山がわたしを呼んでいる!

 「空をサカナが泳ぐ頃」(メディアワークス文庫、590円)で、社会にコミットしながらもどこかやり残した思いをかかえて生きている人間たちが、ちょっとした事件を経て自分を見つめ直し、やり直そうと決断する姿を描いた浅葉なつ。奇妙な煙草を吸ったら、目の前に謎の魚が現れ泳ぎ出すという、例えるなら海が男たちを呼んでいた作品だったけれど、第2作となる「山がわたしを呼んでいる!」(メディアワークス文庫、650円)は、だからといって目の前に熊だの鹿だのといた動物が、現れ走り回る作品ではない。

 ごくごくストレートに、山に招かれる女性が、抱えていたもやもやから解放されていくという、心情の変遷を描いた青春ストーリー。ガサツで乱暴者の自分に嫌気を感じた女子大生あきらは、もっとみんなから愛されるキャラになりたいと、女たちのカリスマと仰がれているモデルの女性の真似をして、彼女が興味を持っている“山ガール”とやらになろうと、山小屋のアルバイトに応募して山小屋へと向かったら、そこは彼女の予想にまるで反して、そこはガサツで乱暴者の巣窟だった。

 いやいや、そもそもが山小屋にロッキングチェアと暖炉があって、羊や馬が草原をかけまわる中を、静かに健康的に毎日を送るような暮らしなんかは存在しない。むしろガサツで乱暴者の巣窟であることが普通。知っていてしかるべきそんな知識をまるでもたなかったあきらは、スニーカーにチュニックを羽織った姿で、、トランクをかついで8時間も山道を登って山小屋へと行き、そこにいたものたちに驚き呆れられ怒られた。なるほどそれも当然か。

 とはいえ、そんな近所にピクニックにでも行くような格好で、険しい山道を登り続けられる体力があるという点で、カリスマのように優しく可憐な乙女という領域を、大きく逸脱しているあきら。当人はそうした乖離を意識しているのかしていないのか、まるで気に留めることなく、自分は可憐な乙女になるんだという思いで山小屋に行き、当然のように先輩から怒鳴られる。

 そこで可憐な乙女だったら泣いて引き下がるところを、まったくそうではなかったあきらはは、即座に言い返し、喧嘩し、売り言葉に買い言葉もあって早々に引き上げると宣言したら、なぜか山小屋のオーナーが、怪我したと言って先に下山してしまう。人手が足りなくなった山小屋で、あきらは嫌々ながらもそこに残って、山小屋の仕事に励むことになった。

 先輩で根っからの山男の青年からは、相変わらずの罵倒が浴びせられる。けれども、それに負けずに止まり頑張り登山客の危機も救ったあきらは、山でいろいろと見聞し、もうそこにいるしかないと、内心では思いながらも、根っからの気性の強さもあって、最初の言を曲げず、山を下りて大学に戻り、普通の女の子としての日々を送ろうとする。もっとも。

 そこはなるほど“山に呼ばれた”人間だけあって、心ずっと山上に留まっていた様子。誘われ断らず山小屋へと舞い戻っていく。その選択が、彼女にとって最善だったかどうかは分からない。本当になりたかったカリスマのような暮らしとは、まるで正反対の山小屋に向かってしまったことは、本心に妥協してしまった現れかもしれない。

 そういう妥協が是か否か。答えることはとても難しいけれど、いくら願っても届かない場所は、現実に確実に存在する。そこに至ろうとして至れず、自分に不安を感じ不満を覚えている人が、ほかに本当にやりたいことを見つけるなり、ベストではなくても今よりもよりベターな場所を見つけることは、決して悪いものではない。どうしよう。そう迷いあがいている時に、山小屋という選択肢を少女に与えて道を示したともいえるストーリーは、自分にとって良き道を選ぶ上で、心の支えになってくれそうだ。

 だから自分も山小屋に、とはあの厳しい日々を思えば流石に誰も思わないかもしれないけれど、1度は行ってみたいと思わせる魅力は、あきらやそのほかの面々の仕事ぶりから伝わってくる。山小屋で働き、稜線を歩き、頂上に到達する気持ちの素晴らしさを味わいたい。そう思った時、あなたはきっと山に呼ばれている。だから行くしかない。登るしかない。ただしチュニックはお断り。頂上はあれで結構寒いから。


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