やわらかい殻

 春の来ない冬はない。たぶん。

 たぶんというのは別に常夏の熱帯を意識したとか、秋も春もすっとばして夏と冬しかない極地に配慮したとかいう訳ではなく、春になぞらえた人間の気持ちの解放が、誰にも100%やって来るとは限らなかったりするケースも想定しておく必要があったからだけど、希望を言うならやっぱり春の来ない冬なんて、断じてないんだと声を大にして叫びたい。

 「ぶーけ」や「ぶーけデラックス」や「クッキー」といった少女マンガ誌で作品を発表して来たおかざき真里の短編集「やわらかい殻」(りぼんマスコットコミックス、390円)は、掲載された場所もいろいろで年代にも5年とかの開きがあって、とりたてて1つのテーマがあるものではないけれど、ほとんどの話が苦しい場面にあって頑張ったり励まされたりしながら、昨日よりは今日、今日よりは明日へと足を踏み出そうとする少女たちを描いていて、冬のあとの春の訪れを感じさせてくれる。

 たとえば表題作の「やわらかい殻」は、本や音楽やカーテンや毛布といった自分の”好きなもの”でいっぱいになった部屋から外へと出ていけなくなった主人公の少女がある日、彼女の前にその部屋に住んでいたという男性をたずねてきたイタリア帰りの少女から新しい刺激を受けて、外の世界に関心を持ち始めるストーリー。実は少女は役者として自分の道を歩き始めた男性を眩しく思い、彼の夢から逃げるようにして好きでもないインテリアの勉強を始めた過去があって、ある意味主人公と同じ立場にあった。

 それでも引きこもり気味の主人公の姿の姿に自分の強い想いを甦らせ、「この部屋をとび出した理由はなくても帰って来た理由はあるの」と言って強い行動に出る。その姿に主人公も止めていた時計を(万歩計?)動かし1カ月ぶりの街へと出ていくという展開が、悩んでいる人間を立ち直らせ、前へと進めるためには、自分の意志と同じくらいに他人の勇気も必要なんだ、自分の納得だけでなく他人への気配りも大切なんだということを教えてくれる。

 彼氏からピンクのワンピースをプレゼントされて大喜びの少女を突然おそった哀しい出来事を描いた「ワンピース」は、読むほどに訪れた少女にとっての冬の厳しさを感じさせて憐憫に胸が痛む。けれども脱がしてくれる相手を失って汚れてもシミになってもワンピースを着続ける少女の前に、差し伸ばされた同情でも反発でもない理解と情愛の言葉が少女の冬を少しだけ緩ませ、たとえ彼方に遠くても存在するだろう春を感じさせる。

 「水の名前」の主人公はモデルといいながらも手だけのタレントいわゆる「手タレ」で、有名タレントの代わりにリップを転がしキーボードを打ち皿を洗う。撮影の現場で「きみの『手』評判いいよ」と持ち上げられても顔を出すタレントが入って来れば無視される程度の存在。華やかな場所に集う人々に向かって壁の裏側から手だけを突き出した描写が、虚しさばかりを募らせる彼女の心象風景を写してどこかもの悲しい。

 「みんなに爆弾を落としたいと思っていても」「誰も気づいてくれません」「誰かあたしに気がすいて」「誰かあたしに名前をつけて」「あたしはいるのにここにいるのに」。氷雨ふりしきる冬まっただ中の気持ちが一転、どうってことのないような言葉で氷解へと向かう場面に、気取っていてもそれは虚勢、孤高でいるようでいて実は孤独な今時の少女たちの願っているものが見えて来る。

 広告代理店でクリエーターとして働く女性が世間との軋轢に次第に傷つき壊れていく「タフ」も同様。口をゆがめて「くそったれ」とクライアントの悪態をつき、「パンツなんか36時間はき続けてるぜ!」と忙しさに開き直って同僚の女性をおののかせ、ごみ箱をけ飛ばし椅子を並べて横になっては「チューがしたい」とつぶやく強さのどこが冬かと、最初のうちは思うだろう。

 けれども夜道に猫をみて、ふたたび「チューがしたいなあ」とつぶやくあたりで、強さの実は強がりでしかなかったことが分かって来て、切ない気持ちにさせられる。若さを鼻にかけて傍若無人にふるまうタレントを前にして張りつめた気持ちがいっきに破裂しては真冬の底へと彼女を突き落とす。

 もはやここまでと思われたた瞬間を、外国から戻って来た彼氏が救って再スタートのラインへ。見かけはヘンでも仕事には厳しく女心への理解もたっぷりなカメラマン北巻の粋なはからいも効いたエンディングが春をこえて巡り来る夏を感じさせ、読んだ人の気持ちを明るく変えてくれる。

 春が来たら夏、秋を越えて再び冬が来るのもまた摂理で、外に出た彼女もワンピースを脱いだ彼女もクリエーターとして立ち直った彼女もふたたび冬にはまりこまないとは限らない。男を想うあまりに鬼となった姫君を描いた「風草子」の見せる救いのない結末のように。それでもやっぱり想うのは、春の来ない冬はない、ということ。落ち込んだ時、疲れた時、嫌になってしまった時には是非、取り出してページを開いて「やわらかい殻」の短編たちを読み、春の訪れを感じて欲しい。


積ん読パラダイスへ戻る