「やなぎみわ 無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」
展覧会名:やなぎみわ 無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語
会場:原美術館
日時:2005年8月13日
入場料:1000円



 「原美術館」で見たやなぎみわの展覧会「やなぎみわ 無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」は、ガブリエル・ガルシア・マルケスの短編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」って言葉から着想を受けたらしい内容だけど、その短編を読んでも記憶から彼方に飛んでいるんでどう関連しているかは不明。ただし「エレンディラ」と名付けられた作品はあって、ほかにも「ラプンツェル」とか「白雪」といった童話に寓話から題をとった作品群があって、それぞれに、少女と少女の顔部分だけが老婆の面になった人物とが寓話や童話の場面を演じた写真になっている。

 無垢に見えて残酷な少女と、悪辣に見えて純真な老女という、童話や寓話の概念をひっくり返して見せるかのようなその内容は、老女といえども少女が成長したものでしかなく、少女と老女の間によこたわる長い時間を歪め混在させつつ人間は、恒に無垢と無慈悲のを併せ持つ存在なんだってことを考えさせる。

 「砂女」というビデオは顔をテントのような形の布で覆い全身を覆った姿で荒野を歩く「砂女」という存在に出会った少女が、やがて砂女を追い求めるようになるものの果たせずそのまま行倒れてしまったところに、砂女が現れ少女を包み込んでは存在を消滅させ、そして少女は成長して老婆となって孫の少女にその時のエピソードを語って聞かせ、孫娘は砂女が気になり荒野へと探し求めに出る決心をするってストーリーが描かれる。

 脚は幼い少女のようなのにテントとマントの下から伸びてくる手は皺だらけで、それが砂漠を彷徨い歩いて少女を抱え込むビジョンに諸星大二郎的な世界を見てしまったけれど、諸星が描くような異形の怪物って感じではない。「砂女」はおそらくは女性が受け続ける抑圧の写しでありその抑圧から脱出したい願望で、けれども受け継がされた観念なり慣習なり風習によってテントを被せられ、自分を失わされたところでひたすらに人生をさまよい歩くことになるのだろう。

 そんな見方も出来たり出来なかったりといろいろ考えさせられるところの多い展覧会。もとより女性がどんな老後を迎えたいのかって訪ね聞いて、それを特殊メイクやCGを使って実現してあげ写真にして飾る作品を作り続けてきたやなぎみわ。さらに以前にはエレベーターガールという記号化された女性像が無限に展開されるビジョンをみせて、男の目を惹きつつもそこに残酷な社会の様を浮かび上がらせ突きつけてきたこともあった。

 それだけに、「砂女」の映像作品やプリント作品にもきっとそうした作品からつながる込められたさまざまな寓意があるんだろう。女性も男性も行って見てなにかを感じてみてはいかが。「エレンディラ」という作品のヌードの子供が、すべすべとした肌を持ち胸もふくらみかけで良かったなあ、といった感想でも別にかまわないのだが。
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