わない数学者
MATHEMATICAL GOODBYE
 「踊っているのでないのなら 踊らされているのだろうさ」(神林長平「狐と踊れ」)

 私が抱く、存在の絶対性に対する懐疑は、この言葉から始まっている。もっと前、P・K・ディックの「変種第2号」や「にせもの」などを読んでいた時から、うっすらとは気がついてことなのだが、端的に、そしてあからさまに、自己の絶対性を疑わせるこの言葉に出会ってからというもの、私とあなた、私とあなたたち、私と世界、私と宇宙、そして私と私以外の存在との関係が解らなくなった。

 懐疑は存在だけではなく思考にも及ぶ。私の考えていることは絶対的ではない。私以外の者が考えることも絶対的ではない。自分にしろ、あるいは自分以外の者にしろ、どちらかが自己を、あるいは他者を定義したところで、唯一無二の思考でない以上、絶対的な思考ではありえない。「考えているのでなければ 考えさせられているのだろうさ」。自分に自信が持てず、他人に自信が持てず、世界に自信が持てず、宇宙に自信がもてないまま、それらと自分とを相対化しながら、ふわふわと今(時間すら相対的な概念に過ぎない)を生きている。

 次から次へと新作を送り出す森博嗣を、自信のカタマリと見ることはた易い。デビュー作を含めた5作品を一気呵成に書き上げて出版社に渡し、あとは刊行されるのを待つばかりという、およそ新人の作家とは思えない振る舞いに、作品への大いなる自信を感じない人は少ない。出来不出来に拘わらず、作家は大概にして自作に自信を持っているものだが、森博嗣のそれは、他の作家とお相対というレベルを超えて、溢れんばかりの絶対的な自信に裏打ちされたものであるようにすら感じる。

 しかし繰り返すが、絶対的な物(者)など存在しない。絶対的な小説家などいないし、絶対的な小説などありえない。他の作家、他の小説と相対化するなかで解ってくるのは絶対的な「上下」「主従」「出来不出来」ではなく、ただの「違い」でしかない。森博嗣から感じとれる絶対的な自信も、結局のところは己が劣等感がなせる相対化の結果に過ぎない。聡明な森博嗣は、そんなことは自明の理とばかりに会得しているだろう。会得しているだけでなく、実は相対的でしかない物(者)と物(者)との関係性を、絶対的と錯覚する愚挙に題を得て、新しい小説を書いた。

 オリオン座の3ツ星を模した館で、一族の子供たちが庭園に飾られているオリオンの像が消失してしまう場面から、森博嗣の第3作「笑わない数学者」(講談社ノベルズ、880円)は始まる。真相は明らかにされないまま、やがて長じた子供たちが集うその館に、我らが主人公の建築学科助教授、犀川創平と、建築学科2年生で叔父に愛知県警本部長を持つ西之園萌絵が向かう。かつてオリオン像が消えた日と同じく曇天だったその夜、館の主である数学者、天王寺翔蔵は12年前と同じく、プラネタリウムに集う人々の前で、あるはずのオリオン像を消して見せる。

 オリオンが消された夜、犀川創平は天王寺家の家政婦から、オリオンが次に消えた時に殺人が起こると予告されていたことを告げられる。果たせるかな、殺人は起こり、天王寺家の長男で作家だった宗太郎の妻、律子とその長男、俊一が相次いで殺害され、死体で発見される。事件の真相に近づくために、3ツ星の中央部分にあたる円形のプラネタリウムの地下に暮らし、人前に姿を現すことの滅多にない天王寺翔蔵のもとを、犀川創平と西之園萌絵は訪れる。

 天王寺翔蔵は彼等に語る。「人が、自分以外の存在に何かの影響を及ぼすとしたら、それは思考によてであり、そして自分の存在を確認する作業によってだ。その思考運動が、外界を定義し、同時に自らの存在を認識させる」

 天王寺家にまつわる幾つかの秘密と、その秘密に起因する幾つかの事件を経て、犀川創平によってオリオン像のトリックは解き明かされる。賢明な読者なら、そこに至るはるか以前に、トリックの真相に気がついているだろう。トリック自体は最初の事件の発生に結びついているから無駄ではない。だが次の瞬間、簡単に解き明かされるトリックが、推理小説にとって意味を持つのだろうか という疑問に突き当たる。そして自問する。

 「踊っているのでないのなら 踊らされているのだろうさ」

 踊っている自分の回りに、踊らせている誰かが見えてくる。オリオン像のトリックは、トリックそのものを推理小説の中で絶対視する方法論をも相対化してしまう。推理小説を超越者の立場から見おろす「メタ」という手法を採らず、それこそ入子細工のように幾重も相対化を繰り返すことによって、現代の推理小説が陥りがちな絶対への信仰を撃つ。

 何度も書くが、絶対的な物(者)など存在しない。従ってここに書いたことが、絶対であるはずなど決してない。書き手である私、原作者である森博嗣、この文章を読む読み手、森博嗣の作品を読む読み手。そのた諸々の存在や思考によって、果てしない相対化が続く。無限の膨張と縮小のなかで、自分の思考が唯一絶対と誤認して言おう。

 「この本は絶対に面白い」


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