やきそば三国志

 個人的に言わせてもらえば、家で作る時のやきそばは、1玉だけが袋に入って粉末でも液体でもソースなんかついていない蒸し麺がほとんどで、ソースはカゴメでもコーミでもブルドッグでも構わないけれど、別にちゃんと用意してあるのを使うのが普通のやり方だった。時々はよくある3玉入って粉末ソースが付いたやきそばを買うことはあったけど、ソースがいまいち舌に合わないのと食べきれず余ってしまうことなんかがあって、すぐに元の麺だけの商品に戻ってしまった。

 「だった」「しまった」と過去形になっているのは最近あんまりやきそばを作らなくなったからで、ひとつにはカップやきそばの簡便性に味なんでどうでも良いと思い始めてしまったことと、台所が荷物で占領されて使い辛くなっていて、カップやきそばですら食べなくなっていることが理由だけど、もしも今また作るとしたら、やっぱり麺だけの奴を買ってモヤシやキャベツや豚肉やら卵やらコーンやらをぶちこんで、炒めて焼いてソースをかけてモリモリと食べるような気がする。

 もっともここで「その買っているというやきそば、どこのメーカーの品物?」と聞かれると、実は良く思い出せなかったりする、というかまったく今まで気にしていなかったりすることに気付く。スーパーだろうとコンビニだろうと、そこに並んでいる品物だったらメーカーの名前なんて気にせず買っていた訳で、たとえばそれが油をおさえて色味が綺麗にしてあったとか、焼いた時に水っぽくならないとか噛んだ時にプリプリとした感じがあるとかいった特徴を持たせた製品だったとしても、やっぱり気付かなかった可能性は高い。

 つまりはやきそばのそれも安価な蒸し麺程度をメーカーによって、味覚によって、見た目によってより分けるなんて作業を普通の消費者はしない訳で、そこに品物が並んでいるということ以上に重要視する条件はない。勝負はスーパーやコンビニの食品売場でどれだけ面積を取れるか、お見せの定番商品になれるか、という1点にかかっていて、だからこそ問屋なり小売の間に対する価格力とか営業力とかマージンその他の部分でのアピール度が開発力とか宣伝力よりも重要視される。

 これは個人的には苦手ながらも家族のある家庭にとってはメイン商品らしい「3食入りやきそば(ソース付き)」でも同様で、お客はどのメーカーの品物という訳ではなく、そこに並んでいる商品を買うことになる。そしてその市場は帝国漁業という業界の老舗が発売している「ファミリー3色」が握っていて、カップでは大手ながらチルド麺では後発の東辰も中堅の恵比寿製麺も牙城を崩せずもがいている。とりわけ東辰は社長の肝煎りでスタートしたチルド・冷凍事業部の管掌だけに伸び悩んでいるのは具合が悪い。そこで……。

 ということで始まった「3食入りやきそば(ソース付き)」の市場をめぐる3者入り乱れての激しいけれどもどこか詮無い三つ巴の戦いが、四川料理の源流を訪ねたノンフィクション・ノベル「厨師流浪」(日本経済新聞社、1800円)で評判をとった加藤文によって、小説「やきそば三国志」(文藝春秋社、1905円)として書き著された。

 もっと売れる製品を作れという社長の命令を受け、東辰でチルド・冷凍事業部を率いる山口と、マーケティングを学びながらも正論を吐く口が禍して山口の下へと飛ばされた下島の2人はいろいろと画期的な考え出す。けれどもしょせんはどれだけスーパーの場所を押さえられたかが重要視される市場。開発の苦労といった人情味あふれる話にはならず、山口や下島のアイディアは社長によって却下され、社長自身によって示されたとてつもなく無様で人によっては「テロでしかない」とまで言われる最低の作戦に、2人そろって手を染める羽目となる。

 相手が得意とする市場で消耗戦を挑み「市場を焼け野原に」してしまおうとする東辰の社長が放った作戦の理念のなさ、醜悪さがひたすらに詮無い。それでもそうまでしてでも勝たなければならない企業社会の業であり、それほどまでの命令に従わなければならないサラリーマンの業めいたものが浮かび上がって来て、読む人の身を縮ませる。

 と同時に、消耗戦を戦ったからといって共倒れにはならず、間隙を縫って市場をかっさらう企業があり、突端で与えたダメージに相手がつまづき傷口を広げていく隙に体制を立て直し別の場所から戦いをしかけてトータルで勝つ企業があり、といった企業間戦争のダイナミックな様子と、勝利者だけが味わえる美酒の香りが、読む人の闘争心に火を着け「やってやろう」という気にさせる。幻滅するか。発憤するか。ラストで別々の道を歩む山口と下島のどちらに共感できるのかで、読んだ人のこれからの生き方も変わって来そうだ。

 インターネットを使ったクレーム騒ぎや工場で起こった事故への対処を誤った時の恐さとか、逆にすべてをオープンにして頭の良く情報を自在に操る、ように見えて実は情報の洪水に踊らされている節もある消費者を相手に繰り広げていく今時のマーケティング戦略といった、最近の話題も巧みに折り込みながら企業の良い意味での凄さと悪い意味でのすさまじさを見せてくれるビジネスノベル。それでいて家庭を省みなかった男が妻の失踪に戸惑いひきこもりがちの息子と反抗期にある娘の2人とどう対処していくのかを描いたファミリーノベルであり、仕事に燃える女性と話ていて気持ちが落ちつく女性のどちらを男は望んでいるのかといった恋愛ノベルでもある。

 とは言えやっぱり中心はやきそばをめぐる企業間の熾烈な争いで、リアルで奥深いそれらの描写に、袋入りの蒸し麺の1玉入りソースなしでも3食入りソース付きでも構わないけれど、普段は気にもしなかったメーカーの名前が、「やきそば三国志」を読み終えた後は妙に気になって仕方なくなって来る。たかが数百円のやきそばですら、自分が手に取った商品、取らなかった商品の向こう側にいるさまざまな人たちの顔や家庭が浮かんで困ったことになる。それでいてやっぱり定番のやきそばを選んでしまうこの矛盾。人間はやはりなかなかに業が深い生き物のようだ。


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