やっとかめ探偵団と殺人魔

やっとかめ探偵団と殺人魔

 「名古屋本」というジャンルが出版界には存在する。決して表だった存在ではない。その証拠に、東京都内の大書店を虱潰しに探してみても、「名古屋本」をすべて取りそろえて、コーナーにして置いている書店など、1軒もない。しかし名古屋に行けば、事情は一変する。名古屋駅を降りて一歩あるけば、ありとあらゆる書店に「名古屋本」のコーナーが設置され、数10冊には及ぶという「名古屋本」を揃えている。名古屋人による名古屋人のための名古屋人の本。それが「名古屋本」なのである。

 「名古屋本」には名古屋の誉め言葉ばかり書いてあると思う人もあるだろう。自画自賛するような本をもてはやす「名古屋人」を、そんな理由で蔑む人も少なくない。しかしこうした見方は全く事実を写していない。「名古屋本」はその大半が、名古屋人を自画自賛するどころか、名古屋人を非難するような記述で満たされているのである。曰く「名古屋人はケチだ」、あるいは「名古屋人は排他的だ」等など。となると、そんな本を名古屋人が読んで、何が面白いのかと訝り、名古屋人とは何と自虐的な奴等かと、あきれる人が出てくる。

 客観的に見れば、自虐的という指摘は当たっている。しかし主観的には、自虐的では決してないのである。なぜならば名古屋人の頭では、「ケチ」という非難は「しまりがいい」とう美徳になり、「排他的」という非難も、いったん仲間と認めれば、あらゆることに世話を焼く面倒見の良さという、美しい習慣に早変わりするのである。けなされればけなされるほど、非難されれはされるほど、名古屋人の頭の中ではそれらの言葉が誉め言葉として変換されて聞こえるのだ。

 ああ、どえりゃーなぎゃー前振りで、ようやっと清水義範の「やとかめ探偵団と殺人魔」(光文社文庫、500円)が紹介できるぎゃー。あんたが名古屋人なら、いわんでも解ると思うけどよー、「やっとかめ探偵団」シリーズの3作目がやっと文庫になったぎゃー。駄菓子屋の波川まつ尾ばーたんがでゃー活躍しとるで、みいんな買ってちょー。はよ買わんと、東京の本屋ではすぐに売り切れちまうでよー、気をつけてちょ。まあ、名古屋の本屋に行けば、どっこの本屋にも置いてあるで、読みたくなったら新幹線で東京から2時間、名古屋の地下街の三省堂でも、ちくさ正文館でも、近鉄星野書店でもいきゃーせなも。心配せんでも、山積みになって置いてあるで。な。

 などど、素に戻っている場合ではない。ようや文庫になった「やっとかめ探偵団と殺人魔」。過去のシリーズは、いずれも長編仕立てで、主人公はじめ近所のお婆ちゃんたちで作る探偵団が活躍する話が続いていたが、今回は連作短編という形で、波川まつ尾ばあちゃんの灰色の脳細胞が何度もフル回転する。といっても決して「安楽椅子探偵」としてお茶を濁すのではなく、名古屋のばあちゃんらしく忙しく厚かましく歩き回って、情報を集めてそれらをつなぎ合わせて推理する。

 それにしても、中川署の鷺谷直樹警部補は、いつまで経っても名古屋弁をしゃべろうとしない、頑なな奴である。名古屋に行って名古屋弁を喋らなければタクシーにだって乗せてもらえないし、味噌煮込みうどんに卵だって入れてもらえない。33歳になっても結婚できないのは、やはり名古屋弁がしゃべれないからだろう。「やろみゃあ」「えーがね」「いってまうー」といった、暗い寝屋での会話なくして、なんぞ夜の生活が送れようか。

(この項はフィクションであす。本当の名古屋はもっと凄い・・・・かな)

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