アー・ユー・ハッピー?

 カラオケボックスで流れて来た浜崎あゆみの曲のバックにギターを弾いてる”よっちゃん”こと野村義夫の姿が写って、手に職がある人が最後には勝つんだなあ、尊大さを芸に昇華できなかった”トシちゃん”こと田原俊彦の落ちぶれぶりなんて悲惨だもんなあ、幾ら一時一世を風靡したとしても10年20年に亙って人気を意地し実力を見せ続けることは大変だなあ、とか思いつつだったら現在も現役第一線で活躍バリバリな矢沢永吉っのはハンパじゃなく凄い人なんだなあ、これが才能かなあ、といったことを考えた。

 そうしたら実は違ってて、裏で半端じゃないくらいの努力を積み重ねた成果が今もって世間から第一線のロッカーとして認められる存在たらしめていたんだったってことが、かの大ベストセラー「成りあがり」からだいたい20年くらい? とにかく長い時間を経て登場した、知らない間に50男になっていたヤザワの自伝「ア・ユー・ハッピー?」(日経BP社、1300円)を読んで初めて分かって、なるほどやっぱりヤザワは凄かったんだと見直した。

 正直に言うなら実は読む前、今時の女性に「プラトニック・セックス」が目茶売れな飯島愛が大昔に書いた「どうせバカだと思ってんでしょ!」をそのまま男性版に当てはめて、ロックンローラーは一種の音楽バカであって、世の中のこと社会のこと経済のこと政治のことにはてんで疎く行き当たりばったりで無茶ばかりして苦労してるんだけど、本人はてで気付いていないといったなパターンの本かもしれないと想像していて、その天然なバカっぷりを笑おうと身構えていた。

 例えばオーストラリアで何十億円もパクられた事件の背景に、経済も経営も知らず周りにおだてられた挙げ句に仲間の裏切りも見抜けず裸の王様になっていたヤザワの姿を想像していた。いたんだけど、なるほど確かに”音楽バカ”ではあっても、自分がより良い音楽を作り出すためには何だってやるんだという意味での”音楽バカ”で、その最大にして至高の目標のためには難しい経理でも面倒くさい版権管理でも経験のないステージ制作でも既得権益に縛られた興行でも、何だってやってやるんだってことが本を読んで分かって驚いた。なるほどこうした徹底ぶりが、「時間よ止まれ」から20年とか「キャロル」から25年とか経つ長期にわたってヤザワをナンバー・ワンにしていたんだと気付いた。

 とりわけ面白かったのは、既得権益と柵にギッチギチにされている音楽業界にたてつき自分たちでビジネスを組み立てて行く部分。ステージ制作を自分たちでやって最初は持ち出しもあったけど今ではそこそこになったって話とか、外国人タレントを日本に招聘するライセンスを他の白い目を気にせず獲得してしまう話とか、興行に乗り出す話とかキャラクター商品を自前で作って他に一切任せない話とか、出版権に肖像権に著作権著作隣接権にその他諸々の権利をしっかり自分たちで管理しようとする話とか、あのヤザワがそこまで考えてるのかってことが分かって驚いた。ついでに音楽業界の複雑な様が分かって勉強になった。

 音楽の話の中で突然「戦国の時代、家康だけが生き残って、徳川二百五十年の歴史を作った。なぜ家康は成功したのか」というまるでビジネス書のよーな質問を投げていて、人心掌握術が優れていたとか権謀術数に長けていたとかいった答えが返って来るのかと思いきや、「いちばん長生きしたからだ」という安易と言えば安易、分かりやすいと言えば言える意見が繰り出されて、後ろから膝カック ンを喰らった気分になったけど、よくよく考えるとある意味真理だったりするから困ったもの。リストラされた人間に向かってリストラする会社だって辛いんだと言い、くよくよしている人に向かって自立が大事なだと言う、ある意味脳天気さにあふれた言葉ではあるけれど、やっぱりこれも一面真理だったりする訳で、裏表なく配慮とか忖度とか考えずに世の中をストレートに見抜く力は、なるほど直観に優れたアーティストだけのことはあると感心してしまう。

 単に突っ張ってるだけなのかもしれないけれど、突っ張るって突っ張り抜くのがロックンローラーの仕事なんでそれもやむなし。俺様な部分を割り引きながらもヤザワの意図と狙いを我が身に出来れば、読んだ人はリストラされたサラリーマンから未来に悩む若い者まで、何かと世知辛いこの世の中も何とか生きていけるだろう。変だけど妙だけど粋な1冊。もしかしたらカルチャーのコーナーに置かれる本かもしれないけれど、案外とビジネス書として売った方が悩める団塊迷う40代息詰まる30代にバイブルとして売れるかもしれない、もっとも凡人がいくら張り切ったところであの生き様にあの自信、真似するのはちょっと難しいけれど。


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