1人の少女の成長から成功、そして堕落までを順番に追っていけるため、迷わずストレートに読んでいける。もっとも波瀾万丈の人生をドラマチックに見せる手法として適切かというと難しく、折角のドラマを持っていながら感情を左右に揺さぶられるような盛り上がりに欠けている。

 舞台となる芸能界の、生き馬の目を抜くように多忙で刹那的な様子も、夕子を支える母親のステージママぶりも、どこかで読んだり漫画で見たりテレビや映画で目にした記憶のままに類型的。1人のアイドルに向けられる周囲の妬みやそねみ、そして支える大人たちの人間を商品としてしか見ず、価値がなくなればあっさりと放り出す無情ぶりも書き割り的で、悲嘆にくれるにしても諦めに沈むにしても、切実なものとして響いて来ない。

 夕子が通う学校での友達との言葉や心を交す部分の描写については、同世代の少年や少女に響くだろうリアルさが浮かんで流れる。巧みだ。一方で芸能界や社会のこととなると、書物や映像から学び記して体裁を取り繕ったような感じが滲んで、心を醒めさせる。仮にもし、これが送られてきたとしたら「文藝賞」は新鮮で斬新な物語だと取り上げただろうかと悩ませる。

 ラストも謎めいている。主体的な語り部であり導き手であるべき主役が、次の道を切り開くなり、壁に当たって壊れるなりする姿に読み手は感動なり感涙なりを覚えるもの。なのに「夢を与える」では、傍観者的な誰かを出して幕を下ろさせる。そこから浮かぶのは夕子の生きてきた18年間の虚ろさばかり。誰にも夢など与えない。

 この虚ろなラストは、何も主体的に語ろうとしておらず導こうとも誹ろうともしない小説全体に込められた作者の意図と繋がっているのかもしれない。

 持てはやされ持ち上げられながらも、この何年間をまるで書けないまま、ひたすらに内に籠もり漂っていた綿矢りさ。その空虚さを、若き芥川賞作家であり人並み以上の容貌と学歴という仮面で隠し、煌びやかな場へと出て如才なく語っている状況を、書き割り的な背景やありきたりの小道具を並べて、見てくれは良くとも中身は空っぽな少女の生き様を描いた「夢を与える」という物語になぞらえ、示したかったのかもしれない。

 その意味では、綿矢りさという個人のプロフィルと切り離しては語ることの難しい、というより不可能な小説だと言えるだろう。衆人環視の中にあって色恋沙汰に走り身体を投げ出して戯れる。股間から垂れ下がる粘っこい糸を太股で断ち切る姿をビデオにさらけ出す。今時の小説の主人公として特筆すべきことではない夕子の振る舞いも、作者の楚々とした姿に重なることで艶を増し、色を放つ。

 そのことを望んでいるのか。それとも嫌悪しているのか。聞けば帰ってくるだろう優等生的な回答すらも含めて虚構を形作り、小説世界の虚構と重なり壮大な綿矢りさという虚構を生み出して世間を吸い込み、転がっていく。もはや小説ではなく状況としてしか評せられずその評すらも含めて虚構の要素へと堕す、魔術的で四次元的で惑乱的で皮相的な装置としての“綿矢りさ”を完成させたピースとして、「夢を与える」は文学史に刻まれることになるだろう。


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