横浜ヴァイオリン工房のホームズ

 手に特殊な技能を持った年上の美女で、口調は荒く性格も狷介で冷笑的なところもあるけれど、頭脳は明晰で好奇心も強く自分の興味が及ぶ範囲で不思議な出来事が起これば、探偵となって年若い少年をアシスタントのように使い、さらりと解決してのける。そんな設定でひとつ浮かぶ作品があるとしたら、太田紫織の「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」だろうか。

 標本士として骨格に関する豊富な知識を持ち、その延長で検死に関する知識も豊富な九条櫻子は、そうした知識を生かし観察力も発揮しながら起こる事件を解決していく。美人で名家の令嬢でもありながら決して人付き合いが良い方ではなく、口を開けば悪態ばかりが飛び出して来る。それが館脇正太郎という近所に暮らす高校生の少年を気に入ったのか、さまざまな事件に駆りだしては解決に協力させる。

 何と魅力的な女性であることか。そう思うのは特殊な趣味の持ち主か、それとも聡明な美人に悪罵され振り回されるのが好きなのは人類に共通の快楽なのか。前者であっても後者であっても、そんな「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」と同様に、ちょっとした嗜虐の興奮を味わえる小説が、上津レイによる「横浜ヴァイオリン工房のホームズ」(メディアワークス文庫、610円)だ。

 登場する美女は、横浜の本牧あたりに拠点を構えて、ヴァイオリンの修理工房を開いている冬馬響子。元天才ヴァイオリニストで音楽の知識も豊富な上に人並み外れた聴覚の持ち主。そして、ヴァイオリンをはじめとした弦楽器の修理に関しても高い腕前を持つという響子が、年若い男子大学生をこき使うかのようにして音楽が絡んだ様々な事態を解き明かしていく。

 櫻子さんの正太郎と同様に、響子にこき使われるのが広大という名前の青年で、東京にある大学に進んで暮らしていたアパートで、ちょっとだけ子猫を拾って里親捜しをしていたことがペット禁止事項にひっかかり、追い出されて行き先を探していたところに、大学で知り合った女子を経由して新居が紹介される。

 格安の家賃ということもあって、横浜と東京からは離れるものの尋ねて行った広大が見たのは「響」という名の弦楽器修理工房。広大はそのオーナーだった響子から、いきなりイヤフォンで聞いていた楽曲が「パッヘルベルのカノン」だと言い当てられ、耳が良いんだと言われて驚きつつ信じたりもする。どうやら別に秘密もあったらしいが、本当はやはり聞こえていたのかもしれないという響子の謎めいた存在が、一筋縄ではいきそうもない事態を解決へと導く。

 まずは、広大の兄が付き合っていながら自殺してしまった女性の件について、どういう理由からだったのかを明らかにして、エリート警察官僚となった兄に対する広大のわだかまりを払拭する。広大が聞いていた楽曲。プロのヴァイオリニストだったというその女性の演奏。そうした情報と、個人的な伝手を使って響子がたどり着いた真相は、潔くも切ないものだった。

 以後も、日本人が英国からタイタニック号に持ちこんだももの、船と共に沈もうとしていた名器ストラディバリウスが、託されて脱出した少年の手を経て日本へと届けられ、持ち主の子孫の手によって保存されつつ、貸し出されもして評判になりながら、とあるトラブルに見舞われロシアの地で没収されてしまった一件を、これも謎めいた伝手を使って解決する。その上で、音楽の善し悪しは楽器の値段で決まるのではないといったことも諭してのける。

 弾けば分かるし聞けば分かってしまう音楽と音の質や中身。そんな特別な才能を持った響子が、持ち前の洞察力も加えていろいろな事態に挑んでいく展開も楽しい上に、美人ではあってもなかなかどうして、狷介で傲慢な感じを見せてくれるところにもギャップめいた驚きを感じて興味を抱かされる。

 賄い付きを標榜しながら、出すのがコーンフレークやカロリーメイトとは。さすがに広大もたまらないと、喫茶店でアルバイトをしていた時の経験を活かしていろいろと料理を作って響子に気に入られてしまう。男子たるもの厨房での経験は存分に得て生かすべき、といったところか。

 それにしても冬馬響子、天才ヴァイオリニストとして称賛を浴びながら辞めてしまった理由が不明で、海外のとんでもないところに伝手を持っているのも不思議。ヴァイオリニストとして活躍した時期が結構以前な上に、修理の腕も極めているあたり、いったい何歳なんだといった疑惑が浮かぶ。広大がそれを解き明かしたら最後、地の底に眠らされるだろうか。

 もっとも、情報が氾濫した時代だけに、その名前をネットで検索すれば年齢も含めたプロフィルなど幾らだって得られる。敢えてそれをしない広大は、美人であるとかヴァイオリンの腕前が素晴らしいとか、若いかそうでないかといった条件ではなくその人間性に惹かれ、側に居続けているのかも知れない。つまりは狷介でガサツで聡明な人間。それが気取らず接していられる条件ということか。あるいはやはり特殊な趣味をくすぐられる? 人の好みは千差万別ということで。


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