夜の果ての街
Cuando duerme el barrio

 「パラレルワールド」なる概念がいつ頃生まれまた誰が生み出したのかは浅学故に知らないが、書物への物心がついた時に熱心に読んだ眉村卓なり筒井康隆なりのジュブナイル作品、あるいは熱中して見た手塚治虫や石森章太郎のマンガ作品で、今あるこの世界とは似通っていながら微妙にことなっる世界があるかもしれないというビジョンを突きつけられ、かつそうしたパラレルワールドからの侵略というテーマを与えられて、以来その存在を科学的には否定しつつも心情的には信じているという奇妙な感覚に溺れている。

 こんな思いを抱いているのは1人だけではない筈だ。ならば人はどうして「パラレルワールド」に惹かれるのか。クローンでも双子でもない自分がもう1人存在するということへの興味かもしれない。現実の世界で抱いている不満が解消されているかもしれないということへの憧憬かもしれない。逆に現実の幸福を「パラレルワールド」の悲惨さから再確認して優越感に放りたいのかもしれない。いずれにしても外国の別の歳でも彼方にある惑星でもない「パワレルワール」ドには、人々を惹きつけて止まない何かがある。そう何かが。

 ホラーの分野でつとに知られる朝松健が1600枚もの書き下ろしとして刊行した「夜の果ての街」(光文社、2400円)は、帯こそ「ホラーノワール」との文言で飾られているが、中身を読めばこれが一種の「パラレルワールド」物として、ありえざる重なり合った別の現在への憧憬とも拒否反応ともつかない複雑な感情を喚起されせてくれる。「夜果川」という不気味な音色を持ったこの地名が使われている物語の舞台は、東京・池袋より徒歩で20分程度の場所にある。元は川が流れていたが今は埋め立てて造成されて川はカケラも残っていない。

 夜ともなるとアジアから密入国して来た人々の跳梁する危険な空間となるこの場所に、刑事野小泉とその同僚で小泉から太極拳の手ほどきを受けている柾目仁の2人の刑事が、ニセ500円硬貨の元締めを追って潜入していた。仲間と合流してその元締め、ミスター沈(シェン)を追いつめたと思ったのも束の間、手が銃になった奇妙な男「飛刃(フェイレン)」に襲われ3人が殺されてしまう。だが中の1人、柾目仁だけは死体安置所から忽然を姿を消し、弱々しく軽々しかった風体をガラリと代え、強靭な心を肉体を持った別人のような姿となって再び姿を現した。

 聞くと彼は、一種の魔法とも言える科幻法が自在に使われている「向こう側の世界」へと招き寄せられ、その場所で柾目と同様に生命の危機に瀕していた全くおなじDNA、まったく同じ指紋を持つ男と呼ばれていたテロリストと融合させられた。そして4日後の10月31日に「夜果川」の下流で「大天眼」が開きミスター沈によって「向こう側」と「こちら側」が1つになることを阻止するために「マジック」と名乗る男として甦ったのだという。間もなく「向こう側」の世界で闘士として戦いながらも囚われ身体を苛まれていた「エツコ」に、柾目仁の同僚だった淡路悦子は融合させられ、2人は飛刃の度重なる襲来と戦いながらミスター沈の阻止に全力を上げる。

 魔術とも思える科幻法の存在が、物理法則と計算によって成り立っているこの世では無理な現象を、それこそ欲望の赴くままの行動でも可能としてくれるが故に、「パラレルワールド」への興味を喚起させる。さえない刑事が強靭な男となり、女刑事が魅力あふれる女闘士として存在する世界の存在も、ありふれた生活にくたびれた人の変身願望を擽る。危険がいっぱい、でも魅力もいっぱいの「パラレルワールド」のビジョンを見せつけられて、どうして抵抗なぞできようか。

 身体を武器にかえて哄笑を上げながら跳梁する怪人たちに、鏡を通り抜けてどこにでも出現しては「ヒュプノメーター」なる武器で戦う「マジック」たち。少女のような顔立ちにスレンダーな肢体をドレスで包んだ美貌の少年、体内に潜り込んでは男性には死を、女性には快楽をもたらす機械とも虫ともつかない生命体等々、淫靡で妖しい魅力を放つキャラクターにガジェットの惜しげもない注ぎ込みぶり、それらを描写する時に激しく時にエロティックに滑る筆のすべてに圧倒される。すべてのページに時には通奏低音として流れ、時に高らかに鳴り響くタンゴの音色が陰惨にして華美なビジョンを読者に与え、禁断への憧憬を激しく掻き立てる。

 しょせんはたったふたつでしかない「向こう側」と「こちら側」。どちらも嫌だと鬱に沈んだ心にもさらなる救いの手は伸びる。女装の美少年がもともと存在していた世界はさらに別の「パラレルワールド」らしいとの描写から、世界はなおいっそうの重層的なイメージに彩られる。「マジック」を誕生させた謎めいた老人、黄Kの存在も気に掛かる。そんな中で「もうひとつ」ではない「いまひとつ」の世界へと旅だった「マジック」の行く手に想像を巡らし、次の可能性に胸躍らせてみるのも悪くはない。だから待とう「マジック」再来の日を。


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