Virgin Bloody
ヴァージン・ブラッディ妖しの女教師

 求めるのを止められない快楽というものがあって、男子だったら例えば朝に夕に手を筒状に握って前後に動かす行為が該当したりするけれど、いくらマガジンを巨大にした拳銃でも、弾を撃ち尽くせば込め直すなりマガジンごと取り替えるなりしなければ次の快楽は得られない。すなわち限界がある訳でほかにも自省なりの意識が枷となって、命と引き替えにしてまで求める快楽にはなっていない。女子の場合は出す出さないの関係もあってなおのこと死にはほど遠い。

 むろん快楽そのものが命を脅かすというのではなく、快楽を求める環境が経済的であったり社会的であったりと肉体に依らない形で死を呼ぶケースは、人間の歴史が始まっていらい常にあったりした訳で、とりわけ男子と女子とが1つ形に収まることによって生まれる快楽が、結果として城を傾け国を滅ぼし家庭を壊した例は枚挙に暇がない。まあいくら自省しようとも利かないところが快楽の快楽たる所以であるのだが。

 しかるにそれが直接的な死を招く可能性を持っている快楽だったとして、人は命をひきかえにしてまで快楽を貪る道を選ぶものなのだろうか。「死んでも良い」と頭では思い口では言っていたとしても、本当に命が奪われると分かれば多くは死への恐怖心から身を引き快楽から遠ざかるもの、あるいは遠ざけられるもの。けれどもその恐怖心すら覆って求めたくなるほどすさまじい快楽があったとしたら、人は果たして命を擲(なげう)てるものなのだろうか。

 霜越かほるの「ヴァージン・ブラッディ 妖しの女教師」(集英社スーパーダッシュ文庫、514円)が描くのは、まさしく命と快楽をと天秤にかけ、激しい恐怖心に脅えながらもそれでも快楽を選ぶだろう人間の、どうしようもない弱さでありまた命を超えて大切なものを得ようとする人間の、どうしようもない欲深さだ。

 母親が勤務する近所の高校に通うのを嫌って、通学に1時間半はかかる進学校へと入った少年、喜島浩二は同じクラスにいるどことなく影の薄かった少女、工藤深雪とふとしたことから言葉を交わすようになる。ひとりパンを食べいてた深雪に握り飯を分けてあげたことが喜ばれたようで、美雪は浩二に明日は自分が弁当を作って来ると言った。

 しかし翌日美雪は学校を休み、職員室に呼ばれた浩二は深雪が住んでいたマンションのベランダから落ちて死んだと聞かされる。遺体に体面した浩二は、深雪が地味な眼鏡を外すと目も覚めるような美女だったことを知り、高校生の娘がいるにしては年輩に見える父親の落胆ぶりに触れる。

 それから2週間後、深雪の家に弔問に行っていた間に行われたという身分証の写真撮影をするように、浩二は写真部へと呼び出される。そこで出会ったのが、写真部のOBで教育実習に来ていた出間忍(いずるましのぶ)という名の女性。170センチを超えるスレンダーな長身でショートヘア、それから顔に張り付くような眼鏡をかけた美女で、不思議な魅力を放って写真部の後輩女性部員らから慕われていた。

 この忍、帰宅部を狙って写真部に入った浩二が気に入ったらしく、壊れていた浩二のカメラを直してやり写真部にちゃんと出てくるよう誘いかける。美しい先輩に無粋な後輩そしておさ馴染みの少女という三つ巴の、ごくふつうの学園ものの物語を思わせる構図が出来上がってさてというところで、浩二は死んだ深雪がベランダから落ちた日の朝にかけてきたらしい留守電に残されていたメッセージが、物語の雰囲気を急転回させる。

 「ごめんなさい」「お弁当、つくれなくなしました」「私は父のそばを離れては生きていけないんだって」。そんな留守電のメッセージに触発されたのか、浩二は深雪が学校のロッカーに荷物を残していたことに気付き、忍といっしょにロッカーの鍵を開けてしまう。中には日記が残されていて、忍は浩二の制止をあしらって日記を読んでしまう。突如として真剣な顔になり、噛みしめて紫色担った忍ぶの唇から言葉が漏れた。「なんてこと…………この娘、囲いミズチだったんだ。こんな時代になっても、まだ……」。

 ミズチとは蛟(みずち)。「蛇に似て四肢を備え角を持つ。毒を吹いて人に禍をもたらす」存在で、一方に蛟にはこんな言い伝えも残されている。「太夫の臥所にもぐったからには、思い残すはただ一つ、蛟とやらに会うてみたい」。絶世の美女にして快楽を与えてくれることでは天下一の「太夫」と寝床をひとつにする、つまりは最高の快楽を得られたはずの人間をして求めて止まない蛟とは、つまりそれ以上の、究極の、命すら脅かす快楽を与えてくれる存在だということになる。

 日記を持ち去った忍は、しばらくして浩二を誘って山奥にある深雪の実家へと日記を返しに行こうという。連れだって訪れた深雪の家で出会ったのは、脅威的なパワーとスピードを持って2人を殺そうとしてくる老婆。ひとまずは撃退したものの、町へと戻った2人をさらに別の何者かが襲って来た。囲いミズチとは何なのか。深雪が囲いミズチとはどういうことか。そしてまたそのことい気づいた忍の正体とは。解き明かされる謎の向こうに立ち現れるのが、死と快楽、そのいずれを選ばなくてはならなくなった人間が、直面する恐怖と好奇心に葛藤する様だ。

 「高天原なリアル」では声優業界とゲーム業界を巻き込む陰謀をギャグタッチで、「双色の瞳 ヘルズガルド戦史」では差別に反抗し己が才覚でのしあがろうとあがく少女を主人公に陰謀うずまく宮廷と、硝煙たなびく戦場のすさまじさを骨太の文章で綴って評判の霜越かほるだけあって、深雪の住環境にしても2週間遅れの留守電にしても深雪の父の老けぶりにしても、設定の合理性を保とうとする努力には強いものがある。ニコンFなりニコノスといったカメラに関する蘊蓄も楽しく、なおかつ手慣れた語り口が「ヴァージン・ブラッディ」の世界に読む人を引っぱり込む。

 加えて忍による写真部の暗室での女性部員たちに対する行為の場面や、ク「太夫」すらも超えるだろう快楽を感じさせるクライマックスの場面など、今までにない官能的な描写もあって楽しめる。レーベルの関係上、官能の場面は抑制されてはいるが、それでもやはり気持ちは煽られ身もそそり立つ。踏み込めばあるいはナポレオン文庫のような、アダルト向けのレーベルでも十分に目的を持った読者を心身ともに満足させられたことだろう。なおかつ心身の満足のみならず、快楽への欲求と死への恐怖の相反する感情に揺れる人間を描く、エロスとタナトスに満ちたホラー作品となっただろう。

 かたや死とひきかえに快楽を貪り、こなた死を与えることで生を長らえる身となった2人の物語がこれ以上進むとは思えず、命と人間らしさを犠牲にしながら転がり落ちていく2人を想像しながら死について、快楽について考えるのが本編の読者としては正しい態度だろう。ただ可能性としてあるなら続編では、自省はするし限界もあって死ぬことはないだろうけれど、「死んでも良い」と読んで思える快楽の可能性に挑戦しては、もう少しだけ深く死を超える快楽について考えさせて欲しい。


積ん読パラダイスへ戻る