プライドinブルー
熱き知的障害者イレブン、ピッチに立つ

 「プライドinブルー」という映画がある。監督は中村和彦。INAS−FID(国際知的障害者スポーツ連盟)が4年に1度、ワールドカップと同じ年に、ワールドカップと同じ国で開催するサッカーの世界大会で、最近では“もうひとつのワールドカップ”と呼ばれている。

 日本でも20002年に「FIFAワールドカップ2002日韓大会」が開催された直後に開かれた。ドイツとブラジルが死闘を繰り広げた横浜国際競技場で、ドイツとイングランドによる決勝戦が行われて、無料とはいえ2万5000人もの人が詰めかけ、声援をおくった。

 日本代表も出場して16カ国中で10位と健闘したその大会から4年。ドイツで開かれる「FIFAワールドカップ2006ドイツ大会」と同じ会場を使って、INAS−FIDの世界大会も開かれることになって、日本からも選手が向かった。映画「プライドinブルー」は、その06年大会に出場した選手たちを日本からドイツへと追ったドキュメンタリーだ。

 秋田に暮らすゴールキーパーの加藤隆雄選手や、知的障害者たちが自立のために暮らす寮に入って職場に通っている若林弥選手といった面々が、普段はどういった暮らしをしていて、どういった練習をしていて、そして代表に選ばれ選手として試合に臨んでドイツでは、どういった日々を送っっているかが記録されている。

 試合に出られたり出られなかったり、頑張ったりがんばれなかったりしながらも、一所懸命にサッカーに取り組む姿を見せてくれている映画からは、誰にとってもサッカーは楽しいものであり、また辛いものであり、けれどもやっぱり素晴らしいものだということが伝わってくる。

 加藤選手にしても若林選手にしても、画面に登場して話し、サッカーをプレーする姿は他の健常者たちと何も違わない。加藤選手にいたっては背も高く表情も精悍で、同じキーパーのポジションにいる楢崎正剛選手の若い時にも重なる格好良さ。中学生時代は女性にも人気があったというけれど、それが勉強についていけなくなって、特殊学級に入り養護学校へと入った途端に、人気が途絶えたというから悲しいというか、寂しいというか。

 体が動かせず、電動車椅子を指先で操作している重度の障害者たちが乗る車椅子の座席を作ったり、施設へと出向いて世話をしたり電動車椅子でサッカーをする子供たちといっしょに練習する加藤選手の姿のどこにも、障害を持っている雰囲気は感じられない。ちょっと読み書きが苦手だったり、記憶することが苦手だったりするだけなんだろうけれど、健常者の世界でスタンダードになってしまった学習の速度に追いつかないというだけで、障害とカテゴライズされてしまい、世間の目にもフィルターがかかってしまう。

 映画は、決してそんなことはないんだと教えてくれるし、彼らのように軽度ではなく重度の人たちであっても、仲間を応援する気持ちの真っ直ぐさは皆同じなんだと伝えてくれる。そういった人たちの思いを汲み上げ、前向きに行かす世の中の仕組みというものが、やはり大切なんだということに気付かせてくれる。

 映画を見ると、ドイツという国の素晴らしさが浮かび上がってくる。日本代表とドイツ代表による開幕戦に3万人もの観客が集まる。日本代表の合宿所も立派で、練習場も芝生が完備していて、近所の子供が入ってきて一緒にボールを蹴ったりしてる。歩いている選手にサインを求めに来て、漢字で書いてあげると喜んで「ダンケ・シェーン」と言いながら走り去っていく。壁なんかない。むしろ尊敬の念をもって接してくれる。決して代表選手だから、という訳ではない。

 日本代表の試合には、兵役を務める変わりにボランティアを選んだ人が、障害者を引き連れ見学に来ていたりする。社会貢献が何か特別なベクトルを持たずとも出来るよう、社会のシステムにとけ込んでいる。受ける方も与える方も特別な意識を持たずに生きていられる。これをこそノーマライズといえるのだろう。

 日本はどうだ。映画「プライドinブルー」の公開初日にチャリティオークションが開かれた。INAS−FIDに出場するチームを送り出した日本ハンディキャップサッカー連盟の会長をしている長沼健、かつて日本サッカー協会で会長を務めた日本サッカー界の長老が来場して壇上に立って、オークションへの参加を呼びかけた。収益金は次の大会を目指す日本代表の活動資金に充てられるとのこと。2度も世界大会に出場しているチームをして、活動資金に窮しているというから驚きだ。

 日本サッカー協会に資金がない訳ではない。日本サッカー協会はかつてないほど潤っている。長沼が会長を務めていた時とでは扱える金額のケタが違う。けれども日本ハンディキャップサッカー連盟にはそうしたお金は回ってこない。各県に支部が幾つ以上ないとサッカー協会の会員になれないという規定があって、日本ハンディキャップサッカー連盟はまだそこまでの域に達しておらず、協会員として助成してもらおうとしても出来ないらしい。どんな国なんだと、悔しさ、情けなさが浮かぶ。

 もっとも、長沼とてサッカー協会の会長として制度を運用して来た身。事情を忖度して無理に協会にスポンサードは求めず、自ら企業を回って寄付を募り、映画にも協力し、オークションの場に脚を伸ばして率先して入札を呼びかける。総体としてはまだまだでも、個々人のレベルでは前向きに知的障害者に限らずハンディキャップを持った人たちが社会に参画し、スポーツを楽しめる環境を作ろうとして頑張っているのだと分かる。映画がそれを教えてくる。

 浦和レッドダイヤモンズの岡野雅行選手は、大会の直前にレッズの選手から集めた品々をオークションに出し、100万円以上を集め寄付したというし、中村俊輔選手も100万円を寄付した上に、長沼と一緒に記者会見に出てチャリティを呼びかけた。A代表と同じユニフォームを着て試合に臨むことができるドイツの域には遠いものの、着実に関心は向いている。映画の公開時に集まったカメラマンがわずかに3人でも、映画が公開されている限り人はそれを見て思うだろう。感じるだろう。そして動き出してくれるだろう。

 映画が公開されてなければ本がある。湯山尚之の「夢 プライドinブルー」(河出書房新社、1400円)は、映画に描かれた内容が言葉によって、より詳細につづられていて選手達がどう頑張ったのか、支援者たちはどう支えたのかが分かる。

 本にあって目立ったのは、日本とドイツの試合をテレビで見たといって、あのデッドマール・クラマーが翌朝、長沼に電話をかけて来たというエピソード。誰かスタッフかと思い受けた長沼にいきなり「デッドマールだ、戦術についてサジェスチョンがある」と言い出したという。デッドマール・クラマーの日本サッカー界への尽きせぬ情愛は感動ものだ。日本のハンディキャップサッカーも、これだけの人に気にしてもらえているのだと知ることができる。

 大会で日本はなかなか勝てなかったが(最終的には16カ国中12位))、試合で負けるたびにロッカーでうなだれる選手達の姿は、2002年のトルシエジャパンを追ったドキュメンタリー「六月の勝利の歌を忘れない」にも重なる、代表が持つ重さというものを感じさせる。まさに青への誇り。誰だって活躍できれば嬉しいし、出られなければ悔しい。そして悔しさを次に結びつけようと奮闘する。そんな姿が、健常者障害者を問わず誰にでも感動を与えてくれる。頑張ろうって気にさせてくれる。

 映画のようにはストレートに選手達の感情は伝わってこないが、その分、言葉によってつづられた本からは何が起こり、その時にどんな感情が走ったのかが伝わってくる。それもまた健常者障害者を問わず、誇りを持って生きているのだという、当たり前のことを改めて分からせてくれる。映画を見て本を読めればなお最高だが、映画が未公開でもまずは本で2006年の夏に、プライドを失って瓦解したA代表たちだけではなく、プライドを貫いて戦った“もうひとつの日本代表”がいたことを知ろう。

 その“もうひとつの日本代表”は今も戦っている。苦闘している。支えよう。2010年に彼らが南アフリカの地を踏めるように。


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